もしも背が高かったら、
人生はいまとは違っていたかもしれない。
なんとはなしにそう思う。
旧騎西町(現加須市)には背の高いお地蔵さまがいる。
その名も「背高地蔵」。
しかも2体ある。
“下崎”のお地蔵さまは南を向いて建っている。
確かに高い。
2メートル以上はあるだろう。
お地蔵さまはグングン背が伸びたのだろうか?
いや、違う。
村人が意図して背の高いお地蔵さまを建立したのだ。
ときは享保3年(1718)のこと。
かつて村では大水をかぶり、甚大な被害を出した。
その犠牲者の霊を供養するため、村人たちがお地蔵さまを建立。
一般的な背丈のお地蔵さまではない。
どんな大水が来ても、水にもぐらないよう背を高くしたのだ。
そのため「背高地蔵」と呼ばれるようになった。
水にもぐらない=再び大水に見舞われないよう、村人の願いがこめられたことだろう。
例え再び大水に見舞われても、
水にもぐらないお地蔵さまが村を救ってくれる。
そんな祈りもあったかもしれない。
治水技術の進歩により、往古よりも大水の危険は多少少なくなった。
とはいえ、洪水はいまでも身近な自然災害としてある。
背高地蔵はいまも地域の人々から信仰が寄せられている。
もしもこのお地蔵さまくらい背が高かったら、
人生はどうなっていただろうか。
性格も違っていたかもしれない。
付き合う人間も変わっていたかもしれない。
背が高いもう一つの人生。
いや、案外何も変わらない気がする。
背が高かろうが低かろうが、
背高地蔵への親しみの気持ちは一緒だろう。
人生はいまとは違っていたかもしれない。
なんとはなしにそう思う。
旧騎西町(現加須市)には背の高いお地蔵さまがいる。
その名も「背高地蔵」。
しかも2体ある。
“下崎”のお地蔵さまは南を向いて建っている。
確かに高い。
2メートル以上はあるだろう。
お地蔵さまはグングン背が伸びたのだろうか?
いや、違う。
村人が意図して背の高いお地蔵さまを建立したのだ。
ときは享保3年(1718)のこと。
かつて村では大水をかぶり、甚大な被害を出した。
その犠牲者の霊を供養するため、村人たちがお地蔵さまを建立。
一般的な背丈のお地蔵さまではない。
どんな大水が来ても、水にもぐらないよう背を高くしたのだ。
そのため「背高地蔵」と呼ばれるようになった。
水にもぐらない=再び大水に見舞われないよう、村人の願いがこめられたことだろう。
例え再び大水に見舞われても、
水にもぐらないお地蔵さまが村を救ってくれる。
そんな祈りもあったかもしれない。
治水技術の進歩により、往古よりも大水の危険は多少少なくなった。
とはいえ、洪水はいまでも身近な自然災害としてある。
背高地蔵はいまも地域の人々から信仰が寄せられている。
もしもこのお地蔵さまくらい背が高かったら、
人生はどうなっていただろうか。
性格も違っていたかもしれない。
付き合う人間も変わっていたかもしれない。
背が高いもう一つの人生。
いや、案外何も変わらない気がする。
背が高かろうが低かろうが、
背高地蔵への親しみの気持ちは一緒だろう。