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セピア色の映画手帳 改め キネマ歌日乗

映画の短い感想に歌を添えて  令和3年より

「刑事」

2018-04-30 23:30:27 | 外国映画
 「刑事」(「Un Maledetto Imbroglio」、1959年、伊)
   監督 ピエトロ・ジェルミ
   原作 C・E・ガッダ
   脚色 ピエトロ・ジェルミ  アルフレード・ジャンネッティ   エンニオ・デ・コンチーニ
   撮影 レオニダ・バルボーニ
   音楽 カルロ・ルスティケリ
   主題歌 「Sinno me moro」(死ぬほど愛して) 歌 アリダ・ケッリ
   出演 ピエトロ・ジェルミ
       クラウディア・カルディナーレ
       エレオノラ・ロッシ=ドラーゴ
       ニーノ・カステルヌオーヴォ

 ローマのアパートの一室に強盗が入った、しかし、被害者は何故か捜査に消極的。
 その一週間後、隣室のアパートのオーナーでもあるバンドゥッチ夫人が殺害されて・・・。

 1960年頃まで、ホームドラマを上手に作れたのはアメリカとイタリアだと思っています、しかし、それもTVの普及と共に衰退していきました。
 この作品は事件を追う刑事モノですが、ホームドラマと同じ人情劇が底にあると僕は思います、と言うか、推理、サスペンスより人間模様に重心がいってる。(今で言えばTVの「火曜サスペンス」タイプ)
 同じ監督の「鉄道員」のように市井で暮らす人々の描写が上手い作品。
 今から見れば2番目のクレジットがイタリアの大スター(この作品は、まだ新人時代)だから、犯人がこの人かその関係者というのは推測出来てしまうし、馴染みの神父でなく別の場所で結婚式を挙げたという時点でその線はほぼ確定してしまうのだけど、この作品は上記したように「誰が犯人」と言うより、事件関係者それぞれが抱える日常の問題や苦悩、心理を辛口人情劇のように浮き彫りにしていく事に主眼が置かれているので問題はないでしょう。

 ちょっと、音楽の入れ方が・・・。
 余り洗練されてない、唐突に入るというか突然レコードが掛るって感じの所が3ヶ所くらいあった。
 超有名な「死ぬほど愛して」(♪アモーレ アモーレ アモーレ アモレ・ミオ♪)の入る所は良かったんだけど、それ以外がジェルミ監督にしては雑に感じてしまいました。
 でも「死ぬほど愛して」が本当にいい、このメロディが流れてくるだけで情感10割増しで、しっとり世界へ瞬間移動、何でもないシーンさえメロディで名場面に感じてしまいます。(笑)

 主演のP・ジェルミは「鉄道員」に続き、相変わらず達者、生活感を感じさせながら哀愁もホンノリあって、味のある演技でした。
 クラウディア・カルディナーレは、これが実質出世作でしょうからそれに相応しい演技で印象を持って行きます。
 「鞄を持った女」でも書いたけど、この頃の彼女は薄倖の女が実に嵌り役で、本作でも良心の呵責に悩みながらも目の前の幸せに縋る幸薄い女を好演、この人の場合ソフィア・ローレンと同じで不幸体質を必死で押し返そうとするヴァイタリティが内に有って、そこが普通の女優さんと違う所。
 そして、この作品を今更、本気で観る気にさせたエレオノラ・ロッシ=ドラーゴ。
 余り出番は多くないし、前半で殺されちゃうしなんだけど、やっぱり美しいマダムっぷりは目の保養になりました。代表作「激しい季節」より少し老けて見えたけど、清楚・気品とフェロモンという二律背反の要素を違和感なく自然に体現できる希有な女優さん。
 残念ながらプロデューサーの力が強いイタリア映画界で、後ろ盾になるプロデューサーに恵まれなかった(取り入らなかったとも)からか、この作品と「激しい季節」くらいしか有名作に出てないけど、日本の僕より一回り上の世代には人気のある女優さんで、‘60年頃、文化人(厭な言葉だね)の好きな女優アンケートでオードリー・ヘップバーンを押さえて1位を獲った事もあるとか。うん、解る!(笑~男ならね)※「ヘッドライト」のフランソワーズ・アルヌールと混同してるかもしれない、二人とも翳が有る所は似てる~アルヌールは「ヘッドライト」以外はコメディ系が多いけど。

