マドリーの恋人

ヤマダトミオ。 画家。 在スペイン45年。

ジジイたちのスペイン旅行 3

2016-06-17 10:00:00 | スペイン日記

 

庭園の噴水


 今日はアルハンブラ宮殿を見学してからセビージャ(Sevilla)へドライブです。ジョギングをするつもりで起きましたが、窓から手を出すと外は肌寒いのでベッドへ戻りました。二度寝はいくつになっても心地よいもので、また寝坊をしちゃいました。でも朝食はちゃんと食べました。歩いて回るアルハンブラ宮殿やヘネラリィヘ庭園の見学は体力です。おっと、その前にホテルのチェックアウトです。フロントで部屋のミニバーのビールやパーキング代の清算を頼みました。ビール代はフロントの女の子が「私がご馳走します」、パーキング代は「ホテルがサービスします」、となんと!太っ腹なホテルでしょうか!

涼しげな噴水

 アルハンブラ宮殿の見学が済むまでは荷物と車は預かりますので楽しんできてください、とドアマンが宮殿の入口を教えてくれました。坂道を10分ほど登ったらチケット売り場でした。アルハンブラ宮殿見学のチケット購入はカイシャ銀行(la caixa)の「催し物サイト」にアクセスしました。正直言って、グラナダの観光ガイドが生活に困らないように作られたサイトじゃないのか、と勘繰りました。僕がアクセスしたのはひと月前でしたが、午前の部の個人フリーチケットは完売でした(くそー)。正規のチケットの3倍の料金を払ってガイド付きグループに申し込みました。一人分なら前日にアクセスしてもキャンセルを拾えるかもしれません。二人以上なら2か月か3か月前に取ったほうが無難です。このチケットを確保してからホテルを取るヨーロッパ人夫婦は多いです。

宮殿の前庭

 夏なら夜の部のアルハンブラ宮殿見学、と言う手もありますが、どうも照明が不十分のようです。チケット予約もせずに入れるなら、アルハンブラ宮殿は毎日でも訪れたいです。モロッコも旅をしました。モスク(礼拝堂)もいたるところにありました。モスクと宮殿は違いますが、完成度の上品さとその維持保存の高さではグラナダのアルハンブラ宮殿が勝っています。これも昔のことですが、おそらく20年か30年前です、幸運に恵まれました。日本から来た建築家の友達とマドリードで飲んでいました。僕がアルハンブラ宮殿の美しさを口から泡が出るように話したので(と後日、彼曰く)、翌日二日酔い状態の二人でグラナダへ飛びました。

宮殿の天井

 真冬のみぞれ交じりの小雨の降る日でした。宮殿内はひとっこひとり居なくて我々だけでした。雨の音も風の音も聞こえるほど静寂に包まれていました。じぃ~と佇んでいると、不思議な雰囲気に包まれました。異文化に包まれて異邦人となっている自分でした。その時からアルハンブラ宮殿を訪れるたびに昔の恋人に会いに来たような気持になりました。グラナダの友達には悪いけど、僕はアルハンブラ宮殿が目当てなので、マドリードからは飛行機で日帰りをしてしまいます。市内には大聖堂、カルツゥハ修道院などもっと見るところもありますが、他を見るとアルハンブラ宮殿の感動が薄れるのです。でも今日は日本の友達とガイド付きで回ります。

宮殿の天井

 友達はスペイン語が分からないので英語のガイドにしました。まずはヘネラリィヘ庭園からです。アラブ民族が「水を崇める」のが分かる噴水の造りです。ヨーロッパ人のバケツをぶちまけるような水の使い方の噴水ではなく、細く穏やかです。繊細です。そして静かです。噴水を押し出す水の源まで若い頃は登りましたが、もう数年登っていません。階段脇の石壁の上の細い溝を水は流れ落ちます。水のきつい落下によって噴水を押し出す圧力が生まれるので、登るのはきついのです。まぁ、物好きしか登りませんね。

コーランの教えを書き込んだ壁

 庭園のあとは宮殿見学ですが、観光客であふれかえっているので、グループから外れて僕は一人で観ました。自然光の中で輝く天井の装飾の絢爛さは夢のようです。あの世はこのように美しいのでしょうか? 僕には表面的な仕上がりの「美」しか分かりませんが、イスラム教徒の人にはもっと感動する、何かがあるのだと思います。首が痛くなるんじゃないのか、と心配になるほど見上げているアラブ人も居ました。ひと昔から比べたらアラブ人観光客が増えて、僕らのグループの三分の一は彼ら、彼女らでした。歴史は見方によってどちらかが幸か不幸になります。でも長い目でみたら、遺跡は残しておいて損はありません。

