マドリーの恋人

ヤマダトミオ。 画家。 在スペイン45年。

ジジイたちのスペイン旅行 6

2016-08-11 16:30:00 | スペイン日記

さらばリスボンの街

 旅の最終日です。リスボンからマドリードまでの帰路は700キロです。突っ走れば6時間たらずですが、老人は食事やコーヒータイムだけではなくトイレ回数も多いので7時間か8時間のドライブになります。時差があるので、リスボンを午前9時に出発してもマドリードの時間ではすでに午前10時です。スペインの夕飯時間(夜9時です)までに戻りたいのですが遅くなってもノープロブレムです。


 カゼは治りましたが寝坊をしました(なぜ旅に出ると寝坊をするのか?)。僕が起きたときには友達はすでに着替えを済ませていました。先に朝食に上がって貰い(レストランは最上階です)、僕が席についてから地図を広げました。マドリード着の希望時間を友達と話し合い予定通りに着いたら日本レストランで夕食(で釣った訳ではありません)だぁ、となりました。話がまとまったら出発です。


 僕の荷物は友達に頼み、レストランからフロントへ降りてチェックアウトをしました。フロントにはいつもの親切なおっさんの代わりに女の子二人でした。一人はスペイン語も話す女の子で、私が車を玄関へ持ってきます、とガレージへ降りてくれました。残った女の子はどこから見てもブラジル人(100%)で、スペイン語は上手ではありません(レアルのロナルド程度です)。でも気になっていたホテルの名前について彼女に聞きました。

(僕)このホテル、昔は違った名前じゃなかった? 

(ブラジルの女の子)ええ、そうです。昨年ボヤが出て今年リニューアルオープンした時に名前から全てが変わりました。

これで僕がマドリードから電話をしても通じなかった訳も、部屋は隅々までピカピカでモダンなのも分かりました。

ロッシオ広場

(ブ)宿泊はいかがでした?

(僕)場所が便利だしサービス(ウエルカムフルーツや花やワインから頼んだ雑用まで)も良かったのでまた来ます。

(ブ)有り難うございます。次回は割引をします。

僕は割引券でもくれるのかと思ったら、ブラジル女の子がパタパタとパソコンを叩いて、

(ブ)ヤマダ様を顧客リストに登録しましたので、いつでもいらしてください(後日メールでそのサービス案内が届きました)。


 話の弾みとは言え、また来なくてはいけなくなりそうです。車を取り行ってくれた女の子ですが、ミニバンはシートが高いのでしきりにスカートの裾を気にしていました。チップを渡したら恥ずかしそうに喜んでくれました。荷物を積んでさらばリスボンですが、教えてもらったホテルからの出路はさながらジェットコースターでした(45度の坂を下り終わったらヘアピンカーブ)。でも、大通りに出たので、あとは来た道を引き返すだけです、楽勝です。


 左手の遠方には来た時に渡った赤い橋が小さく見えます。あれを渡ればあとはスペインへは一本道です。ところが進めども橋に出ません。僕は方向音痴ですが、右に曲がるか左に曲がるかくらいは分かります。左に曲がる標識は現れず道なりに直進を続けています。道路標識には来た時の国道の番号が出ません。友達もおかしいと気づきました。

観光タクシー

 マップを引っ張り出したら、このままではヨーロッパ大陸の最西端のロカ岬まで行ってしまいます。ロカ岬は夕日鑑賞の観光スポットで有名ですがまだ太陽は頭上です。日没観賞は巨大なオレンジを半分に切ったマドリードの夕日で十分です。どうやら来た時にくぐった地下トンネルを再びくぐったのが失敗のようでした。帰りは地上のロータリーを通るべきだったようです。やはり、ネットのミシュランガイドで帰りのルートも確認すべきでした。詰めが甘かったです。


 ノートパソコンもスマホもWi-Fiを払ってまでは使わないだろうとマドリードに置いてきました。ガラケー一丁で来ました。せめてナビ(イベリア半島はカバーです)を引っ張り出してセットすべきでした。仕方ないので、料金所でスペインへ行く道を聞きました。

次の出口でおりて「リスボン」標識に従ってUターンして下さい。OK。

それにしても、ポルトガル有料道路の料金はいい加減です。このミツビシは○○?と僕の知らない車種を聞かれたので適当に答えたら、料金が半額に下がりました(ということは反対もありえます)。次の出口で降りたら避暑地風の村でした。再び有料道路に戻れましたが、有料道路を用もないのに行ったり来たりしていたら、その無駄金でビールが飲めます。


 料金所で再び払い、スペインへ戻りたいのでぇ~す、と叫んだら、ルッタ・スル(ルート南)の標識に従ってくださぁ~い、と返ってきました。そのルッタ・スルに入ったら、頭上の標識に国道の番号がずら~と並んでました。地元の人は国道名で分かるけど、ガイジンには国道ナンバーではないでしょうか(くそ~)。結構時間をロスしましたが、やっと橋を渡れました。来た時はガタガタとうるさいと罵った橋の音が天使の奏でるハープの音に聞こえました(旅のあと隣人から新しい橋があるのを教わって、ガックリ)。


 ガラガラの高速道路をひたすらスペインへ、東へ向かいました。国境を越えた時は我が家へ戻ったようにホッとしてガラケーをオンにしました。最初のガソリンスタンドで給油をしました。マイナーなスタンドで聞いたことのない名前のガソリンを売っています。きっと大手よりも安いのでしょう(スペインではガソリンはオープン価格です)、ポルトガルの車も給油に来ています。コンビニも兼ねたレジは田舎のスーパーですが、どう見ても薄汚い倉庫です。ポルトガルからスペインへ戻ると汚い国だなぁ、と思います。

坂道だけじゃなくて階段もあり

 バルでアイスコーヒーを飲みながらトイレ休憩です。友達に運転を代わってもらい、僕は寝ました。これならスタンドでビールを買えばよかったです。緑が多かったポルトガルの車窓が黄土色の景色になりました。炎天下なので刈り取られた麦畑は風に吹かれると銀色の波のように輝き、海のようです。スペインに戻れば何があっても大丈夫、と言う安心感は心地よい眠りを誘いました。起きたらちょうど昼時なのでドライブインへ入りました。朝食を食べすぎたうえに座りっぱなしです、軽くつまむ程度にしました。


