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旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

ノルマンディー、上陸作戦の海岸

2013-08-24 20:38:09 | フランス
《手造の旅》あなたの知らないロンドン、パリ、+シャルトル 五日目朝。

MSM(モン・サン・ミッシェル)へ行くツアーは数えきれないほどあるが、ノルマディー上陸作戦に触れたコースはほとんどみかけない。しかし、ノルマンディーを訪れる人々が必ず思い致す事柄ではないのか? ならば、しっかり理解していただける行程で訪れたい。


MSMを出て一時間半、オマハビーチが近づいてきた。1944年6月6日に敢行されたノルマンディー上陸作戦のなかでも、もっとも苛烈な戦闘が行われた場所である。この近辺には大小たくさんの博物館がある
こちらは最近開館したところだそうだ

遠い昔でなく、現代の戦場だった場所をどのように訪れ、感じてもらうのが良いのか。案内の方法には確かにむずかしいものがある。

半世紀も経てば多くの遺構はなくなってしまっていたりするし、残っていてもそこから現代につながってゆく手触りのようなものを得られる場所は限られている。

アメリカ人墓地は、あの戦闘が現代につながっている場所なのだと、一瞬ではっきりと認識させてくれる場所だ。

白い十字架が整然とならんでいる。

以前、はじめてここを訪れたのは2000年の6月だった。上陸作戦が行われた6月6日のすぐ後ということで、多くのアメリカ人が来ていた。いつもは陽気な若いアメリカ人たちも、ここを訪れる時には一様に神妙な顔をする。

今日でも、アメリカは世界中にたくさんの兵士を送っている。
彼らにとって、ここに葬られている人々は、明日の自分かもしれないとひしひし感じるに違いない。

「海を越えた若者」の像が置かれている

両方の壁には上陸作戦後の侵攻経路が描かれている

戦争が終わった当時、アメリカ人兵士の墓はそれぞれの戦闘のあった場所にばらばらに埋葬されていた。それを1か所に集めて、このようなかたちで埋葬しなおしたのは1956年になってからである。

175エーカーの土地が、永久にアメリカへ譲渡され、この土地はアメリカになった。つまり、ここへ埋葬された9386人のアメリカ兵は、故国に埋葬されたという事になる。

アイゼンハワー将軍はここを訪れ、タイムカプセルを埋めたこれは、2044年の6月に開けられることになっている。上陸作戦の書類や当時の新聞が入れられた。

少しバスにのり、海へ出てみた
ゆるい弓形になった砂浜を丘が見下ろしている

ここへ上陸するのでは、確かに狙い撃ちされる危険が大きいと感じさせる地形である。

市内へ戻り、記念館を訪れる

イギリスに亡命したド・ゴール将軍が、ラジオを通じてフランス国民にメッセージを流す写真

イギリス人墓地また、ドイツ人のための墓地もある。

ここを訪れると、日本はドイツの同盟国であった事をどうしても意識せざるを得ない。居住まいを正して対するべき場所である。
外国を旅していれば、時にそれは必要な事。楽しく気楽に過ごすことだけが「観光」なわけではない。


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