マドリーの恋人

ヤマダトミオ。 画家。 在スペイン45年。

トランプ爺さんは闘牛だ

2016-11-14 11:30:00 | スペイン日記

ざまぁみたか!をダブルサインするヤンキーを一面に載せたエル・ムンド紙

 スペイン人もトランプアメリカ大統領誕生にはビックリでした。ヒラリーの初女性大統領誕生を目論んで貿易関税の完全撤廃化を進めていたヨーロッパ連合(EU)の国々には“寝耳に水”でした。ヒスパニック系移民者を通してスペイン語をアメリカに広めているスペインにも悪影響はジワジワと出るでしょう。誰が見ていたのかは知りませんが大統領選の日、スペイン時間の夜中の1時から朝の9時まで、一晩中開票の進行ライブをスペインのテレビ局は放映をしていました。ご苦労様ですが、スペイン庶民がそんなものを一晩中見ていたとは思えません。マドリードのアメリカ大使館ではパーティーも兼ねての開票ライブをやっていました。マドリード市内だけが翌日は祝日だったとは言え、見たマドリっ子がいたらよっぽどの物好きです。


 それにしても元気一杯のヤンキー爺さん・トランプが出てきたものです。好き勝手なことをやってもその歳なら失うものはないでしょう。我々同世代としてはそこまでやるか!?ですが、老後の生き方としては満点です。財力も核ミサイルも美女も手中にしてしまったのですから羨ましい限りです。それに議会の上下院も牛耳れるので“合法的”かつ最強の独裁者になったのも同然です。あのヒトラーも墓場から世界の独裁者になったトランプ大統領を羨ましがっているでしょう。生きていて似ているのが北朝鮮の金正恩(キムジョンウン)ですが、彼にはレベルの違いが悔しいはずです。これからどんなとんでもないことをやらかすのか、と楽しみです。


 共和党員も合衆国議会も大統領就任後しばらくはトランプに暴走をさせておいたほうが賢明です。スペインの闘牛も暴れさせておけば疲れますし、トランプはもう年寄りなので息切れを始めます。ちょうど“いい子お利口さん”大統領にはうんざりしていたので面白くなりました。暴れ過ぎれば、あのレーガン元大統領の時のように誰かがピストルで必ず撃ちます。ケネディの時のように自国の大統領も殺してしまうような国ですから、自然にブレーキがかかるでしょう。イギリスが欧州連合から“ブレグジット”したようにアメリカが世界から“アメグジット”したと思えばいいのです。


 アメリカが居なくなった暫くの間、我々は我々だけでやって行けばいいのです。アメリカ人は寂しがり屋なので、世界から仲間はずれにされたら彼らから寄り添ってきます。そこがイギリス人との違いです。時々ネットで“トランプショー”が観られれば、こんな楽しい老後の暇つぶしはありません。ドンドンやって下さい、トランプ爺さん!


 さて、スペインは111日の「トドス・ロス・サントス(Todos los Santos)」の祝日を挟んで、首相の選任と国王による承認や新内閣誕生がせわしくありました。やっとスペイン新政府ができました。「トドス・ロス・サントス」とはキリスト教の“諸聖人の祝日”ですが“スペイン版お盆”と思えば我々日本人には分かり易いです。

ブニュエロ

 庶民が年に一度墓参りをして、墓を掃除して花を添える日です。で、この日のお茶菓子が写真のブニュエロ(buñuelo)なのです。中には生クリームやチョコレートクリームが入った揚げ菓子です。やっと10か月ぶりにスペイン新政府が誕生しましたが、長い道のりでした。新年のブログ「2016年、よろしくお願いします」で総選挙(一回目)があった話とその選挙結果を書きました。でも組閣に至らなかったので再総選挙(二回目)が行われました。6月の末でした。


 前回と大差ない選挙結果だったので夏のヴァカンス中も組閣に向けて政党の間では折衝が繰り返されました。芳しい進展なく、このクリスマスには三回目総選挙になりそうな雲行きでした。が、前回のブログに書いた「社会労働者党(PSOE)の書記長の引きずり降ろし騒動」で雲行きが大きく変わりました。国会における首相選に立候補した国民党(PP)のラホイ前首相が社会労働者党議員の棄権のお陰で首相に再選されました。そのほぼ一週間後に新内閣が生まれました。ラホイ首相を含めた14人の内閣で、6人が新任大臣です。女性大臣は5人です。

ラホイ新内閣誕生

 やっとこぎつけたスペイン新政府ですが、法案ごとに各党との折衝になるのは避けられないので短命で終わるかも知れません。その新政府がぶつかったのが“トランプ大統領誕生”でした。それにしても、一年近くの間の“暫定内閣”は法案可決権もない“無政府”同様でした。でも、庶民は毎日仕事をし、子供は学校へ行き、スペイン経済は上がりました。戦争さえなければ、“国”って結構“政府なし”でもやっていけるのはないでしょうか・・・?