 このスペイン高速5号線(ポルトガル街道)は比較的平坦なのでスピードオーバーをしがちです。うっかりするとスピードメーターは140160です。周りは建物も看板も木もないあけっぴろげの荒野なのでスピード感覚がありません。そんな老人が運転するミニバンを追い越していく車はきっと若いドライバーでしょう、大方はポルトガルナンバーです。時速200キロ近くなのであっという間に小さくなります。


 時速120キロが“一応”制限スピードですが意味不明(僕には)に時速100キロの区間があり、必ず頭上に“ネズミ捕り”の白いカメラボックスがあります。良心的と言うのか「レーダー設置」の電光パネルが必ず出ます。こうしないとスペインではスピード違反の罰金は無効になります。交代で運転をしながらひたすらマドリードを目指しましたが市内に入る手前で帰宅渋滞に巻き込まれました。反対車線も金曜日の夕方なので週末を郊外で過ごす車で渋滞でした。にっちもさっちも行きません。旅の最終ステージのノロノロ運転にはうんざりします。

大道芸人とテラス

 家に着いた時はリスボンから8時間ちょっとでした。まずは台所で冷えたビール、次に シャワー、いざ日本食です。もう運転はしたくないのでバスで街中へ行きました。日本レストランで、まずはビールで無事に戻った乾杯をしました。45日で走行距離は2000キロでしたが事故もなく車の故障もなしです。クーラーをガンガン回しながら高速道路を走りっぱなしだったので、エンジンにはご苦労様です。古くなってもさすが日本車です。久しぶりの日本食なので冷ややっこ、焼き鳥などをつまんで、鉄火丼を食べました。地中海マグロが山盛りでした。あまり飲んではいないのでバルで一杯ひっかけようと思いましたが友達は眠そうな顔なので大人しく帰宅しました。

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ジジイたちのスペイン旅行 5

2016-07-30 12:30:00 | スペイン日記

ジェロニモス修道院(左が整列をした消防隊員)

 昨夜のリスボンの冷たい海風と部屋のエアコンで夏カゼをひき、起きたら寒気がして頭がボ~としています。友達は「富山の薬売り」のように全ての常備薬を背負って歩く男なのでカゼ薬を貰って朝食の時に飲みました。あいにくこのホテルの朝食にはシャンパンはなくて、飲み物は水と豊富な種類のジュースでした。軽い夏風邪には朝からシャンパンを一杯ひっかけるとアスピリンの代わりになります。

 今日は一日リスボン観光のつもりですが、頭が回転しません。まずはジェロニモス修道院(Mosteiro Dos Jeronimos)を見学しようと、メトロと近郊電車を乗り継いでベレン(Belem)へ行きました。ホテルの隣がメトロ駅なので便利ですが、メトロの自動販売機ではどこまで買うのかが分からなので切符売り場で聞きました。JRのスイカの代わりになるリスボン・カードがありますが、買うにはツーリスト・インフォメーションまで行かねばなりません。面倒くさいのでやめました。

礼拝堂

 メトロはマドリードのメトロよりも清潔でしたが乗ったのはたった一駅で、終点でした。アホらしい、歩くほうが簡単でした。相互乗り入れではなかったのです。次は近郊電車の切符を買わなければなりませんが、行き先と人数を言ったのに、切符売り場の駅員が僕に何を聞いているのかが分かりません。でも前に並んでいたドイツ人カップルが英語で言っていた内容を聞いていたので、適当にスペイン語で答えると往復券が出てきました。

 どうやら、往復券が割安になりますよ、リスボン・カードを持っていますか、他のツーリスト割引券は、年金カードは(これは想像です)、と爺さん(僕です)に親切をしてくれていたのです。僕としては、何でもいいから早くしてくれ! でした。改札口は上だ、と言うので上がったらそこには外国人でも簡単に買える自動販売機が並んでいるではありませんか!結局、下のメトロの出口にあった緑色の切符売り場は何だったのか? カゼで回らない僕の頭を混乱させられただけです(くそ~)。

中庭

 電車の中では次の停車駅の音声案内や駅名がパネルに出ますが、スマホ片手のツーリストも結構乗っていました。彼らが降りる駅で降りて彼らがゾロゾロと歩いて行くほうについて行ったら修道院に着きました。でかい修道院はマドリードの北・エル・エスコリアルにあるサン・ロレンソ修道院がその馬鹿でかさ(だけで)で有名ですが、ジェロニモス修道院の大きさにも驚きました。今日は消防の日(防火の日ではなさそう)なのでしょうか、入口の横では整列した消防隊員の前で楽隊が演奏中でした。昨夜の寒さが嘘のような炎天下では制服は辛そうです。ツーリストはTシャツ一枚です。

発見のモニュメント

 おっと、修道院の見学でした。礼拝堂は天井の高さから察するとゴシック様式ですが、柱と天井はヤシの木が開いたみたいです。あまり直線的ではないところがポルトガル風ゴシックなのでしょうか? 中庭を囲む回廊の装飾も丸みをおびて、何となく海洋民族好みです。中央ヨーロッパとは異なる趣です。クリスチャンには修道院や教会の各宗派の違いが理解できるのでガイドブックを読みながら熱心に見学をしていました。僕には教会も入れ物としての建物なので、観光客も多い(それも団体ツアー)ので細部の見学は省きました。

 出ると外ではまだ消防隊が整列を続けていました。炎天下を“発見のモニュメント(Padrao Dos Descobrimentos)”まで歩きました。エンリケ王子の像がある巨大な航海記念塔を見て、このベレンの街には数回来ていたのを思い出しました。煩わしい切符の想い出がないのは、きっと車で来たのでしょう。たぶんここに泊まっていたかも知れません。歩いている途中にあったチョコレート屋に見覚えがありました。頭が回らないのですが数十年も昔のことです。

