マドリーの恋人

ヤマダトミオ。 画家。 在スペイン52年。

マドリードの決闘

2021-03-23 14:00:00 | スペイン日記

今春はパッとしない咲き具合のアーモンドでした

 突然ですがマドリード州は54日に州議員選挙となりました。通常なら2年後です。それが発表されたのは310日の昼の出来事でした。マドリード市民だけではなく全国民には「寝耳に水」でした。スペインはそれどころではなくコロナウイルスの第四波(第一波は去年3月、二は同年夏過ぎ、三はクリスマス・正月後のこの1月)に襲われそうな不安な時です。人込みを避けて生活をしているマドリっ子達には「冗談はやめてくれ」です。込み合う投票所に誰も行きたくはありません。おまけにワクチン接種は遅れています。319日から金土日のサン・ホセ連休です(スペインでは父の日と今年も中止のヴァレンシアの火祭りです)。その後は41日から始まるセマナサンタ休暇(聖週間・イースター)で、ほぼ一週間のミニヴァカンスです。

 

 その後にはどっと感染者数が増えるのは前の三回の波で分かっています。仕方ないので暫くの間は州ロックダウンです。トホホホです。この梅が香る初春に「家で大人しくしていなさい」です。これだったらもっと前に遊びに出かけていればよかったです。でも、ブログを書いている余裕がなかったくらい慌ただしかったので無理でした。コロナに罹ったのではなく、いつもの家の工事でした。今回はセントラルヒーティングの配管工事でした(財布が軽くなりました/ 次回にでも書きます)。

 

 おっと話は選挙のことでした。突然のマドリード州選挙はスペイン政府の社会労働者党がまいた種です。スペイン政権は不安定です。その状態で政府はコロナウイルス禍に巻き込まれました。政府は左派・社会労働者党(PSOE)と左翼・ポデモス党(PODEMOS)の共同運営です。首相は社会労働者党首のサンチェス氏、副首相はポデモス党首のイグレシアス氏です。それに、バスク独立派やカタルーニャ独立派などの民族主義党が加わって、内閣与党を造っています。

 

 彼らをひとまとめにして名付ければ「反憲派」です。野党は右派・国民党(PP)と中道派・シウダダノス党(CIUDADANOS)と右翼・ヴォックス党(VOX)です。いずれも「護憲派」です。中央政府が“ミックス党”なら自治体や市町村も“ミックス党”が多いです。見た目には「素晴らしい民主主義国家」にも見えます。たった数人でも議員を選出できれば党には彼らの給料が入ってくるだけではなく、二大政党の社会労働者党か国民党に付くことで「棚ぼた式」に大臣などの要職も貰えます。

 

 今のミックス党政府は22人の大臣を抱えています。人口五千万人にも満たない国の政府に22人の大臣が必要でしょうか? 日本なら教育全般は文部大臣がまとめますが、サンチェス内閣は大学大臣もつくっただけではなく意味の分からない消費大臣から平等大臣までもつくりました(みっともない)。税金の無駄遣いですがミックス党のそれぞれの党資金源のためです(ヤレヤレ)。

 

 大臣職を貰えなかった小党は州予算に色付けをして貰えます。そのようなイソギンチャク党をスペイン語ではビサグラ(bisagra)と呼びます。ビサグラはドアのちょうつがいです。その代表的なのがシウダダノス党ですがポデモス党もヴォックス党や他の民族主義党も似たり寄ったりです。スペインの二大政党はあくまでも社会労働者党と国民党です。

 

 さて、話はマドリードの州選挙ですが、発端はムルシア州でした。39日の夜にムルシア州議会の不信任動議の情報がマドリードに入りました。ムルシア州はスペインの南東にある、アンダルシア州とヴァレンシア州に挟まれた州です。ムルシア州議会の与党は国民党とシウダダノス党のミックス党です。10日の午前中、シウダダノス党がパートナーの国民党を裏切って社会労働者党と不信任動議を起こしました。