 そうそう、闘牛って突進しかできないので、闘牛士に殺られるのです。昨夜のTVニュースです。“トランプ大統領誕生”でアメリカ人がしたネット検索数のトップは「シェルター」でした。スペイン人は「メラニアのヌード」でした。(⌒▽⌒)アハハ! 僕はスペイン人です。

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叩けばホコリ

2016-10-11 17:30:00 | スペイン日記

マドリードの北、グランハ宮殿の秋の庭です

 残暑のきつかったのが9月の初旬でした。ところが急変してマドリードの山には初雪が降りました。オイオイ、冗談はよしてくれよ、と冬物を出したら再び夏に戻りました。コロコロとお天気が変わっても若い子はへそを出したままですが、年寄りは一枚羽織るかワインを一杯やって中から温めないとやっていけません。


 爺臭い話ですが、僕なんかには血圧の上下が心配になるのが季節の変わり目です。春と秋は早目に安定して欲しいので、やっと“日中シャツ一枚/朝晩セーター”のマドリードの秋に落ち着いたので一安心です。暖炉を焚くどころか暖房も要らない程度の朝晩の心地よい冷え込みを味わえるのがマドリードの10月です。ほんの一週間程度の秋で、月末には冬時間になります。今のサマータイムが1時間遅くなります。


 街のギャラリーも2016-2017の展覧会が始まり、届くメール案内が増えました。学校も新学期が始まったので、車が異常に混みます。家の周りには学校が多いだけではなく保育園や幼稚園も多いので(ざっと数えても散歩する範囲には10校はくだらない。ちなみにうちの隣家には保育園になっている家もあります)、朝の9時前後は車の渋滞で身動きがとれません。


 日本は小学生でも定期券をぶら下げて一人で“電車通学”しますが、マドリードでは保護者(家族かお手伝いさん)の送り迎えが義務です。車で来るのが多く、なかには一人の親が自分の子の同級生も乗せて来ています。交代で送り迎えをしているのでしょう。こうなると車道だけではなく歩道も車に占拠されるので歩けません。この“登校渋滞”は朝の一時だけで下校時は部活もあるのか緩いです。近所の住民は迷惑ですが、自分たちの子供もその恩恵に授かっていた時もあったので警察に届けたりはしません。仕方ないので車で出かける時は10時過ぎにします。幸い、画材屋や絵描き関係のものは10時オープンです。日本での“新しいスタート・春”がヨーロッパでは“新秋”なのです。

引きずり降ろされたサンチェス前書記長

 一向に新学期にならないのがスペインの政府です。いまだに前政党・国民党が政権を引き継いでいます。2回も総選挙をやったのに組閣できない話はすでに書きましたが、ここにきて進展がありました。国民党(ペーペー/PP)の再組閣を阻んでいたスペイン社会労働者党(ペーセーオーエ/PSOE)のトップ、サンチェス書記長が引きずり降ろされました。党内の反サンチェス派のクーデターです。直ちに緊急委員会がもたれ、マドリード市内にある党本部に集まった200人程度の委員たちの反対派と賛成派(政敵・国民党のラホイ内閣設立にイエスかノーか)に分かれた罵倒の投げ合い会議は(半)生中継でメディア(TV、ラジオだけではなくネットも)が“料理”しました(いい加減な火加減、適当なスパイスでした)。


 面白そうだったので僕もテレビの前に座ってサッカー試合を観るように観ていました。ワイン片手で。もちろんメディアはシャットアウトの委員会でしたがスマホで“ライヴ”を流した委員も居たので、次期書記長候補のアンダルシア自治州の首長・ディアス女子が混乱ぶりに泣き出したのもメディアに漏れました。党内部がそうなら、党本部前では党員同志の路上バトルとなりました。137年もの歴史をもつスペイン最古の政党はみっともない内ゲバ劇を披露してしまいました。

