◎2023年11月24日~29日
【晃石山】…11月24日(金) 謙信平の紅葉も月居山の後ではどうも…。
この日は仕事日だったが、孫の通う小学校でインフルエンザが流行し、クラス閉鎖になったということで、四連休になって遊びに来ることになっていたため、金曜日の仕事は休みにしていた。ところが、当の孫どころか娘までインフルになって来られなくなった。致し方なく、謙信平の紅葉でも見に行こうかと出かけた。期待はあった。
大中寺に車を置いて太平山神社に向かう。予定コースは太平山神社経由で晃石山。その先は桜峠から清水寺経由で戻るつもり。
太平山神社に着いた時点で忘れ事に気づいた。肝心な謙信平に横道するつもりだったのを失念していた。かすめ通っただけだった。また下って戻るのも何だし、このまま晃石山に行き、同じコースを戻って、謙信平経由で大中寺に戻る歩きに変更。元より、謙信平の紅葉が目的だった。晃石山にもこだわりはないが、せっかくだから行く。
この先、紅葉に見るべきものはなかったし、期待もしてはいなかった。太平山に登っても何かあるわけでもないので、今回は立ち寄りもしていない。
晃石山に到着。混んでいた。晃石神社に下る。ここも混んでいて、みんな、何かを食べている。素通り。太平山神社までは林道歩きにした。稜線伝いに比べて、まだこちら歩きの方が紅葉を楽しめたのは皮肉というものだろう。
謙信平の紅葉は盛りだったようだ。ただ、月居山の紅葉を堪能したのはつい一昨日。それが脳裏に鮮明に残り、せいぜいこんなものだろうで終わった。
大中寺から登って来るハイカーは多かった。道を尋ねられたりもしている。ついでに三毳山にでも行こうかなと思ったが、三毳山の紅葉がきれいという話は聞いたこともないし、この次でもいいやと、面倒になって帰宅した。
まぁ、謙信平はきれいだったけどね。
【両崖山】…11月25日(土) 帰路は大回りしたが、目的は織姫神社上のモミジ谷だった。光の関係か、ここもまたいまいち。浄因寺もさっぱりだった。
鑁阿寺近くの友人が商う整骨院の駐車場に車を置いて歩き出す。まだ9時。鑁阿寺は、すでに遅ればせながらの七五三詣での着物姿の子供たち、寒々そうに包まれた赤子、大イチョウ目当ての観光客で混んでいるようだった。帰りにゆっくり見ればいいかと素通りする。そもそも見たかったのはモミジ谷で、両崖山はついでのようなものだ。
織姫神社は適当に見ながら裏に回る。モミジ谷。人出は多い。タイミングとしてはちょうど良かったのかもしれない。ただ、きれいな写真はまったく撮れなかった。
<モミジ谷>
まあまあといったところか。
そのまま両崖山に向かう。不思議に今日の足は快適だった。息切れもわずか。立ち休みですぐに復旧する。若いハイカーを何人か抜いた、さすがにトレランには追い越される。両崖山に到着。ここまで紅葉は何か所かで見かけたが、体験的にきれいなはずの山頂下の東屋周辺は、さして見られるほどの紅葉でもなかった。
長居していてもしょうがない。天狗山に向かう。このコースは何度か歩いているが、こんなに岩場が多かったのかという印象はさほどになかった。少々、またかと辟易とした。巻けて行けるのに、今回は正直に歩いてしまった。
天狗山では10人ほど休んでいた。ここまで、そこそこの紅葉を目にしたが、あくまでもそこそこでしかないし、この先も同じだ。
いくつかの足利百名山の板のあるピークを経由して下山。とにかく長く感じた。紅葉に立ち止まりを繰り返していたら、短くも感じたろう。
車道に出て鑁阿寺。けたたましい音曲が聞こえた。舞台では小学生の八木節をやっている。賑やかだ。一回りした。モミジ谷、両崖山の色づきに比べたら、鑁阿寺境内の紅葉がきれいに感じてしまった、
<鑁阿寺>
【晃石山】…11月24日(金) 謙信平の紅葉も月居山の後ではどうも…。