美しすぎる世界

 言葉も出ないほどに感激した(たぶん)友達と昼はパラドールのテラスで軽く食べました。昨日の来た道を引き返してグラナダを後にしてセビージャへ向かいました。A-92号線をひたすら走れば、260キロ足らずなので3時間くらいで着きます。セビージャはグアダルキビィル河(Rio Guadalquivir)の河口にある平らな都市です。歩くのはグラナダよりも楽なので、ホテルは大通りにある昔泊まったホテル・アルカサール(Hotel Alcazar)にしました。清潔なビジネスホテルに生まれ変わっていたので二部屋をとりました。このホテルはガレージ付きです。

光と影

 セビージャへは車で何回も来ています。そのたびに「車あらし」に遭いました。不幸中の幸い(?)なのでしょうか、窓ガラスは割られませんがドアを開けられて、中のものは盗まれました。ラジカセは取り外し式が当時のスペイン車では当たり前でした。外して持って歩きました。セビージャの友達いわく、他県ナンバーの車があるとつい開けてしまう、のだそうです。冗談じゃありません!おまけに、価値にないものは近くゴミ箱に捨てるよ、と言うではありませんか!!確かにゴミ箱に捨ててありました。



サンタ・クルス街

 昔もA-92号線でセビージャ市内に入りそのまま進み、ホテルのある大通りにぶつかりました。ところが左折ができないので(右側通行です)、直進をしたら旧市街に迷い込みました。旧市街は一方通行が当たり前で、両サイドが路上駐車です。そこに車をはみ出して止めてバルで引っ掛けてる輩が多いのがセビージャです。ちょっと大きめの車は通れませんので、ブーブー鳴らしますがなかなかバルから出てきません。今回は同じへまをしないように、手前で右折して迂回をするのをグーグルマップで確認して、紙マップに書き込みました。それでも再び間違えました(くそー)。

 僕のナビはタッチパネルが不調なので、もっぱら位置確認に使っていました。それもスマホのグーグルマップで済むようになり、車のボックスに入れっぱなしです。やっとホテルにたどり着いて、車をガレージに入れました。入口がこんなに狭かった!?と驚きました。ミニバンの幅にぎりぎりでした。地下は柱だらけで、厚いクッションが巻かれ、あっちこっちが擦り減っていました。かなりの車が擦ったようです。初めからへまの連続をさせられるのがセビージャです。夕飯はサンタ・クルス街(Santa Cruz)のバル巡りをしましたが、どこもツーリスト相手でした。最悪のパエジャに出くわしたほど、バルにはついていない夜でした。

サンタ・クルス街

 やはり、トゥリアナ地区(Triana)へ行くべきでした。東京の浅草のような庶民街なので、「座って食事」よりも「立って摘まむ」地区なのでバルは地元の人が多いです。同じ値段なら、トゥリアナのタパスは皿に山盛りです。サンタ・クルスからはグアダルキビィル河を渡らなければならないので、ちょっと歩きます。ホテルの裏にセルべセリア(cerveceria/ビアガーデンですがバルと大差はありません)があったのを思い出しました。セビージャまで来て友達にペスカィート(pescaito/魚介の揚げ物の盛り合わせ)を食べてもらわなければ「ヤマダの沽券」にかかわります。

 チョコ(choco/コウイカ)、ボケロン(boqueron/カタクチイワシ)の定番のペスカィートとカソン(cazon/サメ)も頼みました。何ザメだか知りませんが(グアダルキビィル河ではキャビアもつくるので、たぶんチョウザメ)、そのぶつ切りを酢でしめてから揚げます(酢でしめたサメはアンモニア臭さが消えるようです)。好き嫌いがあるので友達には「サカナを酢に漬けてぇ~、フライ」とお茶を濁しておきました。以前、正直に言ったら、ひえ~、って食べなかった日本人がいました。セビージャの夜は暑いのでテラスで食べてビールを飲んでいました。しめに僕はフィノ(fino/シェリー酒の辛口)にしましたが、友達は「シェリーは癖があるよ~」なので白ワインを頼んでいました。

