マドリーの恋人

ヤマダトミオ。 画家。 在スペイン52年。

ジジイたちのスペイン旅行 5

2016-07-30 12:30:00 | スペイン日記

ジェロニモス修道院(左が整列をした消防隊員)

 昨夜のリスボンの冷たい海風と部屋のエアコンで夏カゼをひき、起きたら寒気がして頭がボ~としています。友達は「富山の薬売り」のように全ての常備薬を背負って歩く男なのでカゼ薬を貰って朝食の時に飲みました。あいにくこのホテルの朝食にはシャンパンはなくて、飲み物は水と豊富な種類のジュースでした。軽い夏風邪には朝からシャンパンを一杯ひっかけるとアスピリンの代わりになります。

 今日は一日リスボン観光のつもりですが、頭が回転しません。まずはジェロニモス修道院(Mosteiro Dos Jeronimos)を見学しようと、メトロと近郊電車を乗り継いでベレン(Belem)へ行きました。ホテルの隣がメトロ駅なので便利ですが、メトロの自動販売機ではどこまで買うのかが分からなので切符売り場で聞きました。JRのスイカの代わりになるリスボン・カードがありますが、買うにはツーリスト・インフォメーションまで行かねばなりません。面倒くさいのでやめました。

礼拝堂

 メトロはマドリードのメトロよりも清潔でしたが乗ったのはたった一駅で、終点でした。アホらしい、歩くほうが簡単でした。相互乗り入れではなかったのです。次は近郊電車の切符を買わなければなりませんが、行き先と人数を言ったのに、切符売り場の駅員が僕に何を聞いているのかが分かりません。でも前に並んでいたドイツ人カップルが英語で言っていた内容を聞いていたので、適当にスペイン語で答えると往復券が出てきました。

 どうやら、往復券が割安になりますよ、リスボン・カードを持っていますか、他のツーリスト割引券は、年金カードは(これは想像です)、と爺さん(僕です)に親切をしてくれていたのです。僕としては、何でもいいから早くしてくれ! でした。改札口は上だ、と言うので上がったらそこには外国人でも簡単に買える自動販売機が並んでいるではありませんか!結局、下のメトロの出口にあった緑色の切符売り場は何だったのか? カゼで回らない僕の頭を混乱させられただけです(くそ~)。

中庭

 電車の中では次の停車駅の音声案内や駅名がパネルに出ますが、スマホ片手のツーリストも結構乗っていました。彼らが降りる駅で降りて彼らがゾロゾロと歩いて行くほうについて行ったら修道院に着きました。でかい修道院はマドリードの北・エル・エスコリアルにあるサン・ロレンソ修道院がその馬鹿でかさ(だけで)で有名ですが、ジェロニモス修道院の大きさにも驚きました。今日は消防の日(防火の日ではなさそう)なのでしょうか、入口の横では整列した消防隊員の前で楽隊が演奏中でした。昨夜の寒さが嘘のような炎天下では制服は辛そうです。ツーリストはTシャツ一枚です。

発見のモニュメント

 おっと、修道院の見学でした。礼拝堂は天井の高さから察するとゴシック様式ですが、柱と天井はヤシの木が開いたみたいです。あまり直線的ではないところがポルトガル風ゴシックなのでしょうか? 中庭を囲む回廊の装飾も丸みをおびて、何となく海洋民族好みです。中央ヨーロッパとは異なる趣です。クリスチャンには修道院や教会の各宗派の違いが理解できるのでガイドブックを読みながら熱心に見学をしていました。僕には教会も入れ物としての建物なので、観光客も多い(それも団体ツアー)ので細部の見学は省きました。

 出ると外ではまだ消防隊が整列を続けていました。炎天下を“発見のモニュメント(Padrao Dos Descobrimentos)”まで歩きました。エンリケ王子の像がある巨大な航海記念塔を見て、このベレンの街には数回来ていたのを思い出しました。煩わしい切符の想い出がないのは、きっと車で来たのでしょう。たぶんここに泊まっていたかも知れません。歩いている途中にあったチョコレート屋に見覚えがありました。頭が回らないのですが数十年も昔のことです。

ケーブルカー

 城みたいな灯台のベレンの塔(Torre de Belem)は離れているのでやめて、ベレンの名物お菓子エッグタルト(パステル・デ・ナタ/pastel de nata)を食べに行きました。この店・パスティス・デ・ベレン(Pasteis de Belem)は奥が広いので、アイスコーヒーを飲みながら座って食べました。入口には外国人ツーリストが並んでいましたが、立ち食いよりはコーヒーと一緒のほうが美味しいです。クリームよりもパリパリの皮(生地です)が気に入りました。