マドリード州長・アユソ氏

 マドリード州議会も国民党とシウダダノス党とヴォックス党のミックス党です。薄々シウダダノス党の寝返りを予期していたマドリード州長のアユソ氏(Ayuso / 国民党)は「ムルシア州議会の不信任動議」のニュースを手にすると、10日の昼前にマドリード州議会解散を宣言し、54日選挙を公示しました。

 

 慌てたのはムルシア州議会の次はマドリード州議会も、を目論んでいた社会労働者党です。不信任動議を出しましたが解散宣言の後となりました。その差は45分でした。数日後にはムルシア州議会を国民党から奪う陰謀も失敗に終わりました。サンチェス首相は国民党潰しに熱心で、特にマドリード州長のアユソ氏を目の敵にしています。コロナウイルス対策で大失敗をした社会労働者党とポデモス党のスペイン政府は名誉挽回のために躍起です。

 

 アユソ氏はコロナウイルスがマドリード州民の間に広まると直ちに国際見本市会場を緊急病院に造り替えました。見本市会場とは屋根と壁のある箱が並んでいると思えば、その館(箱)に病院はすぐできます。館内を仕切りベッドを並べ地下には酸素呼吸用の管を敷きました。患者一人一人のベッド脇に酸素ボンベを置いていたらボンベだけでも膨大な数になるだけではなく医者や看護婦が動き回るには邪魔です。だから大型酸素ボンベを地下に据えて集中治療室へ酸素を送りました。

 

 州内の病院はコロナ患者で溢れ、集中治療室もパンク状態になりました。でも救急車を24時間走らせて州内のコロナ患者を見本市会場に集めたので多くのマドリード市民が救われました。しかし、老人ホームは手当が遅れたので死者が沢山出ました。斎場はパンクしました。直ちに緊急病院の近くのアイススケート場を死体安置所にしました。

 

 マスクを造ったこともないのがスペインです。酸素ボンベから医者や看護婦の着る服まであらゆる医療器具が足りなくなるのは目に見えました。アユソ氏はすぐに世界中の医療会社に医療器材を注文しました。マドリード州は国際空港を抱えているので伝染病の出入り口です。他の州のようにのんびりと政府の指示を待っている余裕はありません。マドリード州が発注した医療品が届くとサンチェス首相はそれを押収しました。「困っているときは全ての国民で分けるべきだ」と美しい言葉で言い訳をしました(この男は口だけは達者です)。マドリード市民は、だったらアンタが動けよ!と怒りました。

 

 コロナウイルスの怖さを理解し始めたスペイン人はマスク着用を守り、感染数は減り始めました。アユス氏は国際見本市会場の緊急病院を閉め、バラハス空港の近くに伝染病専門病院を建て始めました。去年の夏過ぎのことでした。コロナの第一波は過ぎたがこれから来る第二波第三波のためでした。州内の一般病院はコロナ患者よりも通常患者の診断に専念してもらうためです。パンデミック専門病院は3ヶ月間で出来上がり医療器材や薬品の倉庫も付けました。

 

 ところがアユソ氏を目の敵とするサンチェス首相はこれが気に入らず、外国から届いたワクチンなどはマドリード市の保管倉庫を使わずに済むように隣グアダラハラ県に冷凍倉庫を造りました(この男は根性も悪い)。グアダラハラ県は社会労働者党が牛耳っているカスティージャ・ラマンチャ州に属します。

 

 なぜ? 社会労働者党も国民党もマドリード州、マドリード市を牛耳りたいのか?国王家族が住み、スペイン経済文化の中心ですが決して他州のような歴史のある街ではありません。スペイン各地から集まった人々が住みついて働いている州だからだと思います。そこに中南米諸国の人々も移民して住み着ています。スペインの中でも一番移民者が多い土地なので、政治はリベラルです。学校も世界中の国民を受け入れています。

 