サンタ・クルス街

 アンダルシアでは「ウン・ブランコ(un blanco/白ワイン一杯)」って注文するとモンティージャ(montilla)が出てきます。シェリー酒の甥っ子みたいなものでフィノと大差ありませんが、友達には黙っていました(う、ひぃひぃ~、とセビージャに来ると性格が悪くなります)。リオハ(rioja)とかルエダ(rueda)とか、銘柄で頼まないと「純粋の白ワイン」が出てこないのがアンダルシアの土地柄です。今日はアルハンブラ宮殿を歩き、ホテルへの道は間違え、駐車で苦労して、バルは外れたので、心身ともに疲れがどっと出ました。ほんと、セビージャはいつ来ても「ツ・カ・レ・ル」です。

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ジジイたちのスペイン旅行 2

2016-06-06 12:30:00 | スペイン日記

アルハンブラ宮殿。バックの白いのがシエラネバダ山脈です。


 ドライブ・ルートの選択はスペイン語版のミシュラン道路ガイドやスペイン交通局の道路マップやグーグルマップなどのネット・サイトを使いました。ミシュランのガイドはルートの選択が豊富なので自分好みの高速道路ルートができます。市内などはグーグルマップの方が最新に思えたので、そっちを使いました。マドリードからアンダルシアへは、昨日行ったトレドのように南下します。高速4号線A4(アウトヴィア/Autovia/ 自動車専用道路)を使えば、グラナダまでは450キロくらいなので、4時間半くらいです。寝坊したので10時過ぎでしたが、11時前には家を出ました。


 僕が若いころは寄り道が好きだったので、ドライブ旅行は早起きをしていました。ラ・マンチャの風車をバックに写真を撮り、ヴァルデペニャ(Valdepeña)のワイナリー見学(もちろんワインも買って)と書くとのんびり旅行のようですが、実は、当時のスペインの車はクーラー無しが当たり前、それが早起きの本当の理由でした。午後2時~6時は5月でも暑く、真夏は地獄です。高速道路はまだなくて国道でしたが、交通量は極端に少なくトラック以外は走っていなかったので10 時間運転もできました。疲れたら道路わきでビールを飲んで昼寝もできたほど、飲酒運転には甘かった。トラックも乗用車も屋根にボティホ(botijo/素焼きの水つぼ)を載せて走り、ワインは革袋に入れてドアの外に引っ掛けて走りました。水もワインも風にあたり冷えました。それを飲みながら運転をしていました。正真正銘の飲酒運転です。


アルハンブラ・パレス・ホテルの正面


 良き時代だったなぁ、と思い出しながら、ラ・マンチャの延々と続く葡萄畑の中を走りました。葡萄畑は青空に吸い込まれる丘まで続き、360度ブドウ、ブドウです。景色を堪能しながら腕も出して運転したかったのですが、時速120130キロでは窓は閉めました。EU(欧州連合)に加盟してからはヨーロッパ自動車道網(E線)がスペイン国内にも延びたので、現在はすべての主要国道に沿って自動車専用高速道路ができました。土地は余るほどあるのがスペインです。その恩恵を最も授かったのがモロッコ人です。フランス、ベルギー、オランダに出稼ぎに出ている彼らは、夏のヴァカンスはモロッコの村へ戻ります。車に家族、親戚、同郷の人など入るだけ押し込み、屋根にはお土産を山ほど積みます。キャラバンを組んでスペインを北から南まで縦断します。


 葡萄畑に飽きた友達が居眠りを始めた頃に、一面オリーブ畑になりました。土の色は赤茶になり、ハエン県(Jaen)に入りました。スペイン一のオリーブ産地でアンダルシア州の入口です。ここで地中海へと下る高速A-44号線に乗り代えます。グラナダ高速線です。それに乗ってからドライブインで昼飯にしました。スペインのアウトヴィア(自動車専用道路)はドライブインが道路わきにないのが欠点です。いったん降りた出口から数キロ走らないとありません。大方が近く村の入口にあり、ガソリンスタンド、カフェ、レストランが揃ったドライブインです。ホテルも揃ったドライブインもあり、コンビニはスタンドの中にあります。昔のままの国道では道路わきにガソリンスタンドやレストランがあります。食事時はトラックの沢山停まっているレストランが「美味しいよ」の目印なので、当たりはずれがありません。


ホテルの階段の踊り場


 高速から降りた僕らが入ったレストランは運よく当たりました。友達には野菜類はトマトだけで作ったガスパチョ、サルモレッホ(salmorejo)を勧めました。メインはレンズマメの牛肉の煮込みにしました。スペインのレストランでも外国人客の多いところは、塩は自分でかける料理の味付けになりつつあります。ここはそうでした。自家製プリンは甘さが控えめでした。エスプレッソを飲んで一人11ユーロ(1400円)でした。