 まだランチには早いので、アルファマ(Alfama)へ行くことにしました。チンチン電車に乗ってサン・ジョルジェ城(Castelo San Jorge)へ行くつもりです。近郊電車で終点まで戻り、メトロには乗らずに市電の停留場まで歩くことにしました。マップでは短距離ですが坂道で(地図では分からない)、おまけに上り坂でした。後で思い出したのは、その坂道の二本横の坂道にはケーブルカーがありました(くそ~)。おまけに僕らが降りた終点駅の隣は市場で、周りには美味しいレストランが沢山あることも思い出しました。やっとカゼが治ってきたようです。

黄色いチンチン電車

 日陰を探してゼイゼイ言いながら停留場まで上りました。黄色いチンチン電車の座席は古い木製で、チンチンと警笛を鳴らして走ります。途中からワルガキたちが出口のステップに飛び乗ってきて、無賃乗車です。きつい上り坂の手前で路上のオマワリに見つかって、お前ら、降りろ!と怒鳴られました。その逃げ足の速いこと、アルファマの路地に消えていきました。そのきつい坂のカーブを登った処で降りました。そこからは近道を抜けてサン・ジョルジェ城まで登りました。

サン・ジョルジェ城の城壁

 城は城壁が残っているだけですが、リスボンの街を一望できます。アルファマは昔のままの建物に挟まれた路地が残る異国情緒溢れるところです。夜にバルをはしごしながらの散歩は楽しいのですが、真昼間の短パン姿のツーリストでごった返すアルファマはゴメンです。坂道をブラブラと下ったらエレベーターがありました。隣はテラスバーなので大ジョッキでビールを飲みながらリスボン・タパスの盛り合わせを昼代わりに食べました。ハトもつまみに来るので、追い払いながら食べました。そのエレベーターで下がったところにスーパーがあったのでついビールやツマミを買ってしまいました。異国でスーパーや市場があるとつい覗いてしまうのが僕の癖です。ホテルへ戻り僕は昼寝をして、友達は乗り損なったケーブルカーに乗りに行きました。

ポルトガルの街

 夜はファドを聞きに行きました。昨夜の“ハズレ~”があるので、ディナー付のファドをホテルで予約をしてもらいました。ホテルから歩いて10分たらずのファイア( Faia)でした。壁にはギターやファド・ギター(小型ギター)が飾られ、VIP客の写真と一緒に歴代の名ファド歌手の写真も並んでいます。“南欧の居酒屋”風で、ステージがあるわけではなく中央のアーチの下にそれらしきスペースがあります。

テージョ河とコメルシオ広場

 まずは夕飯です。カゼはすっかりと治り、頭はフル回転します。友達にポルトガルの名物スープを味わって欲しいので、ショーのセットメニューはやめてアラカルトにしました。日本の味噌汁の味を思い出させるカルド・ベルデ(Cardo Verde)がそのスープです。キャベツを煮込んだスープですが、スペインのキャベツで作っても同じ味になりません。

 その次はアロス・デ・マリシュコ(Arroz de Marisco)です。土鍋で煮込んだ魚介類のリゾットです。ところが、当店のは土鍋ではなくて、ポルコ(Porco/豚ロースの炭火焼き)との大皿盛り合わせです、とウェイターが言います。スペイン語の上手なウェイターが説明をしてくれたので、それでOKにしてワインはアルバリノにしました。それにしてもエビと豚の素材としての組み合わせに日本人は??ですが、ポルトガル郷土料理には豚とアサリのワイン味ソテーもあるので彼らには普通のようです。

ファイアの入口

 スープは三人分ですがリゾットは二人分にしました。濃厚なエビミソの味がコメに染み込んだリゾットはあまりにも美味しかったので、皿に残ったのもパンですくって食べてしまいました。そのパンも美味しかったのでお代わりをしてしまったほどです。そのリゾットが出てきた頃に一番手の歌手がファドを歌い始めました。ポルトガル語は分からないのですが、いい声です。

 スペイン人があまりファドは好きじゃない、聴きに行かないよ、と言うのはポルトガルのスペインに対する恨みの歌だからだそうです。本当だとすれば、韓国人が日本の植民地時代の恨みを歌うようなものでしょうか。そりゃ、誰だって金を払ってまでして昔の愚痴を聴きたくもないでしょう。フラメンコのカンテ(歌)の“絞り出し”と比べると穏やかな歌い方ですが腹の底から歌うのが似ています。