ケーブルカー

 城みたいな灯台のベレンの塔(Torre de Belem)は離れているのでやめて、ベレンの名物お菓子エッグタルト(パステル・デ・ナタ/pastel de nata)を食べに行きました。この店・パスティス・デ・ベレン(Pasteis de Belem)は奥が広いので、アイスコーヒーを飲みながら座って食べました。入口には外国人ツーリストが並んでいましたが、立ち食いよりはコーヒーと一緒のほうが美味しいです。クリームよりもパリパリの皮(生地です)が気に入りました。

 まだランチには早いので、アルファマ(Alfama)へ行くことにしました。チンチン電車に乗ってサン・ジョルジェ城(Castelo San Jorge)へ行くつもりです。近郊電車で終点まで戻り、メトロには乗らずに市電の停留場まで歩くことにしました。マップでは短距離ですが坂道で(地図では分からない)、おまけに上り坂でした。後で思い出したのは、その坂道の二本横の坂道にはケーブルカーがありました(くそ~)。おまけに僕らが降りた終点駅の隣は市場で、周りには美味しいレストランが沢山あることも思い出しました。やっとカゼが治ってきたようです。

黄色いチンチン電車

 日陰を探してゼイゼイ言いながら停留場まで上りました。黄色いチンチン電車の座席は古い木製で、チンチンと警笛を鳴らして走ります。途中からワルガキたちが出口のステップに飛び乗ってきて、無賃乗車です。きつい上り坂の手前で路上のオマワリに見つかって、お前ら、降りろ!と怒鳴られました。その逃げ足の速いこと、アルファマの路地に消えていきました。そのきつい坂のカーブを登った処で降りました。そこからは近道を抜けてサン・ジョルジェ城まで登りました。

サン・ジョルジェ城の城壁

 城は城壁が残っているだけですが、リスボンの街を一望できます。アルファマは昔のままの建物に挟まれた路地が残る異国情緒溢れるところです。夜にバルをはしごしながらの散歩は楽しいのですが、真昼間の短パン姿のツーリストでごった返すアルファマはゴメンです。坂道をブラブラと下ったらエレベーターがありました。隣はテラスバーなので大ジョッキでビールを飲みながらリスボン・タパスの盛り合わせを昼代わりに食べました。ハトもつまみに来るので、追い払いながら食べました。そのエレベーターで下がったところにスーパーがあったのでついビールやツマミを買ってしまいました。異国でスーパーや市場があるとつい覗いてしまうのが僕の癖です。ホテルへ戻り僕は昼寝をして、友達は乗り損なったケーブルカーに乗りに行きました。

ポルトガルの街

 夜はファドを聞きに行きました。昨夜の“ハズレ~”があるので、ディナー付のファドをホテルで予約をしてもらいました。ホテルから歩いて10分たらずのファイア( Faia)でした。壁にはギターやファド・ギター(小型ギター)が飾られ、VIP客の写真と一緒に歴代の名ファド歌手の写真も並んでいます。“南欧の居酒屋”風で、ステージがあるわけではなく中央のアーチの下にそれらしきスペースがあります。

テージョ河とコメルシオ広場

 まずは夕飯です。カゼはすっかりと治り、頭はフル回転します。友達にポルトガルの名物スープを味わって欲しいので、ショーのセットメニューはやめてアラカルトにしました。日本の味噌汁の味を思い出させるカルド・ベルデ(Cardo Verde)がそのスープです。キャベツを煮込んだスープですが、スペインのキャベツで作っても同じ味になりません。

 その次はアロス・デ・マリシュコ(Arroz de Marisco)です。土鍋で煮込んだ魚介類のリゾットです。ところが、当店のは土鍋ではなくて、ポルコ(Porco/豚ロースの炭火焼き)との大皿盛り合わせです、とウェイターが言います。スペイン語の上手なウェイターが説明をしてくれたので、それでOKにしてワインはアルバリノにしました。それにしてもエビと豚の素材としての組み合わせに日本人は??ですが、ポルトガル郷土料理には豚とアサリのワイン味ソテーもあるので彼らには普通のようです。

ファイアの入口

 スープは三人分ですがリゾットは二人分にしました。濃厚なエビミソの味がコメに染み込んだリゾットはあまりにも美味しかったので、皿に残ったのもパンですくって食べてしまいました。そのパンも美味しかったのでお代わりをしてしまったほどです。そのリゾットが出てきた頃に一番手の歌手がファドを歌い始めました。ポルトガル語は分からないのですが、いい声です。

 スペイン人があまりファドは好きじゃない、聴きに行かないよ、と言うのはポルトガルのスペインに対する恨みの歌だからだそうです。本当だとすれば、韓国人が日本の植民地時代の恨みを歌うようなものでしょうか。そりゃ、誰だって金を払ってまでして昔の愚痴を聴きたくもないでしょう。フラメンコのカンテ(歌)の“絞り出し”と比べると穏やかな歌い方ですが腹の底から歌うのが似ています。

 

ファドの歌手

 歌手は一人が持ち歌を2曲くらい披露して、歌い終わったら次の店へ行くようです。ギター弾き二人は店のお抱えのようです。数人が歌った後、食後のコーヒーを飲んでいると帰る客も出始めました。くだんのウェイターが、次に当店の真打が出ますのでまだ帰らないほうがいいですよ、と教えてくれました。最後の歌手は陽気で、しめくくりはポルトガル語と英語で客も一緒に大合唱でした。

 外に出ると昨夜ほど寒くなくて、バルは若者で溢れかえっていました。“頭がボ~”で始まった日なので、カメラは部屋のベッドに忘れました。メイドがナイトテーブルに置いてくれました。なので、リスボンの写真は僕の友達が撮りました。

若者たちで溢れる夜のバイロ・アルト(ファドの店が並ぶ通り)

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ジジイたちのスペイン旅行 4

2016-07-16 12:30:00 | スペイン日記

スペイン広場

 毎週アップしようと始めた旅の話ですが、毎日ヨーロッパカップの試合中継を見ていたので遅れました。ポルトガルの初優勝で終わりましたが、そのポルトガルがロナルドなしで勝ちました。もうPK戦になるだろうと思い、その前にトイレへ行っておこうと立ち上がったら!ゴール!! ポルトガルの粘り勝ちの決勝戦でした。ロスタイムの3分間の長かったこと。このハラハラドキドキがサッカー試合の魅力です。