路上バトル

 党の歴史に泥を塗った顛末にはボチョルノッソ(Bochornoso/恥ずべき)のスペイン語がメディアの与えた“輝くタイトル”でした。常識で考えても、党をまとめられないサンチェスには一国の首相になる資格はないでしょう。書記長なしの社会労働者党は次回の党総会までは暫定委員会が運営をします。その委員長が、取り敢えず政治を続けているラホイ首相(国民党)と話し合いを始めたので再び首相任命選が国会で行われそうです。1031日までに新内閣が誕生しないと、クリスマス前に3回目の総選挙です。有権者は冗談じゃない、と言ってるし、そうなったら社会労働者党は潰れるかも知れません。


 前サンチェス書記長は選挙のたびに議席数を減らしたのに自己反省“全くなし”でした。責任を取っての辞任の「じ」の字も出ないので、いつかは強硬手段を使われるのでは? と誰でも思っていた矢先の“引きずり降ろし”でした。二回目の総選挙で、とうとう史上最悪の84議席数まで減らしただけではなく、ついこの間のバスク州、ガリシア州の地方選でも“ぼろ負け”をしました。責任を取らないサンチェスに政治的危機を感じただけではなく経済的にも党の維持の危機感を、多くの州の首長たちや中央委員たちは感じたようです。

社会労働者党の歴代書記長。今でもドンのゴンサレス(中央)、スペインの財政破綻危機をつくったサパテロ(右)、首相になりそこなったサンチェス(左)

 国から貰う党資金は獲得議席数に比例します。今までの110120議席でもやり繰りがきつかったのに84では首を絞めかねないのは誰でも分かります。党の銀行借金は7500万ユーロ(ほぼ90億円)ですが、利子を6%から3%まで下げて貰ったので党本部の不動産売却を免れているようです。クーデターのほとぼりが冷めたら、サンチェス前書記長がカタルーニャ社会党(ペーセーセ/PSC)を使ってカタルーニャ独立派の政党群と組んで首相の座を手に入れようと目論んだ疑惑が出てきました。


 スペイン社会労働者党は「一つのスペイン」がマニフェストで、カタルーニャ州独立/分離には反対です。10月末の冬時間に変更までは“叩けばホコリ”の「サンチェス・ニュース」の毎日になりそうです。スペイン社会労働者党は真二つに割れただけではなく、割れたそれぞれも“党のマニフェストをズタズタにして忠誠心はバラバラ”の内部状態だそうです。

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人生はゴミの仕分けの為にあるのではない

2016-09-15 12:00:00 | スペイン日記

フィデウア

 「人生はカロリー計算の為にあるのではない」はスペインのマヨネーズメーカーのキャッチフレーズと言うかコピーで20年以上も続いています。「うちの低カロリーマヨネーズを使えば太りませんよ」と歳の割にはウエストの細いおばさんがテレビ画面で微笑みます。「お買い上げ商品がご満足でなければ代金をお返へしします」もあるデパートの30年以上も続くコピーです。低カロリーマヨネーズの味が嫌いなので僕は高カロリーマヨネーズを使ってます。スペイン人のように“何でもマヨネーズ”ではないので、ノープロブレムです。デパートはバーゲンの時に「取りあえず買っておく」の時は重宝します。


 おっと、話はキャッチコピーではなかった。用事があったので、短期間日本に帰国をしていました。僕は極力“日本への夏帰国”を避けて46年間マドリードに住んでいます。夏も乾燥したマドリードで「お前はナメクジか?」と言われようが、暗い部屋でじっとして居れば40度を超える酷暑を生き延びてこられました。「ナメクジに塩」に当たる塩が僕には日本の蒸し暑さなので、それを遠ざけて生きて来ました。しかし、来年にも、この秋にでも先送りできない用事ができたので夏に帰りました。なぜかオリンピックの年の8月にぶつかります。前回の夏帰国は4年前のロンドン・オリンピックで、今回はリオ・オリンピックでした。


 日本選手の活躍のニュースを見ながら、用事を片付けました。日本の夏はちょっと動いただけでもTシャツが汗でびっしょりです。なのに役所は省エネで“なま暖かい”ので参りました。お化けは出ませんが台風が出て来たときの「湿度が90%」には聞いた耳を疑いました(マドリードへ帰ってスペイン人に話しましたが信じてもらえなかった)。


