Cape Fear、in JAPAN

ひとの襟首つかんで「読め!」という、映画偏愛家のサイト。

『Cape Fear』…恐怖の岬、の意。

シネマしりとり「薀蓄篇」(202)

2017-04-09 00:10:00 | コラム
るー「ぷ」→「ぷ」ろれす(ぷろれす)

ミル・マスカラス
前田日明
ロード・ウォリアーズ



スタン・ハンセン
ザ・グレートカブキ

以上、自分の好きなプロレスラー5人。





プロレスラーにとって、許せない現代用語がひとつあるという。

「台本、ありき。」のいさかいが生じた際に使われる「これはプロレス」という表現。

まぁ分からんでもない。

使うほうも、使われてイヤな思いを抱くほうも。

「ちょうどいい」んだよね、表現として。
分かり易いし。

でも、「所詮は台本あり。なんでしょ」と評されることの多いプロレスラーにしてみれば、バカヤロウ! ってなるのも分かる。

台本は決着のみ。 ということが多く、その過程は即興? なのだから。


自分は小学生のころプロレスの熱狂的なファンになり、それは中学生までつづいた。
けれども高校生のころには、プロレスのことが大嫌いになった。

「台本、ありき。」であることを知ってしまったから。

30歳を過ぎたあたりで、また「そこそこ」好きになったのだが、自分が専門とする総合格闘技(MMA)とプロレスを混同するひとに出くわすと、未だイライラしてしまう。

「だから!」といいながら解説をするのだが、でもしょうがないことでもあるのだよね。

たとえば去年大晦日の『RIZIN』。

年に1度か2度くらいしか格闘技を観ないというひとが、この日のテレビ中継に触れたらどうだろう。

柔術の王者であり、このところMMAの成長が著しいギャビ・ガルシアの相手がプロレスラーの堀田祐美子で。



結果は当然のようにギャビの快勝、
ギャビはこのリングがMMAであることを理解しているから、試合後のマイクで相手を称えた。

けれども堀田のセコンドを務めた神鳥忍は、このリングがMMAであることを理解していない。

試合後も相手を挑発し、それが「場に、あっている」と思い込んでいた。


地続きと解釈されることは、なんとも思わない。
けれども「同じ」と解釈されてしまうのは、どんなもんかな、、、と。


・・・・・いかんいかん、映画の話だった。

さて野球やサッカーの映画に比べてボクシングの映画が多いのは、リングとスクリーンのサイズに「それほどの差異がない」から、、、というのが持論なのだが、
では、どうしてプロレスの映画が少ないのか? という問いに対し、誰もが納得する答えを持っていない。

なぜなんだろうね。

力道山の伝記映画は創られたが、パッとしなかった。
猪木の伝記なんて3部作にしなければならないほどボリューミーになるだろうし、
ブロディのイキザマもドラマチックだと思うのだが。

オリジナルだってそうだ。
有名なのは・・・

ピーター・フォークの『カリフォルニア・ドールス』(81)、



日本映画では『お父さんのバックドロップ』(2004)、

そしてミッキー・ロークの『レスラー』(2008)くらいじゃないか。


観客がかぎられてしまうから・・・と考えたが、それはボクシングも同じか。


やっぱり「ガチンコ、ではない」「スポーツではない」という解釈のされかたが、ネックになっているのかなぁ。。。


※歴史的価値の高い、プロレス→MMAの煽りV

ここでドアーズを流すセンスは、さすがだなぁ!





あすのしりとりは・・・
ぷろれ「す」→「す」き。

…………………………………………

明日のコラムは・・・

『ためられない、とめられない』
コメント (2)
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