琥珀色のブログ

 
 琥珀さんってばねっ!

喪中

2010-02-20 23:10:22 | 琥珀さんってばねっ
 先週の土曜日、2月13日に家内が天に旅立ちました。

 昨年の秋ごろ、病室で「私はここで窓の外の雪を見ながら笑っているんだ」という妙な話が気になっていたとおり、旅立った当日の朝は雪が舞い降りていました。

 しかも、通夜から告別式にかけ雪がちらつき薄っすらと白い雪景色になり、火葬した翌日は大雪になりました。

 家内が天に昇り、雪を降らせたのかな? 

 亡くなる数日前、病室で二人だけだったのに、「僕の周りにたくさんの人がいるよ」という変なことを言っていたので、今考えるとあの頃は既にお迎え来ていたのかも知れません。
 せん妄による幻覚なんだと簡単に思っていたけど、家内が言っていた言葉の意味をもっと深く考えれば良かったと、ちょっと反省&残念。

 元気なうちに家内にもっと何かをしてあげれば良かったという強い後悔があったのだけど、2月2日が結婚記念日で、その日に混乱した意識の中で一生懸命書いた「いつもありがとう。感謝しています。身体に気をつけてね」という短い手紙を貰ったことで、なんとなく救われた気がしています。

 では、喪に服するので、このブログは当面お休みします。

 

修羅

2010-02-11 22:11:00 | 琥珀さんってばねっ
 相変わらず、私生活がむちゃくちゃな琥珀さんです。みなさん、こんばんは。

 家内の余命宣告を受けてから、これまでどんな感じで進んできたかというと、4つの修羅場を乗り越えました。

 1つめは、入院後の、仕事+家事+娘の受験+看病+家内と子供のメンタルケア+生保の支払い交渉の嫌がらせなど、たくさんの重い責任や重圧と、活動量の増加に伴う体力と精神的な負担による自分の体調管理の維持。
 これは、時間の経過とともに、生活面ではどこに手を抜いてどこに力を入れるかということが分かってきたり、受験は推薦合格で既に決まったので一段落し、子供のメンタルも時間の経過や家内の容態をみて受け入れ態勢(覚悟)が整ってきたので、3人の生活が普通となり生活面では落ち着きました。

 2つめは、年末に家内の転移性脳腫瘍が確認され、40㎞ほど離れた病院に平日毎日、計11回搬送して、放射線治療を受けさせた時期のこと。
 とにかく忙しかったし、家内の体調が急変し、嘔吐や頭痛、活動能力の低下などがみられ、一時容態が悪化し本当にきつかった。
 今考えると、生死をさまよう1回目の山場で、本人も死を自覚していたらしく、「その日はどうしても会いに来て」とか「てんにかえる」という遺言らしきメールが来たので急いで病院に駆けつけ、とりあえず状態が落ち着いたのを確認して帰宅したところ、病院から「急変したという」緊急連絡があり始めて寝泊り看護して、三途の川でさまよっていた家内の魂を引き戻したのだと思う。

 3つめは、1月下旬あたりから骨盤転移の痛みが急激に強くなり、医療用モルヒネ等の鎮痛剤などが増量されたり癌細胞が活発化しだした結果、「せん妄(意識の混乱)」が出現し、それを分かっていながら話し相手をして、なだめすかし、毎週末寝泊りしながら付き添い看護をしていて、精神的にも肉体的にも壊れていく家内の姿をみながら、家内の生きる精神的な支えとなり、自分の心も壊れないようにと何とか均衡を維持していた。

 4つめは、先週あたりから急に食欲が低下し、しかも先日細菌による感染症を併発し、転移性肺腫瘍があるため軽度の肺炎になり呼吸回数が減り、昨日から酸素補給と高カロリーの点滴による延命治療が開始された。
 せん妄が強かったため強い睡眠薬が使われ、脱水症状もあり、昨日病院に行ったときには、目がうつろで、下あごがさがり、誰が見ても一時危険な昏睡状態にあった。
 解熱剤や抗生物質、ブドウ糖加糖生理食塩水の点滴のほか、数時間ごとに目が覚めたときにヤクルトやポカリスエットなどを飲ませ、話しかけや接触によって生きている感覚と生きたいという意識(望み)を高めさせ、今現在はなんとか落ち着いて熱も下がり、少し前の状態に戻った。
 3日前もせん妄で意識混乱状態であったのに、やはり電話で話したときに「一生のお願いだから今日は病院に来て」という、まともな会話ができたので急いで病院に駆けつけた。
 たぶん、この時点で家内は死を自覚し、2度目の三途の川の前にいたのだと思う。昨日、何の手を打たなかったら、今頃は命が尽きていたと思う。

 今日の状態から察すると、感染症が治まれば少しは状態が良くなるかも知れないし、体力的にはまだ余裕があるけど、そろそろ限界が近づいているのが分かる。
 口から食事がとれなくなり、睡眠時間もだんだん長くなり、起きていてもまぶたを上げるのさえ辛いようで、会話も問いかけに対してたまに「うん」と答えるくらいまで反応が鈍くなってきている。
 
 でも、これまでやれることはやってきたので、いずれそのうち最後の日が来たとしても、後でそれほど大きな後悔はしないだろうと思える。

 自分の心の維持を図るため、気分転換にちょっと夜の街で飲み歩いてたけど、それくらいは大目に見てくれるよね? ママ。