この日は仕事日だったが、孫の通う小学校でインフルエンザが流行し、クラス閉鎖になったということで、四連休になって遊びに来ることになっていたため、金曜日の仕事は休みにしていた。ところが、当の孫どころか娘までインフルになって来られなくなった。致し方なく、謙信平の紅葉でも見に行こうかと出かけた。期待はあった。
大中寺に車を置いて太平山神社に向かう。予定コースは太平山神社経由で晃石山。その先は桜峠から清水寺経由で戻るつもり。
太平山神社に着いた時点で忘れ事に気づいた。肝心な謙信平に横道するつもりだったのを失念していた。かすめ通っただけだった。また下って戻るのも何だし、このまま晃石山に行き、同じコースを戻って、謙信平経由で大中寺に戻る歩きに変更。元より、謙信平の紅葉が目的だった。晃石山にもこだわりはないが、せっかくだから行く。
この先、紅葉に見るべきものはなかったし、期待もしてはいなかった。太平山に登っても何かあるわけでもないので、今回は立ち寄りもしていない。
晃石山に到着。混んでいた。晃石神社に下る。ここも混んでいて、みんな、何かを食べている。素通り。太平山神社までは林道歩きにした。稜線伝いに比べて、まだこちら歩きの方が紅葉を楽しめたのは皮肉というものだろう。
謙信平の紅葉は盛りだったようだ。ただ、月居山の紅葉を堪能したのはつい一昨日。それが脳裏に鮮明に残り、せいぜいこんなものだろうで終わった。
大中寺から登って来るハイカーは多かった。道を尋ねられたりもしている。ついでに三毳山にでも行こうかなと思ったが、三毳山の紅葉がきれいという話は聞いたこともないし、この次でもいいやと、面倒になって帰宅した。
(大中寺)
(この裏から入る)
(途中で右手。もっと色彩が賑やかだと思っていた)
(謙信平をかすめる)
(太平山神社)
(真っ赤。後ろはくすんでいる)
(どうもきれいじゃないな)
(わざわざ太平山に登る必要もあるまい。巻く)
(ぐみの木峠)
(小粒でなんかきたない)
(ここもだ。元よりきれいな山でもないし)
(賑やかではあるんだけどね)
(だれもが写真に入れる石)
(晃石山)
(ここもまたこんなもの)
(あちら方面も見どころはあるまい)
(晃石神社)
(わざわざ晃石山に来るまでもなかったようだ)
(ここからは林道を歩く。上を歩いても気が滅入る)
(こっちもどうかと思ったが)
(いくらかはマシ)
(少しは楽しめるか)
(やはり、こちらを歩いてよかった)
(好みには遠いが、こんなのも見られたし)
(ようやく足が止まった)
(もう謙信平ゾーンに入りかけている)
(ここからはいくらか見られる)
(車と玉子焼き屋が邪魔なのだが)
(光量不足か)
(以下、まさに謙信平で)
(同じく)
(同じく)
(同じく)
(同じく)
(同じく)
(同じく)
(同じく)
(同じく)
(同じく)
(同じく)
(同じく。車と緑のコーンがなかったら、この倍だろう)
(同じく)
(同じく)
(同じく。以上)
(大中寺への下り)
(帰着)
(途中で右手。もっと色彩が賑やかだと思っていた)
(謙信平をかすめる)
(太平山神社)
(真っ赤。後ろはくすんでいる)
(どうもきれいじゃないな)
(わざわざ太平山に登る必要もあるまい。巻く)
(ぐみの木峠)
(小粒でなんかきたない)
(ここもだ。元よりきれいな山でもないし)
(賑やかではあるんだけどね)
(だれもが写真に入れる石)
(晃石山)
(ここもまたこんなもの)
(あちら方面も見どころはあるまい)
(晃石神社)
(わざわざ晃石山に来るまでもなかったようだ)
(ここからは林道を歩く。上を歩いても気が滅入る)
(こっちもどうかと思ったが)
(いくらかはマシ)
(少しは楽しめるか)
(やはり、こちらを歩いてよかった)
(好みには遠いが、こんなのも見られたし)
