MD*DIARY

2024年3月です。
暖冬なんだけど、気温の日格差が大きいです。
体調を崩さないよう気を付けたいですね。

秋ですね~

2006-10-29 15:46:32 | Weblog
10月も終わろうとしているのに、なんとも暑いこと。
朝5時半に起きると、まだ薄暗く、夕方も5時になると暗くなってきたというのに昼間の車の中とか、南向きのお部屋は暑いんですよね。

先週は、土日とも朝早くから出かけたので、この土日、朝ゆっくりできたのは、うれしかった。お天気もよくて、出かけたかったなあなんて思ってみたり。
朝、ゆっくり時間があると、新聞に目を通す。

秋、10月って、どうも物思うときなのかな?
中学生の自殺。教職員だった夫の自殺。
学校内でのいじめが原因だという。

あれは、私が小学校4年生のときだったかな?
そのころ、私は淡路島に住んでいて、明日は私の誕生日だという夜だった。
当時、私たちは、自分の誕生日になるとおばあちゃんといとこたちを招待して、夕食をともにした。昭和30~40年代、まだまだ今に比べるともののない時代。
誕生日のごちそうはとても楽しみだった。いとこたちが集まり、にぎやかに食べれるのもうれしかった。

その誕生日の夜、寝ようとお布団に入ったら、どんどんどんどんと玄関の戸を激しくたたく音。わたしの父を呼ぶ声。「○○が、くびをつってる。早く来て。」私の耳に入ってきた声。怖くて怖くて。でも、眠っていることになってる時間。そのまま、どきどきしながら、うとうとしたような気がする。そこで記憶はとぎれる。

後は、お葬式。いとこは、その年、高校を卒業したばかりだった。何があったのか。それはわからない。その突然の死は、親戚中の公然の秘密だった。誰も何もしらないことになっていた。当然、私の両親は私が自殺だったと知っているとは思っていなかった。思っていたかもしれないが、口にしたことはなかった。

あのお葬式のとき、いとこのおにいちゃんの高校のときの同級生がずらっと並んで歌ってくれた「若者たち」♪君のゆく道は限りなく遠い。なのになぜ、♪という歌を聴くたびに思い出してしまう。

田舎のこと、1週間ごとにお経を読みに伯母のうちに集まった。あの時の残された家族の姿。絶対に死んじゃいけない。って小学生ながら思った。


いじめがあったとき、親に言えるといい。誰かに言えるといい。と人は言う。親として、何も言われないまま、気づかされないまま、わが子を失うってどういうことだろう?新聞に出る自殺の記事を見るたびにどうして、周りの人は気づかなかったのだろう?とも思う。でも、結構、子どもって、親には分かってほしいという気持ちと親には気づかれたくない。親に心配を掛けたくないとも思ってしまうようだ。

いじめって本人がいじめられていると感じた時からいじめだっていうけど。

ただ、自ら命を絶つというのも、それなりの覚悟のいること。精神的に追い詰められないとできないことだと思うんだけど。

私もまだまだ人の子。人の親でもあるけど。やっぱり自殺だけはしたくない。自殺だけはして欲しくない。親に心配掛けると思わないで話して欲しい。一人で悩まないで欲しい。