 マドリードでは汗をかいても日陰でビールでも飲んでいれば乾きます。夏はビールですが、飲み方と言うのか体の求め方が違います。乾燥したマドリードでは喉が渇くので潤すために体がビール(水分)を欲しがります。蒸し暑い日本では口の中(舌が)が冷えたものを感覚的に求めるので、僕はビールです。ビールかけたかき氷でも良いです。どっちにしろビールを飲みすぎて、一週間で4キロも太りました。日本のビールはホップの違いでしょうか、飲みやすいので水代わりでした。


 僕はマドリードでは毎日ハイネケンのビールですが、日本の漬物に合ったのがエビスビールで、飲みやすかったので毎日飲んでいたのはアサヒのドライでした。まずかったのはサントリーのモルツでした。涼しい国で飲むビールと亜熱帯の国では好みの味が違うし個人の好みも違うので、あくまでも僕の好みです。値段はスーパーで買う缶ビールはマドリードの2倍、店で飲むと3倍でした。日本は酒税が高すぎます。

塩を敷いて焼くヴェントレスカ

 うんざりしたのは日本のゴミ処理でした。飲んだビール缶は中もすすいでアルミ缶専用のゴミ袋へ、鉄の缶は別のゴミ袋へ捨てます。ビンも色で分別するのには???でした。家庭のゴミの仕分けが細かすぎます。マドリードは大雑把に分けて回収して、細かい仕分けは処理場の人の仕事です。ベルトコンベヤーに流れるゴミを彼らが仕分けます。そのために地方税を納め必要ならゴミ税も払います。スペイン人が日本の家庭ゴミ処理を体験したら「人生はゴミの仕分けの為にあるんじゃないよ」でしょう。怒られそうですが、せっかく仕分けしたゴミも津波に襲われたら海でごっちゃになります。それと購買意欲を失わせます。


 急いでの帰国だったので、着るものをユニクロで頭から足まで揃えました。海水パンツとビーチサンダルだけで事足りるところですが、バスや電車が異常に冷えているので“防冷用”が必要でした。シャツやズボンの包装ビニールも、靴の箱も捨ててもらって中身だけを買って帰りました。仕分けするゴミが減りました。スーパーで材料を買って家で料理をするとかなりの包装ゴミが出ます。外食したほうが楽だし安上がりです。これでは味は平均化してしまい、旨くできたり不味かったりの家メシの楽しみも無くなります。

 パエジャのパスタ版、フィデウア(Fideua)を作るのでマドリードから材料を持ち帰りました。材料には日本にはないパッケージのもありました。仕分けが分からず、細かく切り裂いて生ごみで捨てました。何か日本文化が先細りしそうです。4年後のトウキョウ・オリンピックを思うと、日本人が出来ることを外国人もできるとは思わないほうがいいです。 “日本人社会だけで通用する几帳面ぶり” を無理矢理押し付けると“世界のスタンダードからかけ離れた特殊な国、ニッポン”と嫌われます。


 じゃ、どうすればいいの?となります。外国人労働者を受け入れて、彼らから異文化のベース(感覚的相違です)をどん欲に吸収して分別して日本文化に植え付けます。古来からの日本文化が消えるどころか世界でも受け入れられるようになったのは、日本人がそれを継続しながらも異国文化との融合を賢く仕上げたからです。それは「和風」として外国人にも受け入れ易くなったのです。以前は日本人が外国へ出向き異文化を吸収してきましたが、今は外国人を集団で入れて学ぶしか時間的余裕はありません。それは次世代のメイド・イン・ジャパンの「人工知能を持ったキカイ」を世界の異文化の人々にも買って貰うには不可欠の研究です。


 すでに日本で洗濯機や車を製造してる時代ではなくゴミの分別を住民にやらせてるのんきな時代でもありません。マドリードに戻ったらまだ40度の残暑でしたが、友達を呼んで夜にバーベキューをしました。ヴェントレスカ(Ventresca)と呼ぶカツオのカマ、仔羊、スペインリブを焼きました。もうもうと出る煙の中で焼くバーベキューは人工知能のキカイにはまだハードルが高いと思います。食べ終わった後のゴミの仕分けは簡単でした。日本だったら“仔羊の骨と豚の骨は別々のゴミ袋です”と白い目で見られそうですが、ここはマドリードで良かった。