 ちょいと話が脱線しましたが、個人的には良い映画でした。僕の古いイタリア映画のイメージそのもののような作品。

※この歳になってみて、一番好きな女優と聞かれたら、即、エレオノラ・ロッシ=ドラーゴ!と答えます。(爆)
※「シェルブールの雨傘」のギィが出てきて吃驚。(笑~フランスとイタリアを代表する女優と恋仲になる役が来るなんて、随分な色男だわ(‘70年代前半までは日本で結構人気があったけど)
※GW用に3作予定していて、それなのに在庫検索せずに代官山へ、したら、1作しかなくて渋谷なら有りそうだけどあそこは車停める場所ないし有るか無いか賭けもあるしで、結局、帰宅。再び電車で渋谷へ、ホント阿保だ(涙)、執念で借りて来たのが本作。(結局、1作は代官山にも渋谷にも無くて撃沈、「ペティコート作戦」はお預けになりました)

 H30.3.30
 DVD
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「心と体と」 (ネタバレ)

2018-04-29 08:39:41 | 外国映画
 「心と体と」(「TESTRÖL ÉS LÉLEKRÖL」、2017年、ハンガリー)
   監督 イルディコー・エニェディ
   脚本 イルディコー・エニェディ
   撮影 マーテー・ヘルバイ
   作曲 アーダーム・バラージュ
   出演 ゲーザ・モルチャーニ
       アレクサンドラ・ボルベーイ
       レーカ・テンキ

 ♪身も心も 身も心も 一ツに溶けて 今~♪(「身も心も」作詞 阿木耀子 歌 ダウンタウン・ブギウギバンド)
 百恵、淳子、昌子、花の中3トリオと同世代なら、多分、知ってるロック・バラード曲。
 タイトル見て、即、この曲名が浮かんだけど、観てみたら、やっぱりそうだった。
 と言っても、相当、捻くれてますが。(笑)

 ハンガリー首都ブタペスト郊外の食肉工場で管理職をしてる中年末期、片腕が利かない障害者のエンドレ。
 その工場へ代理採用された若いマーリアがやって来る、綺麗な顔立ちながら人とコミニケーションが取れず機械のようにしか対応出来ない彼女は当然ながら孤立、だが、慣れている彼女は気にも留めていないよう。
 そんな時、工場で動物用危険薬品の盗難事件が起き、会社は警察と合わせて心理カウンセラーにも捜査を依頼した。
 そのカウンセリングの過程で、エンドレとマーリアが同じ時間、同じ夢を見てる事が二人に解る・・・。
 (マーリアはアスペルガーかサヴァン症候群によりコミュニケーション障害で異常な記憶力を持っていた、彼女自身、心理療法を受けている~僕は病気に詳しくないので症例は適当推測)