 

ファドの歌手

 歌手は一人が持ち歌を2曲くらい披露して、歌い終わったら次の店へ行くようです。ギター弾き二人は店のお抱えのようです。数人が歌った後、食後のコーヒーを飲んでいると帰る客も出始めました。くだんのウェイターが、次に当店の真打が出ますのでまだ帰らないほうがいいですよ、と教えてくれました。最後の歌手は陽気で、しめくくりはポルトガル語と英語で客も一緒に大合唱でした。

 外に出ると昨夜ほど寒くなくて、バルは若者で溢れかえっていました。“頭がボ~”で始まった日なので、カメラは部屋のベッドに忘れました。メイドがナイトテーブルに置いてくれました。なので、リスボンの写真は僕の友達が撮りました。

若者たちで溢れる夜のバイロ・アルト(ファドの店が並ぶ通り)

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ジジイたちのスペイン旅行 4

2016-07-16 12:30:00 | スペイン日記

スペイン広場

 毎週アップしようと始めた旅の話ですが、毎日ヨーロッパカップの試合中継を見ていたので遅れました。ポルトガルの初優勝で終わりましたが、そのポルトガルがロナルドなしで勝ちました。もうPK戦になるだろうと思い、その前にトイレへ行っておこうと立ち上がったら!ゴール!! ポルトガルの粘り勝ちの決勝戦でした。ロスタイムの3分間の長かったこと。このハラハラドキドキがサッカー試合の魅力です。


 さて、旅の話を続けます。「セビージャはとても人間臭い街です。そこに住むセビジャーノス(sevillanos/セビージャ人)は狂信的な聖母マリア信仰で知られています。家庭はかかあ天下です」と書いても言葉で説明がつかないのが「大いなる田舎セビージャ」です。自分で来て匂いを嗅ぎ、その喧騒にうんざりしないと分かりません。何回も訪れている僕でさえ2日も居るとうんざりします。ボケとツッコミの吉本のお笑い芸人が一日中自分の隣で漫才をしている、と思ってください(大阪の人にはごめんなさい)。

回廊とスペイン各地の絵タイル

 橋を渡っていても、買い物をしていても、バルでも、レストランでも、セビージャはどこに居ても「やっかましいぃ!!」です。おまけに馬糞が臭い(今回は減っていました)。3日目には「二度と来るもんか」とマドリードへ戻りますが、このようにまた訪れてします。好きじゃないけど魅力ある街がセビージャです。自分に欠けているものがここにはあるのだと思いますが、その欠けているものは自分の嫌いなものでもあるようです。訪れるけど住む気にはなりません。


 セビージャで魅力あるのはトゥリアナ区です。セビージャ美術館でスルバランの作品を観てからブラブラとトゥリアナ橋を渡ってバルへ行きます。臭い・汚い・うるさい・の三拍子のトゥリアナ区だけど、タイル工房や家具工房を覗いてしまいます。近所のバルでは仕事着のオヤジたちが昼間から一杯やってます。僕もカウンターの端っこでマンサニージャをちびりちびりとやります。

焼き物の橋

 この地区はペスト死で住民が半数になった歴史があります。グアダルキビィル河の氾濫がペストを蔓延させました。生き残った人々の介護をしたのが修道士たちだったので信仰心が篤くなりました。マカレナ教会にある聖母マカレナはセビージャ人のお気に入りなので、ロウソクの火が消えることはありません。


 セビージャは観るよりは「舐める街」ですが、そうなるのは数回訪れてからです。初めての友達には、まずは観光です。昨日はグラナダでアルハンブラ宮殿を堪能したのでアルカサァル(Reales Alcázares)はパスして、スペイン広場(Plaza de España)と大聖堂(Catedral)をゆっくりと回りました。スペイン広場は半円型の回廊があり、その壁の絵のタイルにはため息が出ます。川の橋の青い焼き物も綺麗です。回廊の中の階段にある「黄金焼きの壁」は見る角度で虹のように輝きます。よくぞ、焼き上げたものです。

虹に輝く壁

 この広場は一日中ブラブラしていても飽きませんが、次の大聖堂へ向かいました。大聖堂には高いヒラルダ塔(Gíralda)があるので、それを目印に歩きます。セビージャへ来ていつも自分に言い聞かせるのは「時間にせっかちになるな」です。バルで生ビールを注文してもマドリードの倍の遅さです。だからスペイン人の友達は栓を抜くだけの瓶ビールのラッパ飲みです。


 大聖堂の入口は長蛇の列です。日本人はここで一時間近くの時間を無駄にする訳です。でもセビージャ人は違います。並んでる初対面の人ともおしゃべりを始め、最後には携帯の番号を交換し合うまでになります。超フレンドリーと言うのか、彼ら、彼女らにはじっと黙っている「時」などは存在しません。大聖堂の中は「こんなに豪華な装飾にしちゃってもいいの?教会でしょう」と驚くほどです。イスラム教徒の残したヒラルダ塔を登るとセビージャの街を一望できます。これだけに午前中を費やしました。

豪華すぎない?