 今夜泊まるグラナダのホテルはアルハンブラ・パレス(Alhambra Palace)です。アルハンブラ宮殿脇のパラドール(Parador)は満室でしたが、近くのパレスは取れました。アルハンブラ宮殿はグラナダの街外れの「赤い丘」の上にあります。ミシュランガイドでは市内を通り抜けてホテルに行くルートでした。グラナダは何回も来ているので、市内に入る必要がないのは分かっていたのでホテルの道案内サイトを見ました。グラナダ南部を走る環状線を使ってのホテルアクセスが土地不案内なツーリストには遠回りでも分かりやすいです。


ホテルの廊下


 3人で標識と地図を照らし合わせながらトンネルをくぐり、丘を登りホテルに着きました。まだ明るかったので、アルハンブラ宮殿を目印にできました。車は明日まで使わないのでドアマンにホテルのガレージに入れてもらいました。このアルハンブラ・パレスはホテルウォッチャーには心躍るホテルです。インテリアはアルハンブラ宮殿の、言ってみれば“孫”です。床の大理石の模様から壁にはまっているタイルも美しいです。


 思ったよりも日の高いうちに着いたのでグラナダの街へ歩いて下りました。アルハンブラ宮殿の下のザクロの門を出て、土産屋、ペンシオン(pension/民泊)、ギター工房などが並ぶ坂道をブラブラ下ればヌエバ広場(Plaza Nueva)です。夕日で染まるアルハンブラ宮殿を眺めたい人で溢れる見晴し台、聖ニコラス広場へ行きました。アルバイシン(Albaicin)の丘の上の方にあるので、坂をかなり上らなければなりません。


ザクロの門


 グラナダは坂の街です、それもかなりきつい坂ばかりです。ヌエバ広場からアルハンブラ・バスに乗りました。路線C-1は市民の日常の足なので、買い物袋を提げたおばさんやおじさんで満員、そこにツーリストも加わるので座れません。運転が乱暴なので、つり革か棒に捕まらないとコケます。くねくねでアップダウンの丘の細い道をかなりのスピードでバスは走り抜けます。もちろん一般車も走り、人も歩いています。バスは小型ですが、どう言う神経の持ち主が運転手になれるのでしょうか?


 運転も車掌も一人でこなして、常連客とは冗談を交わしながらの運転は、レールの上を走る市電のようでした。その運転技術には脱帽です。無事にバスストップ・聖・ニコラス広場前に着きました。アンダルシアのスキー場・シエラネバダ山脈はまだ雪が残っているので、その白い山をバックに「赤い丘」に建つアルハンブラ宮殿を眺めました。ジプシーがギターを弾き、老いた元ヒッピーが土産品を路上に広げ、ツーリストは地べたに座り、カップルは抱き合って、それぞれが好き勝手をしていました。アルハンブラ宮殿は気が向いた時に眺める程度で、日暮れまでの時間を潰していました。


アルハンブラ・バス


 聖ニコラス教会の壁に寄りかかっているポリシア(policia/ 警官)は仲間とのおしゃべりに夢中でした。我々も日没まで残ればいいのですが、腹が減ったので見晴し台を降りました。「根性無し」が僕ら三人の子供の頃からの共通の性格でした。丘を歩いて下れますが、運よくアルハンブラ・バスが来ました。同じ運転手でした。バルをはしごするつもりだったので、ヌエボ広場の脇にあるエルヴィラ通り(C/. Elvila)でバルを物色しました。旨そうオーラ(?)のバルがあったので入りました(勘です)。


 お!ホタルイカ(chipirones/チピロネス)のから揚げがあるではありませんか! はらわたが旨いホタルイカ数匹をパンにのせてガブリとやると、パテ(paté/ファグラのようなペースト)をぬって食べてるようです。グラナダはシエラネバダ山脈の麓にあるので日本の長野や群馬みたいですが、車で小一時間も走れば海に出ます。魚介類も豊富です。それと、山脈のふもとの村では清流が豊富なので、スペイン一高級なキャビアをつくり、白エビの養殖もしています。


アルバイシンの丘にある聖ニコラスの見晴台とその教会


 周りの客が食べているコロッケが旨そうなので注文をしました。刻んだ生ハムが入ったクリームコロッケでした。一つが普通の3個分のサイズなのにカラッと揚がっていました。良質のオリーブオイルを惜しみなく使うのでアンダルシアへ来ると揚げ物が美味しいです。「オリーブオイルの匂いがちょっとぉ~」と言う日本人には辛い土地です。ビールからそれぞれの好みのワインに代えました。地野菜を盛り合わせたサラダにも生ハムがたっぷりと添えてあったので、パンをお代わりしたら満腹になりました。


