新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

「閃き」と「心の中に思い描くこと」

2022-10-01 08:43:58 | コラム
「閃き」と「思い描くこと」は重要なのだ:

実は、今のうちに言っておかないと結果が出た後で「村上宗隆が56本目は打てないだろう」という「閃き」が来ていたと述べても遅くなってしまうからだ。村上が打てないと言いたいのではなく、「打てないのでは」という「閃きが来たというだけのことだ。

村上の3冠王達成は兎も角として、56本目はどうしても彼が達成して歓喜している姿が見えてこないという不吉な絵しか見えないのだ。視点を変えれば、常に指摘してきたことで「マスコミが大騒ぎすると、良い結果が出ないことが多い」ので、彼らが新記録だと騒ぎすぎるのが「嫌な予感」をもたらしたのだろう。

私はこれまでに繰り返して「閃きが来た」と言ってきた。それは何の理由も科学的というか合理的な根拠などないままに「この先に何が起きるか」を感じてしまうことなのだ。手っ取り早い例を挙げれば「観に行った試合で観客席に座った途端に、どちらが勝つのかが見えてしまうこと」なのだ。この「閃き」はテレビで観戦するときにも同様にやってくる事が多い。

そして、これまでの実績では少なくとも、試合の勝敗については90%が当たってしまうのだった。だが、不思議なことにリーグ戦開始前にセパ両リーグの優勝ティーム語何処かという閃きが来たことはなかった。昨30日夜のホークス対イーグルスのパシフィックリーグの優勝に大きな影響を与える試合では、イーグルスの先発投手が涌井と知った途端に「ホークスの勝ち」が見えたので、それ以後は観戦していなかった。

ビジネスの世界の経験でも、矢張り確固たる根拠もなしに「我が事業部の大目標は達成できるだろう」とボンヤリと思い浮かべて、明るい希望を持って難しい局面に対応していた。その大目標は「当時、日本市場に参入していたアメリカのメーカー4社の中では新参者で市場占有率も10%にも達していなかったし、品質面でも最下位の評価に甘んじていたにも拘わらず、#1の市場占有率を獲得しよう」なのだった。

無謀だとは思ったが、何時かは何とかなるだろうと漠然と思い浮かべて挑んでいくしかなかった。不運も幸運もあったが、幸運を呼んだのも「実力のうちだ」と信じて努力し続けた。そして、15年かけて達成できた。

話は変わるが、何時のことだったか、シアトルで我が社の貨物を運んでいる船社の個性豊かな営業担当者と懇談したことがあった。彼は非常に多忙なのだったが、偶々空いた時間に彼に会えればと思って電話をした。言うなれば「閃き」が来たのだ。彼は「偶然にもたった今客先から戻ったところだ」そうで、即座に懇談することになった。

その話し合いの中で、彼に「電話したのは偶々思いついただけだった」と言うと「その会おうという思い付きが肝腎なのだ。そう思って実行に移せば実現するものだ」と答えた。彼は「そうしてみようと思えば、相手にも通じるので、自分もその『思いつく事』を重視して実行してきたし、思い描いた通りになるものだ」と語った。その時に彼の表現は未だに覚えている。“You just conceive it and you will make it.”だった。

英語の講釈になるが“conceive”はOxfordには“to form an idea, a plan, etc. in your mind: to imagine ~”とある。彼は「実は、自分は御社のパルプ部の営業担当者の職を得ることをconceiveしている」とも語っていた。次回会ったのは彼のパルプ部のオフィスだった。「矢張りconceiveすることだ」と胸を張っていた。

この場合は「閃き」とはやや趣を異にするが、私の場合は「何時かはそうなるのでは」と感じたことが現実になった事は何度もあった。その最たる例は、私が「生涯最高の上司」と躊躇することなく呼んだ副社長である。彼とは1976年にニュージャージー州アトランテイックで開催されたFood & Dairy Expoの我が社のブースの中で初めて出会った。

彼はと言えば当時は現在「ワンオペ」などと呼ばれているたった一人でシカゴ営業所を担当する所長に過ぎなかった。だが、私に来た「閃き」では「何時しかこの男の下で働く事になるのでは」だった。勿論何の根拠もなかった。だが、3年後に異例の出世を遂げた彼は本部長に抜擢された。私は彼の部下になって。「閃き」は見事に当たった。

ここまで縷々述べてきたが、強調したかったことは「野望」(=ambition)でも「夢」でもなく、「閃き」も尊重して「自分がやりたいことか達成したいことを思い浮かべて、心の中にしまっておいて、それを目標にして信念を持って努力を続ければ、何時の日かそこまで到達する」なのである。何となく、話が変わってしまったかのようだが、「閃き」と「何かを思い描いておくこと」が重要なのだと言っているのだ。