クニの部屋 -北武蔵の風土記-

郷土作家の歴史ハックツ部屋。

「関東管領上杉氏と埼玉の戦国武将」展を見に行こう

2017年11月12日 | 戦国時代の部屋
埼玉県立歴史と民俗の博物館で開催している特別展「上杉家の名刀と三十五腰」と併せて、
「関東管領上杉氏と埼玉の戦国武将」が開かれている。
会場は同じく県立歴史と民俗の博物館。
主催は埼玉県立文書館。

こちらも熱い展示だ。
武州戦国時代の歴史的人物たちの文書が一堂に会し、ガヤガヤと賑やか。
展示構成は以下の通り。

 第1部 関東管領上杉顕定の時代
  Ⅰ 関東管領と享徳の乱
  Ⅱ 山内・扇谷上杉氏同族の争い 長享の乱

 第2部 関東管領上杉憲政の時代
  Ⅰ 揺れる古河公方家と関東管領
  Ⅱ 北条氏の侵攻と河越合戦
  Ⅲ 長尾景虎から関東管領上杉輝虎へ

 エピローグ 上杉景勝と御館の乱

この構成を目にしただけで、胸躍る人は多いのではないだろうか。
亡き羽生城研究者・冨田勝治先生がもしご存命だったら、
きっと足を運んでいたのに違いない。
晩年、行田市郷土博物館で開催された忍城主成田氏の展示を、
2人で見に行ったことを思い出す。

羽生城に関連した文書も展示されていた。
永禄12年(1569)に比定される閏5月6日付の上杉輝虎書状(森山家文書)と、
同年比定の7月15日付の木戸忠朝書状(上杉家文書)だ。

前者は、輝虎(謙信)が羽生城主広田直繁に宛てたもので、
武蔵国において忠節を守り続けている直繁を賞賛する一文が記されている。
同文書は展示解説リーフレットの9ページにも写真が掲載されており(表紙の一部にも)、
これまであまり注目されてこなかった広田直繁に、
改めて光が当たっているのではないだろうか。

木戸忠朝書状は上杉家家臣の河田長親に宛てたもの。
忠朝は広田直繁の弟にあたる。
深谷城主上杉憲盛を味方に引き入れたことを報告している。
(展示されている両文書は複製)

もちろん、展示されているのは羽生城関係文書だけではない。
長尾景仲や上杉顕定、足方政氏や太田資正など、
マニアックなようで著名な人物たちの文書を目にすることができる。

文書館収蔵文書展「関東管領上杉氏と埼玉の戦国武将」は、
12月10日(日)までの開催。
期間展示有り。
前期11月3日~11月19日
後期11月2日~12月10日

古文書は地味との声を聞くことがある。
しかし、文書は貴重な歴史の証言者。
その時代に生きた武将や公方たちの命の息吹が、
文書を通して伝わってくるだろう。
コメント
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