story・・小さな物語              那覇新一

小説・散文・詩などです。
那覇新一として故東淵修師主宰、近藤摩耶氏発行の「銀河詩手帖」に投稿することもあります。

凍り付いた駅で

2022年08月22日 23時04分42秒 | 小説

冬の夜
上田から乗ったしなの鉄道の電車は淡々と走る
昔懐かしいというのか
ボックス型の向かい合わせ座席
4人掛けを一人で占領して僕は小諸に向かう
窓の外は夜の上田市街だ
家々やショッピングセンターの灯りもすでに大人しくなり
国道を走るクルマのヘッドライトも少ない
そして闇を小雪が舞う
自分の顔や車内の様子が窓ガラスに反射する
長野ではかなりの降りだった
電車の暖房は強く車内は暖かい

小諸の駅近くの宿で昨夜に引き続き連泊だ
僕は一昨日からこの地で所用を片付けているが
今日はどうしても長野市内で打ち合わせがあり
そのあと久しぶりの友人たちと、かなり呑んだ
悪い癖で、話が盛り上がり酒が進むと
僕は殆ど食べ物を摂らなくなる
ひたすら酒だけを呑んでいるわけだ

遅くなってしまったので北陸新幹線で上田まで一駅乗り
そこからしなの鉄道に乗り換える
ただ、東京行き最終一本前の「はくたか」から
上田駅で改札を出て二階へ上がり
しなの鉄道の切符を求めてまた階段を降りると
そこには今にも発車しそうな電車が停車していて
少し焦ったのは確かだ
酔いが残ってというより、まだかなり酔っていて足元がやや覚束ないのもある

僕の住む関西では
新幹線から在来線に乗り換えて少し先へ行く場合
乗車券は最初にまとめて購入できるが
ここでは新幹線と在来線の鉄道会社が異なり
切符はそれぞれ別に買わねばならない

夜遅いローカル電車に乗客は少ない
3両編成でも一両に乗っているのは十人前後というところか

信濃国分寺という駅を過ぎると
それまでは車窓にみえていた家々の灯りもうんと少なくなる
電車はかなりの速度でモーターを唸らせ走っている
眠くなってきたが電車は小諸行きではない
軽井沢行きだ・・寝てはならない・・寝過ごすと後が面倒だ
そう自分に言い聞かせるが
暖房の心地よさとレールジョイントのリズムは
今日一日の疲れと、なにより酒の酔いが僕を眠りの世界に引き込む

イントネーションが前にある「田中」に着いたのは覚えていた
だが、そこから眠りに落ちたようだった
「今日はごしてえよ」
「勉強するしない」
「今日はもうできねえだよ」
「だらずねえ、明日はしみるよ・・」
若い女性の声がする
さっき上田で乗り込んできた数人の女子高生風だろうか

座席下からの暖房が僕を暖かく包み込んでくれる
「また、明日、がんばりやしょ」
「んじゃね、ばいばい」
「あばね~~」
可愛い声が心地よい
そう思った瞬間、ハッとした
小諸ではないのか!

電車はドアを閉めゆっくり走りだしていた
明るい小諸駅のプラットホームが流れていく
車内では自動放送の甲高い女声が「次はひらはら」と言う
いくつものポイントを超え
やがて構内を出て掘割のようなところを走っているようだ
雪が降っているのが見える
「しまった」
平原駅なんて降りたこともない
だが電車はどんどん進んでしまう
時刻は21時を回っている

だが今ならまだ、小諸に戻る電車もあるだろう
確か小諸駅には23時過ぎまで列車の時刻が表示されていたはずだ
線路が走る掘割が壁のように見えるが
沿線に住宅が少なく闇の中だ
雪が強くなってきたようで列車の速度ゆえか
白い粒がたくさん横に走る

寝てはならないと言い聞かせても
僅か一駅でも眠りに落ちそうになる
それに酔いが覚めかけてきていて、気分が悪い
電車が停車した
ホームに降りると足元には雪が積もっている

駅にはちゃんと照明があり
オレンジ色の強いひかりで辺りを照らしてくれているが
小さな待合室があるだけのホームだ
仕方ないからその待合室に入ろうとして、どこかで見たようなと思った
しげしげ見回してやっと気がついた
これは「車掌車」だ
昔、貨物列車の最後尾に必ずくっついていた
夜に見ると、赤いテールライトが印象的だったあの車両だ
それが、駅舎の代わりに置いてある

待合室のベンチには座布団も置かれているが寒い
冬の小諸は氷点下10℃以下になることも珍しくなく
しかも今夜は雪が降っている

雪は吹雪というほどでもなくしんしんと降る
大粒の雪がどんどん辺りを覆うような感じだ
寒い…
震えが来る
時刻表を見ると次の小諸行きは30分ほど後だ
「電車がまだあってよかった」
寒い待合室で立ってうろうろしながらほっとするが身体の底が寒い
それに胃袋のあたりがムズムズする
こういう時は、一度吐いてしまわないと治まらない