(ようやく足が止まった)
<謙信平>
(もう謙信平ゾーンに入りかけている)
(ここからはいくらか見られる)
(車と玉子焼き屋が邪魔なのだが)
(光量不足か)
(以下、まさに謙信平で)
(同じく)
(同じく)
(同じく)
(同じく)
(同じく)
(同じく)
(同じく)
(同じく)
(同じく)
(同じく)
(同じく。車と緑のコーンがなかったら、この倍だろう)
(同じく)
(同じく)
(同じく。以上)
(大中寺への下り)
(帰着)
まぁ、謙信平はきれいだったけどね。
【両崖山】…11月25日(土) 帰路は大回りしたが、目的は織姫神社上のモミジ谷だった。光の関係か、ここもまたいまいち。浄因寺もさっぱりだった。
鑁阿寺近くの友人が商う整骨院の駐車場に車を置いて歩き出す。まだ9時。鑁阿寺は、すでに遅ればせながらの七五三詣での着物姿の子供たち、寒々そうに包まれた赤子、大イチョウ目当ての観光客で混んでいるようだった。帰りにゆっくり見ればいいかと素通りする。そもそも見たかったのはモミジ谷で、両崖山はついでのようなものだ。
織姫神社は適当に見ながら裏に回る。モミジ谷。人出は多い。タイミングとしてはちょうど良かったのかもしれない。ただ、きれいな写真はまったく撮れなかった。
<モミジ谷>
(まずはモミジ谷から)
まあまあといったところか。
そのまま両崖山に向かう。不思議に今日の足は快適だった。息切れもわずか。立ち休みですぐに復旧する。若いハイカーを何人か抜いた、さすがにトレランには追い越される。両崖山に到着。ここまで紅葉は何か所かで見かけたが、体験的にきれいなはずの山頂下の東屋周辺は、さして見られるほどの紅葉でもなかった。
長居していてもしょうがない。天狗山に向かう。このコースは何度か歩いているが、こんなに岩場が多かったのかという印象はさほどになかった。少々、またかと辟易とした。巻けて行けるのに、今回は正直に歩いてしまった。
天狗山では10人ほど休んでいた。ここまで、そこそこの紅葉を目にしたが、あくまでもそこそこでしかないし、この先も同じだ。
いくつかの足利百名山の板のあるピークを経由して下山。とにかく長く感じた。紅葉に立ち止まりを繰り返していたら、短くも感じたろう。
(モミジ谷を見下ろして)
(登山口)
(足利を眺める)
(黄色が出てくる。陽があたっているので見られる)
(紅葉ストリートではなかった)
(この山名物の岩場が続く)
(何、これっと思った。右に両崖山。山肌は何とも見事)
(先の岩場で休んでいる姿が見える)
(ここは濃いねぇ)
(かなたに日光の白くなった山が見える)
(アップで)
(足利城跡)
(いつもなら、ここの紅葉はもっとすっきりしているのだが)
(山頂。神社の前で二人連れがしばらく立っていたから、撮るまでに時間がかかった)
(あまり期待はしていない。天狗山に行くのがノルマのような感じになっている)
(黄色がもっと欲しい)
(早いのかどうだろう…。さっきの山肌とは全然違っている)
(両崖山を振り返る)
(これまで意識もしなく自然に歩いていたが、こちらも岩場登りが多かった)
(天狗山に登ったと思ったら、まだ先があった)
(晃石山の歩きに比べたら、こちらの方が数段と気分は良い)
(でも、近づくとこんなものだ)
(天狗山)
(左手の尾根を下ったことがないような気がする。後で調べて、まだだったら、いずれは下ってみよう)
(天狗山の神社。ここは天狗の面だらけだった)
(今回もこちらを下る。天気が良かったから富士山を期待したが、目を凝らしても見えず)
(かわら山)
(いい感じ。ちょっと早いみたい)
(天狗山。奥に両崖山)
(自分の好みの主観かもしれない。もう終わりか、これ以上は無理と感じた)
(何の花か知らないが、季節外れじゃないの?)
