新宿少数民族の声

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2月21日 その2 国語教育を優先すべきだ

2018-02-21 17:21:01 | コラム
今回は言わば「小学校3年からの英語教育は愚策である」の続編である:

私は国語教育を優先すべきだとこれまでに何度言ってきたか記憶にないほど強調してきた。これは自分の国の言葉が十分に身についていない時期に、子供にとって面白いかどうかも判然としないような外国語である英語を教えて、何の役に立つかという極めて簡単で自明の理であるのだ。教えたがる方は「子供の頭は柔軟だから複数の言語でも覚えられる」などと解ったような理屈を言っておられるようだが、私は本当に効果が上がるかどうは誠に疑問だと思っているし、現実的ではあるまい。

私がこれまでに繰り返して採り上げてきた、外国語を学ぶ時の心得として名言というか至言というか基本的な原則がある。その一つは、私が未だ日本の会社にお世話になっていた時に、2期上だった国立H大学出身の秀才F氏が喝破された「日本語が怪しいような奴が幾ら英語を勉強しても、自在に操れるようになる訳がない」である。私の「小学校3年からは愚策だ」との主張と同じことを言っておられると思っている。

次は私を採用して下さった会社の親会社に同期入社されたT大学出身のH氏が課長当時の名言。H氏が緊急の海外出張を前にして言われた「英語で品質問題解決の交渉が円滑に進められるか否かは、これ即ち英語を基本的に理解しているかどうかの問題であり、ペラペラであるかないかという問題ではない」も、流石だと感じ入った至言である。

当にその通りで、英語の基本が解っていなければ、自分の意志を思うように表現できる訳がないのだ。問題は「基本をチャンと教えられ、キチンと覚えているかいないか」という問題なのである。言わないでも良いかも知れないことを敢えて言えば「TOEICで何点取れているか」ということではない。肝心要な点は理論を構築して交渉できるかということではないか。

これだけの原理・原則がありながら、何処かに英語そのものと自らの英語力に劣等感をお持ちか、あるいは自信を持てない方々が、次世代に同じ悩みを持たせないようにと、小学校からから勉強を開始させれば上達するとでも思い込んでおられるのだろう。何度でも言うが、私の周囲には中学入学の時点というか13歳辺りから学び始めて、十分に間に合うどころか、アメリカ人もビックリという達人が何人もいた。敢えて言うが「小学校から等という必要など毛頭ない」のである。

再び結論をいえば「子供の頃には先ず自国語をチャンと固めて、日本語での思考回路が整った後から、思考体系が異なる外国語を教えるべきである」なのだ。私はアメリカで見事な英語を話していた学齢前の駐在員等の子供さんたちに何度も出会っていた。

そういう帰国子女たちの中の1人に帰国して成人してから出会って「君にはその昔アメリカで未だ3歳だった頃に“こういう時にはそう言えば良いのか”と教えられたことがあったよ“と言って驚かせたことがあった。彼の場合は帰国して暫くは英語を覚えていたが、20歳を過ぎた今では何にも覚えていないと嘆いたのだ。こういう例が幾らでもあるのだ。

矢張り小学校では国語の教育を十分に受けさせて、先ずは日本語での思考体系と回路を確立することに集中すべきだ。ここでの重大な問題点は「日本語と英語では文化と思考体系が全く異なる」という点なのだ。元USTR代表だったカーラ・ヒルズ大使は「アメリカの労働者には初等教育の充実と識字率の向上が必要だ」と指摘されたのではなかったか。それと私の主張と似ていないか。「基礎なくして(国語が身についていなくて)何の外国語の教育か」なのである。

既に指摘したが、現在の我が国の英語教育のシステムを小学校にまで引き下げて、どれほどの効果があるという点と、米国の支配階層にも通じるような英語力を備えた先生がどれほどおられるかという問題もあるだろう。私は無闇に native speakerを連れてくることにも疑問を呈しておいた。彼らにトランプ大統領を熱烈に支持るするプーアホワイト以下の層に属する者がいないという保証があるのか。もしも、「そのような者に教えられたらどうなるのか」と考えたことがあるのか。



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