 さて、旅の話を続けます。「セビージャはとても人間臭い街です。そこに住むセビジャーノス(sevillanos/セビージャ人)は狂信的な聖母マリア信仰で知られています。家庭はかかあ天下です」と書いても言葉で説明がつかないのが「大いなる田舎セビージャ」です。自分で来て匂いを嗅ぎ、その喧騒にうんざりしないと分かりません。何回も訪れている僕でさえ2日も居るとうんざりします。ボケとツッコミの吉本のお笑い芸人が一日中自分の隣で漫才をしている、と思ってください(大阪の人にはごめんなさい)。

回廊とスペイン各地の絵タイル

 橋を渡っていても、買い物をしていても、バルでも、レストランでも、セビージャはどこに居ても「やっかましいぃ!!」です。おまけに馬糞が臭い(今回は減っていました)。3日目には「二度と来るもんか」とマドリードへ戻りますが、このようにまた訪れてします。好きじゃないけど魅力ある街がセビージャです。自分に欠けているものがここにはあるのだと思いますが、その欠けているものは自分の嫌いなものでもあるようです。訪れるけど住む気にはなりません。


 セビージャで魅力あるのはトゥリアナ区です。セビージャ美術館でスルバランの作品を観てからブラブラとトゥリアナ橋を渡ってバルへ行きます。臭い・汚い・うるさい・の三拍子のトゥリアナ区だけど、タイル工房や家具工房を覗いてしまいます。近所のバルでは仕事着のオヤジたちが昼間から一杯やってます。僕もカウンターの端っこでマンサニージャをちびりちびりとやります。

焼き物の橋

 この地区はペスト死で住民が半数になった歴史があります。グアダルキビィル河の氾濫がペストを蔓延させました。生き残った人々の介護をしたのが修道士たちだったので信仰心が篤くなりました。マカレナ教会にある聖母マカレナはセビージャ人のお気に入りなので、ロウソクの火が消えることはありません。


 セビージャは観るよりは「舐める街」ですが、そうなるのは数回訪れてからです。初めての友達には、まずは観光です。昨日はグラナダでアルハンブラ宮殿を堪能したのでアルカサァル(Reales Alcázares)はパスして、スペイン広場(Plaza de España)と大聖堂(Catedral)をゆっくりと回りました。スペイン広場は半円型の回廊があり、その壁の絵のタイルにはため息が出ます。川の橋の青い焼き物も綺麗です。回廊の中の階段にある「黄金焼きの壁」は見る角度で虹のように輝きます。よくぞ、焼き上げたものです。

虹に輝く壁

 この広場は一日中ブラブラしていても飽きませんが、次の大聖堂へ向かいました。大聖堂には高いヒラルダ塔(Gíralda)があるので、それを目印に歩きます。セビージャへ来ていつも自分に言い聞かせるのは「時間にせっかちになるな」です。バルで生ビールを注文してもマドリードの倍の遅さです。だからスペイン人の友達は栓を抜くだけの瓶ビールのラッパ飲みです。


 大聖堂の入口は長蛇の列です。日本人はここで一時間近くの時間を無駄にする訳です。でもセビージャ人は違います。並んでる初対面の人ともおしゃべりを始め、最後には携帯の番号を交換し合うまでになります。超フレンドリーと言うのか、彼ら、彼女らにはじっと黙っている「時」などは存在しません。大聖堂の中は「こんなに豪華な装飾にしちゃってもいいの?教会でしょう」と驚くほどです。イスラム教徒の残したヒラルダ塔を登るとセビージャの街を一望できます。これだけに午前中を費やしました。

豪華すぎない?

 ここで食事をしていたら夕方になるので、ホテルへ戻り荷物を車に積んでともかく出発をしました。リスボンまで500キロ近くあるので56時間はかかります。でもスペインとポルトガルは時差がありポルトガルは1時間遅いので、セビージャの午後1時はリスボン時間ではまだ12時です。ドライブルートはミシュランガイドでネット検索をしました。


 3コースが出ました。一つは斜めに行く最短コースですが、一般道なので時間がかかります。二つ目は高速を使ってセビージャから地中海沿岸に沿ってポルトガルに入り、大西洋沿岸に沿って北上します。三つめも高速を使いますが、セビージャからポルトガルの国境に沿って北上します。高速5号線(A-5/ 皆「ポルトガル街道」と呼びます)とぶつかったら西へ向かいポルトガルに入り、高速でリスボンまで行きます。二つ目も三つめも距離数や時間も大差はありません。


 僕らは三つめのルートを使いました。みみっちい話ですが、ポルトガルの高速道路は有料です。国境沿いのスペイン高速道路はタダで、ガソリン代はスペインの方が安いからです。それとマドリードとリスボンを結ぶ幹線道「ポルトガル街道」には有人の料金所があります。ポルトガルの有料道路は無人料金所が多いので、プリペイドカードを買っておくか、自動支払機をセットするかでスペイン人には不評です。

ヒラルダ塔から見たセビージャの街

 また道を間違えながらもセビージャを出て、ルタ・デ・プラタ(Ruta de Plata/シルバーロード)と呼ばれる国道A-66号線でローマ遺跡の街・メリダ(Mérida)まで北上しました。途中で運転の交代と食事に高速を降りドライブインを探しました。あったのは田舎のバルで、作業服の若い兄ちゃん達や農夫のおっさんたちが昼定食を食べていました。豆の煮込み料理なので、ドライブには胃がもたれます。僕らはスペイン版サンドイッチのボカディージョ(bocadillo)にしました。バゲットを半分に開いて、中に生ハム、ソーセージ、腸詰などを挟みます。デカすぎたので食べ残りはアルミホイルに包んでもらい、おやつにしました。


 再び数キロを戻り高速に入りました。ほんと馬鹿らしくなります。アンダルシア州を出てエキストレマドゥラ州(Extremadura)に入ると一面麦畑の単調な風景です。居眠りをしそうになります。メリダの手前で「ポルトガル街道」に合流して国境の街・バダホス(Badajoz)へ向かいました。国境には何もなく、道路わきに「良い旅を、スペイン」と書いた看板があり次に「ようこそ、ポルトガルへ」と書いた看板がありました。これでポルトガルへ入りました。