スペアリブ

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ジジイたちのスペイン旅行 6

2016-08-11 16:30:00 | スペイン日記

さらばリスボンの街

 旅の最終日です。リスボンからマドリードまでの帰路は700キロです。突っ走れば6時間たらずですが、老人は食事やコーヒータイムだけではなくトイレ回数も多いので7時間か8時間のドライブになります。時差があるので、リスボンを午前9時に出発してもマドリードの時間ではすでに午前10時です。スペインの夕飯時間(夜9時です)までに戻りたいのですが遅くなってもノープロブレムです。


 カゼは治りましたが寝坊をしました(なぜ旅に出ると寝坊をするのか?)。僕が起きたときには友達はすでに着替えを済ませていました。先に朝食に上がって貰い(レストランは最上階です)、僕が席についてから地図を広げました。マドリード着の希望時間を友達と話し合い予定通りに着いたら日本レストランで夕食(で釣った訳ではありません)だぁ、となりました。話がまとまったら出発です。


 僕の荷物は友達に頼み、レストランからフロントへ降りてチェックアウトをしました。フロントにはいつもの親切なおっさんの代わりに女の子二人でした。一人はスペイン語も話す女の子で、私が車を玄関へ持ってきます、とガレージへ降りてくれました。残った女の子はどこから見てもブラジル人(100%)で、スペイン語は上手ではありません(レアルのロナルド程度です)。でも気になっていたホテルの名前について彼女に聞きました。

(僕)このホテル、昔は違った名前じゃなかった? 

(ブラジルの女の子)ええ、そうです。昨年ボヤが出て今年リニューアルオープンした時に名前から全てが変わりました。

これで僕がマドリードから電話をしても通じなかった訳も、部屋は隅々までピカピカでモダンなのも分かりました。

ロッシオ広場

(ブ)宿泊はいかがでした?

(僕)場所が便利だしサービス(ウエルカムフルーツや花やワインから頼んだ雑用まで)も良かったのでまた来ます。

(ブ)有り難うございます。次回は割引をします。

僕は割引券でもくれるのかと思ったら、ブラジル女の子がパタパタとパソコンを叩いて、

(ブ)ヤマダ様を顧客リストに登録しましたので、いつでもいらしてください(後日メールでそのサービス案内が届きました)。


 話の弾みとは言え、また来なくてはいけなくなりそうです。車を取り行ってくれた女の子ですが、ミニバンはシートが高いのでしきりにスカートの裾を気にしていました。チップを渡したら恥ずかしそうに喜んでくれました。荷物を積んでさらばリスボンですが、教えてもらったホテルからの出路はさながらジェットコースターでした(45度の坂を下り終わったらヘアピンカーブ)。でも、大通りに出たので、あとは来た道を引き返すだけです、楽勝です。


 左手の遠方には来た時に渡った赤い橋が小さく見えます。あれを渡ればあとはスペインへは一本道です。ところが進めども橋に出ません。僕は方向音痴ですが、右に曲がるか左に曲がるかくらいは分かります。左に曲がる標識は現れず道なりに直進を続けています。道路標識には来た時の国道の番号が出ません。友達もおかしいと気づきました。

観光タクシー

 マップを引っ張り出したら、このままではヨーロッパ大陸の最西端のロカ岬まで行ってしまいます。ロカ岬は夕日鑑賞の観光スポットで有名ですがまだ太陽は頭上です。日没観賞は巨大なオレンジを半分に切ったマドリードの夕日で十分です。どうやら来た時にくぐった地下トンネルを再びくぐったのが失敗のようでした。帰りは地上のロータリーを通るべきだったようです。やはり、ネットのミシュランガイドで帰りのルートも確認すべきでした。詰めが甘かったです。


 ノートパソコンもスマホもWi-Fiを払ってまでは使わないだろうとマドリードに置いてきました。ガラケー一丁で来ました。せめてナビ(イベリア半島はカバーです)を引っ張り出してセットすべきでした。仕方ないので、料金所でスペインへ行く道を聞きました。

次の出口でおりて「リスボン」標識に従ってUターンして下さい。OK。

それにしても、ポルトガル有料道路の料金はいい加減です。このミツビシは○○?と僕の知らない車種を聞かれたので適当に答えたら、料金が半額に下がりました(ということは反対もありえます)。次の出口で降りたら避暑地風の村でした。再び有料道路に戻れましたが、有料道路を用もないのに行ったり来たりしていたら、その無駄金でビールが飲めます。


