風そよぐ部屋

ウォーキングと映画の無味感想ノート

映画/パターソン

2018年02月22日 | 映画



予告編を見て期待したのですが、独りよがりの駄作でした。
題名は、いつも同じことをするワンパターンの男と言うシャレかと思ったら、パターソンはPaterson、
ワンパターンのパターンはptternでした。
主人公のバスの運転手の俳優の名前が、アダム・ドライバーとこれまたシャレっぽいのは素敵です。
彼の妻は彼とは真逆のかなり「飛んで」いて、どうもイスラム圏系の異邦人のようです。
彼女のデザインは、アラビック模様のようでもあり、草間弥生の水玉のようでもありますが、
欧米人の東方「異邦」へのコンプレックスに感じました。
舞台はニューヨークから25kmほど、そう遠くないニュージャージー州の実在の町です。
かなりの田舎町ですが、他人種が行き交う町のようです。
町には、落差23メートル、豊かな水量を誇る町のシンボル・グレートフォールズあり、
この滝のエネルギーを利用して産業が繁栄したそうです。 写真は引用

映画の最後、日曜日のエピソードに永瀬正敏演じる日本人が全く唐突に登場します。
パターソンは飼っている犬に自分の詩作ノートを食いちぎられ意気消沈して、
グレートフォールズの公園のベンチで呆然としています。

公園にいるのは二人だけ、ベンチもたくさんあるのにパターソンの座っているベンチに見知らぬ
アジア人が「同席して良いか」と唐突に聞いて座るなんて、
不自然を通り越してこの奇異な演出って何、ってすっかり興ざめでした。
しかも彼がパターソンを慰め、白紙の詩作ノートを渡し、パターソンが生き返るというのですから…。
彼の相づちは人を小馬鹿にしたような強いアクセントの「アッ、ハァン」です。
私は、英語をなまじ知った日本人がネイティブらしく相づちをうつのを小馬鹿にしているように感じました。
最後に二人は握手して別れるのですが、日本人の右手の指二本は絆創膏が貼られていました。
この演出の意味は何なのでしょう?私はさっぱりわかりませんでした。
ちなみにパターソンが飼う犬は、第69回カンヌ国際映画祭のパルム・ドッグ賞(優秀な演技を披露した
犬に与えられる賞)を受賞したそうです。
何をか況んや、やっぱりカンヌは下らないですね。その犬は映画完成後死んだそうです。
パターソンが、道ばたにいる少女に話しかけるシーンなどパターソンは不審者そのものですし、
行きつけのバーで、失恋男がかつての恋人ににおもちゃの銃を突きつけるシーンなど笑えません。
この映画には、5、6組の双子が登場します。
深い意味があるのでしょうが私にはわかりませんでした。
映画の冒頭、二人は、双子がほしい、そして二人の個性に合わせて育てるのなどと言います。
二人は、毎日こんな狭いベッドで寝て、こんな風に目覚めます。

まるでツインのようです。しかしシンメトリックではなく、二人で一人のように。
一人の人間には、パターソンとその妻のようにシンメトリックで無い二人が混在して
一人の人間を作っているとでも言いたのでしょうか。
かように映画は屁理屈をちりばめますが、わたしにはさっぱり言いたいことはわかりません。
哲学さをさりげなく言いたいふりをした薄っぺら見え見えです。
2017年のキネマ旬報賞を受けたそうですが、私は「?」です。   【2018年2月19日】
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映画/ボブという名の猫

2018年02月14日 | 映画



可も無く不可も無く、です。
動物ものが好きで無い私には好みの題材ではありません。
ストーリーは至って単純、くすり中毒のストリートミュージシャンが、野良猫を拾います。
この猫は、すっかり彼の守り神、彼の「幸福度」がうなぎ登り、恋人も出来、幸せになるお話。
わざわざ映画館で見る映画では無いです。           

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映画/ブランカとギター弾き

2018年02月10日 | 映画


この映画は、ベネチア・ビエンナーレ、ベネチア国際映画祭が出資して制作されたそうです。
そうした映画は日本では初めてで、長谷井宏紀さんのこれまた初監督長編映画でした
イタリア映画、言語はフィリピンのタガログ語です。
フィリピン・マニラ近郊のスラム街近くにあるゴミ置き場で、金になるゴミを拾って生活する子ども達の
支援や教育については、これまでもたびたび映像化され、紹介されてきました。 
この映画は、マニラのスラム街で盗みや物乞いで暮らす孤児のブランカとその回りの人々の映画です。
ブランカは、盲目ギター弾きのピーターと出会い、歌とギターで生活費を稼ごうとします。
二人の魅力的人が登場します。一人は、性別不明のちょっと年がいったストリートガールと
チンピラのパシリをしているセバスチャンという少年です。 右がセバスチャン

彼らは、何かと、ブランカを助けます。
盗みや物乞いを止めたセバスチャンがほほえみながら煙草を売っている場面で映画は終わります。
なお、ピーターを演じたピーター・ミラリさんは映画完成後病で亡くなったそうです。  【1月29日】

