新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

我が国の優れた物造りの技術は何処に

2017-10-15 08:22:19 | コラム


長年築き上げてきた現場の技術は何処に:

畏メル友・YO氏が下記のように最近の東芝や日産自動車や神戸製鋼所が起こした問題に対して大いに慨嘆しておられた。

>引用開始
その日本のモノづくり精神も、東芝や神戸製鋼の不祥事を見ていると哀しくなりますね。トップぐるみの組織的なデータ改竄などは、モノづくり精神の真逆の精神です。日本も豊かになって、モノづくりの根幹である「職人気質」が薄らいできているのでしょうね。逆に言えば、多民族国家のアメリカのブルー・カラー並みになってきているということでしょうか。つまり、マニュアル通りにやるだけ、ということです。経営者は実力本位とは無縁の、順送り人事ということでしょうか?
<引用終わる


誠にご尤もなお嘆きだと思うのです。そこで、私は下記のような経験をしておりましたのでご紹介します。要点は「時代は急速に変化し尚且つ飛躍的に進歩して、生産工程に人力の介入を許さなくなってきた」ということのようです。

(1) 指導するのは我が国:
1988年9月に我が国の大手製紙会社の工場の課長さんで、私が密かに「製紙の神様」とまで崇めていた本当に練達熟練の技術者X氏を、W社がカナダのサスカチワン州に新設した工場にご案内したことがありました。抄紙機は当時の先端を行っていたフィンランドのV社製の最新鋭機でした。

X氏はW社がお招きした理由は、その工場がその新鋭のマシンを使いこなせずに悩んでおり、問題解決と操業の指導を依頼したのです。ここで注目すべき点は「指導するのは日本の製紙会社の役目」だという事実でした。意外と思われる向きは多いでしょうが、1988年には既に時代はここまで来ていたのです。その新鋭機の合理化は時代の最先端を行く物で、現場の作業員の技術を行使せずとも操作を誤らない限り、高品質の紙を高速で生産していくのでした。

彼は現場を視察した後で、私に個人的な感想として、次のように言いました。「何時かこういう時代が来るとは知っていた。我々が入社した頃は経験を積み、勉強をして、技術を磨き、マシンと対話して如何に使いこなすかを創意工夫して、勘を養い、故障すれば皆が寄って知恵を絞って修繕した等々の蓄積で、1台の機械を任せて貰える技術者になったものだった。

だが、このマシンでは私らが何十年もかけて築き上げた技術と勘が既に機械に組み込まれていて、我々の経験と技術の蓄積を使う場がほとんど残されていない。だが、効率化された機械が万能かどうかは、この現場でこれほどまでに苦しめられている操作の難しさが示している」と。

X氏はマシンを隅から隅まで入念に見て回り、機械の設計から来る操作の難しさを発見して無事に問題を解決しました。その後に、工場長から製造部長以下全員が集まって彼を囲んでの質疑応答の会議となりました。そこで出た質問の一つに「機械メーカーのV社から交付されたマニュアル通りに設定して操作しても、どうしてもその通りの結果が出て来ない箇所がある。如何に対処すべきか」でした。

彼の答えは「チャンとした結果が出てこないマニュアルなどは、仮説か空論に過ぎない。貴方たちが自分で望む結果を得られるまでマニュアル通り設定に執着せずに、自分たちで工夫して設定を変えて試してみることをお薦めする。所期の結果が出るまでに何度も繰り返して挑戦して下さい」だった。これを聞いて通訳していた私は「素晴らしい指導だ」と感動していました。

私は近頃の我が国の技術的沈滞の原因に「練達熟練者の経験と勘を活かすことがなくなった、高度に効率化された近代的な高生産効率を誇る機械が普及したことがあるのでは」と思う時があります。私は「コンピュータコントロールのような機械には、言わばこれまでに人の手で作り上げられてきたような技術が全てデイジタル化されて組み込まれているのだろう」と受け止めています。そのようなマシンにも、時には蓄積された技術を持つ経験者の技に依存せねば解決できない問題が生じる時もあるのかなと思うのです。

(2)世界最新鋭のマシン:
次に1997年1月に見たインドネシアで見た世界最先端を行く三菱重工製の最新鋭の抄紙機を紹介します。このマシンなどは既に時代遅れとなってしまった我が国やアメリカの製紙産業界ではあり得ない大型機で、そのようなマシンを超高速で操業しても、いとも簡単に世界的水準の紙が出来てくるのでした。

この三菱重工のマシンの写真を我が国最大の製紙会社で嘗ては研究所長を務められた技術者Q氏にご覧に入れたところ、悲しそうな顔をされて「残念ながら、私にはとても理解できない能力と構造のマシンだ」と言われました。実は、Q氏はこの工場の評判をご存じで「許されるならば、その工場の最新鋭マシンの写真を撮ってきて欲しい」と依頼されていました。

私は「時代の進歩と変化に対して、長い年月をかけて鍛え上げられ蓄積された技術が必要とされないのか、あるいは追い付いていない時が来てしまったのか」とすら考えております。だが、機械が果たして万能かという疑問は残ると感じる時があります。それはX氏が示したように技術者の勘や直感が何処までデイジタル化できるのかという点です。

と言うのは、このインドネシアや中国の世界最先端を行く抄紙機を導入した工場でも、多少人の手を要する仕上げのような工程に入ると、その昔に我がW社では”workmanship problem”と呼び、日本語的感覚の表現では”human error”(=人災)と表現したような問題が起きていたのですから。詳細は省きますが、機械には未だに人の目と経験から来る研ぎ澄まされた勘には追い付いていない面もあったのです。



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