本の読み方の設計図。

本の構造を明らかにしていく。
論拠・主張

論証=事例、引用。

小説005 reProfesional#78

2008-09-02 00:14:58 | reProfesional
chapter #4 感情

ゲーテ曰く。
「瑣末なことに振り回されて重要なことをおろそかにしてはならない。」
と。

これまでにみてきた、この小説=物語の中での価値観。
ワタシという人生の中での哲学。
自分が変化のうねりとなろうとすることで、気分の不快が現れた。
きっと、そんなことが、新たな物語を作り出す必要性を生み出したのだろう。変化の中で、自分が主人公であろうとすること。
この小説はあくまでも、すべて今後続くボクという物語の序章に過ぎない。
短い時間の中での心理の変遷。
変化の中できっと自分には、他の似非役者が路頭に迷う中で、
きっと、路は見える。そう信じたことから、物語のすべてはスタートしたんだ。

前の章では、自分が感情の空白という自分の本来性から離遊し、根っこを引きちぎられる根無し草の心境を思い描いた。
いまだ、ここにきて、以前の章で私が描いた似非役者との関係性ということについての記述は本格的には書かれていない。
しかし、それはさして重要なミスではない。
サルトル曰く、自分という存在の中での自分との対自的側面を徹底的に見直さないことには、対他的側面は性格には現せない。
えらそうにいうと、そういうことになるが、簡単にいうと、日々の感情の戯れにより、こういう展開になっているというのが正確なとこだろう。
物語の主人公も、書き手も完成したプロットを持たず、必死で、その時々の関係性を自分という存在をアンガジェさせ生きている。
それが、人生というものだろう。

前章での「逃げ」からの逃げを行うことを徹底的に行う。
このことが、物語を新たに立ち上げる必然性となる。息苦しさは、その「逃げ」のなかから生まれてくる。
息苦しさは、新しい物語を立ち上げるにあたり、かき消すべきものなのであろう。
感情の空白を断ち切る、感情の空白の遊離から、永遠に離れようと努力するということ、それは、言い換えると、確固たる自己、自我を芽生えさせるということになるであろう。
このすべてが自分という物語の序章である小説においては、その確固たる自我とはなにか?ということへの回答をこころみるということが結論なるであろう。

感情の空白の逃げへの逃げということへの回答。
それが、この章の冒頭のゲーテの言葉につながるであろう。
気分に支配されてはいけない。決して感情がその時々の行動をつかさどるのではない。似非役者に囲まれ、気分を害され、本来はコントロールできるはずの感情をやすきに預けてしまう、それが原因だ。
そうだ、つまり、確固たる自我は、その時々に生じる残酷な気分をつかさどる何かをしっかりと持つこと。
自分が主人公であることを妨げる気分をコントロールし、その上で、感情をコントロールするということがすべてのスタートになるであろう。
コメント
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