波佐見の狆

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光くんとグランマのその後

2020-12-13 18:17:46 | 狆 (栗之介・恵之介・光之介・十兵衛)

またまた、1か月以上ご無沙汰しました。あっという間に今年もこんな時期になりましたが、皆様お元気ですか?

波佐見は今日、初雪でした。

ちょうど去年の今頃、この家の上棟をしていまして・・・町内で他のおうちの建築現場の側を通るたびに、懐かしく思い出してしまいます。この1年、いろんなことがありすぎて、10年くらいいっぺんに過ぎ去ったような感じすらします。

光くんの心臓病のその後です。

ご心配をおかけしましたが、薬(ベトメディン)が、本当によく効いているらしく、これを服用し始めてから、苦しそうな症状(発作)は、ウソのように全くなくなり、以前のように元気に散歩できています。結局携帯酸素を購入することすらすっかり忘れていました。

目のほうも、以前は、目薬3種類でしたが、今は目やにもだいぶ収まったので、1種類(ヒアレイン)だけ、1日3回しています。

以前の記事でもお話ししましたように、外では、人工芝が一番のお気に入りですが、室内では、ソファのクッションが定位置になっていまして、よくここでへそ天しています。

「どやっ!ソファカバーのにゃんことおんなじ格好だぞーー!」

ちなみに・・・友だちと言えるほどのワンコ仲間はまだできません。光くんが、波佐見で田んぼカントリーウオークを楽しんでいるかといわれれば・・・そうでもないです。光くんは、どちらかというと、牛久くらいの適度な都会感・・アスファルトと商店街、建物(戸建て、マンション)、車の騒音と人の往来。。人工的に整備された公園・・・そういうものの中を歩くのが好きなようなんです。グランマの家は、佐世保市早岐(はいき)という地区にあるのですが、この早岐は、牛久に似た感じの都会感が結構ありまして、ぱぱ曰く、「光は早岐に連れてくると表情も歩き方も全然違う。生き生きする。どうしても、なんか匂いが違うとやろなーー。」

親の都合で連れてこざるを得なかった波佐見。時間はかかるかもしれないけれど、光くんも、自分なりの楽しみをみつけてくれるよう、願うばかりです。

そして、母のこと。

早い話が、認知症も、筋力低下も、老人性難聴もすべてじわじわと進んでいて、とりわけ、認知は、日ごとに、がくん、がくんと、段階を踏んで落ちていく感じです。言葉もあまりしゃべれなくなってきて、すぐ「あーーうーー」と詰まってしまい、まるで失語症患者です。

介護サービス利用状況は、デイケアが週3回、訪問(ヘルパーさん)が週1回です。ほんとは、デイケアに週4回行ってほしいのですが・・・今行っているところに空きがなくて、マックスで3回までしか入れなかったため、あとは訪問で補おうということになりました。ヘルパーさんは1時間半で調理だけを頼んでいます。食材は私が買って準備しておきます。母は、もう自分では料理は全くできない、やらないのですが、人が作ると文句ばかり言い、せっかくヘルパーさんが作ってくださったものも、捨てたりするので、私はそのたびにイライラが募り、本当に訪問利用の意味があるのかとすら思うこともあるのですが・・・あかの他人が自分のキッチンに侵入するのを拒むことはなく、なんとか続いてはいるので、もう少し様子見かなと思います。

主治医(神経内科の先生)からも、「危険なことをしたとか、大きな失敗がなければ良しとしましょう。本人さんが、穏やかに過ごせていることが一番ですよ。」と言われました。現状維持ができれば、御の字。

そして、私が2、3日おきに行って、介護することで、母の独居生活は維持されています。

いや、維持されて「いました」。。というべきかな。今後はどうなるかわからないのです。

というのは・・・

母の額に、「基底細胞癌」という小さな皮膚がんがみつかりました。これは、高齢者には多い癌で、転移するような深刻なものではないのですが、癌は癌です。ほかの組織まで破壊しかかっていたので、局所麻酔下ですぱっと切除してもらいました。それが先週の水曜(9日)。経過は良好ですし、先生の腕を信頼するしかないので、手術そのものは受けさせて良かったと思います。

問題は、2週間という入院期間。もちろん面会できません。看護師さんを介して洗濯物などを受け渡しするだけです。

今の母にとって、2週間、家族と会わずベッドの上というのは、認知機能も、筋力も、甚だしく低下すると思うのです。看護師さんたちは、多忙にもかかわらず、とても優しい感じで、私からの要望(できるだけ話しかけてあげてください、廊下など歩かせてください、少しでも脳に刺激があるようテレビをできるだけ見るように促して下さい・・など)に対しても、可能な限り寄りそう姿勢を見せてくださいます。(2週間なので、理学療法士さんが付いてしっかりリハビリ、とまではできないみたいですが、看護師さんが手の空いたときに、休憩室などで歩かせたりしてくれている模様です。)でも、退院してきてから、これまでのように一人で暮らすのはもう難しいのではと思います。

とりあえず、退院後しばらくは、私が母の家に泊まり込み、通所と訪問を復活させる予定です。そして、30日から3日まではどちらも休みなので、この期間は波佐見に連れてきます。そこまではいいとして、そのあと、どうなることやら・・・

ケアマネさんからも、「退院後、どうなるかは、今心配しても仕方がありません。そのときはそのときで、最良の方法を皆で考えて対処しましょう。2週間きっちりと管理されることで、意外と元気になるかもしれないし。」と言われました。

確かに・・・毎日3食きちんと食事をして栄養を取り(これまでは、ヘルパーさんも私も来ない日はろくなものを食べていなかったので)、家族以外の人たちと言葉を交わし、家とは異なる環境に置かれることで脳に刺激となり・・・悪いことばかりではないかもしれない・・・とプラス思考になったりもしますが、やはり、退院の日、私とぱぱが迎えにいっても、私のこともわからなくなっていて、きょとんとされるのでは・・・という恐れのほうが大きい。

76歳で既に重度のアルツハイマーだった父が、ついに私のことを分からなくなった日の衝撃がよみがえり(私にとって、一番のトラウマ)・・・両親とも、認知症という病魔により連れ去られてしまうんだなぁと思うと、やりきれない。

ストレスのせいか、左側下半身に、神経痛が出てしまい、整骨院通いが続いています。

でも、うちの癒し隊長は、元気を取り戻したし、ぱぱも、いつも細かくサポートしてくれるし、いつでも愚痴を聞いてくれる優しい友人たち(オンライン英会話のイギリス人先生を含め)、いとこたちなどが何人もいてくれるし、そして、何よりこの快適な新居に守られ、窓の外に広がるの~んびりとした景色とお空を眺めているだけでも、ま、どーでもいいかーーーなるようになるさーーーっていう気持ちになれるのです。

母のことにしろ、自分自身のことにしろ、あれもない、これもできない、とマイナスばかり数えていたらきりがないですね。こんなに持ってるじゃない、これだけやってきたじゃない、あっ、昨日もイギリス人先生とロック談義盛り上がって楽しかったなーー、今朝のパン美味しかったな・・・って、足し算していこうと、自分に言い聞かせています。