 飲むと歩くのが億劫になるのが僕の悪い癖ですが、上り坂なのでホテルへタクシーで帰りました。崖の中腹に建つアルハンブラ・パレス・ホテルはグラナダが一望できます。バーのテラスで夜景を堪能しながら飲みました。明日の朝はゆっくりだし、部屋には這ってでも帰れるのでホテルのバーでの酒は気持ちもほぐれて美味しく飲めます。夜が更けるにつれて街の光は一つ二つと消えていきました。バーの照明が消えるまでは他の泊り客も腰をあげませんでした。ブェナス・ノーチェス、アスタ・マニャナ(Buenas noches, hasta mañana /おやすみなさい)。


グラナダの夜景

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ジジイたちのスペイン旅行 1

2016-05-26 13:00:00 | スペイン日記

青空のトレド

 日本の友達とグラナダ、セビージャ、リスボンを旅して来ました。当初の予定では、我々の還暦前にしようと計画を立てたスペイン旅行でした。でも、親の介護や仕事の都合で10年も遅れました。そのために買った車もガレージで昼寝をしていました。ここは70歳前に旅ができたのを喜ぶべきでしょう。東京―マドリード間は直行便がありませんが、この10月にイベリア航空が直行便を再開します。その季節でも良いのですが「スペインの旅は5月」と僕が決めていたので、この10年間友達二人もそのつもりで居ました。

 5月は暑くなく寒くなく、イベリア半島の日没は9時過ぎです。老眼のドライバーには日が長いのは安心です。夜の8時頃にマドリードのバラハス空港に着いた友達はまだ明るいので、きっと時間の感覚が狂ったはずです。幸いに我が家は空港に近いので、すぐにビールにありつけました。「友、遠方より来たる酒また楽しからず」です。まずは無事のマドリード到着に乾杯!軽い夕飯もワインで乾杯しました。疲れがでたようなので、我が家のそれぞれの部屋で寝てもらいました。

 翌日は時差ぼけで二人とも気怠そうなので、近所を散歩したあとは家でうつらうつら、ゴロゴロとしていました。夕方はマドリードの飲み屋街へバスで行き、バル巡りです。一軒目は「タラのブニュエロ(buñuelo/天ぷらよりも衣がふっくら)とタラのコロッケのタパスで知られた、80年くらい前からあるバルです。スペインの地方から来た人は必ず寄りますし、中南米からの旅行ツアー客も入ります。バルの中はあらゆるなまりのスペイン語が飛び交います。おまけに土曜日の午後!人混みは中途半端ではありません。

 すぐにカマレロ(camarero/ ウェイター)を捕まえてビールを注文して壁の棚(タパスやビールを置くバー)を確保しました。ここでは(1)カマレロは捕まえる (2)同時に飲み物を注文して場所を確保する (3)すぐタパスを買う列に並ぶ、です。

タラのブニュエロのバル

 僕が一人で行くときは⑶、⑵、⑴の順です。友達がまだスペインのペースに馴染まないのは当たり前ですが、二軒目のエビ(鉄板焼きとオリーブ煮)、三軒目のタコ(茹でタコ+ジャガイモ)、四軒目のトルティージャ(スペイン風オムレツ)とタパスを摘まみながら回るバルの雰囲気にはすぐ慣れました。日本でもこの数年のあいだにタパスのバルが増えたお陰です。

 このブログにも時々書いているバル巡りですが、その仕上げはシェリー酒のバルです。ここも目一杯混んでました。この数年、なぜか、イギリス人観光客で一杯なのです(アイルランド人?)友達は「立ち飲み」に疲れてきたのか、シェリー酒が強すぎるのか(アルコール度はワインより高く、日本酒くらい)、はては時差ボケか、ポケ~としてきたのでタクシーで家へ戻りました。このバル巡りを日本から来た友達とするときは、パスポートのコピーと現金60ユーロだけをポケットに入れて来て貰います。僕の財布の話(前のブログ)ではありませんが、スリに気を使っていたらワインが美味しくありません。

エビのタパス

 翌日はトレドへ行きました。僕の車(ミツビシのミニバン)で旅行をするので友達に慣れてもらうのと、スペインの交通の左ハンドル運転にも慣れてもらうためです。僕らの世代はアメリカのTVドラマ「ルート66」を見て育ちました。爺になった僕らも、窓から肘を出して風に吹かれながらスペインの荒野をドライブするのが夢でした。車はオープンカーではなくミニバンと歳相応にしました。旅の最終日はリスボンからマドリードへ一気に戻るので、運転は三人で交代します。オートマ車が当たり前の日本ですが、僕の車はマニュアル・チェンジでスペインはまだまだ主流はマニュアル車です。

