新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

英語の面白い表現を紹介しよう

2024-09-19 11:18:12 | コラム
こういう言い方になるのだ:

今朝は久しぶりにモーツァルトから離れて、ジャズピアノのTommy Flanaganの1978年の録音、“Plays the music of Harold Arlen”を流している。誰だったか失念したが、フラナガンの最高傑作として良いと評価していた。兎角女性的として批判されてきたフラナガンだが、静かに快調で心地良く聞かせてくれている。私も評判が高い1956年の“Overseas”よりも評価している。

さて、英語には意外な言葉の遣い方があるので、その中から気が付いた表現を取り上げていこうと思う。単語の代表的な意味だけを覚えていたのでは、何の事か直ぐには分からない点が面白いのだ。

*「入りました」は英語では“gone”になっていた:
解説)言うまでもないかも知れないが、大谷翔平が打ったホームランの表現のこと。殆どの場合にアナウンサーの絶叫は、“go”の過去分詞である“gone”なのだ。「行ってしまった」か、俗っぽく言えば「行っちゃった」と言う。これに対して、日本のアナウンサーたちは「(ボールがスタンドに)入りました」と形容する。フランス語の表現である「ニュアンス」を借りれば、言い表し方に微妙な違いがあるのが面白いのだ。

*「一方通行出口」は”wrong way“となっている:
解説)初めてこの言い方に出会ったときには、大袈裟ではなく「衝撃」を受けた。別に車を運転していた訳ではないが、シアトル市内を歩いていたら“No entry”=「進入禁止」でもなくて「道を間違えているぞ」か「悪いぞ」と出てきたのだから。英語と日本語の考え方がこのように違う言い方が、何となく高圧的に感じて、非常に印象的だった。

*「三振」は“swing and miss”で「空振り」ではない:
解説)これはアメリカでMLBのテレビ中継放映を見ていて覚えた。「振ったがミスった」と「打ちに行った行為の当事者」の視点から表現している点が、如何にも個人の主体性を重んじるアメリカらしいと感心した。我が国の「空振り」は「剣を振り下ろしたが空を切った」とでも言いたいような「ニュアンス」が感じ取れるのが面白いのである。

*「良いじゃないか」は“not too bad”と表す:
解説)この表現の何処を面白いと受け止めたのかと言えば「酷く悪くない」が一気に翻って「良いじゃないか」になってしまう、言うなれば2進法的表現である点。彼等native speakerたちに教えて貰った「ニュアンス」では“bad”を使って“It’s bad.”と言えば「非常に悪い」となってしまう辺りだった。

*「四球」は“base on ball”なのだ:
解説)“base on ball”と聞かされたときには「四球」または「フォアボール」と結びつかなかった。実は、未だに「何故アメリカではそう言うのか」を調べていない。

*「目玉焼き」は“fried egg”で、over easyもある:
解説)「フライ」と聞けば「揚げ物」を思い浮かべるのだが、揚げ物ではないにも拘わらず“fried egg”という点が意外で面白かったので取り上げた。アメリカの朝食では卵料理がつきものなので、注文するときには、その言い方を承知して置く必要があると思う。と言っても、精々「オムレツ」と「「スクランブルド・エッグス」辺りしか食べないので、「半熟」は面倒な注文の仕方があるので敬遠していた。

目玉焼きには“over easy”と“over hard”という種類があるが、前者が「ひっくり返して焼き、黄身を柔らかいままにする」で、後者は「黄身まで充分に焼く」となる。こんな所まで覚えて使えるようになる必要があるとも思えないが。

*飛行機の「降着装置」とは“landing gear”という:
解説)これには些か惑わされた。本部にいた若手の州立大学のMBAに「飛行機が着陸の際に出す車を何と言うか知っているか」と聞かれて、答えられなかった。それは「飛行機の車輪」ではあり得ないと思ったから。答えは“landing gear”だったのでビックリ。だって“gear”とは「歯車」の意味だから。

