《手造の旅》あなたの知らないロンドン、パリ+シャルトル 二日目。ロンドン滞在の日。
ホテルから徒歩で大英博物館へ向かう。チャーターバスを使わなくてよい観光にするために、そういう立地のホテルを選んだ。
道すがら、日本と同じ赤いポスト。大陸のほとんどの国ではポストは黄色だ。このポストが設置されたのがエドワード七世(現エリザベス二世の曽祖父、ビクトリア女王の長男)の時代、つまり百年は経っている
大英博物館は2000年に大改修され、中庭だったところがこんなガラスの屋根で覆われた。ガラスは一枚一枚形が違うそうだ。中にある円筒形の建物は以前からある図書室。南方熊楠もマルクスもここを使っただろう。

別に巨大な国会図書館が出来るまでは、大英博物館には対象の書物も置かれていた。それらが移動させられた後の棚を使って古代ギリシャの壺が並べられている
大英博物館のスタートはこの胸像のハンス・スローン卿がそのコレクションを寄贈したことにはじまる
彼は男爵クラスの貴族でしかなかったが、王の侍医のひとりでもあった人物。
同じ部屋の隅に、あれ?これはロゼッタ・ストーン?
実はレプリカだけれど、実によく出来ているので、これでも充分かと思います。触ってもOKだし(笑)※本物はガラスケースに入れられ、黒山の人だかり…
通常の大英博物館観光だと、このロゼッタ・ストーンを含むエジプトコレクションに多くの時間を費やされて、なかなか奥を見学できない。今回、イギリスで見つかった遺跡からのものを見ていただきたいと思った。なんせ、自国のモノなのですから。
★ホクソンの宝以前こちらに少し書きました
このローマ帝国が終わってゆく時代のモノはほかにもいろいろ展示されている。
★キリストのしるしである「魚」が刻まれたスプーンは紀元四世紀=初期キリスト教時代のものと推察されている
★この巨大な銀皿は直径六十センチを超えるみごとなもの
細部にはパーンが特徴的なパーン・フルートを吹いている図柄もよくみえる。
地面から出てきたお宝は、すぐに役所へ届けることになっているのだが、これは農家が見つけてそのまま家の飾りに使っていた。あとから発掘物だとわかり、二束三文で国に強制買い上げされてしまったのだそうだ。※ホクソンの宝の発見者は今の時代の価値に換算した金額の三分の一をもらった。
★退役したローマ兵は相応の土地をもらって引退生活に入る。この銅板(鉛?)はその証明書。後ろの煉瓦に描かれているのはドーバーにあった灯台を描いていると推察されている
★さて、この写真、何に見えます⇒
これは、兜をかぶった兵士が横からぐしゃっとつぶされたもの。
メソポタミアの墓から発見されたが死去した王と共に殉死して埋葬されたと思われる。年齢は二十歳そこそこと推定されている。
★ポートランドの壺
古代ローマのガラス作品で、このカメオ状のデザインをジョサイア・ウェッジウッドが真似た。ウェッジウッドが制作した精巧なレプリカも別室にある
すばらしい彫りとデザインだが、これはもともと底がとがったアンフォラだった。それが壊れたので、この丸いガラスで補修してあったそうである。こちらは時代も材質も違っている
★クリスタルのどくろ
映画「インディー・ジョーンズ」で有名なクリスタルのどくろはいくつもある(ルーブルにも)。南米古代文明の呪術的なものと思われていたが・・・こちらに書きました。
**
十時の開館に入り、二時間半、このぐらいで人間の集中力は限界だ。美味しい料理もいっぺんに食べられる量は限られているのと同じ。これからは街を歩く時間にしよう。
ご希望の二階建てバス、乗りましょ(^^)
セント・ポール大聖堂へ向かう途上、壊れたままに公園にされている教会があった。これは第二次大戦中にドイツのロケット攻撃によって破壊されたもの。それを記憶する意味もあって、このように残されている
世界第二位の大きさを誇るセント・ポール大聖堂を後ろから見る
ドイツのロケット攻撃でも標的になったのは間違いない。チャーチル首相は「絶対にセント・ポールを焼くな」と言い、消防隊も市民もこのBLITZ(ドイツ語で「稲妻」の意味、ドイツがイギリスに対して仕掛けたロケット攻撃の事をそう呼ぶ)を防ぐために命がけの努力をした。それを記念した銅像が近年建てられている
※セントポールの内部についてはまた別の機会に
新しくできた橋をわたり、テムズ川の向こうテイト・モダンへ向かう途中に振り返る