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日本橋を歩く

2018年02月08日 | ウォーキング

2月5日、少し寒かったですが、東京駅から日本橋近辺を少し歩きました。

東京駅周辺再開発が激しいです。こんなに高層・巨大ビルが本当に必要なのでしょうか。 竹久夢二旧宅跡
 
人材派遣のパソナグループ本部ビルは、ファーム展示場があったのですが、建て替え工事中でした。   
名水白木屋の井戸                 木原店跡
  
たいめい館5階に「凧の博物館」200円ですが入りませんでした。
 
                         郵便発祥の地
 
開運橋親柱
 
銀行発祥の地                   鎧の渡し跡
 
東京証券取引所
 
鎧神社
 
旧渋沢栄一宅跡・日証館              日本橋魚河岸発祥の地
 
日 本 橋 
 
                         日本橋観光案内所
 
東京市道路元標                   貨幣博物館(休館)
 
日本銀行                      三浦按針屋敷跡
 
常盤稲荷                      小網神社
                              
西郷隆盛屋敷跡[日本橋小学校]
 
出世稲荷
 
三光稲荷                      橘稲荷
                       
富沢稲荷                      池洲神社
 
千代田神社                     大安楽寺(真言宗)
 
                          江戸八臂弁財天
 
                         身延別院(真宗)
  
                         油かけ大黒天
  
十思公園 石町時の鐘               枡屋勝三郎記念碑
 
吉田松陰終焉の地                 牢屋敷の石垣
 
於竹大日如来井戸跡                宝田恵比寿神社
                       
長崎屋跡                     与謝蕪村宅跡
 
薬ミュージーアム(休館)
 
福徳神社

三井記念美術館入り口(7F、入らず)          日本橋西河岸地蔵寺(日限延命地蔵尊)
 
今年になって、初めてのウォーキングでした。何度か出かけようと計画したのですが、その度に、雨や雪や
風が強かったりで行くことが出来ませんでした。
今日も、寒波でしたが、日が出ていたので思い切って出かけました。
ウイークデーの日中なのにものすごい人々の行き交いです。
しかも、その多くの人はとても早足です。
東京駅周辺の再開発、建設ラッシュは凄まじいものです。
こんなに高層、巨大ビルが本当に必要なのかつくづく思います。バブルだなぁと思います。
日本橋近辺は、日本の金融の中心地で大銀行や証券会社の異様な巨大な建物が威圧しています。
そんな中に不釣り合いにちいさな稲荷や神社が少なからず点在しています。
それらは、この地がかつて庶民の行き交い暮らす下町だったのだと教えています。
小伝馬町には、吉田松陰終焉の地と言われる牢屋跡が残っていますが、小さな公園内に
ぽつんと石碑があるだけです。
また、江戸は水運・運河だったこともわかります。
東京の交通機関の多くは地下に潜ってしまいましたが、広い道路にトラムが走っていれば良いのに
と思わずにはいられません。
当初計画していた半分ほどしか歩けませんでした。
私が歩いた、京橋~日本橋のブログは 有楽町駅~東京駅=京橋・日本橋を歩く です。
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映画/セールスマン

2018年02月03日 | 映画




新年2回目の映画は、サスペンスでした。セールスマンとELLEの2本です。
セールスマンは、イラン・フランス合作映画です。
前半の前半は序章と言え、だらだらして退屈でした。
妻のラナが自宅で見知らぬ男に殴打された事件を契機に二人の間には
感情の微妙なすれ違いが生じます。
夫婦は、イラン警察に訴えても解決できないと言います。夫のエマッドは、単身、犯人捜しを始めます。
男は、自動車とその鍵、携帯を忘れるアホぶりで、意外に簡単に犯人に行き着きます。
「目には目を」と言われるイスラム社会、殺伐とした結末を予想していたのですが、
妻のラマは、その男を「許す」と言います。
もし彼女が強姦されたり、殺された場合にラマは同じように寛容になれたでしょうか。
私は、この終わり方に少し心が安らぎました。最初のダラダラが無ければもっと良かったです。
イスラム社会の映画、一切のセックスシーンも、暴力シーンもありません。
そうしたシーンは無い方が私は好きですし、それでも物事を伝えることは充分出来ます。
二人は仕事を持ちながら劇団員でもある彼らは、劇中で舞台劇「セールスマンの死」を演じるシーンが何度も
描かれますが、これは煩雑過ぎました。
主演したタラネ・アリドゥスティさんが出演した「彼女の消えた浜辺」の私の感想
アスガー・ファルハディが監督した「ある過去の行方」の私の感想
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映画/エル[ELLE]

