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初詣は、信州の鎌倉・上田市塩田平の生島足島神社へ

2012-01-04 | 歴史・地理・雑学
生島足島(いくしまたるしま)神社は、万物を生育させる生国魂大神と、万物に満足を与える足国魂大神で、日本の国土創成の神を祀る神社です。御神体(御霊代)は、内陣にある土間。つまり、大地そのものです。神社は周囲を池に囲まれており、「池心の宮園池(いけこころのみやえんち)」といい、出雲式園池の面影を残す、日本でも最古の形式の一つとされるものだそうです。写真でも分かるように、水面に浮かんだ様に見える社はとても厳かで神秘的です。

 この神社には、出雲の大国主命の次男で、父の国譲りに反対して、天孫族の建御雷命(たけみかづちのみこと)と戦って破れ、科野国の州羽海(諏訪)に下降する途中の建御名方富命(たけみなかたとみのみこと)がこの地で二柱の大神に奉仕、米粥を煮て献じたという古事が残っています。境内には下社として建御名方富命も祀られています。建御名方富命の子は、出速雄命(いずはやおのみこと・伊豆早雄)であり、その御子は、會津比賣命(あいづひめのみこと・出速姫神)で、ふたりは埴科郡の産土神といわれています。『松代町史』

 そして、斎場山(旧妻女山)の麓にある会津比売神社の祭神・會津比賣命は、神武天皇の子神八井耳命の子孫で信濃(科野)国造を賜ったという建五百建命(たけいおたつのみこと)の室(妻)であるという言い伝えがあるのです。會津比賣命(会知速比売)は、大物主の子供・会地比古命の娘ともいわれています。また、前記のように諏訪大神の後裔ともいわれています。『會津比賣神社御由緒』等。

 生島足島神社は、日本の臍(へそ)といわれる神社ですから、公式サイトにあるように歴代の帝の崇敬も非常に厚く、醍醐天皇の廷喜の代(901年~922年)には名神大社に列せられています。 その後も北条氏、真田昌幸・信之の戦国武将を始め、代々の上田城主も神領を寄進し、社殿を修築するなど、崇敬を表しています。

 また、神社の一角には回り舞台やせりのある歌舞伎舞台(県宝)があり、そこには武田信玄が必勝を祈った「願文」や忠誠を誓わせた「起請文」などの古文書(レプリカ)が常設展示されています。(入場無料) 信玄の願文は、パターンが決まっていて上杉謙信を極悪人と称して徹底的に罵倒し、戦に勝たせてくれたらたくさん寄進しますよというもの。境内には小雪混じりの中を沢山の善男善女が初詣に訪れていましたが、歌舞伎舞台を訪れたのは我々だけでした。『風林火山』のブームも遥か過去のもの。「兵どもが夢の跡」か・・。

『春望』 杜甫
「国破山河在」国破れて山河在り
「城春草木深」城春にして草木深し---

放射能で汚染されてしまっては、その山河もなしと同じ。

 初詣の後、境内の池の周りを歩いてみました。東南の角に、荒御魂社(あらみたましゃ)という生島大神と足国大神の荒御魂を祀った小さな社があり、その前には大きな石の男根が立っていました。参拝後は、別所温泉へ向かいました。それは、次の記事で。

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★ネイチャーフォトのスライドショーやムービーは、【Youtube-saijouzan】をご覧ください。粘菌や森のあんずのスライドショー、トレッキングのスライドショーがご覧頂けます。OLD JAPAN-1930s 【1930年頃の日本】 1930年頃は、古き良き日本がまだあった時代。しかし、同時に軍国主義が台頭し、国際社会からの孤立を深めていった時代でもあります。当時の人口は、6500万人ほど。工業化もまだ一部で、海も川も山も本当に美しかった。もちろん放射性物質による汚染もなく。

★妻女山(斎場山)について研究した私の特集ページ「「妻女山の真実」妻女山の位置と名称について」。「きつつき戦法とは」、「武田別動隊経路図」など。このブログでも右下で「妻女山」でブログ内検索していただくとたくさん記事がご覧いただけます。

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