新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

2月14日 その2 在宅勤務の思い出

2021-02-14 17:27:37 | コラム
在宅勤務とは精神集中力の問題だった:

昨日だったか、何方かが品川駅から大勢が群を為して出勤する絵を見て「経営者はもっと割り切って、在宅勤務に踏み切るべきだ。既に自社ビルを売却した会社だってあるほどだ」と、貴重な意見を述べておられた。正論であろうが、この件は矢張り専門家が「大手企業ならいざ知らず、中小企業にはそこまでの態勢は取れないのである」と指摘していた。両方とも尤もであると思う。

かく申し私は、2003年から10年間、あるよんどころない事情があって、在宅での仕事をお引き受けてしていた。即ち、18年前の70歳になった年からだった。仕事の内容は「紙パルプ産業界に特化した出版社からEメールで送られてくる、同社の提携先のアメリカの専門機関から毎週発行する雑誌に掲載すべく供給されてくる最新の世界の紙パルプとその関連の産業界の最新のニュースを、和訳して送り返すこと」だった。その量は印刷してA4版で4頁か2頁になるのだから、相当な時間がかかる仕事だった。

問題は「その翻訳に要する時間と労力ではない」という点だった。いや、実際に着手してから気が付いたのだった。それは今を去る事18年も前となると、血気盛んとまでは言わないが、未だ未だ付き合いもあって外出せねばならない要件もあったし、会食の約束も屡々発生していた。しかも、家にいる以上スポーツ中継等々の見たい誘惑に駆られるテレビ番組もあるのだ。電話だってかかってくれば、そこで集中が途切れてしまう事も屡々あった。当時は隔日にジムに通ってもいた。換言すれば「如何にして雑念を払って翻訳業に専念するか」には馴れるまでに1年は要したと記憶する。

正直に言って、雑念というか世間の俗事から如何にして我が身を完全に切り離して、余り立派ではないアメリカの業界の専門機関の記者たちの英語に馴れて、素早く日本語に直すのには、本当に高い集中力が必要だった。その前に、集中力の必要性を切実に認識するまでは、つい「今頃はあの番組が放映されている頃だ」とでも思うと、フラフラと姓を離れてしまう事があった。思い起こせば、完全に自由の身であって何の束縛もない生活をしていたからこそ、引き受けたのだったはずだが、大袈裟に言えば煩悩を振り切れなかった。

まして、20歳台から50歳台の優秀な方々が在宅で仕事をするとなれば、あの頃の私よりも遙かに多くの付き合いから何から抱えておられるのだろうから、如何にして家族もいる環境で[会社]に専念できるのかなと、そのご苦労のほどをお察し申し上げている。しかも企業の中におられれば、皆さん相当の責任を負っておられるのだから、「今日の午前中はスーパーボウルを見ていようか」という訳には行くまいと思う。

昨年語り合った商社マンは「この世には未だ会社という組織では、全員が一堂に会して一斉に仕事をするものだ」と思っておられる経営者は若い年齢層に多いようだ」と語っていた。政府も小池都知事も本気で70%ものリモート勤務体勢をと目指しているであれば、「協力願いたい」などと生易しい事を言っているだけではなく、実際に会社を回って歩いて要請した方が良くはないのか。

在宅勤務とは上述のようにかなり精神集中が必要な仕事だと思い出したので、ここに申し上げる次第だ。

森喜朗氏の辞任と川淵三郎氏の後継辞退に思うこと

2021-02-14 11:50:22 | コラム
物思わせられる点が多い案件だった:

事が起きてから10日ほど経っただろうか。マスメディアの「これでもか」と言わんばかりの過剰報道のお陰でか、アメリカでのトランプ前大統領の弾劾の件などは、何処かに吹き飛ばされてしまったようだった。先ほど「無罪」だったし、共和党からの造反者が7名と知ったのだった。この森喜朗氏の辞任に至るまでの経過には腑に落ちない点が多々あったし、野党とマスコミの有志連合の意図的としか思えない間抜け振りにもウンザリさせられていた。そこで、今回は思いつくままに「如何なものか」と感じた事柄を挙げて行こうと思う。

弁明しておくが、森氏はあの場ではあのような事を仰られない方が良かったと思っている。だが、あれが全世界に向けて「森喜朗は女性蔑視の会長です」と告げて回るほどの事なのか、私はぼんくらで未だに良く解っていない。

何故、外国での評判をあれほど気にするか:
兎に角マスメディアは一心不乱に「諸外国で一斉に森氏の発言を不当であると非難攻撃している。我が国は女性蔑視国と再認識された」と報じていた。森氏の発言を切り取って「女性蔑視である」と全世界に振りまいたのは誰だったかという問題だと思う。私は何度かあの演説の全文を読んだが、女性蔑視とされた部分を的確にnative speakerたちに理解させるように英訳するのはかなり難しい作業だと思う。我が国のマスコミがそこまでやったのか。それとも外国人記者クラブの人たちか。

