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(再録)現代中東の王家シリーズ:サウジアラビア・サウド家(14)

2019-02-20 | 中東諸国の動向

 

初出:2007.8.19

再録:2019.2.20

(注)以下の人名、肩書はいずれも2007年当時のものです。

 

(14) サウド家の有力家系(3):ナイフ内相家とサルマン・リヤド州知事家(スデイリ・セブン2)

1.ナイフ内相家[1]
 ナイフ内相[2]はアブドルアジズ初代国王の23番目の息子であり、有名な「スデイリ・セブン」の5男である。彼は1933年生まれで今年74歳になる。リヤド州知事(1953-54年)、内務副大臣(1970年)を経て1975年に内務大臣となり、現在まで32年間にわたりその地位を保っている[3]

 リヤドの中心にある内務省は上部が逆四角錐の人目を引く建物であるが、国内の治安対策を主要業務とする同省の内実は厚いベールに包まれている。そしてそのトップに君臨するナイフ内相も表舞台に顔を出すことは少ない。宗教的戒律が厳しいサウジアラビアでは、かつては治安はさほど問題ではなく、内務省の重要な任務はサウド家に反抗するシーア派或いは過激な宗教勢力を押さえ込むことであった。

イランでホメイニ革命が発生した1979年以降、アラビア湾沿岸の東部地区に多数居住するシーア派の動きが活発になり騒乱事件が頻発した。また1979年には「マハディ(救世主)」を名乗る過激な宗教集団がマッカのカーバ神殿を占拠し、反乱者・政府側合わせて230名近い死者を出す大惨事も発生した。前者の騒乱は湾岸王制国家の打倒を唱えるイランのホメイニ師に国内のシーア派が同調したものであり、後者のマッカ占拠事件はサウド家の腐敗を糾弾しようとした過激な宗教グループによるものであった。ナイフ内務相はこのような動きからサウド家を守るために組織を動員したのである。

 1990年代に入ると内務省の活動の中心は国際ゲリラ組織対策に移った。アフガニスタン内戦で頭角を現したオサマ・ビン・ラーディン率いるアル・カイダによるテロ事件が発生したためである。2003年のイラク戦争後には国内でのテロ事件が続発し、ナイフは内務省の組織を挙げて犯人逮捕に躍起となった。それまでメディアに顔を出すことが少なかったナイフ内相であったが、この頃はメディアの前で盛んに犯人逮捕の成果を強調する彼の姿が見られた。しかし基本的には彼は長兄であるファハド国王と次兄のスルタン第二副首相兼国防相(いずれも肩書は当時)の陰に隠れ、あくまでも黒子の役に徹しており、それは現在も変わらない。ただ内務相のポストを30数年続ける彼は、国家の隅々にわたる機密情報を握っており、それはアブダッラー国王や外交を担当するサウド外相などスデイリ以外の王族にとってかなりの脅威であることは間違いないであろう。

 ナイフ内相には3人の王妃との間に5人の息子と6人の娘がいる。その中ではジャラウィ家から嫁いだジョーハラ妃の長男サウド王子が駐スペイン大使を、また次男ムハンマド王子が父を補佐する内相補となっている。なお長女ヌラ王女は東部州ムハンマド知事(故ファハド前国王子息)の妻である。

2.サルマン・リヤド州知事家[4]
 サルマン・リヤド州知事[5]はアブドルアジズ初代国王の25番目の息子であり、またスデイリ・セブン(スデイリ家出身のハッサ妃を母親とする7人兄弟)の6番目の王子である。1936年生まれの彼は1962年にリヤド州知事に就任し現在に至っている。サルマンは温厚な人柄に加え、イスラームの慈善活動に熱心であり、敵の少ない人物とみなされ、そのため有力な王位継承者の1人に挙げられてきた。

しかし9.11同時多発テロの後、イスラーム慈善団体の寄付金が資金洗浄(マネー・ロンダリング)されて国際イスラーム・テロ組織の資金源になっているのではないかと言う疑惑が指摘され、サルマンの慈善活動にも疑惑の目が注がれて彼の名声に傷が付いた。

さらに2003年から2004年にかけてリヤドで相次いでテロ事件が発生、サルマンの知事としての力量が問われた。この時は彼の兄のナイフ内相が陣頭指揮を取りテロ組織の摘発に辣腕を振るい沈静化させた(上記参照)のであるが、治安対策は内相の責任とは言え、もしリヤド州知事が非王族であれば当然更迭されてもおかしくない状況である。サルマンが更迭されなかったのは実兄のナイフ内相あるいはスルタン国防相(現皇太子)の配慮であったことは間違いない。

その意味で彼の「温厚さ」とは兄達に対する「従順さ」と考えられなくもない。さらにサルマンは持病を抱えており年齢も既に70歳を超えている。そのため現在では彼を有力後継者候補と見る向きは少なくなっているようである。

サルマンには11人の息子がいるが、そのうち長男と三男は2001年とその翌年に相次いで亡くなっている。長男は心臓病で亡くなっているが、三男の死亡原因は公表されず、巷間では9.11時件との関わりが噂された。この二人の息子の死亡は、健康問題或いはイスラーム慈善活動に対する疑惑と言ったサルマン自身の背負った業を象徴するような出来事である。

4男のアブドルアジズ王子(1960年生)は石油省次官のポストについている。彼は1990年代後半、アラビア石油の利権延長問題のサウジ側窓口として活躍した。野心の強い王子は功名心に駆られて日本側に無理難題を押し付けたが、そのため交渉は決裂、両国関係はその後暫く冷却状態が続いた。彼は現在も石油省次官であるが、同じ次官で従兄弟のファイサル王子に比べて影が薄いようである。

サルマンは表向きのリヤド州知事の職責に加え、裏の顔として中央情報局を握っている、との説がある 。実兄のナイフが治安の総責任者であり、またサルマン家が国内最大のメディア企業SRMG(Saudi Research & Marketing Group)社のオーナーであることと考え合わせると、あながち根拠がないとは言えない。

但しこの点については筆者の見解は異なっている。即ちSRMG社については現在の社主はサルマンの5男ファイサル王子であるが、同社は昨年大富豪として有名なアル・ワーリド王子(サルマンの異母兄タラール殿下の子息)が25%の株式を取得して筆頭株主となっていることに留意する必要がある 。アル・ワーリド王子はアブダッラー国王寄りと見られているだけに現在のSRMG社がサルマン家(或いはスデイリ・セブン)だけのものと考えにくいからである。さらに中央情報局についても、現在の長官(初代国王の35男ムクリン王子)が就任したのはファハド前国王死去後の2005年10月のことである。ファハド前国王が亡くなった後、スデイリ・セブンの勢力は長期低落気味であるが、その中でもサルマン家は特に凋落しつつあると考えられるのである。

(続く)

 

本件に関するコメント、ご意見をお聞かせください。

荒葉一也

Arehakazuya1@gmail.com

 

 

(再録注記)



[1] ナイフ家々系図参照

http://menadabase.maeda1.jp/3-1-6.pdf 

[2] 2012年6月没。

[3] 2011年11月実兄Sultan没後、内相兼務のまま皇太子に即位

[4] サルマン家々系図参照

http://menadabase.maeda1.jp/3-1-7.pdf 

[5] 2012年ナイフ没後皇太子に即位、2015年1月アブダッラー国王死去に伴い第7代国王に即位。

 

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