2018年01月26日 | 映画


かなり倒錯した性を描いていますが、けっして「過激」ではありません。
イザベル・ユベール(65歳)は、多くの女優が断ったこのミシェルの役を逆オファーしたそうです。
彼女を含め、登場人物がセックスを欲求だけで「処理」している感じです。
ゲーム会社の社長をしているミシェルはすごい大金持ちです。
彼女がどのようにして成功したのか映画は触れません。
彼女は、同僚で仲の良い女性の夫と性的関係を持っています。
80歳を越えている彼女の母親は、ツバメと結婚を考えています。
息子は、幼稚です。
別れた夫は若い女と関係を持っています。
そんなある日、彼女は覆面をした男に自宅でレイプされます。
超高級セレブなのに家にセキュリティが無いのですから変な話です。
しかも、「警察は信用できない」と、鍵を取り替えただけ、セキュリティを導入するわけでも無く、
何事も無かったように平然と生活します。
ミシェルは、隣の家の若い男・パトリックに性的関心を抱き、パーティに招待し、
足で彼の股間を愛撫したり、双眼鏡で彼の姿を見てオナニーしたりします。
ミシェルは、彼とのレイププレイを期待します。
彼女は、それまで拒否していた父親に面会に行きます。
その知らせを受けた彼は、自死します。
彼女は、彼の自死を予想、期待したのでしょうか?それとも…、私にはわかりませんでした。
映画をどのようにして終わらせるのかが非常に興味深くなりますが、単純でした。
夫が関係を持たれた同僚の女性と共同生活を始めるところで終わります。
セックスシーンは過激ではありませんが、たくさん描かれます。
そもそも私は、映画で、セックスシーンを生々しく見せる必要があるとは思いません。
実は、彼女の父親は多くの住民・少女を性的異常をもって殺戮し、終身刑で服役中しています。
彼女は、父親が殺した人々の衣服などを燃やす手伝いをしました。
その「異常」経験=トラウマは、彼女の倒錯した性欲や精神に影響を与えているのでしょうか?
それとも、彼女の性癖は、性的マイノリティの一種で、「異常」でもなんでも無い、とでも言うのでしょうか?
あれこれ屁理屈は想像できますが、さて、この映画、いったい何を言いたいのでしょう、
私にはさっぱりわかりませんでした。
訳がわからない映画を評価する癖の第69回カンヌ映画祭ではやはり高い評価を受けたそうです。
ちなみに、原題のELLE はフランス語で「彼女」だそうです。
ユベールの映画の私のブログは、 「未来よこんにちは」、そしてアスファルト です。  【1月22日】

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映画/ローマ法王になる日まで

2018年01月19日 | 映画

新年の映画は、「夜明けの祈り」とこの「ローマ法王になる日」の宗教に関係する2本でした。
「ローマ法王になる日」は、アルゼンチン出身のフランシスコ現法王の半生映画です。
この映画の評価も難しいです。
1970年代初頭、チリでアジェンデ社会主義政権が生まれます。アメリカはこの政権を暴力で転覆します。
以後、中南米の多くの国々では、軍独裁政権が生まれ、恐怖政治が敷かれます。
この映画の舞台となったアルゼンチンでも1976年から約10年間軍独裁政権が支配します。
抵抗する市民はもちろん、貧しい人々を支援する教会関係の多くも逮捕、殺害されます。
飛行機から海に捨てられたりした彼らの多くの行方は今もわかっていないそうです。
いつの時代も軍隊は外国だけで無く自国民を弾圧しました。
2013年ベネディクト16世は、生前に退位しました。
新しい法王を決める選挙(コンクラーヴェ)で、フランシスコさんが選ばれました。
彼は、世界の表舞台ででは無く、アルゼンチンの田舎で質素な暮らしをしながら貧しい人々の
支援などをしてきたそうです。
欧州以外の出身者のそんな彼が266代法王に選ばれました。
映画では、アルゼンチンの軍事独裁政権時代、フランシスコさんは、人々に寄り添った活動をしたことに
なっていますが、その政権に「加担」したという評価、批判もあるようです。
Conclaveは、ラテン語の「鍵がかかった」と言う語意で、他国の干渉を防ぎ秘密を守るために作られた
仕組みだそうです。
若い時代のフランシスコさんと老年になった時の彼の顔が余りにも違いすぎたのはミスキャストでした。
映画のテーマは私にはよくわかりませんでした。
チリの軍独裁政権の弾圧を扱った映画=光のノスタルジアの私のブログ、です。 【1月8日】
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映画/夜明けの祈り