 予告編 https://www.youtube.com/watch?v=AsDpqKcDwGw

 エンドレの主観とマーリアの主観が行ったり来たり。
 二人の見る「夢」が唯一、客観の世界だったけど、それも徐々にそれぞれの主観に引き寄せられてきます。
 ちょっと、半世紀前のヌーヴェル・ヴァーグを思い起こさせる作風。
 孤独な二人が「夢」という一種の神によって引き合わされる訳で、神に導かれた二人なら落ち着く先も決まりでしょう。(笑)
 「心と体と」
 物語中盤の朝、職場でマーリアにエンドレが声を掛けます。
 「素晴しかったよ」
 カウンセラーから夢の世界で交尾したのか?と聞かれ(夢では雌雄の鹿二頭)、二人とも否定してるし我々も見ていない、けれど、この晩の夢だけは映像が無くてエンドレの台詞が感想になってるから、ここで「心」は合体したのでしょう。
 そこから身体を合わすまでの物語。
 この部分の繊細さが、この作品の一番の部分だと僕は思います。
 障害と年齢差のある二人の微妙な距離のやり取りと行き違い、そこは、この観念的ともいえる物語の中で具体的によく描けてる。
 只、筆の置き所が違うと僕は感じました。
 工場での食牛の・解体現場の克明な描写と同じく、話は二人の合体シーン(別にヌードが有る訳ではない)を執拗に描いて、更に、その後まで続くのですが、夢(神)に導かれた二人なのだから、その前、マーリアが自分のアパートの部屋を出て行くシーンで終われると思うんですよね。(自分だけの閉ざされた世界から出て行く)
 確かに他人との接触恐怖症で感情を表に出さず表情の少ないマーリアが、好きな男と初めてSexをして(接触恐怖症の克服)、二人で摂る朝食時に初めて笑顔を見せる事に大きな意味が有るのは解るけど、もっと簡潔に出来る気がしました。(強度に神経質な所とか、全てが改善過程の途中で、二人のこれからに懸かってる事も)
 ・解体シーンの意味が今でもよく解らないのですが、このラストの描き過ぎも解らない。
 監督、偏執狂なんだろか。(汗)

 マーリア役のアレクサンドラ・ボルベーイが大人なのに少女のような可愛さも有って、奇人変人だけど惚れられてみたいです(笑)、ああいう唇に滅法弱い。
 それを置いても好演だったと思います。
 好みの別れる作品でしょう、結局、運命論的映画という「何だかな」という感じはあるけど、繊細さと孤独感は上手く描けてると思います。

※心が先に結ばれ身体が後、身体が先で心が後(「ジョンとメリー」ets)、この語り口はそれ程、新鮮という訳ではない。
※マーリアの異様な記憶力、故・淀川長治さんと同じ分類。(決して淀川さんを貶めて言ってるのではありません、僕は淀川氏を尊敬しています)
※牛の(高圧電気ショック)・解体が延々と続くシーン有り。苦手な人、注意!

 H30.4.28
 新宿シネマカリテ

 「心と体と」 その2 
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「ウォーム・ボディーズ」

2018-04-17 23:00:03 | 映画感想
 「ウォーム・ボディーズ」(「Warm Bodies」、2013年、米)
   監督 ジョナサン・レヴィン
   原作 アイザック・マリオン 「ウォーム・ボディーズ ゾンビRの物語」
   脚本 ジョナサン・レヴィン
   撮影 ハビエル・アギーレサロベ
   音楽 マーティン・ホイスト
   出演 ニコラス・ホルト
       テリーサ・パーマー
       ロブ・コードリー  

 人間、ゾンビ(生きる屍体〜僅かに記憶あり)、ガイコツ(自分の屍肉まで食べたゾンビの末期形〜記憶なし)。

 或る日、空腹に耐えかねたゾンビの一団が餌を求めて廃墟に出掛けた、防壁の中の人間達も不足する物資調達の為、志願した若者達を廃墟に向かわせる。
 ゾンビの中にRが、調達隊にはジュリーが居た・・・。

 予告編 https://www.youtube.com/watch?v=NPe3r80z5js

 
 純愛系ゾンビものと云う事だけは知ってたのに、R(自分の名前がRで始まるのだけは記憶に残ってる)とジュリーが主役なのに、気付くのに40分掛った、鈍いなぁ。(汗)
 まぁ、バルコニーより前に気付いたのがせめてもの慰め。
 純愛、R&Jなら、即、ロミオとジュリエットだよね。(笑)