そもそもgearには「道具、用具一式」という意味があるので、「離着陸の道具」という意味で使われているのだそうだ。単語を覚えていただけの知識だと混乱させられそうで怖い。“gear”即ち「歯車」以外にも「道具」という意味がある単語の使い方である。

ここから先は番外編である。
*NetherlandでHolandから来たのではない:
解説)1980年代だったか、初めてオランダの会社の社長さんを案内したときのこと。全く何も考えずに“Holandから来られた”と紹介した。会談が終わってから、かなり強い口調で「Holandとは言うな。Netherlandの一部であるから、注意して欲しい」と言われてしまった。知らなかったと済ませられないような認識不足だったと反省。

*EnglandではなくUKと言え:
解説)1969年だったと記憶する、未だアメリカの会社に転身する前のこと。行きがかり上、都内でイギリスの大手メーカーの営業部長さんのお世話をしたことがあった。最初の会談の時には何の気もなく「Englandから来られた」と紹介した。

この時も後になって「Englandから来たのではない。United Kingdom of Great Britain and Northern Irelandから来たのだ。だから、ここから先はUKと言うように」と厳しく教育的指導をされてしまった。イングランド、スコットランド、ウエールズ、北アイルランドの4ヶ国あるのだという教訓だった。因みに、この部長さんは「何が不愉快だといって、日本ではアメリカ人だと思われること」と言われた。

朝日新聞は今でも影響力を維持しているのか

2024-09-18 07:12:49 | コラム
収支報告書不記載問題を「裏金問題」に変えてしまった:

記憶違いでなければ、我が親愛なるマスコミは当初「政治資金収支報告書不記載」と報じて批判してきた。だが、朝日新聞が独特の批判精神を発揮して「裏金作り」とするや否や、各局・各紙が一斉に「裏金問題」にしてしまったのだと認識している。それどころか、当事者である自由民主党の議員の中には「裏金」と表現する者までが出てきた。「朝日の威力絶大なり」とウンザリさせられた。

そこで、自由民主党総裁選立候補者の地方での討論を聞いた複数の若者(と見えたが)が「誰も裏金問題に触れなかったのは・・・」と、言うなれば厳しい批判をしていた。朝日のご威光は未だ未だ威力を発揮していると思った。

私は「裏金」と「収支報告書不記載とは質が違うのにねー」と思っていたので、あらためて「裏金とは」と調べてみた。広辞苑には「取引を有利に運ぶ為に、正式の取引金額とは別に陰で相手につかませる金銭」とあって、朝日新聞は何か見当違いな言葉を遣ったのではないかなと感じた。

だが、Wikipediaに複数の項目があったが、その中からこの問題に関係すると思う項目を取り出してみると、
  • 賄賂(わいろ)などによって動いている金銭。
  • 経理(けいり)上、正式な出入金記録に記載せずに蓄財された金銭。
とあって、定義の後者は「朝日新聞の主張に準えたのかな」のように受け止めた。理屈を言えば、広辞苑とWikipediaの定義の前者から考えると、朝日新聞ともあろう大新聞が言葉を誤用したと思えてならないのだ。

そこで、私なりにこの収支報告書不記載の問題を考えて見た。これは「政治資金パーティ」という名目で「法的に禁じられていたはずの企業団体からの寄付を、形を変えて募ったものであり、金がかかって仕方ない政治を何とか滑らかに運ばせようと意図して資金を集めたのである」と解釈していた。そういう性質の収入であるから、報告書に記載されるべきだったのだろう。

だが、派閥では「貰った資金だから、恣意的に使っても良いのではないのか」と勝手に解釈し、割り当て(何故に思い出すだけでも忌まわしいロシアの「ノルマ」などを使うのか)以上に集めた分の資金を各議員に払い戻しなどしていたのであり、Wikipediaの後者には該当する点があるものの、必ずしも蓄財するのではなく政治活動の資金にしていたのではないのかと思う。