 

 

 有料道路IP-7はガラガラでたまに大型トラックを追い抜くくらいでした。でもスペインの高速と違い道路わきにドライブインがあります。これが当たり前です。麦畑や野原や牛の繰り返しの風景に飽きたので、ドライブインにコーヒーを飲みに入りました。ポルトガルは昔から美味しいコーヒーが飲めたので、スペイン人も良くコーヒー豆を買いに来ました。ポルトガルは北部も中部も南部も旅したし、リスボンへは車、飛行機、列車などで何回も来ています。


 「マドリード―リスボン夜行寝台」のロマンチックな響きにつられてそれにも乗りました。個室寝台には小さい洗面台もついていました。しかし夜行寝台での旅は一人でするものではありません。窓の外は真っ暗なので退屈極まりないです。おまけにあまりにも早朝のリスボン駅着だったので、カフェはまだ開いておらずコーヒーにもありつけませんでした。

425日橋

 車でのポルトガル旅行が多かったのですが、格安便が飛ぶようになってからは飛行機が増えました。ポルトガルのタクシー代は安いので、その二つを使うほうが楽です。昔のことを思い出していたら、テージョ河(Rio Tejo)に架かる赤い「425日橋」が見えてきました。ガタガタとうるさい橋ですが、渋滞時間帯になりつつあるのか、久しぶりに車の列に出くわしました。橋を渡り北進を続け標識に従ったらマルケス・デ・ポンバル広場(Plaza de Marques de Pombal )に出ました。


 ここから港まで続くのがリスボンのメインストリート、リベルダーデ通り(Av. da Liberdade)です。ホテルが集中しています。広場近辺には新しいホテルが多く、ガレージ付きです。部屋はマドリードのホテルよりも広くて明るいです。車で来たときは中心地に入り込むと迷うのでこの辺のホテルに泊まっていました。バルやレストランが集中するアルファマやバイシャへは下り坂なので行きはよいよい帰りはこわいです。リスボンは坂の街で、道は石畳です。その石畳の凸には丸みがないので歩きにくいです。だから帰りはメトロかタクシーになりました。

タラ料理ですがポテトとサラダに隠れてます。

 今回は2泊するのでホテルはバイシャ地区と決めました。ところがガレージ付きのホテルが極端に少ないので困りました。スペインのホテル・ネットでホテル・ド・シアード(Hotel Do Chiado)を見つけましたが空き部屋は1泊分だけで2泊できません。日本のホテル・ネットを試したら2泊取れましたが、宿泊料金は日本円払いです。僕のカードはユーロなので為替手数料もとられました(くそー)。


 そんな訳で今回は旧市街へ入ることになりました。リベルダーデ通りをコメルシオ広場(Plaza do Comercio)方面に南下をしてバイシャ地区へ入りました。ホテルの通りに出ましたがホテルが見当たりません。客待ちをしているタクシーに聞いたら、目の前でした。建物の平らな壁にホテル・ド・シアードの文字プレートがあるだけで、全世界のホテルの共通シンボルである万国旗はありません。初めての客は戸惑う隠れ家ホテルで、玄関はブティックの入口みたいです。これでは隣のショッピングモールと間違えますよ、まったく。

イワシの丸焼き

 車を前に置いたらドア・マンが出てきたので預けました。フロントでの会話は僕がスペイン語で話し、ポルトガル語で返ってきます。まぁ、似たような言葉なので、簡単な会話にはノープロブレムです。どうも文化人向けのホテルのようで、壁には現代絵画が沢山並び、インテリアは現代家具です。それらの間に数点散らばしたクラシックな机や鏡がアクセントになっています。トイレの男女のサインまでもクラシックな絵でお洒落です。我々の部屋はスイートルームなので、3人には十分すぎる広さです。その階は全てスイートのようで、専用の階段でレストランやバーへ上がれました。


 バーにはテラスがあり街が一望できるので、すでに若者のグループがビールを飲んでいました。夕飯を食べるため外へ出たら寒いので驚きました。昨夜のセビージャの暑さが嘘のようで、ツーリストはジャケットを着ていました。僕らはリスボン人のオヤジのように長袖シャツでした。坂を下りコメルシオ広場へ行ったら、海風でいっそう冷えました。客引きがうるさいので、ホテルを出る前にガイドブックでレストランに当たりを付けておくべきでした。

サケの鉄板焼き

 地元の人が食べているカフェみたいなレストランに入りました。三人とも喉が渇き腹ペコだったので、まずはビールで「無事リスボン到着」に乾杯をしました。ポルトガルはバカラオ(干しタラ)が美味しいです。生のタラがあったので、それとイワシとサケを焼いてもらいました。ワインはスペインのアルバリーニョに似ているアルバリノ(Alvarinho)にしました。白ワインです。


 料理が来て、そうだ!ポルトガル料理は一皿の量が多い!ことを思い出しました。二皿を三人でシェアしても十分でした。シンプルな焼き魚料理なので味は普通で、サカナ用のソースよりも醤油が欲しかった。旅には持参するのに今回は忘れました。ソースは付け合わせのサラダにも合いましたがバカラオは干しタラの方が美味しいです。

白ワイン、アルバリノ

 食べ終わってからコメルシオ広場の近くはツーリスト相手のレストランの多い場所だったのを思い出しました。ホテルのあるバイシャで食べるかロッシオ広場へ行くべきでした。セビージャ同様に今夜も“ハズレ~”でした(ヤレヤレ)。ホテルへ戻りリスボンの夜景を見ながらバーのテラスで飲みました。風が強くなったので中へ移り、ラストオーダーと支払いを頼みました。体が温かくなったので片付ける音を聞きながらうつらうつらしてきました。寝るときにうっかりと部屋のエアコンを切り忘れました。

リスボンの夜景

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ジジイたちのスペイン旅行 3

2016-06-17 10:00:00 | スペイン日記

 

庭園の噴水


 今日はアルハンブラ宮殿を見学してからセビージャ(Sevilla)へドライブです。ジョギングをするつもりで起きましたが、窓から手を出すと外は肌寒いのでベッドへ戻りました。二度寝はいくつになっても心地よいもので、また寝坊をしちゃいました。でも朝食はちゃんと食べました。歩いて回るアルハンブラ宮殿やヘネラリィヘ庭園の見学は体力です。おっと、その前にホテルのチェックアウトです。フロントで部屋のミニバーのビールやパーキング代の清算を頼みました。ビール代はフロントの女の子が「私がご馳走します」、パーキング代は「ホテルがサービスします」、となんと!太っ腹なホテルでしょうか!