(アンテナのある山、何山か知らないけど、あちらも賑やかだ。赤が無いのが残念)
(須永山。足利百名山。身近に冬場はこれを歩いてみたいと思っているが、足利新百名山として30ほど追加されているらしい。だれが決めたのか、市の承認を受けているのか気にはなる)
(引き続きの観音山。ただの通りすがりのピークでしかないのだが)
(色彩はなくなった)
(これは千手観音?)
(福厳寺で終わり)
(あとは歩道歩きだ。鑁阿寺はどうだろうか)
(登山口)
(足利を眺める)
(黄色が出てくる。陽があたっているので見られる)
(紅葉ストリートではなかった)
(この山名物の岩場が続く)
(何、これっと思った。右に両崖山。山肌は何とも見事)
(先の岩場で休んでいる姿が見える)
(ここは濃いねぇ)
(かなたに日光の白くなった山が見える)
(アップで)
(足利城跡)
(いつもなら、ここの紅葉はもっとすっきりしているのだが)
(山頂。神社の前で二人連れがしばらく立っていたから、撮るまでに時間がかかった)
(あまり期待はしていない。天狗山に行くのがノルマのような感じになっている)
(黄色がもっと欲しい)
(早いのかどうだろう…。さっきの山肌とは全然違っている)
(両崖山を振り返る)
(これまで意識もしなく自然に歩いていたが、こちらも岩場登りが多かった)
(天狗山に登ったと思ったら、まだ先があった)
(晃石山の歩きに比べたら、こちらの方が数段と気分は良い)
(でも、近づくとこんなものだ)
(天狗山)
(左手の尾根を下ったことがないような気がする。後で調べて、まだだったら、いずれは下ってみよう)
(天狗山の神社。ここは天狗の面だらけだった)
(今回もこちらを下る。天気が良かったから富士山を期待したが、目を凝らしても見えず)
(かわら山)
(いい感じ。ちょっと早いみたい)
(天狗山。奥に両崖山)
(自分の好みの主観かもしれない。もう終わりか、これ以上は無理と感じた)
(何の花か知らないが、季節外れじゃないの?)
(アンテナのある山、何山か知らないけど、あちらも賑やかだ。赤が無いのが残念)
(須永山。足利百名山。身近に冬場はこれを歩いてみたいと思っているが、足利新百名山として30ほど追加されているらしい。だれが決めたのか、市の承認を受けているのか気にはなる)
(引き続きの観音山。ただの通りすがりのピークでしかないのだが)
(色彩はなくなった)
(これは千手観音?)
(福厳寺で終わり)
(あとは歩道歩きだ。鑁阿寺はどうだろうか)
車道に出て鑁阿寺。けたたましい音曲が聞こえた。舞台では小学生の八木節をやっている。賑やかだ。一回りした。モミジ谷、両崖山の色づきに比べたら、鑁阿寺境内の紅葉がきれいに感じてしまった、
<鑁阿寺>
(これは足利学校を覗きこんで)
山は低山も終わりで、もう里の風景かな思いながら車に戻る。そういえば浄因寺の紅葉はどうなのだろうかと気になった。車で15分ほどだ。行ってみる。
結果は、残念ながらとしか言いようがない。時間的に陽がほとんどあたっていず、写真もまたピンボケだらけ。時間帯を間違えた。ただ、最盛期ではないようで、数日先は、時間を選べば堪能できるかもしれない。
(以下、失敗の浄因寺)
浄因寺の写真はこんなもの。写真はもっと撮っているが、アップするにははばかれ、これでもきれいどころを出したつもりでいる。
この日の歩きは充実した気分にはなれなかったが、写真を見てみれば、意外にきれいだったものもある。もっともそのメインは鑁阿寺だったかもしれない。ぶつくさ記したわりには4日後に行った大小山はちょつと悲しい紅葉だった。その前の晃石山に比べれば、下はともかく、山歩きの紅葉としては、この両崖山がベストだったろう。もっとも、低山三山の中ではのこと。その上の大岩山、行道山方面がどうだったかは行っていないからわからない。もっと楽しめたかもしれない。