 尻込みする二人を車に押し込んで、いざ、トレドです。マドリードからトレドは高速で一直線なので1時間足らずです。二人とも長年運転しているので、こちらの交通事情にもすぐ慣れました。でも、ロータリーは苦手なようなので、市内は僕が運転する「暗黙の了解」をしました。トレドへ来ると僕はいつも街の全景を眺めてから市内に入ります。そのビュースポットまでのくねくねの山道が嫌ですが、一望の価値はあります。おつりがくるほどです。夕暮れに包まれるトレドの全景が大好き、の日本人観光客が99%だと思います。僕も好きですが、朝日の作り出す建物の陰影で立体的になったトレドの街も好きです。

 トレドの全景を眺めながらいつも思うのはエルサレムです。ユダヤ教、イスラム教、キリスト教の聖地エルサレムには宗教が違いながらも一緒住んでいた時代もありました。聖地ではありませんがトレドもそうでした。囲むタホ河はこれから行くリスボンまで続き、大西洋に流れ出ます。ワイン片手に一日中眺めていたい街並みです。狭い路地のトレドの街中は観光客でごった返へしていました。昼飯時だったのでテラスはどこも満席で、「2時間後まで席はありません」のスペイン語が聞こえていました。表通りも裏通りも同じように狭いのがトレドで、広場と大聖堂前が広いだけです。

トレド大聖堂の正面

 こう言う観光地では、歩いていて店の中でも外でもテーブルが空いてるバルがあったら、すぐ座ります。ガイドブックの「満足度何点のレストラン」や「お勧めタパスのバル」探しを日曜日のトレドでやってると、必ず食いっぱぐれるか、マクドナルドになります。ここはスペインです、トレドは世界遺産の観光地です。そんなところでガイドブックにも載れないバルでましなものを食べるには、まず、店主に今日は何があるの(ケ・プラト・ティエネス)?って聞きます。店主もスペイン語が分かる客なら美味しいものを出してくれます。

 僕らが食べた自家製(奥さん手作り)のピスト(ラ・マンチャ地方のトマトの名物料理-トレドはラ・マンチャ州の州都)はトマト・ソースで水増しをしていました(日曜日の観光地です)。でもズッキーニや玉ねぎはちゃんとトマトのぶつ切りと一緒に炒め始めたようなのでトマトの酸味がしみていました。救いは上質のオリーブ・オイルを使っていたことです。

 生ハムはイベリコブタではないけど、普通のハモン・セラーノを厚く切ってくれました。サラダはレタスがパリパリ新鮮でしたが、マドリードの食堂点数で言ったら30点です。マドリードへ戻り、友達二人をプラド美術館で降ろしてから、僕は夕飯の用意と旅バッグのパッキングがあるので家へ帰りました。心配だったけど二人はバスで無事に我が家へ戻りました。

 明日から日本食はないので、今夜は鍋焼きうどんを作り再び乾杯です。きのうの昼に焼いた鳥の丸焼きが残っています。バラシて鍋に入れたらうどんが隠れてしまいましたが、その上にタマゴを割って落としました。鳥の骨はラーメンのスープ用にニンニクと長ネギと一緒に煮込みました。寝る前に瓶に入れて、明日、旅に出る前に冷凍します。

 次はグラナダの話ですが、毎週アップできるようにします。そうそう、この土曜日(528日)はミラノでヨーロッパ・チャンピオンズリーグの決勝戦です。レアルとアトレティコが再びぶつかります。2年前のリスボン戦の時は「奇跡のダービー」とマドリっ子たちがそれぞれのクラブの旗を担いで、どっとリスボンへ行きました。奇跡って何回も起きるものなんでしょうか・・・?

