「はねおや」
※「鉄漿親」、この漢字で「はねおや」と読みます。
鉄漿親は婚礼の時に新郎新婦の親代わりになる役で、結婚後はその夫婦の後見人的な役割を果たし、新郎新婦とは義理の親子の関係になります。
その為、結婚後は新郎新婦は鉄漿親を「おとうさん」「おかあさん」と呼びます。
私が知っている範囲では一組の夫婦の鉄漿親をやられた夫婦は、他の夫婦の鉄漿親を引き受ける事はないようです。
鉄漿親の子供と新郎新婦は義兄弟になります。
※最近の結婚式は仲人無しが大半となり、仲人もいませんので当然のことながら「鉄漿親」をたてる結婚式も無くなりました。
古き良き時代の慣習となりつつあります。
「鉄漿」は昔の風習で女性が結婚すると「お歯黒」と言って葉を黒く染める習慣が有ったのですが、結婚した新婦の純白の歯を余所の男が言い寄らないようにするためその鉄漿で歯を黒く染めるのを手伝う役目の人を「鉄漿親=仲人」となったのだと思われますが普通なら「カネオヤ」と言うのでしょうが「ハネオヤ」となったのはどっかで言い間違いが起こったのでしょうか?
いずれにせよそう言った風習が残って居る事に歴史を感じさせてくれますね。
まだ若い女性が口を開けて笑った途端真っ黒な歯が見えると今の男性はギョッとしますね、昔でもそうだったのではないでしょうか?
貞操帯の軽い感じの物ですね、
結婚後その夫婦の親代りを務めるところから見ても新婦のお目付け役を兼ねていたのでしょうね。
私の父母も村内の若夫婦の鉄漿親をやりましたが、新婦は私の父母の事を「おとうさん」、「おかあさん」と呼んでました。
私が見ている限りでは目付け役というよりは相談相手のような雰囲気でした。
私も義理の兄になる新郎さんを今でも「にいちゃん」と呼んでいます。
因みに新婦さんのほうは「ねえさん」と呼んでいます。
幾つになってもこの関係は変わらないですね。
昔 何かの映画で鉄漿した女性の方が笑ったシーンがありましたが、思わず目を背けた記憶があります。
私が子供の頃(55年位前になりますが)住んでいた安曇野でも「はねおや」の風習がありましたね。当時父母が良くこの言葉を使っていたのを思い出しました。
今ではさすがに廃れてないようですが…。
ところで話は変わりますが、mt77さんが編集された「我が家の松本弁」に収められている数々の方言は、とても懐かしい言葉ばかりで楽しく拝見しました。
ちょっと読んだだけでは意味が解らない場合でも実際に声に出して読んでみますと、すぐに理解できるのが不思議ですね。
また、例文がいいですね。使い方がよく解ってとてもよかったです。
読ませて頂きました方言全体(100語超?)の7~8割は当時私も使っていましたね。
今回タイトルに掲げさせて頂きました「はあるかぶり」ですが、「は」の部にある「はあるか」は、「長い間」の意とありますね。
似たような言葉で、「はあるかぶり」というのも当時はよく使っていた記憶があります。
「久しぶり」という意です。
この言葉では恥ずかしかった思い出があります。
上京(学生)して間もない頃、友人と久しぶりに会ったとき「はあるかぶり」だね、と言った時、友人が「えっ、今何て言ったの?」と不思議な顔をされたのを覚えています。
長くなりましたが、Mt77さんのホームページはこれからもお邪魔させて頂きます。
失礼しました。
私の父母も一組の夫婦の「鉄漿親」をやらせていただきましたが、その際に私は雄蝶雌蝶の雄蝶の大役(?)をやらせていただきました。
松本市では結婚式の最後に新郎新婦に万歳を贈る習慣があります。
長野市では新郎新婦に対しての万歳に対して、新婦の父が来賓の方々に万歳を差し上げる「万歳返しと」言う風習があるそうです。
「はあるか」は、「長い間」の意で「こんねに うめーもんは はあるか たべてなかったんね。」=「このように美味しい物は長い事食べていませんでした。」のような感じて使っています。
「はあるかぶり」はkenryo様が書かれていらっしゃるように「お久しぶり」になりますね。
松本市近辺で育った者は東京などへ行くと必ず松本平には方言があったのだと気がつかされますね。
私は「ずく」を使った時に松本には方言があるのだと感じさせられました。
「我が家の松本弁」の更新が少なくなってきていますが、まだまだ100語程度ご紹介できるものがあります。
ただ、なかなか例文が思いつかずに紹介する事が出来ていません。
例文が出来たものからまたご紹介させていただきます。
「かねおや」が「はねおや」に音韻転化したのですね。
幼少時、この「はねおや」の意味が良く分からずに「新しい夫婦を大きな羽でくるみ守る親」だと勝手に解釈していました。
いい年なのですが、知らないことだらけです。
ありがとうございました。