 料金所で再び払い、スペインへ戻りたいのでぇ~す、と叫んだら、ルッタ・スル(ルート南)の標識に従ってくださぁ~い、と返ってきました。そのルッタ・スルに入ったら、頭上の標識に国道の番号がずら~と並んでました。地元の人は国道名で分かるけど、ガイジンには国道ナンバーではないでしょうか(くそ~)。結構時間をロスしましたが、やっと橋を渡れました。来た時はガタガタとうるさいと罵った橋の音が天使の奏でるハープの音に聞こえました(旅のあと隣人から新しい橋があるのを教わって、ガックリ)。


 ガラガラの高速道路をひたすらスペインへ、東へ向かいました。国境を越えた時は我が家へ戻ったようにホッとしてガラケーをオンにしました。最初のガソリンスタンドで給油をしました。マイナーなスタンドで聞いたことのない名前のガソリンを売っています。きっと大手よりも安いのでしょう(スペインではガソリンはオープン価格です)、ポルトガルの車も給油に来ています。コンビニも兼ねたレジは田舎のスーパーですが、どう見ても薄汚い倉庫です。ポルトガルからスペインへ戻ると汚い国だなぁ、と思います。

坂道だけじゃなくて階段もあり

 バルでアイスコーヒーを飲みながらトイレ休憩です。友達に運転を代わってもらい、僕は寝ました。これならスタンドでビールを買えばよかったです。緑が多かったポルトガルの車窓が黄土色の景色になりました。炎天下なので刈り取られた麦畑は風に吹かれると銀色の波のように輝き、海のようです。スペインに戻れば何があっても大丈夫、と言う安心感は心地よい眠りを誘いました。起きたらちょうど昼時なのでドライブインへ入りました。朝食を食べすぎたうえに座りっぱなしです、軽くつまむ程度にしました。


 このスペイン高速5号線(ポルトガル街道)は比較的平坦なのでスピードオーバーをしがちです。うっかりするとスピードメーターは140160です。周りは建物も看板も木もないあけっぴろげの荒野なのでスピード感覚がありません。そんな老人が運転するミニバンを追い越していく車はきっと若いドライバーでしょう、大方はポルトガルナンバーです。時速200キロ近くなのであっという間に小さくなります。


 時速120キロが“一応”制限スピードですが意味不明(僕には)に時速100キロの区間があり、必ず頭上に“ネズミ捕り”の白いカメラボックスがあります。良心的と言うのか「レーダー設置」の電光パネルが必ず出ます。こうしないとスペインではスピード違反の罰金は無効になります。交代で運転をしながらひたすらマドリードを目指しましたが市内に入る手前で帰宅渋滞に巻き込まれました。反対車線も金曜日の夕方なので週末を郊外で過ごす車で渋滞でした。にっちもさっちも行きません。旅の最終ステージのノロノロ運転にはうんざりします。

大道芸人とテラス

 家に着いた時はリスボンから8時間ちょっとでした。まずは台所で冷えたビール、次に シャワー、いざ日本食です。もう運転はしたくないのでバスで街中へ行きました。日本レストランで、まずはビールで無事に戻った乾杯をしました。45日で走行距離は2000キロでしたが事故もなく車の故障もなしです。クーラーをガンガン回しながら高速道路を走りっぱなしだったので、エンジンにはご苦労様です。古くなってもさすが日本車です。久しぶりの日本食なので冷ややっこ、焼き鳥などをつまんで、鉄火丼を食べました。地中海マグロが山盛りでした。あまり飲んではいないのでバルで一杯ひっかけようと思いましたが友達は眠そうな顔なので大人しく帰宅しました。

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ジジイたちのスペイン旅行 5

2016-07-30 12:30:00 | スペイン日記

ジェロニモス修道院(左が整列をした消防隊員)

 昨夜のリスボンの冷たい海風と部屋のエアコンで夏カゼをひき、起きたら寒気がして頭がボ~としています。友達は「富山の薬売り」のように全ての常備薬を背負って歩く男なのでカゼ薬を貰って朝食の時に飲みました。あいにくこのホテルの朝食にはシャンパンはなくて、飲み物は水と豊富な種類のジュースでした。軽い夏風邪には朝からシャンパンを一杯ひっかけるとアスピリンの代わりになります。

 今日は一日リスボン観光のつもりですが、頭が回転しません。まずはジェロニモス修道院(Mosteiro Dos Jeronimos)を見学しようと、メトロと近郊電車を乗り継いでベレン(Belem)へ行きました。ホテルの隣がメトロ駅なので便利ですが、メトロの自動販売機ではどこまで買うのかが分からなので切符売り場で聞きました。JRのスイカの代わりになるリスボン・カードがありますが、買うにはツーリスト・インフォメーションまで行かねばなりません。面倒くさいのでやめました。