涼しげな噴水

 アルハンブラ宮殿の見学が済むまでは荷物と車は預かりますので楽しんできてください、とドアマンが宮殿の入口を教えてくれました。坂道を10分ほど登ったらチケット売り場でした。アルハンブラ宮殿見学のチケット購入はカイシャ銀行(la caixa)の「催し物サイト」にアクセスしました。正直言って、グラナダの観光ガイドが生活に困らないように作られたサイトじゃないのか、と勘繰りました。僕がアクセスしたのはひと月前でしたが、午前の部の個人フリーチケットは完売でした(くそー)。正規のチケットの3倍の料金を払ってガイド付きグループに申し込みました。一人分なら前日にアクセスしてもキャンセルを拾えるかもしれません。二人以上なら2か月か3か月前に取ったほうが無難です。このチケットを確保してからホテルを取るヨーロッパ人夫婦は多いです。

宮殿の前庭

 夏なら夜の部のアルハンブラ宮殿見学、と言う手もありますが、どうも照明が不十分のようです。チケット予約もせずに入れるなら、アルハンブラ宮殿は毎日でも訪れたいです。モロッコも旅をしました。モスク(礼拝堂)もいたるところにありました。モスクと宮殿は違いますが、完成度の上品さとその維持保存の高さではグラナダのアルハンブラ宮殿が勝っています。これも昔のことですが、おそらく20年か30年前です、幸運に恵まれました。日本から来た建築家の友達とマドリードで飲んでいました。僕がアルハンブラ宮殿の美しさを口から泡が出るように話したので(と後日、彼曰く)、翌日二日酔い状態の二人でグラナダへ飛びました。

宮殿の天井

 真冬のみぞれ交じりの小雨の降る日でした。宮殿内はひとっこひとり居なくて我々だけでした。雨の音も風の音も聞こえるほど静寂に包まれていました。じぃ~と佇んでいると、不思議な雰囲気に包まれました。異文化に包まれて異邦人となっている自分でした。その時からアルハンブラ宮殿を訪れるたびに昔の恋人に会いに来たような気持になりました。グラナダの友達には悪いけど、僕はアルハンブラ宮殿が目当てなので、マドリードからは飛行機で日帰りをしてしまいます。市内には大聖堂、カルツゥハ修道院などもっと見るところもありますが、他を見るとアルハンブラ宮殿の感動が薄れるのです。でも今日は日本の友達とガイド付きで回ります。

宮殿の天井

 友達はスペイン語が分からないので英語のガイドにしました。まずはヘネラリィヘ庭園からです。アラブ民族が「水を崇める」のが分かる噴水の造りです。ヨーロッパ人のバケツをぶちまけるような水の使い方の噴水ではなく、細く穏やかです。繊細です。そして静かです。噴水を押し出す水の源まで若い頃は登りましたが、もう数年登っていません。階段脇の石壁の上の細い溝を水は流れ落ちます。水のきつい落下によって噴水を押し出す圧力が生まれるので、登るのはきついのです。まぁ、物好きしか登りませんね。

コーランの教えを書き込んだ壁

 庭園のあとは宮殿見学ですが、観光客であふれかえっているので、グループから外れて僕は一人で観ました。自然光の中で輝く天井の装飾の絢爛さは夢のようです。あの世はこのように美しいのでしょうか? 僕には表面的な仕上がりの「美」しか分かりませんが、イスラム教徒の人にはもっと感動する、何かがあるのだと思います。首が痛くなるんじゃないのか、と心配になるほど見上げているアラブ人も居ました。ひと昔から比べたらアラブ人観光客が増えて、僕らのグループの三分の一は彼ら、彼女らでした。歴史は見方によってどちらかが幸か不幸になります。でも長い目でみたら、遺跡は残しておいて損はありません。

美しすぎる世界

 言葉も出ないほどに感激した(たぶん)友達と昼はパラドールのテラスで軽く食べました。昨日の来た道を引き返してグラナダを後にしてセビージャへ向かいました。A-92号線をひたすら走れば、260キロ足らずなので3時間くらいで着きます。セビージャはグアダルキビィル河(Rio Guadalquivir)の河口にある平らな都市です。歩くのはグラナダよりも楽なので、ホテルは大通りにある昔泊まったホテル・アルカサール(Hotel Alcazar)にしました。清潔なビジネスホテルに生まれ変わっていたので二部屋をとりました。このホテルはガレージ付きです。

光と影

 セビージャへは車で何回も来ています。そのたびに「車あらし」に遭いました。不幸中の幸い(?)なのでしょうか、窓ガラスは割られませんがドアを開けられて、中のものは盗まれました。ラジカセは取り外し式が当時のスペイン車では当たり前でした。外して持って歩きました。セビージャの友達いわく、他県ナンバーの車があるとつい開けてしまう、のだそうです。冗談じゃありません!おまけに、価値にないものは近くゴミ箱に捨てるよ、と言うではありませんか!!確かにゴミ箱に捨ててありました。



サンタ・クルス街

 昔もA-92号線でセビージャ市内に入りそのまま進み、ホテルのある大通りにぶつかりました。ところが左折ができないので(右側通行です)、直進をしたら旧市街に迷い込みました。旧市街は一方通行が当たり前で、両サイドが路上駐車です。そこに車をはみ出して止めてバルで引っ掛けてる輩が多いのがセビージャです。ちょっと大きめの車は通れませんので、ブーブー鳴らしますがなかなかバルから出てきません。今回は同じへまをしないように、手前で右折して迂回をするのをグーグルマップで確認して、紙マップに書き込みました。それでも再び間違えました(くそー)。