まして、あの演説の全文を訳しておかない事には、全体の流れの中であの部分が如何なる意味(重み?)を持っているかを、外国人に理解させるのは不可能に近いと思っている。私の衰えた英語力では、あの問題とされた部分の訳だけでも「やりにくいな」と躊躇ってしまう。

アメリカ連邦政府のサキ報道官(Jennifer (Jen) Psaki)が「怪しからん発言」と決めつけられたのは「アメリカ大使館からでも全文の訳が届いていて、それを慎重審議の上で決めつけられたのだったら良いが」と思って聞いた。いや、そんな問題よりも、アメリカを始めとして先進諸外国に非難されると恐縮して縮み上がってしまうのは、本当に情けないと思う。外務省とは言わないが、マスメディアの何処か一社でも、森氏を援護してもバチは当たらないのではないかと思っている。

第一に、ジェン・サキ報道官に非難されようとも、「アメリカ人全員が我が国はとんでもない時代遅れの女性蔑視の国だ」と言って軽蔑している事ではないと思う。あの報道官の記者会見のニュースをアメリカ全土で見ているのだろうか。ワシントンDCやNYの新聞は採り上げるだろうが、3時間の時差の西海岸の一般人が軽蔑しているだろうか。経験上も言うのだが、チャンとした知識階級に属する我が社の管理職の何名もが「日米安保条約の存在も知らず、アメリカが核の傘で日本を守ってくれる」とは知らないのだ。言い方を変えれば「好い加減に外国崇拝を辞めろ」なのだ。

NBCとIOCの関係:
テレビに登場する所謂専門家のご意見を集約してみると「IOCの掌返し発言は、彼らの最大の収入源であるNBCから『森氏の発言は怪しからん』と指摘されれば、嫌も応もなく尊重して森氏への非難に転向したのだ」となってしまう。JOCは果たして森氏を擁護するような行動を起こしていたのだろうか。「IOCとは神聖にして冒すべからざる存在」と認識しているのだろうかと、私は奇異に感じている。JOCはジッとお白洲に座ってお奉行様のお裁きを待っていたのか。

森氏と川淵氏の件
私は川淵氏自身が森氏の辞任表明の後で「要請というか指名の前に喋りすぎたのが云々」と反省の弁を述べておられた。だが、その前夜に森氏から(私的乃至は「密室で」後継を依頼されたと語られた際に「ベストを尽くす」とは言われたが、その後で「指名があれば」とチャンと「仮定の話」と補足しておられた。それでも、政府筋に「密室は許さない」となってしまったのだったようだ。ではあっても、川淵氏の過失と決めつけるのは如何なものかと思う。だが、組織委員会の約款には「会長は理事が就任する」とあるそうで、川淵氏は有資格者ではなかったのだ。森氏の思い違いか。

大会組織委員会という存在:
私はオリンピックが現実問題として7月に開催できるのであれば、森氏の後継会長さんは(カタカナの野球用語を使うのは不本意だが)言わばショート・リリーフの登板である。しかも、先日も指摘した事で、大会用に1万人以上もの医師と看護師に参加して頂く手当てをしなければならないのだ。これだけでも大役なのに、折悪しくワクチン注射の時期と重なってしまうかも知れないのだ。そう言う焦眉の急の仕事がある時期に「やれ女性が良いの、若い人を選べば」と介入するのは、問題ではないかと思ってしまう。外国に言われたからと言って、現実を見失ってはいないのか。

小池百合子東京都知事という存在:
私は先ほどフジテレビで橋下徹氏が指摘しておられた「主催都市である東京都の知事が前面(全面)に出て行くべし」に賛成だった。小池都知事は自分にとって点数稼ぎにならない場面は極力避けて、政府に楯突く事で局面を糊塗してきた。今回も四者会議を「自分が出てもポジティブ(得意の意味不明になってしまう英語擬きだ)な結果にはなるらないだろう」と逃げを打っている。何を言うかであって、小池百合子さんは主催する都市の知事であらせられるのだ。もっと当事者意識を持って事に当たるべきだ。私は森氏の後継を引き受けてもおかしくないとすら思っている。

ここで敢えて言うが、菅首相は国会では立憲民主党に突っ込まれて「内閣には組織委員会の人事に介入する立場にない」と答えておられたが、どうやら「女性を登用するとか若い人を」とのご意向を示されていたようだ。そこまで言われただったならば、この際小池都知事に「主催都市の知事として、森氏が去ってしまった以上、スタンドプレーは封印して、しっかりと陣頭指揮を執れ」くらいの命令を発しても良いのではないだろうか。それがウイルスに勝ったと立証する為の一つの重要な作戦になると思うのだ。