私にはパーティ券を多額に購入した法人が、下心など全く抱くことなく支援する国会議員からの購入の要請に応じたのかどうかなどは分かる訳がない。購入された側でも議員に「賄賂」をつかませたとは考えていなかったのではないのだろう。

であるから、議員たちはその代わり金を自由に使っても良いのだと考えたのだろうが、収支報告書に記載しなかったのは正しくないと思う。回りくどい言い方になったが、法的な問題はこの不記載であっても「裏金」ではないと思えてならない。

ここまで何となく分かったようなことを述べては来たが、マスコミの報道からだけしか事の実態というか性質を知り得ない者としては、何が本質的な問題であり、何処で誰が何処でどのように法律にも触れる過ちを犯したのかが明確には分からないのである。分かることは「不記載は宜しくない事」だけだった。

であれば、岸田総理総裁があれほど厳しく安倍派の幹部を処罰しただけで終わっていた事案であるかのように思えるし、誰かが指摘していたように「一事不再理」の適用で良くはないのかとも思えるのは誤認識か。だから、候補者たちは敢えて古傷には触れる事をしないのではないのか。当方には朝日新聞を揶揄する気はあっても、自由民主党の候補者たちを擁護する気もないと申し上げておく。

9月17日 その2 あらためて自由民主党総裁選に思う

2024-09-17 13:21:17 | コラム
誰も「MNGA」(=ムンガ)とは言っていない:

昨夜はBSでは日テレ、TBS、フジ共にこの自由民主党総裁選の言わば特集だった。未だ中間報告かも知れないが、非常に勉強になった。お陰様で何処にどのような問題があるのかが良く分かった。それは、既に指摘してあったことで、この選挙の結果次第では「自由民主党国会議員と党員に良識有りや無きや」が見えてくるのだ。

先ずは見出しに掲げた「ムンガ」であるが、トランプ氏の標語からの頂きで、“Make Nippon Great Again”である。何もかも停滞気味でドイツに抜かれて世界第4位に経済大国に成り下がり、人口が中国を上回ったインドにも追い越させかねない日本を「以前のように偉大に、と言うかジャパン・アズ・ナンバーワンのようにしましょう」と唱えていたのは、高市早苗さんだけなのである。

そうかと思えば、ニュースで「選択的夫婦別姓制度が重要な論点となりつつある」などと報じられる始末だ。確かに重要かも知れないが、憲法改正や景気回復や原子力発電と再生可能エネルギーとどちらを優先すべきか、拉致被害者奪還等々よりも優先すべき課題だとは、私にはとても考えられない。国民を惑わしかねない議論ではないか。

それに加えて、専門家である政治ジャーナリストや通信社のエキスパートの解説を聞いていると「小泉進次郎氏を推す国会議員が多いという事は、彼の知名度と人気の高さならば解散総選挙の場合に党の顔となり得るからだという考えがある」のだそうだ。何の事はない、それでは「自己保身というか選挙の時の都合に過ぎない理由で、MNGA等は頭の片隅にしか置いていない連中なのでは」と心底疑いたくなった。

小林鷹之氏は出だしでは「国家を牽引したい」とは言っていたが、その後は「国家の為に粉骨砕身」のようなことは言わなくなった。小泉進次郎氏は当初打ち出した「解雇をしやすくする法制度」から一歩も二歩も後退した。この案件にしたところで、私が上に掲げた項目よりも重要なのかなと疑問に感じてしまう。

後難を怖れずに言えば「枝葉末節のような問題ばかり掲げて論じているのではないかであり、372名マイナス9=363名ほどは弱ってきた自由民主党の勢いでは、自分の当選の心配ばかりしていて「ムンガ」に気を配っている暇などないのかな」と思えてならないのだ。この辺りが、私が指摘する問題点「自由民主党の国会議員たちの良識に賭けたい点」なのだ。

付けたりの話になるが、あるジャーナリストは「小泉さんが立憲民主党の野田さん(当選されると仮定して)との党首討論会でもあったときに太刀打ちできるのだろうかと、地方の党員に尋ねてみたら、否定的な答えをした人が多かった」と語っていた。