2018年01月14日 | 映画




難しいテーマを取り上げたことは評価しますが、映画としては成功とは言えません。
描きたい、訴えたいことが多過ぎ、テーマを絞りきれなかったのだと思います。
ポーランドに侵入したソビエト兵は、修道女をレイプします。
彼女たちの多くは妊娠、修道女の一人が近くで活動してしていたフランス赤十字に助けを求めます。
若き女医・マチルダは危険を顧みず、その求めに応じます。
神に生涯を捧げた修道女は、出産するべきか、生まれた子どもをどうするのか、またこの事実を公表すると
修道院は閉鎖されるかもしれない、また修道女は行き場すらも困る等々の宗教的問いにどのように
向き合うのか、と言う深刻な問題に解答を見いだすのは至難です。
かなり倫理観があったと言われる中国紅軍もこの種の犯罪を犯したそうですし、労働者の解放を担った
ソビエト赤軍や中国紅軍がどうしてこのような犯罪を犯すのか…、への解答も簡単ではありません。
自身もレイプを受け、梅毒に感染させられた院長は、事実を隠し、生まれた子を殺す選択をします。
それは、彼女の保身なのか、皆を助けたいとの願いなのか、それとも彼女が梅毒に感染させられたことから来る
悲しみからなのか…。
修道女の個々人の内面に立ち入ってその苦悩を描くことは簡単では無いことは十分承知しますが、
出産した修道女が簡単に「母性」を取り戻してしまうことの評価も分かれる所です。
マチルダが町に帰る時、彼女もソビエト兵に襲われる危機を上官の制止で救われます。
このシーンは必要か不要かの判断も難しいです。この体験が彼女を修道女達の境遇への共感を深めたと
言えるかもしれませんし、その恐怖を乗り越えてなお修道女に支援したのは、彼女の強さ信念と言うより、
「神の思し召し」と言うことを言いたいのかもしれません。
この映画のもう一人の主人公は、シスター・マリアという修道女です。
彼女にはかつて恋人がいたそうですが、マチルダに「信仰は24時間の苦痛と1分の希望」と語ります。
この意味は、私には良く理解できませんでした。
修道院内に孤児院を作ることで映画は終わります。映画として、何らかの解答を出さざるを得ないのでしょうが、
いかにも安易な気もします。これがマリアが言った「一分の希望」なのでしょうか?
修道女が皆美人過ぎたのも不満です。
原題のLes inonocentes は、無罪、純粋などの意味があるようです。
今年初めての映画は、宗教にかかわる重い映画でした。         【1月8日鑑賞】
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ニュージーランドの旅。総集編・再びオークランドへ

2018年01月05日 | 2017ニュージーランド旅行

オークランド港・ドックライン・トラム
12月21日 
昨夜から雨で、今朝も寒く夜中に目が覚め、ヒーターを付けました。
前日私が早朝ホテルを発つと電話で告げていたので、ホテルのレセプションに、女性のスタッフが早朝出勤
してくれていました。無事、会計ができました。空港へのシャトルバスのピックアップ場所はホテル前、
7:10、ダニーデン空港へのシャトルバスが迎えに来ました。値段は忘れましたが20$ほどだったと思います。
国内線ですから出発の30分前にチェックインすれば良いのに、10時発のフライトに7:10の迎えです。
疑問が解けました。ダニーデンは大都市ではありません、シャトルバスを利用する人が少ないのです。
私の前に二人乗っていて、私が最後、三人の乗客でした。初老の女性運転手でした。
結構な距離でした。でも8時15分頃着いてしまいました。
ダニーデン空港                   空港内に寿司屋がありました。ドンブリ物でしたが。
  
10時発ですから、たっぷり時間があり、退屈でした。チェックインは、日本語で機械でできます。
年寄りの私がオタオタしていると職員が来て、さっさと手伝ってくれ、あっという間に終わりました。
手荷物検査は、一応しますが、実に簡単で、飲み物もオーケーです。
オークランド空港から市内へはスカイバスが便利です。18$でした。
事情は分かりませんが、途中で別のシャトルバスに乗り換え、えらく時間がかかりました。
ホテルは、前と同じ、スカイタワーの真ん前のスカイタワーチャーマーアパートメンとですが、これらのホテルを
斡旋する「マイホテル」の事務所が、移転していてわかりません。
更に、鍵の受け取りは、この事務所ではなく、別の場所の貸しロッカーの中にあります。
この貸しロッカーの場所も、良くわかりません。
ロッカーのあるWellsley St.Westは決して小さい通りではないのですが、みな親切に教えてくれるものの、
皆、正しくないのです。単純に、何々ストリートのペケぺケですから、わかってしまえば実に簡単です。
住所は、通りの名前の後に家の番号です。ビルの名前ではないのです。
坂の多い通りを重いスーツケースを押しながら1時間ほどうろうろして、コンビニの店主に聞くと、
彼はにっことして、知ってると言ってスーツケースを運んでくれ、「ここ」つまり隣でした。
やっとのことでカギを手に入れ、部屋に入りました。このホテルでは、鍵の入手は、事務所やレセプションを
介さない仕組みです。前回は、事務所で鍵を受け取ったので、貸しロッカーを使わなかったのです。
寒いダニーデンから暖かいオークランドに来て汗をかき、その上場所がわからず冷や汗もかき、どっと疲れた、
お腹も空いたので、近くの中華のレストランで中国の熱い海鮮ヌードルを食べました。
このホテルは、洗濯機と乾燥機があるのでセットして、スーパーに買い出しに行き、帰ってきて、ネットを申し込み、
あれこれ検索しました。(ここは有料、ネットで提供会社に申し込む必要があります。)
オークランドに1泊するのは、乗り継ぎだけが目的です。そのまま、その日の深夜の便で帰国することも可能と
思ったのは、NZに来てからで、日本ではそのことは全く思いも付きませんでした。
しかし、結果的には、やはり一日のんびり出来て良かったと思いました。
そのおかげで、在日NZ人のポールと会うことが出来るかもしれない機会もできました。
彼は、前日日本を発ち、午後にオークランドに着く予定です。
明日のチェックアウトは10:30ですから、その後、荷物を預かってもらうためにオフィス事務所を地図検索し、
探しに行きました。今度は比較的簡単にわかりました。ポールと会う時間と場所をメールで打ち合わせしてる内に、
夕方になってしまいました。もう一度スーパーに行ってお土産を買いました。
こうして、不可思議な一日が終わりました。 でも、街は眠りません。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
12月22日、ニュージーランド最終日
荷物をホテルのオフィスに預け、時々小雨が舞う港を散歩しました。
ヴァイアダクト・ハーバー 海の民NZ人は、多くの人がマリンスポーツを楽しみ、ヨットを持っているとか。
 