【大小山】…11月29日(水) 西場富士経由で大小山大回り。ここの色づきはスカで終わる。むしろ、この後で行った佐野の金蔵院、桐生の崇禅寺で紅葉を楽しめた。
大小山の紅葉はどんなものかは知らないが、標高的には見頃かなと思っていた。三毳山と天秤にかけて大小山を選んだ。この大小山だが、9月に行っている。まだ暑い盛りで、夏バテで体調もおかしくなっていた頃、自分が果たして歩けるものやら疑心暗鬼だったが、意外にも風が通っていて、気持ちよく歩けた。その時は、阿夫利神社下の駐車場から大小山を小さく周回しただけだった。今回は西場富士経由で、石尊の滝は通らずに大きく迂回するコースにした。
西場富士はかなり以前に行っている。その時は西場百観音を経由して登った。今回は手前の稲荷神社からの登り。駐車地は前回同様に阿夫利神社下の駐車場。
稲荷神社の裏手に出ると、すぐに西場富士への標識はあった。前方をタヌキのような小動物が横切って行った。何なのかしっかり確認しておきたかったが、すでにその姿はなく、右からの西場百観音コースに合流。紅葉はといえば、元より葉の粒が小さく、色づきはあっても見ごたえはまったくない。あっけなく西場富士に到着。山頂には秋葉神社の石祠があった。稲荷神社と秋葉神社の関係がよくわからない。
大小山よりも低い西場富士でこんなものだし、大小山には期待できまいが、ここまで来たからには予定通りに大小山に向かう。途中で出会った大小山から下って来たオバちゃんに「大小山の紅葉はどうでした?」と聞くと、「ここの紅葉はきたなくてダメね。大小山の方がきれいよ」とのお言葉に期待してしまった。北側が開けたビュースポットからは、間近の山が紅葉に染まっているのが見える。期待しないわけにはいくまい。
登り下りを繰り返しながら、阿夫利神社からのコースに合流。その先でネエちゃんが一人休んでいた。迂回して不動明王像を見、岩場を登って妙義山。地図には、ここが大小山と記されている。
オバちゃんが言っていたきれいな紅葉とはこの先のことだろうか。神社からのコースに合流したとて目を見張るような紅葉は見ていない。大小山に向けて下る。
登って来る何人かを岩場で待機しながら大小山に到着。ここでオバちゃんの「きれい」の意味を知った。どうも「眺めてきれい」ということだったらしい。目の前に紅葉が無ければ意味もない。ここもダメだったかとあきらめた。
大回りして下る。色彩は消えて林の中に入る。何人かとすれ違った。阿夫利神社に到着。ここのモミジの樹だけは赤々としていた。結局、見栄えの紅葉はこれだけだった。下って駐車地。2時間の歩き。これで満足というわけにはいかなかった。
(駐車場から)
(稲荷神社。今日はここから)
(本殿。標識ではここを右に)
(百場観音からの道に合流)
(いい感じはしたが)
(西場富士)
(山頂には秋葉神社。この祠の正面はこれでいいのか。穴が空いていなかった)
(妙義山へ)
(早いのかねぇ。熟してもきれいではあるまい)
(山肌はきれいに色づいている。日光の御大が見える。両崖山よりも近い)
(岩場の下に石祠)
(西場富士。遠くに筑波山。手前に三毳山。左に岩船山。それくらいはわかる)
(妙義山が近づく)
(阿夫利神社からのコースに合流)
(確かにきれいだと思ったが、続かない)
(絵になると思って無断で)
(この不動妙王像、出来はいいと思うけど)
(石祠もついでに)
(山頂手前で。この下は水晶だらけだった)
(妙義山)
(こちらに下る)
(意外と長い)
(大坊山)
(大小山の標識)
(妙義山。露出しているたころが、さっきの長い岩場だったらしい)
(半端ながらも、晩秋の山歩きといった気分はある)
(ここは直進)
(眺めている限りはきれいなんだけどね。ここから左へ)
(こげ茶っぽくなっている)
(大小山を見て)
(暗かったから雰囲気が多少は出たのかも)
(まぁ、きらきらとしたのもある)
(大方はこれ)
(紅葉は消えた)
(阿夫利神社)
(唯一見かけたモミジ。最後のオチといったところか)
(同じく)
