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明治18年塩谷常吉の伊勢参詣日記 宮島、広島、金毘羅−兵庫編 4月24日-5月1日

2024年05月06日 | 伊勢参詣日記
明治18年塩谷常吉の伊勢参詣日記 宮島、広島、金毘羅−兵庫編 4月24日-5月1日

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四月二十四日 #明治18年伊勢参詣
午前六時、宮島の亀屋福松方に着。亀屋方で朝食。宮島を見物。奥の院へ十八丁、宮島の御山ら大石散じて大石より海を見渡せば、甚だ風景佳し。眼下には紅葉茶屋が有る。 また、川があって、あちこちに小滝がある。
。滝に添って休屋が造られており、風景佳し。また豊臣秀吉公が造った千畳敷の塔あり。近くには五重塔。いずれも宏大で風景甚だ佳し。
宿へ帰って昼食。宮島から小舟で広島へ。午後四時頃着。大手町の津森直助方で泊。宿料は二十銭。
(コメント)
午前は宮島。昼食後、宮島から広島へ船で移動し、広島で泊。
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四月二十五日 #明治18年伊勢参詣
天気良し。広島市内を見物。広島城址、鎮台等を見る。二月社を参拝。
宿へ帰って昼食。午後六時、小舟で宇品港に戻り、岡千保丸という蒸気船に乗り、真夜中に四国の多度津港へ向けて出帆。
(コメント)
午前中は広島市内を見物し、午後には広島から宇品港に戻りました。同港からは蒸気船に乗り換え、真夜中に四国に向けて出帆しています。
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四月二十六日 #明治18年伊勢参詣
午後一時ころ、多度津港へ着。多度津までは宇品港から海上を五十里、賃金は一円二十五銭。多度津から一里で善通寺という寺に着く。この寺で弘法大師が御誕生になられた。午後四時に金比羅町に着く。虎屋惣右衛門方で泊。泊料二十銭。
(コメント)
・昨夜遅く広島の宇品港を出帆し、午後一時に多度津港(現香川県仲多度郡多度津町)に到着。
・多度津から善通寺へ。善通寺は弘法大師が誕生した場所といわれております。
・善通寺から金比羅町(琴平町)に移動し、同町で泊まりです。