 
ウィンヤード・クローシング ヨットが通る時橋が跳ね上がる可動橋
  
                         コンテナは自由に置けるのでしょうか、またその値段は?
  
ウィンヤード・クオーター 雨模様でまだ朝なので客はほとんどいません。 
 
その後ろのビル、ユニークで遠くから目立つ壁です。
 
PALMAN                     War Memoriale Baccon 戦争を記念して作られた街灯
 
ニュージーランド海洋博物館(入りませんでした。)
 
船の形をしたプリンセス桟橋            クイーンズ桟橋
  
昔のブリトマート駅舎
 
コインランドリーは初めて見ました。
 

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港から、オークランド大学に向かったのですが、道に迷いここに迷い込んでしまいました。
エメリー・プレイス保護区というところのようです。マオリの聖地の一つのようです。
 
 
オークランド大学時計台  オークランド大学も広大です。どこまでがキャンパスか市街地かわかりません。
 
アルベルト公園で昼食をとり、休憩しているとキリスト教の勧誘を受け、困りました。
私は、ブッティストだと言うのに、折伏を試み、唯一の創造者神を認めろというのですから。
 

ニュージーランドに帰省中の在日ニュージーランド人のポールとは会えませんでした。二人は、200mほどまで
近づいていたのに、私はもう少し時間が遅いと思って、携帯のメールに気付くのが遅れたからです。
スカイタワーのインターシティのバス停で実に印象的出来事を体験しました。
一人の、中近東系の青年が血相を変えて、待合室に飛び込んできました。真っ先に私に助けを求めてきました。
しかし、私の語学力では、とうてい対処出来ないので断りました。いろんな人に助けを求めましたが、皆断りました。
一人だけ、彼の要請に応えました。どうもトラブルがあって、英語で電話を頼む、と言うことのようでした。
私の目の前で行われたのですが、私にはその話の内容は全くわかりませんでした。
2台の携帯電話を使って、ああだこうだ、でした。話がついたのは30分もたってからでしょうか。
その男性は、買い物に行っていた中学生くらいの息子を迎えに来ていたようでした。
別れ際、私と目が合うと、彼は「やれやれ」と言う顔でにっこりしてくれました。
ニュージーランド人の優しさを象徴する出来事に私には思えました。
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空港へのスカイバスはなかなか来ませんでした。その上、シャトルバスで出発点に運び、そこから正規のバスに
乗り換えます。バスは満員で、しかも道路はかなり渋滞していました。時間がない人は定めし焦ったことでしょう。
オークランド国際空港のチェックインも自動で、簡単で日本語で出来ます。
しかし、その後の出国手続きの窓口は二つだけ、ものすごい長蛇の列でした。
一方、ニュージーランドのパスポートを持っている人は、機械化されている窓口が10個位あり、
すごく早く簡単、スピーディです。指紋認証ではなく顔写真の認証だけでした。
7時45分頃には終わりました。搭乗時刻は10時20分ですからまだ2時間もあります。
余ったニュージーランドドルを日本円に両替すると、17000円、11NZ$が余りました。
11NZ$で小腹を満たすには、日本のきつねうどんがぴったりでした。
NZ航空では、1000円で非常口席が指定できます。座席が少し広いこと、トイレが近いので
この席を希望しました。出発はだいぶ遅れました。
現地時間深夜12時、日本時間では夜8時なので体内時計的にはとても良い時間です。
9時半ころ夕食が出ました。私はきつねうどんを食べたので、ウイスキーと赤ワインを寝酒程度にもらって、
11時頃寝ました。熟睡はできませんでしたが、かなり寝ることができました。
機内が少し寒かったのでブランケットをもう一枚要求したのですが、ありませんでした。
明け方、4時半頃電灯がつき、朝食となりました。私は少しだけ食べました。
こうして1ヶ月にわたる私のニュージーランドの旅は終わりました。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~-------------------------
さて、今回の旅の費用です。
今回私は、1100NZ$(96400円)ほどの現金を用意しました。使ったのは、約8万円と言うことです。