礼拝堂

 メトロはマドリードのメトロよりも清潔でしたが乗ったのはたった一駅で、終点でした。アホらしい、歩くほうが簡単でした。相互乗り入れではなかったのです。次は近郊電車の切符を買わなければなりませんが、行き先と人数を言ったのに、切符売り場の駅員が僕に何を聞いているのかが分かりません。でも前に並んでいたドイツ人カップルが英語で言っていた内容を聞いていたので、適当にスペイン語で答えると往復券が出てきました。

 どうやら、往復券が割安になりますよ、リスボン・カードを持っていますか、他のツーリスト割引券は、年金カードは(これは想像です)、と爺さん(僕です)に親切をしてくれていたのです。僕としては、何でもいいから早くしてくれ! でした。改札口は上だ、と言うので上がったらそこには外国人でも簡単に買える自動販売機が並んでいるではありませんか!結局、下のメトロの出口にあった緑色の切符売り場は何だったのか? カゼで回らない僕の頭を混乱させられただけです(くそ~)。

中庭

 電車の中では次の停車駅の音声案内や駅名がパネルに出ますが、スマホ片手のツーリストも結構乗っていました。彼らが降りる駅で降りて彼らがゾロゾロと歩いて行くほうについて行ったら修道院に着きました。でかい修道院はマドリードの北・エル・エスコリアルにあるサン・ロレンソ修道院がその馬鹿でかさ(だけで)で有名ですが、ジェロニモス修道院の大きさにも驚きました。今日は消防の日(防火の日ではなさそう)なのでしょうか、入口の横では整列した消防隊員の前で楽隊が演奏中でした。昨夜の寒さが嘘のような炎天下では制服は辛そうです。ツーリストはTシャツ一枚です。

発見のモニュメント

 おっと、修道院の見学でした。礼拝堂は天井の高さから察するとゴシック様式ですが、柱と天井はヤシの木が開いたみたいです。あまり直線的ではないところがポルトガル風ゴシックなのでしょうか? 中庭を囲む回廊の装飾も丸みをおびて、何となく海洋民族好みです。中央ヨーロッパとは異なる趣です。クリスチャンには修道院や教会の各宗派の違いが理解できるのでガイドブックを読みながら熱心に見学をしていました。僕には教会も入れ物としての建物なので、観光客も多い(それも団体ツアー)ので細部の見学は省きました。

 出ると外ではまだ消防隊が整列を続けていました。炎天下を“発見のモニュメント(Padrao Dos Descobrimentos)”まで歩きました。エンリケ王子の像がある巨大な航海記念塔を見て、このベレンの街には数回来ていたのを思い出しました。煩わしい切符の想い出がないのは、きっと車で来たのでしょう。たぶんここに泊まっていたかも知れません。歩いている途中にあったチョコレート屋に見覚えがありました。頭が回らないのですが数十年も昔のことです。

ケーブルカー

 城みたいな灯台のベレンの塔(Torre de Belem)は離れているのでやめて、ベレンの名物お菓子エッグタルト(パステル・デ・ナタ/pastel de nata)を食べに行きました。この店・パスティス・デ・ベレン(Pasteis de Belem)は奥が広いので、アイスコーヒーを飲みながら座って食べました。入口には外国人ツーリストが並んでいましたが、立ち食いよりはコーヒーと一緒のほうが美味しいです。クリームよりもパリパリの皮(生地です)が気に入りました。

 まだランチには早いので、アルファマ(Alfama)へ行くことにしました。チンチン電車に乗ってサン・ジョルジェ城(Castelo San Jorge)へ行くつもりです。近郊電車で終点まで戻り、メトロには乗らずに市電の停留場まで歩くことにしました。マップでは短距離ですが坂道で(地図では分からない)、おまけに上り坂でした。後で思い出したのは、その坂道の二本横の坂道にはケーブルカーがありました(くそ~)。おまけに僕らが降りた終点駅の隣は市場で、周りには美味しいレストランが沢山あることも思い出しました。やっとカゼが治ってきたようです。