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ちょっと、いい話

2016-04-21 11:00:00 | スペイン日記

戻ってきた財布

 旧友とマドリードで飲んだ時の話です。旧友は長い間マドリードに住んでいた日本人ですが、親の介護もあって帰国しました。でも、介護ストレスの発散にはマドリードが良いのでしょうか、たびたびこっちへ“帰国”してはガス抜きをしています。その友達と「昔飲み歩いたバルを“はしご”しようぜ」とまだ日の明るいうちから飲み始めました。ワインの美味しいバルをはしごするたびに昔話はどんどんさかのぼりました。数軒目のバルで「ワインは旨いけどタパスがダメだ、タパスの旨い地区(バリオ・デ・タパス/Barrio de Tapas)へ行こう」となりました。タパスの旨いバルが並ぶ地区は移民者も多いせいなのかワインがいまいちなのですが、小腹もすいたので“シマ”を変えました。

バスク(スペイン北東)のタパス

バスク(スペイン北東)のタパス

 飲兵衛は飲み始めるとグラスを口へ運ぶ以外の動作は面倒になります。歩いたりメトロに乗るのは面倒くさいのでタクシーに乗りました。そのタクシーに財布(ビジェテロ/Billetero)を置き忘れました! タクシー代は札一枚で済むのに、ワンメーターじゃ悪いと、チップのために小銭入れをポケットから出したのが失敗でした。財布と小銭入れは別々にしているので、手に持っていた財布をシートに置いてしまいました。チップを渡してそのまま降りてしまったのです。財布を忘れたのをすぐ気が付いたのですが、タクシーは見当たりません。運よく、近くに警察署があったので、もしタクシー会社から問い合わせがあったら連絡を下さいと、迷惑そうな顔の警官に携帯電話の番号を無理矢理押し付けました。

チョコ(セピア)のフライタパス

 スペイン人なら誰でも知ってる地区なので、その辺りを流しているタクシー運転手なら何回も僕らが降りた場所に客をおとします。酔いもさめそうになりましたが、新鮮な海産物のタパス―あさりやタコが抜群でした―で再び飲み始めたら白ワインが止まりません。財布のことは忘れていました。二人ともかなり酔ったので、じゃ、介護をガンバって、と別れました。無一文の僕は友達にご馳走になり、帰りのタクシー代も借りました。借りた分は日本の居酒屋でおごる、と言う飲兵衛どうしの“酒約束”です。

オリーブオイルでさっと揚げたボケロン(カタクチイワシ)のタパス

 家へ戻ったら、タクシーの運転手から電話がありました。持ち主の確認の為に財布の特徴を聞くので、え~と、スペインの健康保険書が入っていて~、そうそう、アトレティコ・マドリーのカレンダーが入ってる~、でお互いに笑いました。夜中の12時頃でしたが、運転手が財布を自宅に届けてくれました。お礼に中身の現金の半分を取ってもらいました。警察署に電話番号を置いてきたのが幸いしたようです。スペインのタクシーの中には奇特な運転手がまだいます。本当に嬉しかったです。この財布が戻ってきたのはこれで2回目です。角がすり減ったみすぼらしい財布ですが、Gパンの尻ポケットにはこれでいいのです。

小さいカレイのタパス

 この財布の前の財布は4回戻ってきましたが5回目にマドリードで掏(す)られました。それもボロボロになるまで使っていました。タイには大ガエルがいるのか、カエルの皮で作ったタイ製の財布でした。冗談みたいな話ですが、東京やマドリードでその財布をどこかに置き忘れましたが、いつも「帰って」きてました。カエルの皮のお陰か水にも強くて、Gパンごと洗濯機でうっかり洗いましたが型崩れはしませんでした。中の札もしっかりと水から守ってくれました。

コルデロ(子羊)のタパス

 僕は飲むと財布を忘れるので、カードやマイ・ナンバー・カードや運転免許証などは別にしています。じゃないと年中再発行です。いつもの飲み屋へ行くときは、小銭入れに数枚の札を入れれば足りるので、財布は持って行きません。それでも、僕はまだ財布を使うほうで、スペイン人の友達は使いません。札ごとポケットに入れて、小銭にもポケットです。いくら持っているのかが一目瞭然ですが、誰も気にしません。四月も終わりそうなのに、スペイン新政府は生まれません。もう4か月間も前内閣が引き続き政治をしています。前のブログに書いたように、再総選挙になりそうです。

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アセイツナ

2016-03-14 11:30:00 | スペイン日記

カンポ・レァルのアセイツナ

 アセイツナ(aceituna)とは日本でもバルのタパスでおなじみになったオリーブ(の実)です。我々の世代ではカクテルのマルガリータに添えてあったのが、初めてみたオリーブではないでしょうか・・・。スペインへ来るまでは、タパス・ランクとしてはかなり低い、とは知りませんでした。掃いて捨てるほどにあるのか、マドリードから南下するほどに頻繁に出ます。


 地中海沿岸ならどこでもオリーブ畑はありますが、大産地はスペインの南、アンダルシア州のハエン県(Jaen)です。赤茶けた土地の地平線の向こうまで続くオリーブ畑のパノラマには日本人なら誰でも「すげぇ~」と思います。僕がそれまでに見た地平線まで広がる耕地は北海道でしたが、オリーブ畑には温かみがあります。遠くから見るオリーブの木には丸みがあるのです。子供が描くように〇を描いて下に棒をつければオリーブの木です。