NZでは、ほとんどのところでカードが使えます。現金が必要なのは、バスだけくらいかもしれません。
私は、前半ちょっと過ぎまではほとんどカードを使い、途中から現金を使いました。
今回の旅行費用を大雑把でも計算しようと思ったのですが、バス代の資料が残っていません。
私は、今回10回ほど長距離バスを利用しました。
また、カード支払いの明細もまだ届いていませんので、現時点で計算するのは困難です。
見積もり段階では、ホテル代は約33万円、飛行機代は、日本~NZ間が96400+スカイコーチ代8万円、
+NZ国内便が約37000円計約21万円、現地ツアー代が約52000円、保険が約1万円というところです。
================================================
今回の旅に出る前は、持病の痛風も座骨神経痛などを案じていましたが、異常はありませんでした。
15kmほど歩いても筋肉痛・腰痛等もありませんでしたので、少し安堵しました。
長期の外国個人オリジナル旅行は、これが最後になるかもしれないと思っていたのですが、この分では
今しばらくは、無理をしなければ大丈夫ではないかというのが、一番の収穫でした。
次に、私が今回の旅で一番強く感じたのは、ニュージーランド人の優しさでした。
それは日本人の「おもてなし」とは違うもっと心からでる優しさと感じました。
日本の「おもてなし」は、いかにもマニュアルティックで、外形的で商売的な感じを私は感じます。
それに比べ、NZ人の優しさは心からの親切心と感じました。
おそらくそれは、日本とZNの時の流れの違いのように思うのです。
日本の場合は、時間通りきちっとしなければの度合いが強す過ぎるので、余裕がないのです。
おそらくそれは、日本社会では、効率が何よりも優先されているからではないでしょううか。
NZの場合は、例えば、バスの本数は一日1本とか2本と、少ないです。
待機している時間にも余裕があり、バスから降りて観光客に教える余裕が十分あります。
高齢者が重い荷物を持ってバスに乗ろうとすると、ドライバーは席を立って荷物を運ぶのです。
乗客は、降りる時ドライバーに「ありがとう」とほとんどの人が声をかけます。
スーパーのレジも、NZでは、何十人もが文句を言わずに行列を作って待っています。
日本では3人でも並べば「遅い」と怒るのですから、それは信じられない感動的光景でした。
スーパーで、量り売りでトマト1個、ハム100gから、買えるのです。
レジで、私の会計処理がもたついても、キャッシャーも次の客も平然としています。
私も、数々のNZ人にたくさん助けられました。一番は、私がホテルの部屋のカギを忘れたとき、
全く無関係の人がホテルに連絡の電話をかけてくれたことです。
私のバスのチケットがキャンセルされていて、私がバスに乗り遅れた時、私が助けを求めた別のバスの
運転手は、そのバスの運転手に電話し、次のトイレ休憩の所で私が乗れるように手配してくれました。
「英語は上手くありません」と言うとニコっとして、聞き取れるようにゆっくり話してくれます。
しかし、以上のことは、実は現象的であって、本質的根本的には違うところにその訳がありそうです。
マオリ文化は、ハカが有名ですが、それに劣らず彫刻が素晴らしいです。
マオリの人々の、自分たちの歴史、アイデンティティのこの上ない大切な思い、からと私は思います。
イギリス帝国主義はそれらの略奪を試みたと思います。しかし、マオリの人々はそれを許さなかった。
また、他民族とその歴史・文化に尊敬を持たないアメリカ人が来なかったことも幸いでした。
マオリの人々は、マオリ戦争と言われるイギリス王国の侵略と略奪に果敢に抵抗、戦いました。
1840年のワイタンギ条約の評価は分かれるところですが、この条約によって、両者は一先ずの和平を
見ますが、二枚舌のイギリスは、英語の条文を自分たちに都合よく解釈、利用して彼らの権利を軽んじ、
蹂躙しました。また、マオリの人々を取り巻く環境は決して良いものではありませんでした。
言語、就職、土地所有、都市と農村などを巡りマオリの人々は、粘り強い戦いを行ってきました。
私は、旅に出るに当たり、
【ニュージーランドは、世界で初めて女性参政権(1893年)を認めました。
先住民で少数民族(15%)のマオリ語を公用語にしています。
また、同様に手話も公用語です(ちなみに韓国もそうです)。
以上三点でだけでもニュージーランドは世界の尊敬を受けるに値する国と私は思います。】
と、書きました。人口比15%ながら、マオリの人々はマオリ語の公用語を勝ち取りました。
