田熊みうま会 尾道市因島から発信中

昭和40年度生まれで 田熊小学校・田熊中学校に通った人のブログ

田熊村 愛国号献納戦闘機

2023年08月23日 | 令和5年因島・田熊・仲間の話題
「郷土将兵慰問写真帳」(令和5年8月15日記事)で触れた村上重道村長(村上医院)の在任時には、戦闘機の献納が行われています。
献納機とは企業や一般人の方たちが国防献金 等として集めたお金を軍に供出し軍用機を献納したもので、昭和7年の陸軍あいこく1号から始まり、瞬く間に全国的レベルに広がりました。献納者には一企業や同業組合による献金、一市民から区民、市民、県民といったグループ献金、大人のみならず大学生や中学生、女学生のおこづかいを倹約した献金、更には朝日新聞の呼びかけで献金したものまで多種多様な献納が行われています。
村上村長は村議会議員を経て、昭和13年から21年まで村長を務めました。昭和12年、広島県から飛行機献納の指令があり、田熊村でも戦闘機献納の雰囲気が高まりました。しかし村民寄付という大事業に議会も及び腰で、村上村長の「不足分は自分が負担する」(現在では考えられませんがw)という姿勢に議会でも議決がされ、予定より早く達成できたとのことです。
写真から一式戦隼と判り、献納番号は「1626」と読み取れます。記録には残っていませんが、「1623」と「1629」が昭和18年9月20日に献納されており、命名式は複数同時に開催されていることから、同機もこの日に献納されたとみて良いでしょう。愛国1626「田熊号」として村民の誇りと期待を背負った同機でしたが、翌年被弾損失の通知があったそうです。
昭和10年の国防大写真帳によると戦闘機の献納額は7万円とされていて、現在の価格だと約2億円というところでしょうか。
決して戦争を賛美するものではありませんが、機運意見が澎湃(ほうはい)として起きたとき、地域全体に沸騰する活力は現在にもきっと受け継がれていると信じたいです。



参考文献
田熊の文化財第5巻
陸軍愛国号献納機調査報告
国防大写真帳

コメント
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