 オリーブの実は絞ってオリーブオイル、塩漬けにしてワインのつまみのオリーブになります。スペイン人も好きなのでしょう、庭にオリーブの木を植えている隣人は多いです。僕の庭にも一本ありますが、毎年4キロくらい採れます。冬にオリーブの塩漬けを作りますが、観賞用のオリーブの木なので、オリーブの実の種が大きくて果肉が貧しいのが欠点です。三つくらい齧って、ハエンのオリーブ一粒くらいの果肉量です。

庭のオリーブの木

 塩漬けそのものは漬物程度の手間ですが、その前の処理、実を苛性ソーダに漬けての渋抜きが面倒です。漬ける時間が足りないと渋いし、漬けすぎるとオリーブの味が薄くなりしょっぱいだけになってしまいます。苛性ソーダはヤケドをするので、ゴム手袋をはめての作業も面倒です。たかが4キロにそんな手間暇かけるのが、歳とともに億劫になりました。


 なので、マドリード産のオリーブを買ってしまいます。マドリード州の南東にカンポ・レァル(Campo Real)と言うオリーブの産地があり、そこの「浅漬け」を買います。「浅漬け」は「ハエン産」と比較して僕がそう評価するだけで、産地では普通のオリーブです。色がみずみずしいグリーンで、アンダルシアのオリーブ・グリーンやブラック・オリーブではありません。果肉が適当に歯ごたえがあり、厚いです。食事を作るときに僕は白ワインでボリボリと齧ります。


 ハエン産のオリーブとカンポ・レァルのオリーブの違いは、果肉の歯ごたえです。カンポ・レァルのオリーブは口の中で果肉を種から歯で剥がしますが、ハエンのは噛むだけで「スポッ」と果肉だけが種から外れます。カンポ・レァルのオリーブはオリーブの味で、ハエンのはオリーブオイルの味です。塩味はカンポ・レァルのオリーブほうが強いです。そこが難点だったので、庭のオリーブで塩分カットのオリーブを自分で作っていたのです。でも、健康志向キャンペーンのお陰か、カンポ・レァルのオリーブも塩味が薄くなりました。

カンポ・レァル村と丘の上の聖母カスティージャ教会。その後ろに広がるオリーブ畑

 そのオリーブの村・カンポ・レァルへぶらりと行ってきました。面白くない村でした。マドリード市内から車で40分くらいですが、平日のバルは閑散としていました。昼飯どきなのにマドリードの活気がないのは、仕事場―自宅が近いので帰って食べてるのでしょう、面白くもない。ブルーカラーは仕事の相棒とバルで定食(10ユーロ/1300円くらい)を食べながらひいきのサッカーチームの話に唾を飛ばすのが楽しみだったのが、ひと昔のスペインでした。


 ホワイトカラーはレストランで同じことをしていました。食後のコーヒーを席を立ってバルのカウンターで飲むと、リキュール一杯をオヤジ(店主)がサービスしてくれました。空いたテーブルには次の客が座れるので、オヤジには良い客なのです。カウンターで一杯やってると政治談議が始まっていました。それも昔話となりました。何故って? まだ新内閣ができていないのです。

聖母カスティージャ教会

 12月末の総選挙結果は国民党(右派)、社会労働者党(左派)、ポデモス党(極左派)、市民党(中道派)で議席を分け合いました。国民党のラホイ現首相は過半数の賛同を得るのは無理とみたので、首相選には出ませんでした。社会労働者党のサンチェス書記長が立候補しましたが、賛成は三分の一ちょっとでした。首相選は一回目は議席の過半数、2回目は賛成数が反対数を上回ることですが、2回とも反対されました。そこにたどりつくまでのひと月間のサンチェスの茶番劇は選挙宣伝をやってるようで、かなりの国民がうんざりしました。


 初めから結果は分かり切っていたのに、何のためにひと月も無駄にしたのか?です。国民党と社会労働者党の連立内閣でやろうと呼び掛けているラホイにサンチェスは全く耳を貸しません。4月末までに組閣できないと6月末に再選挙です。再総選挙費用捻出に特別予算を組まないとスペインの台所には金の余裕はありません。それに再選挙結果が今回と同じにならないとは誰も保証できません。ラホイもサンチェスも首相の椅子は諦めて、後任に譲ったほうが賢明です。

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