待合室で吐くわけにもいかず外へ出た
だが駅にトイレなどはない
駅前には工場風の建物と数軒の民家がある
こんなところで吐いたなら地元の方々に迷惑だろうと思う
どうしようか、思案していると水の流れのような音が微かに聞こえる

耳を澄ますと、どうやら駅舎と反対側から音が聞こえているようだった
ホームの先には構内踏切があり、そちらへ向かってみる
小諸方向へ行く電車の乗り場があり
さらに、線路を超えて雪原にしか見えない方向への簡単な通路があった

水音はそちらから聞こえているようだ
胃が暴れ始めた
走ってそっちへ向かう
線路を渡った先の通路の斜めになった踏み板で足をすくわれた
そこに敷いてあるのはただの板で、表面が凍っていたのだ
思い切り転倒したが、そこに水の流れる水路を見つけた
怪我をしているかもしれない
そう思いながらも吐いた

たいして食べ物を摂らずに、ただ大量の酒を呑んだからか
殆ど食べ物らしき残骸は出てこない
水路に向かって口から水を流し出している感覚だ

それでもほっとした
辺りを見回すと、雪原の中に線路という風情だ
身体が痛い、転んだ時に膝や腰を打ったのだろうか
動けないのでしばらくじっとしていた

何分か経過しただろうか
「大丈夫ですか?」
女性の声が聴こえた、
人?と思いながらそちらを見ると、子供を連れた女性が立っていた
カッパのようなものを被っている

「ええ・・なんとか」
立とうとしたが、膝を打ったようですぐには立ち上がれない
雪はかなり小降りになったようでパラつくという感じだが寒い
寒いというより痛い
「無理なさらないで・・」
「はい、でも今夜のうちに小諸の宿へ帰らないと」
だが、重い体はなかなか立ち上がれない
「お母さん、この人怪我しているの?」
横にいた子供が訊いてくる
カッパに包まれてよく分からないが、声からして女の子だ

「あら・・」
女性は僕の膝のところを見ている
「怪我をされているではありませんか、これはすぐに手当てしないと」
「いえ、これくらい・・」
そう言って笑おうとして痛みが走る
「うちはすぐ近くです、そこまでお支えしますから」
女性は僕の意向など構わず肩を差し出してきた

女性の肩に腕を回し、やっとの思いで立ち上がる
「ここで朝までいると凍死しますよ」
確かにそれはそうだ、動けなければ凍死かと
雪にまみれた多分ここは田んぼだろうか・・を見る

女性に肩を支えてもらいながら、雪道を歩く
しなの鉄道の電車が、明るい車内を雪に反射させて通り過ぎる

少し坂を登った先の小さな家の前についた
ここらしい
「待っててね」
女性と子供が家に入るとすぐに明かりがついた

「どうぞ」
女性が僕を部屋に入れようとしたが
転んで汚れたままでは失礼かと僕は固辞した
すると女性は玄関の上がり框に僕を座らせ
「見せて」という
膝のあたり、ズボンが破け血が出ていた
女性は自分が土間に降り、そこで「これは痛いわよね」と
呟きながら、いったん奥へ入っていった
「痛いの、可哀そう」
女性の娘、たぶん5~6才だろうか、がカッパを被ったまま
こわごわ僕の膝をのぞき込む

やがて女性が薬箱を下げて玄関に戻ってきた
カッパは脱いでいて、ジーンズにセーターといういで立ちだ
胸のあたりのふくらみが眩しい
「ズボン、上げられます?」
だが、けっこうスリムなデザインのズボンは膝まで捲り上げることが出来ない
「脱いでください」
「は・・?」
「せめて消毒して傷口をふさがないと」

促されてズボンを脱ごうにも立てない
すると女性は自ら僕のズボンを下げてくれた
そして、膝の血を拭き取り、消毒し、大き目の絆創膏を貼ってくれた
「明日、病院に行ってくださいね」という

そのとき、女性の娘が「おかあさん、これ」という
手に木で出来た大き目の人形を持っている
娘の半身くらいはありそうな大きさだ
人形は男性のようで、武士のような服装をしている
「あら・・」
女性がちょっと驚いて娘と僕の両方を見る
何のことだろう・・と思った
娘は、結構大きめのその人形をもって僕の前に向き合う
それは簡単な操作で手足が動くようないわゆるからくり人形だ

「ね、痛くなくなったでしょ」
と娘は人形の後ろに回り、人形に喋らせる
「痛くないよね、お母さんはお医者さんなのよ」
人形は器用に首を傾げ、動かないはずの表情も変わる気がする
僕はなんだかおかしくなって彼女が操作する人形に話しかける
「ありがとう、もうすっかり大丈夫だよ」
「よかったね、これでお家に帰られるね」
娘ではなく、人形が僕に語ってくる
「うん、本当に助かった」