川向うは、17世紀はじめ劇場街であった。かのシェークスピアが活躍したグローブ座が再建されている
実はほんとうにあったとされる場所はこちら→
記念碑がある。
ライバルのローズ座があった場所はオフィスビル。名前だけその名残をとどめている
ふたたび赤いバスに乗る
と、「これは水素をエネルギーにして走ってますね」とメンバーのおひとりに言われてはじめて気づいた。あ、シートにもちゃんと書いてあるじゃありませんか
コベント・ガーデンでバスを降り、しばらく自由
ここはお店もたくさんあるし、「ロイヤル・ベビーグッズないかしら」と言われていた方がちょうどよいのを見つけられました
かのダイアナ妃が使っていた青い指輪は、今キャサリンさんの指にはめられております。記念カップとレプリカの指輪であります。
近くのSAVOY劇場で、今年からはじまったビートルズのそっくりさんによるショー。
ロンドンの劇場はどれもちいさめなのでとても臨場感あるライブがたのしめる
二部構成で二時間半以上、全四十曲!楽しませていただきました。
簡単なライブレポートをこちらに書きました。
劇場からホテルへの地下鉄はどこも混みます。古い地下鉄は日本人でも頭をさげて乗り込むのです
あれ~、次の電車でいきますね
ホテルから徒歩で大英博物館へ向かう。チャーターバスを使わなくてよい観光にするために、そういう立地のホテルを選んだ。
道すがら、日本と同じ赤いポスト。大陸のほとんどの国ではポストは黄色だ。このポストが設置されたのがエドワード七世(現エリザベス二世の曽祖父、ビクトリア女王の長男)の時代、つまり百年は経っている

大英博物館は2000年に大改修され、中庭だったところがこんなガラスの屋根で覆われた。ガラスは一枚一枚形が違うそうだ。中にある円筒形の建物は以前からある図書室。南方熊楠もマルクスもここを使っただろう。

別に巨大な国会図書館が出来るまでは、大英博物館には対象の書物も置かれていた。それらが移動させられた後の棚を使って古代ギリシャの壺が並べられている


同じ部屋の隅に、あれ?これはロゼッタ・ストーン?

通常の大英博物館観光だと、このロゼッタ・ストーンを含むエジプトコレクションに多くの時間を費やされて、なかなか奥を見学できない。今回、イギリスで見つかった遺跡からのものを見ていただきたいと思った。なんせ、自国のモノなのですから。
★ホクソンの宝以前こちらに少し書きました

このローマ帝国が終わってゆく時代のモノはほかにもいろいろ展示されている。
★キリストのしるしである「魚」が刻まれたスプーンは紀元四世紀=初期キリスト教時代のものと推察されている

★この巨大な銀皿は直径六十センチを超えるみごとなもの


★退役したローマ兵は相応の土地をもらって引退生活に入る。この銅板(鉛?)はその証明書。後ろの煉瓦に描かれているのはドーバーにあった灯台を描いていると推察されている

★さて、この写真、何に見えます⇒

メソポタミアの墓から発見されたが死去した王と共に殉死して埋葬されたと思われる。年齢は二十歳そこそこと推定されている。
★ポートランドの壺
古代ローマのガラス作品で、このカメオ状のデザインをジョサイア・ウェッジウッドが真似た。ウェッジウッドが制作した精巧なレプリカも別室にある


★クリスタルのどくろ

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十時の開館に入り、二時間半、このぐらいで人間の集中力は限界だ。美味しい料理もいっぺんに食べられる量は限られているのと同じ。これからは街を歩く時間にしよう。
ご希望の二階建てバス、乗りましょ(^^)

セント・ポール大聖堂へ向かう途上、壊れたままに公園にされている教会があった。これは第二次大戦中にドイツのロケット攻撃によって破壊されたもの。それを記憶する意味もあって、このように残されている

世界第二位の大きさを誇るセント・ポール大聖堂を後ろから見る


※セントポールの内部についてはまた別の機会に
新しくできた橋をわたり、テムズ川の向こうテイト・モダンへ向かう途中に振り返る

川向うは、17世紀はじめ劇場街であった。かのシェークスピアが活躍したグローブ座が再建されている


ライバルのローズ座があった場所はオフィスビル。名前だけその名残をとどめている

ふたたび赤いバスに乗る


コベント・ガーデンでバスを降り、しばらく自由


近くのSAVOY劇場で、今年からはじまったビートルズのそっくりさんによるショー。
ロンドンの劇場はどれもちいさめなのでとても臨場感あるライブがたのしめる

簡単なライブレポートをこちらに書きました。
劇場からホテルへの地下鉄はどこも混みます。古い地下鉄は日本人でも頭をさげて乗り込むのです

