ボクは「生きる」ということを考えるのがけっこう好きというか。
小学生くらいから、よく「生きる」とはどういうことか、なんて考えてました。どなたでも「人間、死んだらどうなるのか?」みたいなことは考えたことがあると思いますが、その延長線ですね。
ボクのなかではなんとなく、その答えは見つかってまして。
生きることの意味というか、価値というか、生き甲斐というか…「生きるということは何かを作ったり、残すこと」だと思っています。
何をつくり、何を残すか。
それが人生の意味なんじゃないかと。
例えば、農業や漁業に関わる方はひとが生きていくために一番必要な食料を作り出してます。これってすごく誇りに思えることですよね。
ビルを作ったり、橋や道路をつくったり、車やら機械やらをつくる方々…こうした方は便利さを作り出している。これもまた誇りに思えることです。橋とかを作って完成したら、その橋の上を通る人々を見て、すご~く鼻高々になれると思うのですよ。
一方で、主婦の方が子供を生み、育てる。これもまた、言うまでもなく尊いことですよね。
大きなことじゃなくて、ほんの日常の些細なことでも、何かを生み出し残すことで、ひとは自分が生まれてきた意味を感じられるように思います。
好きなひとを幸せにする。それだって“何か”を生み出してる行為だし、自分の考えてることを誰かに伝えることだって、“何か”を残すことに繋がる。
ほんのちょっとしたことから、一生を賭けて成し遂げるような大きなことまで、規模は様々ながら、ひとは「何かを作り、残すことで生まれてきた意味を知る」ように思っています。
例えばですが、デイ・トレーダーでお金を何億と稼ぐひとがいます。株の売買などでひと儲けしたり。額に汗しないでも、一日中パソコンに向き合って普通のひとの何倍も収入を得るような。
そういう方々もそれなりに勉強したり、苦労したりすることはあるんでしょうが、彼らが尊敬を集めるかといえば…どうでしょう?
羨ましいとは思われるかもしれません。でも、たとえお金を何億と稼いでいても、「何かを生み出し、残す」ことができていないと、尊敬されるとはボクには思えないんですよね(“何か”ってのはお金ではダメみたいです)
人間って、オトナになっても子供のときのまま、とボクは思ってるんですよ。
けっこう、単純だと思うんです。おいしいもの食べたかったり、異性にモテたかったり、好きなものを欲しがったり…そんな単純な理由が行動の原動力になってる気がします。
「誰かに褒めてもらいたい」そんな気持ちも、大きな原動力になっていると思うんですよね。子供とあまり変わらないんですw
でも、上であげたような、「ただお金を儲けているひと」は褒められないと思う。少なくともボクは褒めませんね。
彼らはなんで生まれてきたのか? ボクにはつまらない人生を送っているな…としか思えないんです。お金を儲けるだけで、なにも生み出さない人生…せっかくこの世に生まれてきたのに、そんなつまらない人生でいいのか?と思います。
手にしたお金で何かを成し遂げているなら、話は別ですけどね。ただ高級バッグや時計や車を買って喜んでいるなら…褒められない虚しさを物欲で埋めているとしか思えないんですよね。それって、すごく寂しい人生ですよ。
ボクの千円単位のバックでも物は運べますしw、時計も同じ時間を指してるし(高級時計を買ったら24時間が48時間になるならボクも欲しいけどw)、高級車じゃなくても道路は同じスピードで走れますからw(制限速度がないならともかく)
ひとって単純なんです。
誰かに褒められたい、喜んでもらいたい。
そんな“何か”を作ったり残したりすることで、「生きている」ことに意味を感じられるのだと思います。
今、プロ野球などのスポーツイベントを始め、ライブなども自粛が叫ばれています。
そのこと自体にボクは賛否を述べるつもりはないです。正解などないでしょうし、元々ボクは「死への向き合い方はそれぞれ次第」だと思っていますので。葬儀の席でも涙に暮れる方もいれば、明るく送り出そうとする方もいる。自分の心のなかでいかに送り出すか、です。
個人的には被災者の方々が通常の生活を送れるようになるまで、犠牲になられた方々の葬送が終わるまでは支援・救援に注力して欲しいという気持ちがありますが、一方で経済活動を滞らせることへの懸念もあります。国全体の力をあげるには働くことは必要ですし、それが引いては被災地への力にもなるわけで。誰もが葛藤のなかで悩んでいることでしょうね。
なので自粛の賛否自体については、なにも言うことはないんです。それぞれが自分のなかで考えるしかないことかな、と。
ただ、音楽を職業にしていることは、とてつもなく素晴らしいことなんだと改めて思います。
“何か”を作り、残す。これをそのまま仕事としてやっているんですから。
農業や漁業はひとの命を作っている。工業や産業はひとの便利さを作っている。
音楽家などの表現者は、それらに比べたら、本来はそこまで必要なものじゃないですよ。だけど直接、人々の心に“何か”を与えることができる。
このブログはSCANDALのためのブログなので、スキャを音楽家の代表として扱いますけどね。
SCANDALは自分たちのやっていることに、誇りを覚え、喜びを全身に感じて欲しい、と思います。
あなたたちが生み出しているものは、尊い。
その力を、この国に与えて欲しい。
ボクも自分のできる範囲で、“何か”を作り、残していきたい。
まずは自分。それができるなら家族。それもできるなら身近な人々。地域。国。世界。
