今日、府中で観て来ました、ほぼ30年ぶりのスクリーンでの再会。
観て来た後も、僕の洋画NO.1は変わりはしないんだけど、どこか、ちょっとしっくり
こなかったってのも正直な感想。
ちゃんと涙腺も何箇所かで緩んだし、この映画のもつ独特の雰囲気に浸りもしたん
だけど、何か少し違和感がある。
家族と観に行ったんで100パーセント集中出来なかったからかもしれないけど、それ
だけじゃない。
それは多分、翻訳のせいじゃないかと思います。
日本語大好きで日本に生まれて良かったと思っているけど、今日だけは別、今日だ
けは英語圏で生まれたかった。(笑)
翻訳によってイメージが多少でもズレてしまうというのは哀しいです。
1972年版の翻訳は名匠 高瀬鎮夫さん、最初に見て刷り込まれたのが高瀬さんの
版だったから、その後見たTV版の翻訳や今回の版に、どうしても「イマイチ」感が出て
しまうんです。
高瀬さんの訳は名訳だったと思ってます、これは、後にTVで放映され今に至る米版
「 The Public Eye」ではなくて、柔らかな字体の(パンフレットの表紙の字体)英版「 Follo
w Me! 」を見て記憶してる人に、ある程度共通してるんじゃないかと、勝手に考えてま
す。
今回、一番感じた違和感は、ベリンダ=生徒、チャールズ=先生が強調されすぎて
る、確かに、正確に訳せば、そうなるのかもしれないし、家庭が学校になってしまって
る状況を的確に表現してるとは思います。
でも、高瀬版は、こんなに「生徒」、「先生」としつこく強調してなかった気がします。
この映画は、テーマ曲の歌詞にもある通り、Softly, slowlyな話です、高瀬版は、その
雰囲気を上手に汲み取って、もっと柔らかに表現してた感じがします、生徒、先生、学
校の言葉が強調されたのは、唯一、ベリンダの回想シーン手前、ベリンダとチャールズ
の喧嘩シーンだけだった気がするんです。
特に一番気になったのが前半部、チャールズが結婚前を回想するシーンの終盤、ヘ
ンリー8世の庭園で言うチャールズの最後の台詞、
「私は教える喜びを知った」
これは、ないんじゃないかな、チャールズはここまで高慢じゃないと思う。
これじゃ、まるでイライザを特訓するヒギンズ教授だ。
ヒアリングは、からきしだから解らないけど、
「家庭教師になった」くらいじゃないでしょうか。
これは、既に「高瀬版」を見る事が不可能な状況なので検証しようもないし、書いて
る本人も30年以上前の記憶だけで書いてますから、自信もないし思い込みなのかも
しれないんですけど。
でも、ここまで強調されると「マイ・フェア・レディ」の別バージョンみたいだし、「最高
の大人の御伽噺」が「よくある風刺劇」になっちゃう気がして少し残念です。
ちょっと横道に外れますけど、上記の一連のシーンを見直すと結構、ここは重要なシ
ーンじゃないかと思いました。
チャールズは得々と、あれこれベリンダに教え、既に教え魔になってる自分に気付か
ない。
ここでクリストフォルーが、合いの手を入れるんですが、その台詞が
「で、彼女からは何か教わった?」
その後のシーンで、チャールズがベリンダからは何一つ教わらない事を提示してる。
ここで、もうクリストフォルーは、この二人の不幸の原因が解ってるんですね。
僕がニブイだけなんですが、今日、初めて気が付きました
その他、これは完全な「刷り込み効果」ってやつですが、
冒頭の探偵事務所の所長さんの台詞の最後、
「そうでない時は、それなりの対処を」→「離婚を」(TV版「結婚は終りです」)
そういえば、このシーンに有った「オセロ」も、出て来たのは「高瀬版」だけじゃない
かな、「嫉妬は崇高な感情です、「オセロ」だって・・・」、こういうイギリスっぽい台詞は
残して欲しい。
「来年は透明人間」>これ、確か一番最初にNHKで放映した時、違ってた気がする
(以後は復活しますが)、好きな台詞なんです、まさに、あの時の自分自身を言ってる
みたいで。
まあ、TV版も幾つもあって、「マカロン」を「お菓子」って訳した人も居たし、最後の
トポルの台詞「出来ればグラニュー糖を」を簡単に「砂糖」って訳した人もいたし、別
に「グラニュー糖」が「砂糖」だって全然構わないんだけど、あそこ、英語が大の苦手
な僕でも解るんですよね。(笑)
いろいろ難癖をつけましたが、やっぱり心が浄化される映画です、トポルのバック・
ミラーと大きなジェスチャー、二人で駆け回るハンプトン・コート、そして、「ベリンダの
心がチャールズから離れていない」と悟った時のトポルの表情、どれもこれも思い出
通りに素晴らしかった。
もう死ぬまで、この映画をスクリーンで見る事はないと完全に諦めきってたのに、
信じられない再会が出来た。
この企画を実施してくれた東宝さん、このマイナーな小品を一般投票4位にまで上
げてくれた大勢の人達に、只々、感謝します。
ありがとうございました。
観て来た後も、僕の洋画NO.1は変わりはしないんだけど、どこか、ちょっとしっくり
こなかったってのも正直な感想。
ちゃんと涙腺も何箇所かで緩んだし、この映画のもつ独特の雰囲気に浸りもしたん
だけど、何か少し違和感がある。
家族と観に行ったんで100パーセント集中出来なかったからかもしれないけど、それ
だけじゃない。
それは多分、翻訳のせいじゃないかと思います。
日本語大好きで日本に生まれて良かったと思っているけど、今日だけは別、今日だ