私は、マオリの人々のこうしたアイデンティティの希求と創造、イギリスとの抵抗、戦いの歴史こそが、
ニュージーランド社会の優しさ、少数者や弱者と言われる人々の権利の擁護に結実したのだと確信します。
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ニュージーランドも車社会です。
駐車場は、たくさんあります。路上では、メーターがあって有料のところが多いです。
また、家の前などは、おそらく駐車許可証が発行されて、路上駐車が多いです。
大都市では、信号がほとんどの交差点にあり、時間が短いので、車はスピードを出せません。
信号が黄色に変わると、急ブレーキをかけてでも止まります。
人々は、赤信号でも車が来ないと半数が無視して渡ります。
横断歩道はめったにありませんが、道に迷ってうろうろしているのに、止まります。
ちょっと危険なのは、左折車です。信号に関係なく、左折できるからです。
しかし、郊外では信号はなく、一般道でも、50km、80km、なんと100kmのところもあります。
高速道路もありますが、無料なので料金所はなく、渋滞は皆無です。
自転車は、少数派です。でも、変速ギヤ数が多くすごいスピードで疾走する自転車もいます。
スケボーは、子どもも大人も乗っています。傑作はモーターつきのスケボー、それで坂を上るのです。
ヘルメットは皆かぶっています。私が、歩いていて自転車のライダーをいいなぁと見ていると、
にっこりする人が多いです。おそらく、自転車も歩行もエコなんだという意識ではないでしょうか。
ただ、自転車専用道路は、日本から比べればはるかに多いですが、ヨーロッパと比べるとはるかに少ないです。
バスは、公共交通機関の主役です。鉄道を作っても、乗客数が少ないので採算は取れないでしょうから。
バスの中の改札はなく、乗車する時運転手に名前を告げると、運転手がスマホで名前を確認します。
荷物がないからとこのチェックインをしないで乗ると怒られます。
荷物を終点の方から順に乗せるので、並んでいても関係ありません。
運転手は、おおむね年配者が多いです。旅行者の荷物は多く重いのでその積み卸しは重労働です。
もう完全にリタイアしていると思える女性が「新人研修」の見習いをしていました。
長時間のバス移動もトイレ休憩、ランチ休憩、写真スポットなどかなり頻繁に止まるので心配はありません。
バスの中で飲食は出来ません。
大都市市内は、複雑に路線が走っていて、旅行者には難しいです。
混みあっているバスを私は経験しませんでした。日本の鉄道やバスの満員さを見たら目を回すのではないでしょうか。
バス料金で面白かったのは、カードと現金では料金が違うことでした。
また、カードなのに、乗車する時一々行き先を告げて、レシート=チケットをもらうのです。
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ホテルはロケーションが良いところを選んだので少し高かったが、電子レンジ、冷蔵庫、食器類
があったのがとても良かったです。スーパーで総菜や少し食材を買えば良いからです。
歯ブラシ、ひげそりはありません。
大きいホテル以外は、レセプションは常時開いていません。何かトラブルがあった時は不便でしょう。
ウォシュレットがないのが一番不便でした。シャワーで洗うのは面倒で不便でした。
公衆トイレは、かなりありました。大きなバスターミナルにも無料のトイレがありました。
また、大型スーパーも便利でした。ミニコンビニは使いませんでした。
さて、旅の時PCはいつも持って行きますが、今回はスマホかタブレットが欲しいと思いました。
日本でも持っていないので、外国でだけ持っても上手くは使えないと思いますが、地図検索、
翻訳、バスなどの時刻表検索は便利で必要と思いました。
テレビは、時間も無く面白くないので見ませんでした。NHKの海外放送はありませんでした。
日本食ブームは、かなり広がっていました。寿司屋、日本食堂はどの街にもかなりありました。
外国人も箸を使うのを楽しんでいるようでした。
私は、海外で寿司やラーメンを食べたいとは思いませんが、値段は決して高くはありませんでした。
最後に、今年は、日本の地方を少し歩き、お寺を巡りたいと思っています。  【ニュージーランドの旅終わり】
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ニュージーランドの旅。総集編・モエラキ・ボルダー、ダニーデン/ボルドウィン・ストリート