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四月二十七日 #明治18年伊勢参詣
めでたいことに金毘羅大社を参拝することができた。多度津港へ戻る。桝屋彦平方(七階建)で昼食。 小舟で備前下津井まで移動(海上五里、賃金二十三銭)。笹屋三六方で泊。宿料二十銭。
(コメント)
・昨夜は金毘羅の門前の宿に泊まりましたので、朝イチで金毘羅大社を参拝。多度津港へ戻ります。
・昼食後、小舟で備前下津井へ(現岡山県倉敷市下津井)。本日は金毘羅大社参拝以外は移動ばかりでした。
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四月二十八日 #明治18年伊勢参詣
下津井を出立。天気良し。同所から九十丁で龍ヶ山にある由加神社。同社を参拝。
同社から十三丁で尾原駅。今屋嘉平方で昼食(五銭)。尾原駅から百丁で備中吉備津神社、さらに十五丁で備前の吉備津彦神社。それぞれ参拝。同社から(人力)車で岡山まで乗る(賃金十三拾三銭)。京橋東詰の西中島町。阿波屋治作方で泊。宿料は十七銭。
(コメント)
・下津井(現倉敷市下津井)を出立。下津井港は、江戸時代から明治のはじめにかけて西回りの北前船の中継地として繁栄していとました。
・由加神社(現倉敷市児島由加)を参拝。
同社は、江戸時代から明治にかけて金毘羅大社との両参りがブーム。常吉たちが同社をお参りしたのも、そのためです。
・由加神社から北参道を下って尾原(現倉敷市尾原)。尾原で昼食をとった後、吉備津神社、吉備津彦神社を参拝し、岡山まで人力車で移動しています。
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四月二十九日 #明治18年伊勢参詣
岡山から出立。雨。馬車で一日市まで行く(四里)。香登村の信濃屋栄治郎方で昼食。
そこから大内村まで行く(三四丁)。同村の戸長宅に臥龍の松がある。高さ二丈余、巾は三十五六間である。
大内村から片上に移動(二里)。入海を小舟で行き、赤穂塩浜に午後八時頃着。城市まで十八丁、紙屋町の浜方屋庄助方で泊。宿料十八銭。
(コメント)
・本日もあいにくの雨。この旅はだいぶ雨に降られています。岡山からは馬車。一日市(ひといち;現岡山市東区一日市)までは馬車の便があったのでしょう。
・本日は大内村の臥龍の松を見物した以外は、ほとんど移動です。赤穂塩浜(現赤穂市)で泊まり。
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四月三十日 #明治18年伊勢参詣
赤穂から出立。天気晴天。播州灘を小舟に乗り、飾磨(しかま)湊に午後一時頃上陸(海上六里)。賃金は昼食付で十四銭。一里行き、姫路城下に至る。市中は賑わっている。御城を見物。城内には鎮台兵がいる。
曽根村へ行き(二里)、天満宮を参拝。名松あり。かつて菅公相(菅原道真)が植え、現在のは二代目の松であるという。甚だ佳し。
十五丁行き、石の宝殿。高見倉の神社を参拝する。神社の後ろにはニ三間四方の大浮岩がある。神社の内外は皆岩であり、大岩に添って所々に松がある。甚だ佳い風景である。
高砂まで五十丁。廣田屋惣兵衛方で泊 。宿料二十銭。
(コメント)
・赤穂に泊まった一行は、播州灘を小舟に乗り、飾磨(しかま)湊に到着。飾磨は現姫路市飾磨区。飾磨津は播磨灘に面しており、港湾として栄えていました。かなり埋立てられてしまっていますが、小豆島行きのフェリーが飾磨からは出ています。
・飾磨で船を降りた一行は、姫路城へ。徒歩で一里。
・姫路城。城内には鎮台兵(陸軍の兵士)がいるのは、名古屋城と同様です(四月六日条)。名古屋では城内を見ることすらできなかったのですが、姫路では城内見物をしています。
・曽根村の天満宮は、曽根天満宮。現兵庫県高砂市曽根町。菅原道真ゆかりの「曽根の松」が有名。常吉たちが見たのは2代目ですが、この松も枯死して、現在は5代目の松だそうです。・石の宝殿。高砂市の竜山丘陵にある生石神社(おうしこじんじゃ)の神体として祭られている巨石。日本三奇の一つといわれており、シーボルトの「日本」にもスケッチが収録されています。

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・本日は高砂(現兵庫県高砂市)で泊まります。
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五月一日 #明治18年伊勢参詣
天気晴天。高砂で相生の松を見物。
十八丁行き、尾上神社で尾上の松がを見物。藤の白花は満開であり、風景甚だ佳し。
濱天満宮を参拝。別府村で手枕の松を見物。
明石まで行く(四里)。王子橋西詰山本屋藤衛門方で昼飯。料金九銭。
(人力)車で柿本の人丸神社(柿本神社)に行き、参拝。市中より高所にあり、見渡せば浜には松が並んでいて、向いには淡路島。海には蒸気船が往復している。風景甚だ佳し。
一ノ谷に行き、平敦盛公の御墓を参拝。 源平戦争場と須磨寺を参拝。
兵庫に行き、和田岬を見物。岬は市中海中に出ること約一里位であり、遊歩している人が多い。兵庫の福屋庄兵衛方で泊。宿料二十銭。
(コメント)
・午前は、相生の松(高砂市)、尾上の松(加古川市尾上町)、手枕の松(加古川市別府町東町)の見物。この辺り、現代とは感覚が違うのかもしれません。
・明石(現明石市)では柿本の人丸神社(柿本神社)を参拝。白砂青松、向いには淡路島、海には蒸気船を見ることができ、風景に感動しています。
・一ノ谷(現神戸市須磨区)。平敦盛公の御墓は、現在は神戸市須磨区の須磨浦公園にあります。
・兵庫に行き、和田岬を見物。和田岬は、明治時代中期以降に、先端部に三菱造船や川崎造船所等の重工業が進出して工業地域として発展していきましたが、常吉たちが見た風景は失われてしまいました。

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