 僕のナビはタッチパネルが不調なので、もっぱら位置確認に使っていました。それもスマホのグーグルマップで済むようになり、車のボックスに入れっぱなしです。やっとホテルにたどり着いて、車をガレージに入れました。入口がこんなに狭かった!?と驚きました。ミニバンの幅にぎりぎりでした。地下は柱だらけで、厚いクッションが巻かれ、あっちこっちが擦り減っていました。かなりの車が擦ったようです。初めからへまの連続をさせられるのがセビージャです。夕飯はサンタ・クルス街(Santa Cruz)のバル巡りをしましたが、どこもツーリスト相手でした。最悪のパエジャに出くわしたほど、バルにはついていない夜でした。

サンタ・クルス街

 やはり、トゥリアナ地区(Triana)へ行くべきでした。東京の浅草のような庶民街なので、「座って食事」よりも「立って摘まむ」地区なのでバルは地元の人が多いです。同じ値段なら、トゥリアナのタパスは皿に山盛りです。サンタ・クルスからはグアダルキビィル河を渡らなければならないので、ちょっと歩きます。ホテルの裏にセルべセリア(cerveceria/ビアガーデンですがバルと大差はありません)があったのを思い出しました。セビージャまで来て友達にペスカィート(pescaito/魚介の揚げ物の盛り合わせ)を食べてもらわなければ「ヤマダの沽券」にかかわります。

 チョコ(choco/コウイカ)、ボケロン(boqueron/カタクチイワシ)の定番のペスカィートとカソン(cazon/サメ)も頼みました。何ザメだか知りませんが(グアダルキビィル河ではキャビアもつくるので、たぶんチョウザメ)、そのぶつ切りを酢でしめてから揚げます(酢でしめたサメはアンモニア臭さが消えるようです)。好き嫌いがあるので友達には「サカナを酢に漬けてぇ~、フライ」とお茶を濁しておきました。以前、正直に言ったら、ひえ~、って食べなかった日本人がいました。セビージャの夜は暑いのでテラスで食べてビールを飲んでいました。しめに僕はフィノ(fino/シェリー酒の辛口)にしましたが、友達は「シェリーは癖があるよ~」なので白ワインを頼んでいました。

サンタ・クルス街

 アンダルシアでは「ウン・ブランコ(un blanco/白ワイン一杯)」って注文するとモンティージャ(montilla)が出てきます。シェリー酒の甥っ子みたいなものでフィノと大差ありませんが、友達には黙っていました(う、ひぃひぃ~、とセビージャに来ると性格が悪くなります)。リオハ(rioja)とかルエダ(rueda)とか、銘柄で頼まないと「純粋の白ワイン」が出てこないのがアンダルシアの土地柄です。今日はアルハンブラ宮殿を歩き、ホテルへの道は間違え、駐車で苦労して、バルは外れたので、心身ともに疲れがどっと出ました。ほんと、セビージャはいつ来ても「ツ・カ・レ・ル」です。

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ジジイたちのスペイン旅行 2

2016-06-06 12:30:00 | スペイン日記

アルハンブラ宮殿。バックの白いのがシエラネバダ山脈です。


 ドライブ・ルートの選択はスペイン語版のミシュラン道路ガイドやスペイン交通局の道路マップやグーグルマップなどのネット・サイトを使いました。ミシュランのガイドはルートの選択が豊富なので自分好みの高速道路ルートができます。市内などはグーグルマップの方が最新に思えたので、そっちを使いました。マドリードからアンダルシアへは、昨日行ったトレドのように南下します。高速4号線A4(アウトヴィア/Autovia/ 自動車専用道路)を使えば、グラナダまでは450キロくらいなので、4時間半くらいです。寝坊したので10時過ぎでしたが、11時前には家を出ました。


 僕が若いころは寄り道が好きだったので、ドライブ旅行は早起きをしていました。ラ・マンチャの風車をバックに写真を撮り、ヴァルデペニャ(Valdepeña)のワイナリー見学(もちろんワインも買って)と書くとのんびり旅行のようですが、実は、当時のスペインの車はクーラー無しが当たり前、それが早起きの本当の理由でした。午後2時~6時は5月でも暑く、真夏は地獄です。高速道路はまだなくて国道でしたが、交通量は極端に少なくトラック以外は走っていなかったので10 時間運転もできました。疲れたら道路わきでビールを飲んで昼寝もできたほど、飲酒運転には甘かった。トラックも乗用車も屋根にボティホ(botijo/素焼きの水つぼ)を載せて走り、ワインは革袋に入れてドアの外に引っ掛けて走りました。水もワインも風にあたり冷えました。それを飲みながら運転をしていました。正真正銘の飲酒運転です。


アルハンブラ・パレス・ホテルの正面


 良き時代だったなぁ、と思い出しながら、ラ・マンチャの延々と続く葡萄畑の中を走りました。葡萄畑は青空に吸い込まれる丘まで続き、360度ブドウ、ブドウです。景色を堪能しながら腕も出して運転したかったのですが、時速120130キロでは窓は閉めました。EU(欧州連合)に加盟してからはヨーロッパ自動車道網(E線)がスペイン国内にも延びたので、現在はすべての主要国道に沿って自動車専用高速道路ができました。土地は余るほどあるのがスペインです。その恩恵を最も授かったのがモロッコ人です。フランス、ベルギー、オランダに出稼ぎに出ている彼らは、夏のヴァカンスはモロッコの村へ戻ります。車に家族、親戚、同郷の人など入るだけ押し込み、屋根にはお土産を山ほど積みます。キャラバンを組んでスペインを北から南まで縦断します。


 葡萄畑に飽きた友達が居眠りを始めた頃に、一面オリーブ畑になりました。土の色は赤茶になり、ハエン県(Jaen)に入りました。スペイン一のオリーブ産地でアンダルシア州の入口です。ここで地中海へと下る高速A-44号線に乗り代えます。グラナダ高速線です。それに乗ってからドライブインで昼飯にしました。スペインのアウトヴィア(自動車専用道路)はドライブインが道路わきにないのが欠点です。いったん降りた出口から数キロ走らないとありません。大方が近く村の入口にあり、ガソリンスタンド、カフェ、レストランが揃ったドライブインです。ホテルも揃ったドライブインもあり、コンビニはスタンドの中にあります。昔のままの国道では道路わきにガソリンスタンドやレストランがあります。食事時はトラックの沢山停まっているレストランが「美味しいよ」の目印なので、当たりはずれがありません。


