新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

5月2日 その2 カリフォルニアのSM氏からの便り

2020-05-02 11:39:55 | コラム
SM氏からの生の声:

“州によっては感染リスクを無視したLockdown に対するストレスから解放を叫ぶ動きが大きくなり、この点では経済優先の大統領と目標を共有しています、特にMidwest に顕著な動きがあります.加州を含む西岸では今のところは目立っていませんが、予断は許せません.

CDCが存在する米国でなぜこれほどのコロナ禍になったかですが、やはり安倍政権同様、初期判断の誤りが大きいと見られています.特に、中国からの入国制限以降、欧州便から、大量の中国人がNYに入国した事実があります.

まあ、トランプ大統領としては、どういう手段であれ、自身の過失を中国に持っていく必要があり、連日の中国Bashingを強めているわけです.しかし、同氏はSilent Majority の政策とは無関係な圧倒的支持基盤をバックに再選は問題ないでしょう.小生もオバマに失望して以来、トランプは支持は変わりません.

Irish Times(注:私の方からワシントン州のL氏が送ってくれた記事を転送したもの)の記事読ませていただきましたが、米国ざまをみろといった立場で書かれていると理解します.コロナ対応を批判していますが、米国の対人口比死亡率は、イタリア、スパイン、UK, フランスなどに比べてかなり低いにもかかわらずです.”

私から念の為に補足しておくと、アメリカの事情に精通するSM氏は既にアメリカで40年近くを過ごしており、カリフォルニア州に定住している。

安倍内閣の専門家会議への依存に思う

2020-05-02 09:29:14 | コラム
私が見る専門家会議の疑問点:

私は安倍総理と西村大臣に「専門家会議への依存は、この際お考えになった方が宜しくはありませんか」などと大それた事を言う気はない。だが、こういう点は如何なものとか疑問に思ったことががこれまでに何度もあったので、敢えて申し述べてみようと思うに至った。

先ずは尾身茂副座長が使われた、その必然性も必要もないカタカナ語の「オーバーシュート」(=“overshoot”)が、言葉の誤用である事は再三再四指摘して来たし、アメリカの知識階級の元上司や同僚から裏付けも取ってある。更に、一昨日のPrime Newsでは東大大学院の古田准教授も指摘しておられた。この一事を以て尾身氏が不適任という考えなど毛頭ないが、古田准教授が言われるように「言葉は大事に使おう」を強調しておきたいのだ。尾身氏はその影響力大きさを自覚して頂きたいのだ。おかしなカタカナ語を普及させるのが専門家会議の任務ではあるまい。

次は簡単に触れておきたい「専門家会議の構成員」である。私はこの点では、先日BS放送で日本大学危機管理学部の福田充教授が指摘された「危機管理の専門家が入っていないのは・・・」は尤も至極だと思っている。更に言えば、経済の分野からも権威者を加えておくべきだろうと考えている。昨日のように緊急事態の延長を審議するのであれば「経済」への影響を配慮する必要があったと思うし、権威あるお医者様の集団に経済や景気の動向を語らせたりすれば、それはお門違いだろうと思うのだ。

私はこれまでに繰り返して西村康稔大臣を「責任逃れ」と非難してきた。その根拠は「彼は何事でもその場で大臣としての権限を活かして即断即決することは避けて、『専門家の方に伺ってから』というような言辞を弄する」のだ。お利口さんである。通産省出身の彼が医学や感染症に通じていないのは解るが、彼は国民の負託を受けて議員になれたのであり、総理に大臣に任命された以上、一々専門家会議の意見を聞いてから決断するようでは、存在価値がないではないか。もしも、会議を隠れ蓑に使いたいのであれば論外だ。

不思議に思うことがある。この会議の座長は中々表に出てこられなかった。だが、昨日の記者会見で国立感染症研究所所長の脇田隆字氏が現れて自己紹介をされた後で「後は尾身先生に」と言っただけで終わった。私には責任放棄かと思えたのだ。何故座長ご自身が語ろうとされないかくらいの説明があっても良くはないかと思うのだ。