「今夜は泊っていかれたらどうですか?」
女性が言う
「いえ、宿も小諸にとってありますし」
「でもまだお膝が動きづらいでしょう」
「はぁ」
すると人形が喋る
「まだ、今日は動いちゃだめよ、明日の朝になったら動けるようになるからね」
「でもね、君のおうちにも迷惑だよ、見ず知らずのおじさんを泊めるなんて」
「うちは大丈夫」
そういったかと思うと、娘が人形の裏から顔を出した
「ね!」

暖かい部屋にあげてもらい、母娘と一緒に炬燵に入る
そしてお茶をもらうと、心が和んできた
酔いはすっかり冷めたようだったが眠気が強い
母親は美しく、まるでどこかの女優さんのようだ
娘も可愛く、僕にこんな家庭があったらなぁと心底思う

そのまま僕は眠ってしまった

なんだかとても暖かい夢を見ていた
女性の柔肌につつまれ、僕は為されるままに歓びを感じている
白く、暖かい空間
回りは雪や氷なのに自分はその中で心の底から安堵している
長い髪が広がる白い床
僕は躊躇わずに女性を抱きしめる
味わったことのない快感が僕を満たしていく

白く強い光が身体を包む
はっと気がつくと僕は粗末な駅舎の中にいた
蛍光灯が室内を照らすあの車掌車の駅舎だ
時刻は・・腕時計を見ると朝の五時ではないか
急に寒さを感じた

スマホを取り出し、現地点での気候を見た
小諸市平原 雪 -12℃
「寒いはずだ」と思う。
立ち上がろうとすると少し膝が痛む
そういえば、昨夜、この駅で転んだような気がする
・・そうだ、あの女性・・・
抱き合った気がするが、それは夢なのだろうか
僕はずっとここにいて駅舎の中で寝てしまっていたのだろうか

だが寒い、寒いというより痛い
駅舎の外に出たがまだ夜が明けず
オレンジのライトに照らされた簡単な時刻表を見る
上りが先に一本あるらしいが
下り、小諸に行くのは一時間以上先でないとだめらしい

そういえば昨夜この辺りで吐いたはずだと
粗末な出口に行くと斜めの踏み板は凍っていて
「間違いなくここで転んだ」と確信した
踏み板を通らず、線路のバラストをゆっくり確かめながら歩いて
溝を超え駅前の広漠とした田畑に面した道に立つ

夜が明ける前だが、微かに東の空が明るい
白く凍った世界に線路と道路が通る
雪は完全に上がっていた

この道を、昨夜に連れていかれたと思う方法へ歩く
「確かにこの道だ」と思う
だが、その先、少し坂を登った先には人家はなかった
確かこの辺りに・・
そう思ってよく見ると
ちょっとした洞穴のようなものが凍った草の合間から見えた

そこでしばらく呆然と立ちすくむ
そうか、僕はやはり夢を見ていたんだ
酒の酔いがあるからあの寒い待合室で寝てしまっても凍死しなかったんだ
と思うことにしようとした
と言ってもまだ納得などしているわけではない

そこへ、高校生らしい制服の少女が通りかかった
「おはようございます」
マフラーで顔を包んだ少女は挨拶をくれる
僕も挨拶を返した「おはようございます」
少女はホッとしたように通り過ぎようとしていた
「ちょっと、訊きたいことがあるんだ」
少女は立ち止まり、「なにか」と不審げに僕を見る
「このあたり、可愛い女性が娘さんと生活しているお宅はなかったかな」
少女は、はっと、僕を見つめた
「ゆうべ、そこに連れていかれたのですか?」
「うん、怪我をして介抱してもらったんだが」
「介抱・・」
「そうなんだが気がつくと、駅で寝ていて」
「小さな娘さんと一緒でしたか」
「そう、上手に人形を操る可愛い子だった」
少女はマフラーで口元を覆いなおしながら周囲を見回す
「とても親切な親子だったでしょう」
僕は頷く
「でも、昨夜にその親子と出会ったことは、もうお忘れになられた方がよいと思います」
そして、少女は一礼をして会話を打ち切り駅へ向かっていった


やがて、上り電車が遠くからやってくるのが見える
雪と霜と氷の世界に二つの強いヘッドライトが輝く

何のことだ・・
訳が分からず僕は立ちすくむ
膝が痛む
ズボンの上から膝を触ると、そこは破れていて
絆創膏が貼ってあった
では、あの夢のような肌の感触も・・

遠くで電車の音が聞こえる
下りの一番電車だろう
僕は滑らないように凍った道を駅へと向かった


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