 という訳で、ゾンビ映画で「ロミオとジュリエット」のバリエーションをやってみました、という作品。
 ゾンビの側がモンタギューで人間側がキャピュレット、当然ながら敵対関係、立場的に全然被らないけどガイコツが大公家一族の見立てなのでしょう。
 本作ではゾンビのうちは記憶が薄っすら残ってて単語のやり取りが出来るのがミソ、もう一つ、相手の脳を食すとその記憶も一緒に取り込まれると云うのも特徴。(時折、フラッシュ・バックする)
 ゾンビ達が人間狩りをした時、Rがジュリーの恋人(ほぼ終了してた)の脳ミソ食べちゃって、急にジュリーの事が気に掛かりだし他のゾンビから守っちゃう、笑っていいのか何なのか非常にシュールな出会いから物語は展開していきます。

 「ゾンビは孤独だ、他のゾンビと何の繋がりもなく、只、一日中ノロノロうろつくだけだ」
 中盤まではRのモノローグで進行していくのですが、ある事をすることで(Hじゃないよ)人としての温もりが蘇りだし、他人との繋がりも恋しくなってゾンビ達に連帯感が生まれてくる。
 知能が無い筈のガイコツ達がR&Jの存在にゾンビ界の崩壊を感じ取り襲って来るやら、危難の時、ゾンビが走り出すとか、ご都合主義の塊みたいな所もあるけど、「ロミオとジュリエット」のパロディーと考えれば整合性を問うのは野暮でしよう。

 若い二人の死によって両家が和解するというのが本家ですが、「ウェスト・サイド物語」だって片方しか死なないんだから、別に死ななきゃいけないって訳じゃない。(笑)
 この作品のゾンビは「ゾンビ病」に掛ったっていう設定なのかな、病気なら治療法が見つかればOKでしょう。
 ま、そういう事にしといてくれって感じの映画。
 個人的には面白く観終える事が出来ました。

※最後はジュリーがゾンビ化してRと幸せに暮らしましたとさ、って話なのかと思ったのですが見事にハズレました。(笑)

 H30.4.15
 DVD 
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「バーフバリ 王の凱旋」

2018-04-14 22:59:10 | 映画日記/映画雑記
 「バーフバリ 王の凱旋」(「Baahubali2-The Conclusion」、2017年、印)
   監督 S.S.ラージャマウリ
   脚本 S.S.ラージャマウリ
   撮影 K.K.センディル・クマール
   音楽 M.M.キーラヴァーニ
   出演 プラバース
       アヌシュカ・シェッティ
       ラーナー・ダッグバーティ
       ラムヤ・クリシュナ  サティヤラージ

 予告編 https://www.youtube.com/watch?v=2dgcnzNaB7Q

 結論から先に言いますが、「伝説誕生」と合わせた「バーフバリ神話」はイマイチ僕の感覚と合わない作品でした。
 相変わらずの豪華なセットと大量の人員動員、VFX多用も2作目となると目慣れたものとなり新鮮味も感じられなくなっていました。
 只、この物語は疑似神話だからリアルでなくていい事は理解できます、神話なのにリアルな戦闘では神性が出ませんから。それでも、アクションシーンに於けるスローモーションの多用に継ぐ多用は僕の好みと正反対なのでノレないんです、で、この作品、ノレないと結構辛い。(笑)

 簡単に言うと派手なだけの「伝説誕生」より、先父バーフバリとクンタラ王国王女デーヴァセーナとのロマンスや共同戦、それによる国母シヴァガミとの確執、義弟バラーラデーヴァの陰謀というドラマ性が強い「王の凱旋」の方が面白い。
 戦闘シーンだけを取れば戦術性のある「伝説誕生」の方が、只の物量作戦になってる「王の凱旋」より優れてると思うけど、中身はドラマとユーモアのある「王の凱旋」の方がずっと優れてたと思います。