 それがいいのか悪いのかは分かりませんが、言えることは「マドリードを治めることはスペインを治めることだけはなく、スペイン語圏の中南米も治めること」なのです。それにマドリードはルーマニア人の乞食から大金持ちのロシアマフィアまで住み着いてしまうところです。このコロナの間、週末のマドリードはフランスの若者たちで溢れています。パリでは午後6時から外出禁止です。マドリードは夜の12時なのでバルのテラスでは11時まで飲めます。マドリードのこの季節の夜に外で飲むのは僕には寒すぎますが、アルコールの入った若い人は汗が出るでしょう(僕も若いころはそうだった・・・)。

 

 ヨーロッパでもマドリードの自由は大きな影響力を持ち始めました。そのマドリード州を次回の選挙では国民党一党で牛耳りたいアユソ氏に「待った」をかけたのが副首相のポデモス党首のイグレシアス氏です。突然副首相を辞任してマドリード州議会選に出馬することを発表しました。これも寝耳に水でした。サンチェス首相はフランスでマクロン大統領と会談中でしたので、トップがスペイン不在中の発表でした。このイグレシアス氏の頭には組織内における上下とかの常識が欠け(無い?)自分の勝手で事を運びます。

 

 「右翼のマドリード州占拠を止めるのは僕にしかできない」と叫ぶイグレシアス氏にアユソ氏は「私のお陰でイグレシアス氏を内閣から引きずり降ろせました」とやり返しました。おまけに、これで我が党の選挙キャッチコピーは決まりました。「共産主義と自由主義のどちらをあなたは選びますか?」です、と付け加えました。

ポデモス党首・イグレシアス氏

 まぁ、どっちもどっちですが奇遇なことに、このアユソ氏(女性)とイグレシアス氏(男性)は生年月日が同じです。20代からの知り合い同志の女と男の一騎打ちとなった州選挙です。418日から選挙運動がスタートします。今までにないホットな選挙になるのは間違いありません。

 

 バルセロナは独立軍が暴れていつもうるさいところですが、マドリードも騒がしいところです。ここに52年間住んでいる僕ですが、気候的には住みやすいところではありません。内陸で標高もあるので夏は40度を超える日がひと月は続き、冬はすごく寒くなり雪も降ります。水だけは豊富です。日本人には春と秋は無いに等しいです。お陰で着るものは夏服と冬服で事足るので服貧乏人には嬉しいです。40度の夏はTシャツと短パン、マイナス10度の冬はその上にユニクロのダウンです。どこへ行ってもセントラルヒーティングとエアコンは完備しています。

 

 でも地中海沿岸の街を散歩していると体を包んでくれるその温暖な空気に思わず、住みたいなぁ、と南欧の優しさを感じます。だからイギリス人のリタイアグループが住みたがります。彼ら/彼女らが住民の半分を占めている沿岸の村もあるくらいです。じゃあ、貴方はなぜマドリードに住んでいるの?それは生活インフラがハイレベルで整っているからです。

 

 首都としては多分ローマやパリよりはその点ではましだと思います。マドリードはイベリア半島のど真ん中に位置するので地方への移動は飛行機で1時間、新幹線で3時間、車でも6時間です。日常生活でもマドリードの繁華街のカジャオ広場東京の銀座4丁目ですまで家からメトロで20分です。都心に住まなくても不便を感じません(困るのは飲み屋街で飲み過ぎた時です)。何かと緊張するのが海外フライトですが、バラハス空港までも車で15分なのでパスポートを忘れても取りに戻れます。東京便の出発が遅れたらいったん家に帰って昼飯を食べて空港へ戻れます。

 

 僕のような移民者が多いので、スペイン人を相手にしなくても生活ができてしまうのも面白い旨味です。日用品雑貨は中国人店、日本食材は台湾人店、野菜果物はアラブ人店、家の修繕は中南米人、車の修理は東欧人、等々下手なスペイン語同志でも通じ合えてしまえるのって、ホント、自分がどこに住んでいるのかはどうでもよくなります。選挙の時だけですね「スペイン人も住んでいたのだ」と思うのは、アハハァ。マドリードは老人さえも飽きさせない街です。どこでも、住めば都です。

コメント (1)
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