 ここで食事をしていたら夕方になるので、ホテルへ戻り荷物を車に積んでともかく出発をしました。リスボンまで500キロ近くあるので56時間はかかります。でもスペインとポルトガルは時差がありポルトガルは1時間遅いので、セビージャの午後1時はリスボン時間ではまだ12時です。ドライブルートはミシュランガイドでネット検索をしました。


 3コースが出ました。一つは斜めに行く最短コースですが、一般道なので時間がかかります。二つ目は高速を使ってセビージャから地中海沿岸に沿ってポルトガルに入り、大西洋沿岸に沿って北上します。三つめも高速を使いますが、セビージャからポルトガルの国境に沿って北上します。高速5号線(A-5/ 皆「ポルトガル街道」と呼びます)とぶつかったら西へ向かいポルトガルに入り、高速でリスボンまで行きます。二つ目も三つめも距離数や時間も大差はありません。


 僕らは三つめのルートを使いました。みみっちい話ですが、ポルトガルの高速道路は有料です。国境沿いのスペイン高速道路はタダで、ガソリン代はスペインの方が安いからです。それとマドリードとリスボンを結ぶ幹線道「ポルトガル街道」には有人の料金所があります。ポルトガルの有料道路は無人料金所が多いので、プリペイドカードを買っておくか、自動支払機をセットするかでスペイン人には不評です。

ヒラルダ塔から見たセビージャの街

 また道を間違えながらもセビージャを出て、ルタ・デ・プラタ(Ruta de Plata/シルバーロード)と呼ばれる国道A-66号線でローマ遺跡の街・メリダ(Mérida)まで北上しました。途中で運転の交代と食事に高速を降りドライブインを探しました。あったのは田舎のバルで、作業服の若い兄ちゃん達や農夫のおっさんたちが昼定食を食べていました。豆の煮込み料理なので、ドライブには胃がもたれます。僕らはスペイン版サンドイッチのボカディージョ(bocadillo)にしました。バゲットを半分に開いて、中に生ハム、ソーセージ、腸詰などを挟みます。デカすぎたので食べ残りはアルミホイルに包んでもらい、おやつにしました。


 再び数キロを戻り高速に入りました。ほんと馬鹿らしくなります。アンダルシア州を出てエキストレマドゥラ州(Extremadura)に入ると一面麦畑の単調な風景です。居眠りをしそうになります。メリダの手前で「ポルトガル街道」に合流して国境の街・バダホス(Badajoz)へ向かいました。国境には何もなく、道路わきに「良い旅を、スペイン」と書いた看板があり次に「ようこそ、ポルトガルへ」と書いた看板がありました。これでポルトガルへ入りました。

 

 

 有料道路IP-7はガラガラでたまに大型トラックを追い抜くくらいでした。でもスペインの高速と違い道路わきにドライブインがあります。これが当たり前です。麦畑や野原や牛の繰り返しの風景に飽きたので、ドライブインにコーヒーを飲みに入りました。ポルトガルは昔から美味しいコーヒーが飲めたので、スペイン人も良くコーヒー豆を買いに来ました。ポルトガルは北部も中部も南部も旅したし、リスボンへは車、飛行機、列車などで何回も来ています。


 「マドリード―リスボン夜行寝台」のロマンチックな響きにつられてそれにも乗りました。個室寝台には小さい洗面台もついていました。しかし夜行寝台での旅は一人でするものではありません。窓の外は真っ暗なので退屈極まりないです。おまけにあまりにも早朝のリスボン駅着だったので、カフェはまだ開いておらずコーヒーにもありつけませんでした。

425日橋

 車でのポルトガル旅行が多かったのですが、格安便が飛ぶようになってからは飛行機が増えました。ポルトガルのタクシー代は安いので、その二つを使うほうが楽です。昔のことを思い出していたら、テージョ河(Rio Tejo)に架かる赤い「425日橋」が見えてきました。ガタガタとうるさい橋ですが、渋滞時間帯になりつつあるのか、久しぶりに車の列に出くわしました。橋を渡り北進を続け標識に従ったらマルケス・デ・ポンバル広場(Plaza de Marques de Pombal )に出ました。


