マドリーの恋人

ヤマダトミオ。 画家。 在スペイン52年。

西サハラ紛争の話をちょっといいですか?

2022-04-12 12:00:00 | スペイン日記

欧州と北アフリカの地図です。左のSAHARA OCCIDENTALが西サハラです。その上のMARRUECOSがモロッコでさらに上のESPAÑAがスペインです。

 西サハラ(スペイン語ではサハラ・オキシデンタル/ SÁHARA OCCIDENTAL)はモロッコの下にあります。そのモロッコ(MARRUECOS)はアフリカ大陸のてっぺんの西(地図では左)にあります。西サハラは「アラブ・サハラウイー民主共和国(la República Árabe Saharaui Democrática/略してRASDです)」とも言い、サハラウイー人(Saharaui)が住んでいます。砂漠ですが国土は250.000k㎡で豊富なリン酸塩(地図2の🔨マーク)を産出して、大西洋岸には大漁場(🐟マーク)があります。そして西サハラは1975年まではスペインの53番目の県でした(当時のスペインには自治州制度はなく中央集権国家でした)。

 

 つまりスペイン領西サハラ(Sáhara español)でした。1976年にスペインが西サハラから撤退をしてその地を近隣のモロッコ(3分の2)とモーリタニア(3分の1)に割譲しました。これに怒ったのがサハラウイー人のポリサリオ戦線(Frente Polisario)です。1973年に反植民地運動を目的に結成されたのがポリサリオ戦線です。この三者で戦いが起こりましたがモーリタニアは早々と敗退をしました。その後モロッコとポリサリオ戦線/アルジェリアの戦いが長く続きました。ポリサリオ戦線を援助したのがアルジェリア(ARGELIA)で、今も援助を続けています。

 

 モロッコとアルジェリアは昔から犬猿の仲です。国連の仲裁で1991年にモロッコとポリサリオ戦線は平和交渉を結び停戦をしました。交渉内容は1992年に民族自決かモロッコ領かの住民投票でした。がモロッコは約束を守らず住民投票もせずに砂漠の3分の2に壁(地図2の赤い線)を造りました。再び戦争となり、国連の使節団「西サハラ住民投票ミッション(MINURSO)」の仲介の甲斐もなくズルズルと今世紀も戦争は続いています。これが西サハラ紛争の大雑把な歴史です。

西サハラの地図です。赤い線が壁で、左がモロッコの占拠地、右がポリサリオ戦線の占拠地です

 ではなぜ?住民投票ができなかったのか? 砂漠の民の多くには定住地がなく正確な住民数を把握できませんでした。今分かっているサハラウイー人の数はスペイン在住3千人、アルジェリアの難民キャンプに17万人、西サハラに62万人です。この紛争がさらにこじれてしまったのが2020年です。あのトランプ大統領(当時)のTwitter「西サハラはモロッコの自治州とするのがよろしい」でした。「我が意を得た」モロッコとアルジェリアは国交断絶をしました。アルジェリアはモロッコへ供給していた天然ガスパイプを閉めました。

 

 そのガスパイプはジブラルタル海峡を渡りスペインと繋がっています。スペインは困りましたが、アルジェリアから直に繋がっているもう一本の天然ガスパイプがあるので片肺飛行とは言え、スペインにはどうにか天然ガスが届いています。アルジェリアからは液化天然ガスも買っていますし、アメリカ合衆国からも買っているので火力発電所も我が家のセントラルヒーティングもガス欠にはなっていません。ところが、その残り一本のガス管も危うくなりました。スペインのサンチェス首相がトランプ前大統領のTwitterのような内容の親書をモロッコのモハメド6世国王に送ったのが、この3月に明るみに出てしまいました。怒ったアルジェリアは在スペイン・アルジェリア大使を帰国させました。

 

 スペイン政府はアルジェリアの天然ガスパイプ閉止はないとしても値上がりは致し方ない、としています。今年急に値上がりしたのがガス代・電気代ですが、さらに値上がりしたら我々庶民の生活費はエネルギー代の支払いで消えてしまいます。話は前後しますが、スペイン領西サハラの時代も今もスペインとモロッコとの間にはいざこざが絶えません。46年前に西サハラを手放しましたが、「今」のスペインとモロッコとのいざこざはセウタ(Ceuta)とメリィジャ(Melilla)です(地図3)。

地図の上がスペイン、下がモロッコです。そのモロッコの左崎がCeuta/セウタで右崎がMelilla/メリィジャです。

 スペインはモロッコの北、ジブラルタル海峡沿いにセウタとメリジャと言う都市を持っています。ゴマ粒ほどの港街でセウタは19k㎡、メリィジャが13k㎡です。でもスペイン自治州なので、言い方を換えればここも欧州連合(EU)の一部になります。なので、アフリカ大陸の難民だけではなくバングラデシュからもここを目がけて集まります。国境線を交えてモロッコ側とスペイン側にそれぞれの関所があります。モロッコはスペインと喧嘩をすると、自分の関所を開けて難民をスペイン側へ送り込んできます。

 

 常にパンク状態のセウタとメリィジャの難民施設はお手上げで、難民は路上に溢れます。住んでいるスペイン人は安心して街を歩けません。スペイン政府はEUから難民保護を強制され、難民保護団体からは行政の手落ちを非難されます。踏んだり蹴ったりです。それでもスペインのファン・カルロス前国王とモロッコのハサン2世前国王の時代はそれなりにうまく付き合っていました。最近の不祥事は今のサンチェス首相が起こしました。コロナウイルスに罹ったポリサリオ戦線のリーダー・ガリ氏のスペイン病院での治療を受け入れてしまいました。アルジェリアから頼まれたのです。

 

 怒ったモロッコのモハメド6世国王は在スペイン・モロッコ大使を帰国させました。それだけでなく、関所を開けました。アフリカ難民だけではなくドイツやイギリスへ出稼ぎに行きたいモロッコ人まで、どっとセウタやメリィジャになだれ込みました。サンチェス首相の親書はこのあたりの問題解決があったと思われます。しかし国連の住民投票実行に賛成をして中立を守っていたのがスペインです。一国の外交上の立場に関する問題は国会で審議されるべきです。長引く西サハラ紛争はスペインにエネルギー問題と難民問題を投げかけました。

 

 「植民地の紛争はその土地を植民地化した第一日目から始まる」と言われています。本当にそうだと思います。最後になりましたが、住民投票が行なわれるまでは民族自決もできず国も承認されません。いまだにサハラウイー人の砂漠の土地はアラブ・サハラウイー民主共和国とは呼ばれずに西サハラと呼ばれています。スペインも国と承認していません。いつでも紛争で困るのは我々庶民なので、ウクライナ戦争が西サハラ紛争のように長引かないことを祈ります。ウクライナ戦争でスペインの台所(家庭も菓子屋も)からはひまわり油が消え、家畜肥料のトウモロコシは不足なので牛も豚も腹を空かせています。ヤレヤレ。

コメント
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