 そのドラマ性なのですが。
 確執、陰謀の部分、忠臣カッタッパの悲哀はちゃんと描けてると思います。
 でも、ドラマとして前後編を通して見ると、非常にバランスが悪い。
 物語の主役と思ってた前編の息バーフバリが通しで観ると殆ど平幕級に軽い、せいぜい関脇って感じ。
 前編のヒロイン、アヴァンティカに至っては後編になるとほぼその他大勢の一人になってて(台詞あったっけ?)、それなのに、最後、王妃として横に鎮座してる、ちゃんと、その座に座るだけの活躍がないと「何だかな」と思っちゃいます。
 「王の凱旋」の主役は父バーフバリ、即位目前、陰謀により新妻デーヴァセーナと共に失脚、庶民に混じり苦労もするが国民の厚い信頼を失う事はない。
 類まれな戦闘力、深い思慮、国民への慈愛、それがちゃんと体現出来てる、けれど、それをしっかり描写すればする程に息バーフバリが只の筋肉バカに落ちていってしまうという・・・。
 「王の凱旋」のヒロイン、デーヴァセーナも戦闘力だけでなく本質を見抜く知性、気高さ、反骨心が描かれてるから、美貌と戦闘力だけのアヴァンティカが格落ちになっちゃう。
 前編ではライバルとしてほぼ互角に描かれていた義弟バラーラデーヴァも、後編になると只の権力亡者の嫉妬深い小物に堕ちてて玉座を巡るドラマに幅がなくなり面白みに欠けてしまう。
 結局、巨額の製作費を掛けた超大作が陥ち入りやすい大味な巨編というのが、僕の率直な感想。
 でも、世間的には話題になって新しいインド映画ファンを大増産してるから、結果オーライで僕の感性が違っているのでしょう、(汗)
 僕としても前編から1年、後編を観た事でミッション完了、漸く、スッキリ出来ました。

 過去記事「バーフバリ 伝説誕生」

※しかし、カッタッパは儲け役だね、この大作で一番役者としてやりがいの有る役だと思う。
※「バーフバリ 前後編」とは、王の資質全てを備えながらも失脚した類まれなる英雄、父バーフバリの伝説物語。

 H30.3.13
 新宿ピカデリー
 
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「ダンガル きっと、つよくなる」

2018-04-07 23:35:28 | 外国映画
 「ダンガル きっと、つよくなる」(「Dangal」、2016年、印)
   監督 ニテーシュ・ティワーリー
   脚本 ニテーシュ・ティワーリー
   撮影 サタジット・パンデ
   音楽 プリータム・チャクラボルティー
   出演 アーミル・カーン
       ファーティマー・サナー (長女 ギータ)
       ザイラー・ワシーム (ギータ少女期)
       サニヤー・マルホートラ (次女 バビータ)
       スハーニー・バトナーガル (バビータ少女期)
       アパルシャクティ・クラーナー (従兄 オムカル青年期)

 ♪ダンガル!ダンガル!ゥォ ゥォ ダンガル!ダンガル!♪なのである。
 ダンガルとはヒンディ語でレスリング全般(レスラーを含む)を意味する言葉だとか。

 1970年代、アマチュア・レスリング国内チャンピオンにもなったマハヴィルだが、生活の為、引退、今は村でそれなりの尊敬を受けるだけの普通の人。
 彼の夢は息子をレスリングで国際大会金メダリストにする事だったが、生まれて来た子供は娘×4だった・・・。

 予告編 https://www.youtube.com/watch?v=rOrWAD5_tTA
  ※オリンピックは嘘、映画内では目標はあくまで国際大会で金メダルを獲る事になってます。
  ※確かにギータはロンドン・オリンピックに出場していますが、映画のクライマックスはコモンウェルス・ゲームズ(イギリス連邦国選手権)、オリンピック、世界選手権まで行くと吉田 沙保里選手、伊調 馨選手が壁になるからじゃないかな、ギータもバビータも彼女達には勝てなかった)