黄色いチンチン電車

 日陰を探してゼイゼイ言いながら停留場まで上りました。黄色いチンチン電車の座席は古い木製で、チンチンと警笛を鳴らして走ります。途中からワルガキたちが出口のステップに飛び乗ってきて、無賃乗車です。きつい上り坂の手前で路上のオマワリに見つかって、お前ら、降りろ!と怒鳴られました。その逃げ足の速いこと、アルファマの路地に消えていきました。そのきつい坂のカーブを登った処で降りました。そこからは近道を抜けてサン・ジョルジェ城まで登りました。

サン・ジョルジェ城の城壁

 城は城壁が残っているだけですが、リスボンの街を一望できます。アルファマは昔のままの建物に挟まれた路地が残る異国情緒溢れるところです。夜にバルをはしごしながらの散歩は楽しいのですが、真昼間の短パン姿のツーリストでごった返すアルファマはゴメンです。坂道をブラブラと下ったらエレベーターがありました。隣はテラスバーなので大ジョッキでビールを飲みながらリスボン・タパスの盛り合わせを昼代わりに食べました。ハトもつまみに来るので、追い払いながら食べました。そのエレベーターで下がったところにスーパーがあったのでついビールやツマミを買ってしまいました。異国でスーパーや市場があるとつい覗いてしまうのが僕の癖です。ホテルへ戻り僕は昼寝をして、友達は乗り損なったケーブルカーに乗りに行きました。

ポルトガルの街

 夜はファドを聞きに行きました。昨夜の“ハズレ~”があるので、ディナー付のファドをホテルで予約をしてもらいました。ホテルから歩いて10分たらずのファイア( Faia)でした。壁にはギターやファド・ギター(小型ギター)が飾られ、VIP客の写真と一緒に歴代の名ファド歌手の写真も並んでいます。“南欧の居酒屋”風で、ステージがあるわけではなく中央のアーチの下にそれらしきスペースがあります。

テージョ河とコメルシオ広場

 まずは夕飯です。カゼはすっかりと治り、頭はフル回転します。友達にポルトガルの名物スープを味わって欲しいので、ショーのセットメニューはやめてアラカルトにしました。日本の味噌汁の味を思い出させるカルド・ベルデ(Cardo Verde)がそのスープです。キャベツを煮込んだスープですが、スペインのキャベツで作っても同じ味になりません。

 その次はアロス・デ・マリシュコ(Arroz de Marisco)です。土鍋で煮込んだ魚介類のリゾットです。ところが、当店のは土鍋ではなくて、ポルコ(Porco/豚ロースの炭火焼き)との大皿盛り合わせです、とウェイターが言います。スペイン語の上手なウェイターが説明をしてくれたので、それでOKにしてワインはアルバリノにしました。それにしてもエビと豚の素材としての組み合わせに日本人は??ですが、ポルトガル郷土料理には豚とアサリのワイン味ソテーもあるので彼らには普通のようです。

ファイアの入口

 スープは三人分ですがリゾットは二人分にしました。濃厚なエビミソの味がコメに染み込んだリゾットはあまりにも美味しかったので、皿に残ったのもパンですくって食べてしまいました。そのパンも美味しかったのでお代わりをしてしまったほどです。そのリゾットが出てきた頃に一番手の歌手がファドを歌い始めました。ポルトガル語は分からないのですが、いい声です。

 スペイン人があまりファドは好きじゃない、聴きに行かないよ、と言うのはポルトガルのスペインに対する恨みの歌だからだそうです。本当だとすれば、韓国人が日本の植民地時代の恨みを歌うようなものでしょうか。そりゃ、誰だって金を払ってまでして昔の愚痴を聴きたくもないでしょう。フラメンコのカンテ(歌)の“絞り出し”と比べると穏やかな歌い方ですが腹の底から歌うのが似ています。

 

ファドの歌手

 歌手は一人が持ち歌を2曲くらい披露して、歌い終わったら次の店へ行くようです。ギター弾き二人は店のお抱えのようです。数人が歌った後、食後のコーヒーを飲んでいると帰る客も出始めました。くだんのウェイターが、次に当店の真打が出ますのでまだ帰らないほうがいいですよ、と教えてくれました。最後の歌手は陽気で、しめくくりはポルトガル語と英語で客も一緒に大合唱でした。

 外に出ると昨夜ほど寒くなくて、バルは若者で溢れかえっていました。“頭がボ~”で始まった日なので、カメラは部屋のベッドに忘れました。メイドがナイトテーブルに置いてくれました。なので、リスボンの写真は僕の友達が撮りました。

若者たちで溢れる夜のバイロ・アルト(ファドの店が並ぶ通り)

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