できる範囲を広げていけたらと思っています。
小学生くらいから、よく「生きる」とはどういうことか、なんて考えてました。どなたでも「人間、死んだらどうなるのか?」みたいなことは考えたことがあると思いますが、その延長線ですね。
ボクのなかではなんとなく、その答えは見つかってまして。
生きることの意味というか、価値というか、生き甲斐というか…「生きるということは何かを作ったり、残すこと」だと思っています。
何をつくり、何を残すか。
それが人生の意味なんじゃないかと。
例えば、農業や漁業に関わる方はひとが生きていくために一番必要な食料を作り出してます。これってすごく誇りに思えることですよね。
ビルを作ったり、橋や道路をつくったり、車やら機械やらをつくる方々…こうした方は便利さを作り出している。これもまた誇りに思えることです。橋とかを作って完成したら、その橋の上を通る人々を見て、すご~く鼻高々になれると思うのですよ。
一方で、主婦の方が子供を生み、育てる。これもまた、言うまでもなく尊いことですよね。
大きなことじゃなくて、ほんの日常の些細なことでも、何かを生み出し残すことで、ひとは自分が生まれてきた意味を感じられるように思います。
好きなひとを幸せにする。それだって“何か”を生み出してる行為だし、自分の考えてることを誰かに伝えることだって、“何か”を残すことに繋がる。
ほんのちょっとしたことから、一生を賭けて成し遂げるような大きなことまで、規模は様々ながら、ひとは「何かを作り、残すことで生まれてきた意味を知る」ように思っています。
例えばですが、デイ・トレーダーでお金を何億と稼ぐひとがいます。株の売買などでひと儲けしたり。額に汗しないでも、一日中パソコンに向き合って普通のひとの何倍も収入を得るような。
そういう方々もそれなりに勉強したり、苦労したりすることはあるんでしょうが、彼らが尊敬を集めるかといえば…どうでしょう?
羨ましいとは思われるかもしれません。でも、たとえお金を何億と稼いでいても、「何かを生み出し、残す」ことができていないと、尊敬されるとはボクには思えないんですよね(“何か”ってのはお金ではダメみたいです)
人間って、オトナになっても子供のときのまま、とボクは思ってるんですよ。
けっこう、単純だと思うんです。おいしいもの食べたかったり、異性にモテたかったり、好きなものを欲しがったり…そんな単純な理由が行動の原動力になってる気がします。
「誰かに褒めてもらいたい」そんな気持ちも、大きな原動力になっていると思うんですよね。子供とあまり変わらないんですw
でも、上であげたような、「ただお金を儲けているひと」は褒められないと思う。少なくともボクは褒めませんね。
彼らはなんで生まれてきたのか? ボクにはつまらない人生を送っているな…としか思えないんです。お金を儲けるだけで、なにも生み出さない人生…せっかくこの世に生まれてきたのに、そんなつまらない人生でいいのか?と思います。
手にしたお金で何かを成し遂げているなら、話は別ですけどね。ただ高級バッグや時計や車を買って喜んでいるなら…褒められない虚しさを物欲で埋めているとしか思えないんですよね。それって、すごく寂しい人生ですよ。
ボクの千円単位のバックでも物は運べますしw、時計も同じ時間を指してるし(高級時計を買ったら24時間が48時間になるならボクも欲しいけどw)、高級車じゃなくても道路は同じスピードで走れますからw(制限速度がないならともかく)
ひとって単純なんです。
誰かに褒められたい、喜んでもらいたい。
そんな“何か”を作ったり残したりすることで、「生きている」ことに意味を感じられるのだと思います。
今、プロ野球などのスポーツイベントを始め、ライブなども自粛が叫ばれています。
そのこと自体にボクは賛否を述べるつもりはないです。正解などないでしょうし、元々ボクは「死への向き合い方はそれぞれ次第」だと思っていますので。葬儀の席でも涙に暮れる方もいれば、明るく送り出そうとする方もいる。自分の心のなかでいかに送り出すか、です。
個人的には被災者の方々が通常の生活を送れるようになるまで、犠牲になられた方々の葬送が終わるまでは支援・救援に注力して欲しいという気持ちがありますが、一方で経済活動を滞らせることへの懸念もあります。国全体の力をあげるには働くことは必要ですし、それが引いては被災地への力にもなるわけで。誰もが葛藤のなかで悩んでいることでしょうね。
なので自粛の賛否自体については、なにも言うことはないんです。それぞれが自分のなかで考えるしかないことかな、と。
ただ、音楽を職業にしていることは、とてつもなく素晴らしいことなんだと改めて思います。
“何か”を作り、残す。これをそのまま仕事としてやっているんですから。
農業や漁業はひとの命を作っている。工業や産業はひとの便利さを作っている。
音楽家などの表現者は、それらに比べたら、本来はそこまで必要なものじゃないですよ。だけど直接、人々の心に“何か”を与えることができる。
このブログはSCANDALのためのブログなので、スキャを音楽家の代表として扱いますけどね。
SCANDALは自分たちのやっていることに、誇りを覚え、喜びを全身に感じて欲しい、と思います。
あなたたちが生み出しているものは、尊い。
その力を、この国に与えて欲しい。
ボクも自分のできる範囲で、“何か”を作り、残していきたい。
まずは自分。それができるなら家族。それもできるなら身近な人々。地域。国。世界。
できる範囲を広げていけたらと思っています。