新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

3月22日 その2 残念ながら負けた方が弱いのだ

2017-03-22 14:33:17 | コラム
残念な結末だったが、我が代表は持てる力は出し切ったのだろう:

22日は一寸個人的な事情があって時間に余裕がなく、対アメリカの準決勝戦の前半は飛び飛びにしか観戦出来なかった。試合開始の時はジムでエアロバイクに久し振りに20分も座って見ていたのだが、非常に遺憾なことで「閃き」では我が代表からは明らかに緊張し過ぎというか「いれこむ」というか、過度に意気込んでいる様子が見え、悲観的にならざるを得なかった。回りくどいこと言わなければ「我が方の負け」と出ていた。

だが、時間の制限があって3回までは原の懸命の投球はやや上ずっているように見えたが、何とか0:0に終わっていたようだった。用事を終えて11:30頃に帰宅してみれば、0:1でアメリカにリードを許していた。所謂「完全アウエー状態」の中で、言わばMLBのオールスター的なアメリカ代表とその状態であれば上出来だと思って見ていた。そこに、思いがけない菊池のライト観覧席への際どいホームランで同点に追い付いたのは立派だった。

だが、勝負とは残酷で無残なものだということをイヤと言うほど立証したのが、恐らく初めて本当のMLBと対戦したのだろう千賀の好投を無にしてしまった、記録に表れない松田の失策だった。何が残酷かと言って、弱い方の欠陥は「ここぞ」という重大な時にして出てこないものだという勝負の意地悪さが、あの捕り損ないというかボールの握り損ないとなって出てきたのだった。私は松田は責められて然るべきだとは思うが、彼がティーム全体の弱さを背負ってあの場面であの失態となってしまったので、彼一人の責任とするのは酷だと思う。

私はあの失点で全てが終わったと諦めて、椅子から降りて寝そべって観戦することにした。その後の平野、宮西、秋吉と繋いだ継投作戦は言わば結果オーライで、小久保監督の采配としては上出来だったと評価する。だが、如何せん入れ替わり立ち替わり出てくるMLBの一線級の中継ぎやクローザーのリレーに遭っては打てなかったことを責められないと思う。寧ろ、代打で出て見事にヒットを打った内川などは褒めてやらねばなるまい。

この野球を見てあらためて痛感したことは、我が国の各球団のエース級の投手や中継ぎや締めくくりの投手たちは、MLBに行っても立派に通用することがあらためて立証された。もしも移籍というか引き抜きが自由であれば、MLBは菅野や千賀には触手を伸ばしてくるだろう。だが、野手はこれまででも成功例が少ないことから考えても、まだ一寸力足らずとというか、彼ら大リーガーの身体能力には及ばないのではないかと痛感させられた。

今回はトーナメント方式で1試合だけの勝負だったが、我が方があの顔触れで(もう少しましな監督が率いれば)MLBに加わっても、リーグ戦では直ぐにある程度以上の成績を残せる可能性はあると見たのは僻目か。何れにせよ、非常に緊迫した良い試合だったのは、例え負けたとはいえ持てる力を出し切ったのだから、立派なものだったと思う。選手たちを「ご苦労様」とねぎらってやりたい。


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