 ここから港まで続くのがリスボンのメインストリート、リベルダーデ通り(Av. da Liberdade)です。ホテルが集中しています。広場近辺には新しいホテルが多く、ガレージ付きです。部屋はマドリードのホテルよりも広くて明るいです。車で来たときは中心地に入り込むと迷うのでこの辺のホテルに泊まっていました。バルやレストランが集中するアルファマやバイシャへは下り坂なので行きはよいよい帰りはこわいです。リスボンは坂の街で、道は石畳です。その石畳の凸には丸みがないので歩きにくいです。だから帰りはメトロかタクシーになりました。

タラ料理ですがポテトとサラダに隠れてます。

 今回は2泊するのでホテルはバイシャ地区と決めました。ところがガレージ付きのホテルが極端に少ないので困りました。スペインのホテル・ネットでホテル・ド・シアード(Hotel Do Chiado)を見つけましたが空き部屋は1泊分だけで2泊できません。日本のホテル・ネットを試したら2泊取れましたが、宿泊料金は日本円払いです。僕のカードはユーロなので為替手数料もとられました(くそー)。


 そんな訳で今回は旧市街へ入ることになりました。リベルダーデ通りをコメルシオ広場(Plaza do Comercio)方面に南下をしてバイシャ地区へ入りました。ホテルの通りに出ましたがホテルが見当たりません。客待ちをしているタクシーに聞いたら、目の前でした。建物の平らな壁にホテル・ド・シアードの文字プレートがあるだけで、全世界のホテルの共通シンボルである万国旗はありません。初めての客は戸惑う隠れ家ホテルで、玄関はブティックの入口みたいです。これでは隣のショッピングモールと間違えますよ、まったく。

イワシの丸焼き

 車を前に置いたらドア・マンが出てきたので預けました。フロントでの会話は僕がスペイン語で話し、ポルトガル語で返ってきます。まぁ、似たような言葉なので、簡単な会話にはノープロブレムです。どうも文化人向けのホテルのようで、壁には現代絵画が沢山並び、インテリアは現代家具です。それらの間に数点散らばしたクラシックな机や鏡がアクセントになっています。トイレの男女のサインまでもクラシックな絵でお洒落です。我々の部屋はスイートルームなので、3人には十分すぎる広さです。その階は全てスイートのようで、専用の階段でレストランやバーへ上がれました。


 バーにはテラスがあり街が一望できるので、すでに若者のグループがビールを飲んでいました。夕飯を食べるため外へ出たら寒いので驚きました。昨夜のセビージャの暑さが嘘のようで、ツーリストはジャケットを着ていました。僕らはリスボン人のオヤジのように長袖シャツでした。坂を下りコメルシオ広場へ行ったら、海風でいっそう冷えました。客引きがうるさいので、ホテルを出る前にガイドブックでレストランに当たりを付けておくべきでした。

サケの鉄板焼き

 地元の人が食べているカフェみたいなレストランに入りました。三人とも喉が渇き腹ペコだったので、まずはビールで「無事リスボン到着」に乾杯をしました。ポルトガルはバカラオ(干しタラ)が美味しいです。生のタラがあったので、それとイワシとサケを焼いてもらいました。ワインはスペインのアルバリーニョに似ているアルバリノ(Alvarinho)にしました。白ワインです。


 料理が来て、そうだ!ポルトガル料理は一皿の量が多い!ことを思い出しました。二皿を三人でシェアしても十分でした。シンプルな焼き魚料理なので味は普通で、サカナ用のソースよりも醤油が欲しかった。旅には持参するのに今回は忘れました。ソースは付け合わせのサラダにも合いましたがバカラオは干しタラの方が美味しいです。

白ワイン、アルバリノ

 食べ終わってからコメルシオ広場の近くはツーリスト相手のレストランの多い場所だったのを思い出しました。ホテルのあるバイシャで食べるかロッシオ広場へ行くべきでした。セビージャ同様に今夜も“ハズレ~”でした(ヤレヤレ)。ホテルへ戻りリスボンの夜景を見ながらバーのテラスで飲みました。風が強くなったので中へ移り、ラストオーダーと支払いを頼みました。体が温かくなったので片付ける音を聞きながらうつらうつらしてきました。寝るときにうっかりと部屋のエアコンを切り忘れました。

リスボンの夜景

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