けは英語圏で生まれたかった。(笑)
翻訳によってイメージが多少でもズレてしまうというのは哀しいです。
1972年版の翻訳は名匠 高瀬鎮夫さん、最初に見て刷り込まれたのが高瀬さんの
版だったから、その後見たTV版の翻訳や今回の版に、どうしても「イマイチ」感が出て
しまうんです。
高瀬さんの訳は名訳だったと思ってます、これは、後にTVで放映され今に至る米版
「 The Public Eye」ではなくて、柔らかな字体の(パンフレットの表紙の字体)英版「 Follo
w Me! 」を見て記憶してる人に、ある程度共通してるんじゃないかと、勝手に考えてま
す。
今回、一番感じた違和感は、ベリンダ=生徒、チャールズ=先生が強調されすぎて
る、確かに、正確に訳せば、そうなるのかもしれないし、家庭が学校になってしまって
る状況を的確に表現してるとは思います。
でも、高瀬版は、こんなに「生徒」、「先生」としつこく強調してなかった気がします。
この映画は、テーマ曲の歌詞にもある通り、Softly, slowlyな話です、高瀬版は、その
雰囲気を上手に汲み取って、もっと柔らかに表現してた感じがします、生徒、先生、学
校の言葉が強調されたのは、唯一、ベリンダの回想シーン手前、ベリンダとチャールズ
の喧嘩シーンだけだった気がするんです。
特に一番気になったのが前半部、チャールズが結婚前を回想するシーンの終盤、ヘ
ンリー8世の庭園で言うチャールズの最後の台詞、
「私は教える喜びを知った」
これは、ないんじゃないかな、チャールズはここまで高慢じゃないと思う。
これじゃ、まるでイライザを特訓するヒギンズ教授だ。
ヒアリングは、からきしだから解らないけど、
「家庭教師になった」くらいじゃないでしょうか。
これは、既に「高瀬版」を見る事が不可能な状況なので検証しようもないし、書いて
る本人も30年以上前の記憶だけで書いてますから、自信もないし思い込みなのかも
しれないんですけど。
でも、ここまで強調されると「マイ・フェア・レディ」の別バージョンみたいだし、「最高
の大人の御伽噺」が「よくある風刺劇」になっちゃう気がして少し残念です。
ちょっと横道に外れますけど、上記の一連のシーンを見直すと結構、ここは重要なシ
ーンじゃないかと思いました。
チャールズは得々と、あれこれベリンダに教え、既に教え魔になってる自分に気付か
ない。
ここでクリストフォルーが、合いの手を入れるんですが、その台詞が
「で、彼女からは何か教わった?」
その後のシーンで、チャールズがベリンダからは何一つ教わらない事を提示してる。
ここで、もうクリストフォルーは、この二人の不幸の原因が解ってるんですね。
僕がニブイだけなんですが、今日、初めて気が付きました
その他、これは完全な「刷り込み効果」ってやつですが、
冒頭の探偵事務所の所長さんの台詞の最後、
「そうでない時は、それなりの対処を」→「離婚を」(TV版「結婚は終りです」)
そういえば、このシーンに有った「オセロ」も、出て来たのは「高瀬版」だけじゃない
かな、「嫉妬は崇高な感情です、「オセロ」だって・・・」、こういうイギリスっぽい台詞は
残して欲しい。
「来年は透明人間」>これ、確か一番最初にNHKで放映した時、違ってた気がする
(以後は復活しますが)、好きな台詞なんです、まさに、あの時の自分自身を言ってる
みたいで。
まあ、TV版も幾つもあって、「マカロン」を「お菓子」って訳した人も居たし、最後の
トポルの台詞「出来ればグラニュー糖を」を簡単に「砂糖」って訳した人もいたし、別
に「グラニュー糖」が「砂糖」だって全然構わないんだけど、あそこ、英語が大の苦手
な僕でも解るんですよね。(笑)
いろいろ難癖をつけましたが、やっぱり心が浄化される映画です、トポルのバック・
ミラーと大きなジェスチャー、二人で駆け回るハンプトン・コート、そして、「ベリンダの
心がチャールズから離れていない」と悟った時のトポルの表情、どれもこれも思い出
通りに素晴らしかった。
もう死ぬまで、この映画をスクリーンで見る事はないと完全に諦めきってたのに、
信じられない再会が出来た。
この企画を実施してくれた東宝さん、このマイナーな小品を一般投票4位にまで上
げてくれた大勢の人達に、只々、感謝します。
ありがとうございました。
しかも、思い入れが強い作品ほど気になってしまいます。わたしも英語のリスニングは苦手なので、英語ができたらなぁと思う事もしばしば。
わたしが観た「フォロー・ミー」はヒギンズ教授なチャールズだったのかな~?
だから、高瀬版以外を見ると、パブロフの犬じゃないけど、「これ、違う!」。困ったもんです。
(パブロフの犬>これも、クリストフォルーがチャールズに白いコートとハンチングを貸す時、高瀬版で言ってた)
翻訳の宿命ですね。
「カサブランカ」(宵乃さんは苦手らしいけど)の、「君の瞳に乾杯」を変えた度胸のある翻訳者も居たし、
「第三の男」の観覧車のシーン、ハリーの有名な台詞も廉価版DVDじゃ、変えられてたし・・・。
ちょっと、涙です。
英語ができたらなぁと思う事もしばしば>僕は、英語(数学も)、赤点・追試組の常連でしたから。(笑)
わたしが観た「フォロー・ミー」はヒギンズ教授なチャールズ>これは、「午前10時の映画祭」の字幕が一番キツイと思います。
NHK/BS版は、高瀬版と映画祭版の中間、やや映画祭寄り、かな。