新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

日本食への執着

2018-05-09 08:17:50 | コラム
伊藤美誠は「お米がなければ」と言っていた:

卓球の世界選手権で立派な成績を残した女子の選手団が帰国し、早速インタビューに応じた。その中で私にとって非常に印象的だったのが、大活躍だった伊藤美誠が「大好きなお米がなければ」と言って、「試合前にはお結びを3個も食べる」と語っていたことだった。確かに試合の前では炭水化物の摂取は必要だとは思うが、17歳という私の曾孫(?)のような世代で未だに米飯に強い執着を見せているのは意外と言えば意外だった。「お米なんか食べなくても」と言うのかとの期待感もあったからだ。

私は戦時中の何も食べる物がない時期に育ったので、一部の野菜の好き嫌いを除けば何でも食べられる物があれば、そのものの味も味付けにも一切関係なく食べてしまう。特に我が国では「アメリカには美味いものなし」と評判が悪いアメリカでも、何処に行っても何が出てきても一切苦にならなかった。言うなれば「国際化されていた」のだった

それは、美味であるかないかよりも「彼らの体格と身体能力に基づいて立てられた予定表通りに動ききる為には、食べ物の美味い不味いなどを論じている暇など無いから」だ。この点では紙業タイムス社のAH取締役・編集長の「あれは食べ物ではなく餌だと割り切れば何でもないでしょう」が至言だと思っている。

私が面白い現象だと思っていることがある。それは多くのスポーツ選手たちが海外遠征をする際に必ずといって良いほどインスタントであろうと何だろうと「和食」を持参することで、多くの場合はテイームとして和食の料理人を帯同させて「エネルギー源の補給に万が一にも遺漏なきを期する点」である。私は今時の選手たちはハンバーガーだのなんのというファストフードの時代に育ち、米飯に対する執着心が消えているのだろうと考えていたのだった。だが、実態はそうではなかった様子である。

JA全中会長の中家徹氏が週刊新潮に寄稿したコラムを見ると「我が国も国民1人当たりの年間の消費量は1965年には111.7 kgあったものが、2016年には54.4 kgとほぼ半減していた」と残念がっていた。私は寧ろ「矢張りそんなものだったか」と納得させられた統計だった。国全体としてそれほどの変化がありながら、運動選手たちは依然として米食に強い執着を持ち続けているとは、意外と言えば意外だった。管理栄養士の方のご意見などを伺ってみたいような気もする。

ここで、私独特かも知れないことを言えば「何時まで経っても米飯を中心にした和食に拘っているのが、国際化の時代にあって適切なのか」なのだ。事カロリーやエネルギー源としての欧米の料理は我々日本人の好みに合うか(美味いか不味いかでも良いか)には問題は残るだろうが、常に和食を準備して貰えるとは限らないと思うので、彼らの食事に馴れておくことも必要な時が来るのではないかと思うし、また慣らしておくべきではないかとすら考えている。

私は強行日程でアメリカ全土を回っている時に、疲労感を覚えた際にはかの現地の「噛み応えはあるが決して不味くはないビーフステーキ」で体力の回復を図って効果があった。ご信頼申し上げている整体の野路秀樹先生は「牛肉は人を駆り立てる食べ物であるから、疲労した時の回復の為には薦めるが決して食べ過ぎないように」と言われた。故に、疲れ果てる前にも安全策として意識して食べていた。

お断りしておくが、アメリカではビーフステーキなどは我が国のような高価な食べ物ではないのだ。それに、チャンとした店で食べてみれば、それなりに極めて美味なのである。安っぽいところで食べて「アメリカのステーキはどう・・・」などと言わないことだ。

矢張り英語の講釈で締め括っておこう。現職時代に仕事の都合で自分でやっていては間に合わないことになったので、是非とも副社長に読んで貰いたい得意先の社長のアメリカ旅行記を帰国子女の大学生(当時)に委託したことがあった。その中にあった「日本食に対する強い執着心」を、彼女は “strong adherence to the Japanese food”と訳していた。私には思いつかない adherence の使い方に感心したものだった。伊藤美誠さんも strong adherence を持っていたので勝ち抜けたのか。




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