色々と余計なことを言ってきたが、ここまでに止めて、27日まで良識が何処まで機能するかと、結果を待つことにしようと思うのだ。妄言多謝。

この際言っておこうと思うこと

2024-09-17 07:38:15 | コラム
腹が立つこと、情けないこと:

楽楽精算のCMは腹立たしい:
所謂「時計代わり」として早朝見ているチャンネルに5時半頃になると必ず出てくるのが、この滝藤と横沢を使った怪しからんCMである。何が怪しからんのかと言って、この株式会社ラクスが提供するCMではズーッと「紙は怪しからん」と言い続けていることなのだ。現在流しているのは「滝藤にプリントアウトされた書類を持たせて『紙の請求書は時代遅れ』であるかのように言わせ、その背景にコピー用紙を三つほど積み重ねて紙代も郵便代も上がる時期だからネットにしてコストを削減しましょう」のように言わせるのだ。

超後期高齢者である私ですら、事務の合理化と経費節約志向くらいは理解している。だが、如何にも紙が怪しからんとでも誤解させるかも知れない表現には、紙パルプ業界で長年過ごしてきた者としては本当に腹が立つし、許しがたいのだ。最悪でも「紙の請求書を辞めよう」ではなくて「プリントアウトするのを避けましょう」くらいにしろと言いたいのだ。

この会社のCMは「紙は自然環境破壊」と言いたい雰囲気で、紙パルプ産業界の在り方を誤解し、誤認識しているのには、怒る前に情けなかった。紙パルプ産業が国内の森林から野放図に樹木を切り出して、自然環境を破壊しているなどという妄想に近い誤解は、80年代の頃のことであり、時代遅れの感覚だ。製紙会社は自社の森林地に計画植林・伐採しているし、森林保護法があって無闇に伐採など出来ないのだ。第一、大手製紙会社は海外に森林地を持ち、そこから国内に原木とチップを輸送している時代だ。

認識不足は何もラクス社だけに限られていない。東電も小田急百貨店も請求書をオンライン化する際に「自然環境を保護する為に紙を使うのを辞めますが、従来通りにプリントアウトした形をお望みならばお知らせを」などと言う目を疑いたくなるような戯言の文書を送ってきていたのだから。

誠に腹立たしいし、情けない事はと言えば、そもそも製紙産業は自然環境の破壊などしていなかったのにも拘わらず、実態を知らない環境保護論者どもが紙パルプ産業を目の敵にして非難攻撃した為に生じた誤認識が、未だに消え去っていないのである。念のために楽楽精算に教えてあげるが、今やコピー用紙などは過半数が輸入紙なのである。原産地国にでも赴いて「森林を無駄にするな」とでも言ってくれば良い。

一寸情けないと感じること(自分の国に誇りを持とう):
昨日から真田広之の「SHOGUN」がエミー賞を独占したと、各テレビ局が我が事のように喜び続けている。「情けない」と言いたい私だって「立派なことだ」くらいは分かっている。では何が情けないのかと言えば「我が国のマスコミは戦後70年以上も過ぎて世界に冠たる国になっているのにも拘わらず、未だに海外に出て輝かしい成績を残すことが何物にもまして素晴らしい国威の発揚であるかの如くに欣喜雀躍すること」だ。

戦後間もなくの頃には、海外渡航も制限されていて企業であれ、スポーツであれ、芸能であれ、何であれ海外に出て行って認められさえすれば一大事業を成し遂げたかのように賞賛されていた。古橋広之進さんが続々と世界記録を出して敗戦に沈んでいた国民の士気を高めた。湯川秀樹博士のノーベル賞受賞も「日本国、ここにあり」と大いに国威の発揚となった。

他にも、野球では野茂英雄が大リーグに進出して三振を取りまくると我が事のように喜びに酔いしれた。音楽やballetのコンクールで3位以内に入れば褒め称えた。大谷翔平の大活躍にしたところで、あの連日のような過剰とでも言いたくなる報道振りだ。彼をあれほど賞賛するのならば、北口榛花さんのオリンピックの優勝とDLの連覇をもっと讃えても良くはないか。