 小学生の娘二人(長女、次女)が同級生の男の子をボコボコにしたのを見て、マハヴィルは娘達に格闘技の才能が有る事を知り、突如、星一徹ばりの特訓を娘達に課す、自分の夢を実現させる為に。
 父親絶対主義で年端もいかない娘達が泣いて頼んでも聞かず、泣いて赦しを願っても女の命の髪まで切ってしまう絶対君主。
 しかし、インドの地方では、まだまだ、女は家事と産む道具でしかない現実を知り、父親の元へ戻る。
 そして、終盤、父親が長女に与える助言「敵はオーストラリアじゃない、女を下に見ている全ての人間だ」となります。
 映画としては、この前段と後段が上手く繋がっていない欠点がある、自分の夢の実現の為に娘を道具のように使っていた人間が、何時、啓蒙主義者に変身したのかと。
 でも、それが終盤の胸アツ展開で些細な瑕疵に思えてしまうくらい熱量がある。
 日本や欧米だったら、その転向を納得させるシーンを作らなければ到底受け入れられないけど、そこをインドは欧米・日本がとうの昔に置き捨てたパワーと熱量、そして、歌で誤魔化し(笑)押し切っちゃいます。
 この映画に関しては、そこで引っ掛かっちゃう人が、残念ながら、随分居るかもしれません。

 映画は面白いですよ、今年初めての鉦鼓亭イチ押し作品。
 この作品、スポ根ドラマの王道を少しも踏み外さず真っ直ぐに作っています、始り→反抗→特訓→挫折→と。
 でも、王道という定石はキッチリ作れば王道ならではの強靭な作品になりやすいし、ちゃんと成功してると僕は思います、終盤、涙ボロボロだったし館内のあちこちから泣いてる気配を感じました、女性は不向きかと思ったけど、かなりの数の女性が泣いていたと感じました。

 元々、アーミル・カーンはインドに於ける女性差別の解消を訴えてきた人で、上手く繋がっていないとは言え、後半部分には彼の思いがしっかりと入っていると思います。
 でも、演説になってない。
 そこが彼の選ぶ作品の良い所でインド映画の良い所、決してエンタティメントを忘れていないのが好きなんです。
 本当に彼の役者魂には恐れ入ってしまいます、「きっと、うまくいく」の大学生(40代で演じた)、「PK」の宇宙人、そして本作のレスラーを納得させる肉体の作り方、僕が最も尊敬するプロ中のプロの一人ですね。
 また、長女ギーダを演じたザイラー・ワシーム(少女期)、ファーティマー・サナー・シャイクの二人は本物の女子レスラーそのもので素晴しい好演だったと思います。(オーディションから適正を見て、採用後、長期の訓練をしたらしい)

 彼女たちの練習、撮影風景
 https://www.youtube.com/watch?v=kGZjouuqY4E
 半年以上、訓練したとか。インドの女優さんは大変だ・・・。

 冒頭、正直言えば字幕を追えなかったのでアヤフヤですが、「実話を盛った物語」と出てたのには、正直すぎて笑いました。(「ドリーム」も、これくらい素直なら・・・)
 取り敢えず、本年、暫定1位です。

 https://www.youtube.com/watch?v=x_7YlGv9u1g
 出演者全員スタントなしカメラトリック殆どなしのレスリングシーン、それだからこそ出る本物のリアルさ、素晴しい!!

※歌は何曲か入るけど踊りはありません。
※エンドクレジットに被さるテーマ曲?、燃える!!(笑〜エンドロールがリズムに合わせて妙にカクカクするのも可笑しい)
※従兄のオムカル、この人の回想記でもあるのだけどコメディリリーフ、この人のお陰で息抜きも出来るし上手く演じていたと思います。

 H30.4.7
 日比谷シャンテ 
コメント (9)
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