2018年01月05日 | 2017ニュージーランド旅行

モエラキ・ボルダー

ボルドウィン・ストリート

12月20日
ダニーデンへのバスのピックアップは8:15。ホテルの朝食は、質素なので前日スーパーでサンドイッチや
果物やサラダ材料買ってきて作り、朝食を静かに済ませ、外に出るとやはり寒いです。
股引をはき、長袖Tシャツにレインコートを着ました。
12人乗りの小さな車で、後ろに荷物を載せるコンテナ車を牽引します。
あちこち回ってピックアップし、また宅配の様に荷物も預かり運ぶようです。片道30$往復50$でした。
総勢10人でした。インターシティのバスは、昼と夜の2本しかありません。
このバスは、大きな病院のあるダニーデンに午前中に行きたい人などが利用するようでした。
観光客は、私だけで、途中のモエラキ・ボルダーで降り、見たのも私だけでした。
時間もたった5分です。いわばトイレ休憩です。ボルダーとは、丸い石という意味らしいです。
オアマルに1泊したのは、たただこの海岸の不思議な岩を見るためです。
 
 
 
ボールをひっくり返したように丸い岩です。何十とあるわけではありません。成長過程の小さいものもありました。
インターシティのバスは、ここでトイレ休憩するのでしょうか。そうなら、オアマルに泊まらなくても良いかも
しれませんが、それはわかりません。この景色を見るためだけに、オアマルに泊まる価値があるかの判断は、
人様々かもしれません。私は良かったと思っています。
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ここから、ダニーデン
このバスは、なんと、わたしの泊まるホテルの前で降ろしてくれました。10:30過ぎでした。
ホテルは、まさにモーテルで、レセプションは留守でしたが、先日のメールで鍵がドアにかかっているので入って、
荷物を置いて良いとありました。でも、部屋は広く、設備は申し分ありません。
 
 
昼ご飯は用意してきましたが、夕飯と明日の朝食の食材を市の中心のスーパーにまず買いに行きました。
そして、部屋でお昼を食べて、真っ先にダニーデンの目的である、ボルドウィン・ストリートに向かいました。
途中の風景
 
 
ボルドウィン・ストリート この坂、ギネスブックに登録されている世界でもっともきつい坂道と言われています。
私は、テレビでこの坂の存在を知って、是非行きたいと思ったのです。
市の中心のオクタゴンと言う所のバススタンド2からバスが出るとのことですが、どこにもこのスタンド2なる表示は
ありません。バスが止まっていたので運転手に聞くと、そこはスタンド3でした。運転手は、わざわざバスから降りて
右に行って曲がった後ろだと教えてくれました。
#8のバスでNormanby行きでした。運転手に、ボールドウィンストリートに来たら教えてと頼んだのに彼は忘れて
しまいました。しばらく行って終点でした。私は通りの名前が見えたのでOKと言って歩いて戻りました。3.4$でした。
 
 
私も一枚撮ってもらいました。
 
長さは、確かに100m程ですが、きつかったです。階段の所は不思議とつらくないです。
どうってことのないただの坂ですが、話の種としておもしろいものです。
上からの景色
 
一番上にベンチがあります。その脇に、一番速く上った人の名前などが記されていました。この上にも家があります。
 
坂の上に、住宅があります。さて、高い方が高級なのでしょうか、おそらくそうでしょうね。移動は車でしょうか?
 
走っている人もいました。もっとも登りではなく、下りでしたが…。
 
息が出来ないほど辛くはないけど、こうした馬鹿げたことを共有すると、人と人の距離はとても近くなり、
興奮気に「面白いね」とか「最も急だ」、「クレイジー」などとにっこりしながら言葉を交わし合うのも面白いです。
帰りは、バスの運転手にオタゴ大学近くで降ろしてと頼んだのに彼も忘れて知らせてくれませんでした。
オクタゴンまで行って、戻りました。
ノックス教会
 
 
オタゴ博物館 無料です。ここもマオリコーナーの彫刻が素敵でした。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
外には、モエラキ・ボルダーの岩がありました。

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オタゴ大学のキャンパスも広く、校舎はいくつにも分かれているので、そのうちの一つです。
 
ダニーデン駅 昔はやはりずいぶんと栄えたようです。
 
                          裁判所は工事中でした。
 
HMオールドPRISONとありました。現在は商業施設のようです。   オタゴ入植者博物館
 
オタゴ入植者博物館正面から ここも無料です。
 
 
 
                         全面人物の肖像写真です。
 
 
ファースト教会は工事中でした。            市の中心・オクタゴン
 
ダニーデン市立美術館 ここも無料です。
 
 
 
 
 
伊藤若冲の作品がありました。

私は、うれしくなって、警備中のスタッフに、彼は今日本でも大人気です、などとお話ししました。
オクタゴン広場のRobert Lord像           市議会議事堂
 
セントポール大聖堂
 
                         セントポール大聖堂の鐘
 
未来劇場とありました。               この急な坂の先遠くに、オタゴ男子高校校舎
 
カジノ                      ニュージーランドの有名なチョコレート会社            
 
 
 
この他にもダニーデンの街には、魅力的な壁画がいくつかありました。ダニーデン駅舎2階にあるスポーツの殿堂
スポーツ・ホール・オブ・フェームは忘れて行けませんでした。
ホテルに戻ってもレセプションに人はいません。私は、マネージャーに明日早いと電話を掛けました。
後で行くという返事でしたがとうとうこの日は来ませんでした。
ダニーデンは、ボルドウィンの坂だけでなく、望外におもしろかったです。
ちなみに、ダニーデンの名の由来は、スコットランドからの移民が開いた街で、「ダン・エデン」(エデンの城)だ
そうです。また、オタゴ大学は、NZで最初に設立された大学で、今でも若者が多いそうです。 
明日は、飛行機でオークランドです。             【12月20日終わり】
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