Cape Fear、in JAPAN

ひとの襟首つかんで「読め!」という、映画偏愛家のサイト。

『Cape Fear』…恐怖の岬、の意。

監督って、何者かね

2016-08-19 00:10:00 | コラム
たとえばサッカーW杯の日本代表で疑問なのは・・・
それがグループリーグであれ、決勝トーナメントであれ、敗退が決定した時点で監督の辞任が決定すること。

そういう契約なのかもしれないが、4年で結果を残せるほど甘い世界じゃないと思う。
8年、12年、いやそれ以上の長い目で見ていかないといけないんじゃ?
なでしこの佐々木・前監督だって、女子バレーの真鍋監督だって、長い期間を任されていた(いる)わけでしょう?

だから岡ちゃんやトルシエ、ジーコ、オシムの指揮ぶりを、もっともっと見てみたかったという思いが強い。

・・・思いが強い。
・・・・・思いが強いのだが、いや現在だって思っているのだが、

シンクロのコーチに復帰した井村さん、戻ってきてわずか数年で「ちゃんとした結果」をもたらしてしまった。

すげー。

もういっちょ、すげー。すげー。

超のつく特例、、、なのだろうか。

どうなんだろうね?

これは日本柔道「篠原信一から、井上康生へ」にもいえることで、なんだかちょっと篠原さんには酷のような気もするが、
いやでも、あのひと、いま超売れっ子だから、あまり気にしないかもしれない笑


個人的に「どうなんかな、もっと適任居るのではないかな」と思われる監督の筆頭が、サムライジャパン(野球)の、小久保裕紀監督。

いっておくけど、個人攻撃じゃないからね!

でも。
前回の則本の起用、ゼッタイに間違っていたもの!!

古田敦也じゃダメなのかな??


さて。
「責任のすべてを負う」という意味では同じだが、スポーツと映画とでは、監督の役割が同じとは「少なくとも一般的には」思われていないっぽい。
注目される機会が、あまりにも少ないんだもん。

そう自分は、監督至上主義の映画小僧である。
(トップ画像は、わが神・スコセッシ。なんか、お茶目だ)

映画は、映画監督のもの。
やや語弊があるかもしれないが、映画小僧、映画通、映画マニア、シネフィルを自称するひとほど「その傾向」が強い。

けれども一般的には、観る映画を「監督で決める」というひとは少ない。
極めて、少ない。

ジャンル、あるいは俳優で決めるというひとのほうが、圧倒的に多いはずで。

それに関してアアダコウダいうつもりはない。

ただ、「監督のこと、もうちょっと気にしてみてね」とは思っている。というか、願っている。

だって。
雇われ監督という立場もあるにはあるけれども、映画っていうのは基本的に、監督が「これを撮ろう」と思わなければ創られることがないものだから。

たとえば。
監督のことを気にしていないひとが、好きな映画を10本くらい挙げたとする。

すると。
けっこうな確率で、同じ監督の作品が複数入っていたりするもので。

つまり。
その監督との相性がいいってこと。
その監督の編集リズムが、心地いいと感じているってこと。

このことに気づいたひとは、それ以降、映画監督のことを(割と)気にしてくれたりするものなんだ。


そういうひとが、増えてほしいな。
極端なことをいえば、そういうひと「ばかり」にならないかな。

自分は、そんなことを思いながら、日々のコラムを綴っているのでありました。


※スコセッシ本人が褒めた、映画マニアによる「スコセッシVSキューブリック」動画




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明日のコラムは・・・

『形から入る』
コメント (1)
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