何が情けないと言って、我が国が最早G7の一員である世界の一流の国になったと遍く認められている存在であるにも拘わらず、海外で何らかの賞を獲得したくらいで舞い上がる必要など無用なのではないのか。賞を取った人たちの弛まぬ研鑽と日頃の努力を褒め称えるのは当然だと思うが、喜びすぎに見えて仕方がない。世界第4位の経済大国らしく、その国のマスコミにも矜恃を持って欲しい気がしてならないのだ。

最後にカタカナ語排斥論者でローマ字批判派から一言。エミー賞の会場で女性が「将軍」=SHOGUNを「ショーガン」と読み上げたこと。アメリカ人ならば先ず「ショーグン」とは読まないのだ。

9月16日 その2 英語とカタカナ語について一言

2024-09-16 14:55:27 | コラム
言葉は正しく理解して使いましょう:

*ライドシェアー:
自民党総裁選に立候補しておられる小泉進次郎氏と河野太郎氏は、このライドシェアーの推進派だと理解している。しかも、御両所ともアメリカの一流私立大学留学経験者で、小泉氏の場合は修士号まで持っておられる。即ち、高い英語力の持ち主であるという事だと認識している。

そこで、疑問に思う点を取り上げてみよう。それは「ライドシェアー」というカタカナ語を英語にしてみれば“ride share”となって、文法から見れば誤りなのである。解りにくくなるかも知れないが「動詞が二つ続いていては意味を為さない」のだから。さらに、アメリカでは通常は“ride sharing”と言われているにも拘わらず、彼等は「シェアー」というカタカナ語をそのまま使っておられる点だ。

河野氏は現職のデジタル化担当大臣であり、小泉氏も環境大臣という閣僚経験者だ。それならば、「ライドシェアー」を推進されるときに「この言葉は本来の英語と同じように『ライドシェアリング』と表記すべきであり、私はその表現を使う事を、関係する各方面に要望したい」とでも言って欲しかった。国務大臣たる者はカタカナ語の表記を訂正するくらいに、国語に対して厳格であるべきではないのだろうか。

第一に、これまでに何度も指摘してきたことで、河野氏の担当である“digital”の正確な発音をカタカナ表記すれば「ディジタル」となっても、「デジタル」ではあり得ないのだ。「次の質問を」だの「それは何処の河野さんの話」などと人を食った答え方をするくらいなら「デジタルって何の事」くらいは言って欲しかった。

*CPA:
先ほど、公認会計士のTS氏をCPAのTS氏としてあった。このCPAは“Certified Public Accountant”の頭文字を取った略語で、全世界共通かどうかまで確かめたことはないが、アメリカでは使われている。

だが、2006年1月に一回目の心筋梗塞を発症して以降、何度も循環器系に異常を来して救急車で搬送され病院で治療を受けた結果で、医療の専門語と救急隊の用語を何時の間にか覚えてしまった。その中に、実は「心肺停止」乃至は「心停止」の意味で使われている“CPA”があったのだ。最初の内は気にしている暇などなかったが、「何故、公認会計士が関係するのかな」とは感じていた。

だが、看護師さんたちに訊けばCPAは「心肺停止」の状態の意味で、生命の危機のことであると知るようになった。そこで調べてみれば、CPAとは“Cardiopulmonary arrest”の略語であると分かった。実は、私は2006年8月に意識を失って心臓マッサージまで受けたことがあった。看護師さんに訊けば「それはCPAだった事よ」だった。

真っ暗で何にも見えない世界でふわふわと浮いていたようだったと覚えているが「花も咲いていなかったし、川も見えていなかった」ので、そういう話は俗説だと思っている。CPAから話の筋が変わってしまったが「同じアルファベットを使った略語には二通りの意味がある」という点を取り上げてみた次第。