ホテルの階段の踊り場


 高速から降りた僕らが入ったレストランは運よく当たりました。友達には野菜類はトマトだけで作ったガスパチョ、サルモレッホ(salmorejo)を勧めました。メインはレンズマメの牛肉の煮込みにしました。スペインのレストランでも外国人客の多いところは、塩は自分でかける料理の味付けになりつつあります。ここはそうでした。自家製プリンは甘さが控えめでした。エスプレッソを飲んで一人11ユーロ(1400円)でした。


 今夜泊まるグラナダのホテルはアルハンブラ・パレス(Alhambra Palace)です。アルハンブラ宮殿脇のパラドール(Parador)は満室でしたが、近くのパレスは取れました。アルハンブラ宮殿はグラナダの街外れの「赤い丘」の上にあります。ミシュランガイドでは市内を通り抜けてホテルに行くルートでした。グラナダは何回も来ているので、市内に入る必要がないのは分かっていたのでホテルの道案内サイトを見ました。グラナダ南部を走る環状線を使ってのホテルアクセスが土地不案内なツーリストには遠回りでも分かりやすいです。


ホテルの廊下


 3人で標識と地図を照らし合わせながらトンネルをくぐり、丘を登りホテルに着きました。まだ明るかったので、アルハンブラ宮殿を目印にできました。車は明日まで使わないのでドアマンにホテルのガレージに入れてもらいました。このアルハンブラ・パレスはホテルウォッチャーには心躍るホテルです。インテリアはアルハンブラ宮殿の、言ってみれば“孫”です。床の大理石の模様から壁にはまっているタイルも美しいです。


 思ったよりも日の高いうちに着いたのでグラナダの街へ歩いて下りました。アルハンブラ宮殿の下のザクロの門を出て、土産屋、ペンシオン(pension/民泊)、ギター工房などが並ぶ坂道をブラブラ下ればヌエバ広場(Plaza Nueva)です。夕日で染まるアルハンブラ宮殿を眺めたい人で溢れる見晴し台、聖ニコラス広場へ行きました。アルバイシン(Albaicin)の丘の上の方にあるので、坂をかなり上らなければなりません。


ザクロの門


 グラナダは坂の街です、それもかなりきつい坂ばかりです。ヌエバ広場からアルハンブラ・バスに乗りました。路線C-1は市民の日常の足なので、買い物袋を提げたおばさんやおじさんで満員、そこにツーリストも加わるので座れません。運転が乱暴なので、つり革か棒に捕まらないとコケます。くねくねでアップダウンの丘の細い道をかなりのスピードでバスは走り抜けます。もちろん一般車も走り、人も歩いています。バスは小型ですが、どう言う神経の持ち主が運転手になれるのでしょうか?


 運転も車掌も一人でこなして、常連客とは冗談を交わしながらの運転は、レールの上を走る市電のようでした。その運転技術には脱帽です。無事にバスストップ・聖・ニコラス広場前に着きました。アンダルシアのスキー場・シエラネバダ山脈はまだ雪が残っているので、その白い山をバックに「赤い丘」に建つアルハンブラ宮殿を眺めました。ジプシーがギターを弾き、老いた元ヒッピーが土産品を路上に広げ、ツーリストは地べたに座り、カップルは抱き合って、それぞれが好き勝手をしていました。アルハンブラ宮殿は気が向いた時に眺める程度で、日暮れまでの時間を潰していました。


アルハンブラ・バス


 聖ニコラス教会の壁に寄りかかっているポリシア(policia/ 警官)は仲間とのおしゃべりに夢中でした。我々も日没まで残ればいいのですが、腹が減ったので見晴し台を降りました。「根性無し」が僕ら三人の子供の頃からの共通の性格でした。丘を歩いて下れますが、運よくアルハンブラ・バスが来ました。同じ運転手でした。バルをはしごするつもりだったので、ヌエボ広場の脇にあるエルヴィラ通り(C/. Elvila)でバルを物色しました。旨そうオーラ(?)のバルがあったので入りました(勘です)。


 お!ホタルイカ(chipirones/チピロネス)のから揚げがあるではありませんか! はらわたが旨いホタルイカ数匹をパンにのせてガブリとやると、パテ(paté/ファグラのようなペースト)をぬって食べてるようです。グラナダはシエラネバダ山脈の麓にあるので日本の長野や群馬みたいですが、車で小一時間も走れば海に出ます。魚介類も豊富です。それと、山脈のふもとの村では清流が豊富なので、スペイン一高級なキャビアをつくり、白エビの養殖もしています。


アルバイシンの丘にある聖ニコラスの見晴台とその教会


 周りの客が食べているコロッケが旨そうなので注文をしました。刻んだ生ハムが入ったクリームコロッケでした。一つが普通の3個分のサイズなのにカラッと揚がっていました。良質のオリーブオイルを惜しみなく使うのでアンダルシアへ来ると揚げ物が美味しいです。「オリーブオイルの匂いがちょっとぉ~」と言う日本人には辛い土地です。ビールからそれぞれの好みのワインに代えました。地野菜を盛り合わせたサラダにも生ハムがたっぷりと添えてあったので、パンをお代わりしたら満腹になりました。


 飲むと歩くのが億劫になるのが僕の悪い癖ですが、上り坂なのでホテルへタクシーで帰りました。崖の中腹に建つアルハンブラ・パレス・ホテルはグラナダが一望できます。バーのテラスで夜景を堪能しながら飲みました。明日の朝はゆっくりだし、部屋には這ってでも帰れるのでホテルのバーでの酒は気持ちもほぐれて美味しく飲めます。夜が更けるにつれて街の光は一つ二つと消えていきました。バーの照明が消えるまでは他の泊り客も腰をあげませんでした。ブェナス・ノーチェス、アスタ・マニャナ(Buenas noches, hasta mañana /おやすみなさい)。


グラナダの夜景

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