セピア色の映画手帳 改め キネマ歌日乗

映画の短い感想に歌を添えて  令和3年より

「燃ゆる女の肖像」

2022-01-17 22:50:33 | 外国映画
 「燃ゆる女の肖像」(「Portrait de la jeune fille en feu」、2019年、仏)
   監督 セリーヌ・シアマ
   脚本 セリーヌ・シアマ
   撮影 クレール・マトン
   美術 トマ・グレゾー
   音楽 ジャン=バティスト・デ・ラウビエ
   出演 ノエル・メルラン
      アデル・エネル
      ルアナ・バイラミ
      ヴァレリア・ゴリノ

 18世紀のフランス、結婚予定だった姉が死に、修道院から連れ戻された妹の伯爵令嬢エロイーズ、高名な画家の娘マリアンヌは彼女のお見合い用の肖像画を描くように夫人から依頼された・・・。

  予告編 https://www.youtube.com/watch?v=56y2GWHMaoU

 今年の第一作「アンモナイトの目覚め」のコメント見てたらこの作品名が出てきて、そう言えば劇場へ観に行くつもりだったなと。(コロナで断念)
 「アンモナイト~」が機微と無理解と少しの駆け引きなら、こちらは「定め」の中の機微でしょうか。
 フランス映画って余り説明せんタイプだと思ってたけど、最近は随分と優しくなったみたいで、この作品の肝はギリシャ神話のオルフェとユリディスの葛藤であり、その情景はビヴァルディ「四季~夏」であると主人公たちの口を借りて説明してくれています。
 マリアンヌが振り返ったオルフェの心境を現実よりイメージの中に閉じ込めることを選んだのではと説明しますが、これは作家の阿刀田高氏も同じことを書いているので定説なのかもしれません。
 又、この二人が18世紀の現実では決して結ばれないことを対比によって執拗に描いていきます。冒頭近辺でマリアンヌがエロイーズを描いた「燃ゆる女の肖像」そのものを提示してるけれど、エロイーズにあげた本(オルフェ物語)の28ページに挿絵のようにマリアンヌ自身を描いたスケッチももう一つの「燃ゆる女の肖像」であって二人は同化した存在であるのに、過去に閉じ込めると割り切り振り返ったマリアンヌ、振り返れないエロイーズ(夫と子供のいる現世を生きていく)であり、或は現実のエロイーズとマリアンヌが見る幻覚のエロイーズ~冥界のユリディス、住む世界の違う二人として描かれます。まぁ、エロイーズもあの28ページに閉じ込められたマリアンヌのイメージを抱いて生きていくのだから、二人とも同じなのかな。
 そんな事を内包しながら進んでいく物語は映像も美しく惹き付けるものがありました、家政婦ソフィの存在と堕胎の意味は何なのだろう?この数週間の出来事が「存在してはならない事」と示しているのだろうか、ちょっと、判りませんでした。
 似た内容ながらラストを観客に委ねた「アンモナイトの目覚め」、明確に答えの出てる「燃ゆる女の肖像」、しかし、ラストの見応えは「四季~夏」をバックにエロイーズが見せる表情の移り変わり、長回しの撮影に応えたエロイーズ役のA・エネルの演技に軍配が上がると僕は思いました。

・エロイーズ役のA・エネル、18世紀に修道院から出てきて嫁に行くにしてはトウが経ち過ぎてる感が。(失礼!)
・女同士の性愛シーン、かなり露骨な「アンモナイト〜」に較べればこちらは控え目、只、こちらには露骨な堕胎シーンがある。
・マリアンヌ役のノエル・メルラン、初見なのに既視感があると思ったら宮里藍さんだ。
・ヴィバルディの「〜夏」の説明部分はyoutube 本編映像の中にあります、僕はあの楽器を最初に聞いた時ハープシコードと聞いたのでチェンパロとは反応出来ないのです、大雑把に言えばイギリスがハープシコードで大陸がチェンバロ。「嵐が来て」→「人生で一番燃え上がる時が突然、やって来る」、「虫たちが騒ぎだします」→「人生の夏が突然やって来れば、人はアタフタしてしまいます」

   嗚呼、君よ 振り返るべきか わが朱夏の 過ぎ去りしを 知るためにこそ   
                                      寂庭

 R4.1.15
 DVD




コメント (6)
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