(同じく。3枚とも角度を変えただけ)
(駐車地に到着)
(稲荷神社。今日はここから)
(本殿。標識ではここを右に)
(百場観音からの道に合流)
(いい感じはしたが)
(西場富士)
(山頂には秋葉神社。この祠の正面はこれでいいのか。穴が空いていなかった)
(妙義山へ)
(早いのかねぇ。熟してもきれいではあるまい)
(山肌はきれいに色づいている。日光の御大が見える。両崖山よりも近い)
(岩場の下に石祠)
(西場富士。遠くに筑波山。手前に三毳山。左に岩船山。それくらいはわかる)
(妙義山が近づく)
(阿夫利神社からのコースに合流)
(確かにきれいだと思ったが、続かない)
(絵になると思って無断で)
(この不動妙王像、出来はいいと思うけど)
(石祠もついでに)
(山頂手前で。この下は水晶だらけだった)
(妙義山)
(こちらに下る)
(意外と長い)
(大坊山)
(大小山の標識)
(妙義山。露出しているたころが、さっきの長い岩場だったらしい)
(半端ながらも、晩秋の山歩きといった気分はある)
(ここは直進)
(眺めている限りはきれいなんだけどね。ここから左へ)
(こげ茶っぽくなっている)
(大小山を見て)
(暗かったから雰囲気が多少は出たのかも)
(まぁ、きらきらとしたのもある)
(大方はこれ)
(紅葉は消えた)
(阿夫利神社)
(唯一見かけたモミジ。最後のオチといったところか)
(同じく)
(同じく。3枚とも角度を変えただけ)
(駐車地に到着)
佐野の金蔵院の紅葉がきれいらしい。大小山からそのまま向かう。近づくと、この時期、特別なのか、細い道には信号が設けられ、その信号の待ち時間が長い。特別駐車場というのがあって、今は廃校になっている小学校の校庭が駐車場になっていたので、そこに入れて先は歩いた。駐車場にあった車は数台。もう紅葉の盛りは終わりだろうか。
金蔵院に入る。この寺、何となく記憶があった。寺の名前は忘れていた。アド山への標識があった。そういえば、10年以上前にアド山に行った際にここに駐車していた。
遠回りで寺を一周した。見どころはさしてなかったが、鐘撞台から門に出てからの通路がきれいだった。一週間は遅れてしまったようだが、大小山のがっかりはいくらか挽回できた。
以下、写真だけを並べる。
<金蔵院>
そのまま桐生の崇禅寺へ。崇禅寺には15日に来ている。まだ早かった。いずれ改めて行くつもりでいたら、昨夜、テレビ朝日でスポットライトを浴びた崇禅寺の紅葉を流していた。ライトをあてた紅葉は、日中はさほどにきれいでなくともきれいなものになってしまう。もしかしたら、もう終わりかけかなと思ったが、まさに見頃だった。ただ、数年前に門前の通りがモミジストリートになっていたのが、去年もそうだったが、今年も消えている。境内の紅葉もさることながら、この通りもスポットだったのにどうしたことだろうか。
ここもまた<崇禅寺>で。
以上、今回の栃木三山の紅葉回りの記事は終了。ぶなじろうさんのブログを拝見しては、12月の、これからの見どころもあるようだ。半ばあきらめだったが、少しは追いかけて見たいと思っているが、できれば、寺社ではなく山で見たいものだ。
太平山、両崖山、大小山と、随分いろいろな所へ行っていたのですね。それでもよい紅葉にはありつけなかったと。むしろ麓のお寺などの紅葉の方が良かったと。確かに私も鳴神山より崇禅寺の紅葉の方が心が躍ったし、両崖山より鑁阿寺や織姫神社の紅葉の方が印象に残っています。
いろんな所とはいっても、あまり深く考えたくもないので、近くの低山狙いで行っただけのことですよ。ただ、地元の金山の紅葉はきれいだという話は聞いていないので、これもまた、金龍寺のモミジでも見て終わりということなるでしょう。ただ、今年は、紅葉が早いのか、遅いのかさっぱりわからず、本記事の一連の紅葉も、ほとんどタイミングを逸しています。
当たりは崇禅寺の紅葉だけだったようなものですが、例年に比べて、ちょっと落ちた気がします。