最後に尾身茂副座長が「プリゼンテーション」(しつこいと言われそうだが、“presentation”の正確な発音をカタカナ書きすれば「プリーゼンテーション」が最も近いと思う。プレゼンなどは論外だ)と自ら称された説明を考えて見よう。結論めいたことを先に言ってしまえば「何を言われたいのかが、サッパリ響いてこない語り方だった」なのである。お断りしておくが、これは批判でも非難しているのでもないのだ。アメリカの企業社会との文化の明白な違いで「プリゼンテーションの正しい(より良い?)技法をご存じなかった」だけのことなのだから。

我々は社内でも、部内でも、あるいは経営の幹部級の副社長たちに説明をする場合には、最初に語るべき内容の導入部から結論までの要点を入念に組み立てる作業から始める。即ち、十分に構想を練り上げてから各項目を追って語りの原稿(“narrative”という)を書くことに入っていくのだ。これは何度も練り直すし、場合によっては上司に検討して貰うし、東京事務所からは本部長の指示も入ってくる。この過程だけで場合によっては1週間もかかってしまうこともある。さらに、同僚か上司立ち会いで何度かリハーサルがあるのは普通だ。

尾身茂副座長は何度か「次のスライドを」と要求されていたが、この意味はもしかして古き良きオーバーヘッドプロジェクターを使っておられたのかなと思った。ご自身で操作されていなかったのはパワーポイントではないという事だろう。それどうでも良いことであり、私が気になったのは「何を最重点に語られたいのか」と「何を、何処を強調されたいのか」がサッパリ響いてこない語りだった点だ。思うに、開始予定時刻よりも20分も遅れたのは、スライドの整備や語りの内容の取り纏めに手間取っておられたのだろうと思っていた。だが、不備だったのは仕方がないのだ。

私は権威がある感染症他の専門のお医者様がアメリカ式のプリゼンテーションの技法に通じておられるとは期待していない。それは自分で経験した「日本とアメリカの企業社会における文化の違い」のほんの一例にしか過ぎないのだから。恐らくアメリカに留学のご経験があると聞く尾身氏も、プリゼンテーションの技法まで学んで来られなかったのだろう。私は40歳を過ぎて初めてアメリカ式を教えられて「文化の違いだ!」と痛感させられた。

尾身茂副座長の焦点がボケたのは「最もやってはならないこと」と彼等に叩き込まれた「1枚のスライド(チャートでも良いか)に余りに沢山の資料を盛り込みすぎたこと」なのだった。文章の他に図表が入っていたり、黄色い丸の中に言うべき事(我々が“bullet”などと言う)を書き込まれたりしていた。これでは聞き手(記者団)は表示された画面を見ていれば、尾身氏の語りを聞き損なうし、その逆もあるのだ。また、文字だけのスライとでも同様に盛り沢山で「読めと言うのか、聞けというのか」が判然としなくなって注意が散漫になってしまうのだ。これでは駄目なのだ。

現在は録画・録音の時代だから、取材する側も何とか対応できただろうとは思って見ていた。私は「あのプリゼンテーションは尾身氏にお任せするのではなく、例えば西村康稔大臣のような文系の大学を出てきた閣僚か、日頃説明会を手がけている留学経験でもあるような官僚が担当したらどうかと考えながら聞いていた。もっとメリハリを付けるべきではなかったか。国民にとってあれほど重要な事柄を語るのに、私は本来から「陰の存在出あるべし」と言ってきた専門家会議に任せるのは、筋が違うと思っている。正直に言えば尾身氏に同情したいくらいだ

私は安倍内閣、就中総理と西村大臣には未だ未だこれから先何ヶ月も続いてしまうかも知れない新型コロナウイルスへの対応がある事だし、この際専門家会議と諮問委員会の構成員を再編成することを考えるべきではないかと思うと同時に、会議への依存度を考え直しても良くないかと言いたいのだ。私はあの尾身氏のプリゼンテーションが、その必要性を痛烈に明らかにしたと思っている。国民の負託を受けているのは国会議員であって、私は専門家会議などに何も託した覚えはない。安倍総理、閣僚たちで「自分で責任を持って決めろ」と号令してください。