すずめのどんぐり

オットひとり ムスメ(はぼ)が小6、 ムスコ(ぐり)が小1。絵日記でしたが、さぼり中。

心配症の人が押し付けるもの

2014年10月24日 | はぼ7歳~8歳(小学2年生)
ムスメ、 チョークアートとガラス絵の体験をさせてもらいました。


黒板にチョークを塗りつけていきます。



さて、 うちのムスメ7歳、 かなりの心配症。

しょーもないことをいつもぐじぐじ心配しています。 大きいところでは 台風が家をつぶしちゃったらどうしようからはじまり、 小さいところでは 宿題の○○をもってかえるのを忘れちゃったどうしようまで。

 「あ~もう、 忘れたんだからしょーがないでしょ? 連絡帳にちゃんと書いたげるから だいじょうぶ」

と言っても、 夜ふとんのなかでも まだぐじぐじ言ってます。


はては 「赤ちゃん 産むとき 痛かったらどうしよう」 「ママが入院したら はぼのお世話はだれがするの?」 とか将来の心配から わたしの運転する車のスピードにまで ものすごく厳密に心配してくれます。

遠足の天気が心配なので てるてるぼうず~


この心配性の血はどこから来ているかというと ばーちゃん (オットの母) からです。


この夏、 仕事のあいだ ムスメを見てもらっていたため、 週3ペースで顔を合わせたのですが、 会うたびに


「ぐり (ムスコ) はなんかコトバをしゃべったか?」

「ばーちゃん 心配で心配で」 「どっかお参りでもしたほうがええんちゃうか?」

そんな昨日の今日で変わるはずないのに 会うたびに毎回。 ほかの話題をしていても 「そんなことより ぐりはコトバを・・・ 以下略」


ええ、 心配してくれているのは とってもよくわかるし、 すべて善意なのも わかっています


・・・・・が、 


心配性の人が口を出せば出すほど 当の本人 (わたし) はなにも考えなくなる

という原則に気づきました。


山で遭難した方の家族が 「だから気をつけろと言ったのに」 「山の天気は変わりやすいって あれほど言ったのに」 「この連休は天気が急変するって 予報で言ってたって 息子に伝えたばかりだったのに」

ともらしている映像を見ますが、 気の毒ですが、 たぶん いつも心配ばかりしている母が そう忠告した瞬間に 息子の脳内では その大切なはずの情報が 「いつもの心配性」 と処理されてしまったんだとおもいます。

 ガラス片をふりかけてつくります。


それに そういう心配性の人が じぶんに直接関係のないことにまで心配を伝えてくると、 肝心の本当ならいちばん心配しなければいけない人が 心配しなくなっちゃうんだよね~ だれかが心を砕いてくれてるうちは じぶんはいいか、 みたいな。 

しかも、 心配っていうのは どんどん伝染して 他人の不安をどんどんあおり、 集団ヒステリーにも発展する可能性も。


なんで 心配性って ホントに百害あって一利なし。 もとは善意だけに だれもとがめないし。



オットは ばーちゃんのこの性質に長年付き合っただけあって

 「ヤツらは じぶんが心配だと伝えるだけで なにかしてやったような気になってるんだよ。 母親は 心配するのが仕事だって 言うけど、 本当は 心配を胸の中におさめておけるのが いい母親なんだよ」

と突き放しています。


まあ、 わたしのほうの実家には 心配性のタイプはいなかったので、 いまでこそ話半分に聞けていますが 最初はどのくらいまで同調したほうがいいのかわからず、 相手はただ心配なだけなのに こちらが突き放していいものか ちょっとした悩みでした。

が、 ムスメの心配につきあっていると、 同調すると ますます心配をこじらせるだけなんだよね。 オットのように突き放すか、 気分をかえさせてやるほうがいいということに気づきました。


ちなみに、 オットは母親にどう対抗してたかというと もっとひどい例を出すんだそうです。 名付けて 「心配返し」。 たしかに どうやっても心配する人は心配するので 対象を変えるというのは いい方法かもしれませんね。
コメント
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