野口和彦(県女)のブログへようこそ

研究や教育等の記事を書いています。掲載内容は個人的見解であり、群馬県立女子大学の立場や意見を代表するものではありません。

核兵器は国際政治をどのように変えたのか

2022年12月26日 | 研究活動
ロシアのプーチン大統領による核兵器の威嚇は、多くの人に核戦争の恐怖を思い出させました。桁違いの破壊力を持つ核兵器は、人類に想像を絶する災厄をもたらす「絶対兵器」です。こうした核兵器は、政治学者や国際関係研究者の高い関心の的であり続けました。とりわけアメリカの社会科学者は核兵器の恐怖に縛られても、思考停止することなく、核政治(nuclear politics)の実証研究を積み重ねてきました。

冷戦終焉後、この分野の研究は一時的に停滞しましたが、その後、多くの若い研究者の参入もあり、次々と画期的な理論が構築され、新しい発見がなされています。他方、我が国では「際限もない軍拡競争が起こる」とか、「同盟の信頼性こそが拡大抑止を確実にする」とか、既に用済みとなった半世紀以上前の「お蔵入り」した議論が、「専門家」と言われる人たちの口から、今でも発せられるお寒い状態です。そこで、この記事では、核兵器が戦争や平和、危機、国家の安全保障や戦略、対外政策等に与える影響を明らかにした重要な基礎文献を紹介します。核政治の文献はあまりにも多いので、古典的なもの以外は、今世紀に入ってから発表された、代表的なものに限りました。

核革命論
全ての核政治の土台は、Robert Jervis, The Meaning of Nuclear Revolution, Cornell University Press, 1989の核革命理論です。ここでロバート・ジャーヴィス氏は、戦略家のバーナード・ブローディ氏の「核兵器は軍隊の役割を戦争に勝つことから、戦争を防ぐことに変えた」という主張を発展させました。すなわち、核兵器は国家に究極的な安全保障を提供する(核武装国の生存を脅かす戦争行為は危険すぎてできなくなった)だけでなく、核保有国間では戦争や危機でさえも起こりにくくなり、敵国に耐え難い損害を確実に与えられる核報復力(第二撃能力)を超えた核戦力は政治的に無意味であることを強力な理論として提示しました。



スコット・セーガン、ケネス・ウォルツ、齋藤剛訳『核兵器の拡散』勁草書房、2017年(原著2013年)。
日本語で読める数少ない核政治の書籍です。ここでケネス・ウォルツ氏は、国家が抑止されるのは、核攻撃から受けるコストが利得を上回ると認識するからではなく、核戦争の恐怖であると力説しています。抑止は、コスト>利得という合理性の観点からよく議論されますが、彼は、こうした「合理性」の議論を否定しています。くわえて、ウォルツ氏は核抑止が戦争を防ぐので、核保有国が増えるほど世界は平和になるだろうと考えています。他方、スコット・セーガン氏は、組織論が教えるところは、偶発的核戦争などのリスクを無視できないことであり、核兵器を保有する国家が増えると、世界は危険になると反論しています。

Keir A. Lieber and Daryl G. Press, The Myth of the Nuclear Revolution: Power Politics in the Atomic Age, Cornell University Press, 2020.
ケイル・リーバ氏とダリル・プレス氏による核革命論への反論です。彼らによれば、国家は第二撃能力を持っても、より確実な安全保障を求めて競争を続けることになります。

David C. Logan, "The Nuclear Balance Is What States Make of It," International Security, Vol. 46, No. 4, (Spring 2022), pp. 172–215.
核戦力バランスの最近の定量的研究では、核弾頭数を用いて、核優位性が戦争や危機の力学にどのような影響を与え得るかを検証しています。これらの分析では、国家の核戦力を構成する他の要素は考慮されていません。デーヴィッド・ロガン氏は、この論文において、相対的な核バランスは、技術的・軍事的要素だけでなく、国家の認識や信条にも依存することを明らかにしています。

核兵器による抑止と強制
トーマス・シェリング、齋藤剛訳『軍備と影響力—核兵器と駆け引きの論理—』勁草書房、2018年(原著1966年)。
国家間のバーゲニングにおける暴力とりわけ核兵器の影響力について、その論理を明らかにしています。読者は、ノーベル経済学賞受賞者のトーマス・シェリング氏の冷徹な分析に驚くかもしれませんが、彼の議論が核政治の研究に与えた影響は計り知れません。抑止と強要のメカニズムの違いなどを理解上では必読の学術書です。我が国でシェリング氏が「誤読」されていることについては、こちらの拙文、この研究の「輸入」を怠った学問的代償については、こちらをお読みください。

Todd S. Sechser and Matthew Fuhrmann, Nuclear Weapons and Coercive Diplomacy, Cambridge University Press, 2017.
本書において、トッド・セクサー氏とマシュー・ファーマン氏は、核兵器が抑止に有効である反面、相手に政治的意思を強要することには、概して向かないことを明らかにしています。

核軍拡
Charles L. Glaser, "When Are Arms Races Dangerous? Rational versus Suboptimal Arming," International Security, Vol. 28, No. 4 (Spring 2004), pp. 44–84.
我が国では、信じがたいことに、軍備増強は際限のない軍拡競争を引き起こし、国家の安全保障を損なうとの「神話」が、今でもしばしば擁護されています。そんなことはありません。チャールズ・グレーザー氏によるこの論文は、軍備増強が国家の安全保障にとって合理的であるケースと最適解以下のケースがあることを明らかにしています。

Robert Jervis, "Why Nuclear Superiority Doesn't Matter," Political Science Quarterly, Vol. 94, No. 4 (Winter, 1979-1980), pp. 617-633.
ここでジャーヴィス氏は、第二撃能力を超えた核武装は政治力として使えないので、核軍拡を無効にすると主張しています。この論文はリンク先に邦訳があります。

Matthew Kroenig, The Logic of American Nuclear Strategy: Why Strategic Superiority Matters, Oxford University Press, 2018.
マシュー・クローニグ氏は、ジャーヴィス氏に反論して、核の優位が危機における政治的意思の競争で勝利をもたらすと主張しています。

拡大抑止
Paul K. Huth, Extended Deterrence and the Prevention of War, Yale University Press, 1988.
拡大抑止論の古典的文献でしょう。ここでポール・ハース氏は、拡大抑止の成否を左右する変数として軍事バランスや同盟国の価値を重視しています。

野口和彦「拡大抑止理論の再構築―信用性と利害関係の視点から―」『東海大学教養学部紀要』第36輯、2005年、167ー181頁。
拙稿では、拡大抑止の効果は信ぴょう性ではなく、抑止提供国と受容国の利害関係に影響されると主張しました。

相互確証破壊(MAD: Mutual Assured Destruction)
ケイル・リーバー、ダリル・プレス「21世紀の核抑止力を考える―抑止力への信頼性を再確立するには—」『フォーリン・アフェアーズ・リポート』2009年11月。
Keir A. Lieber, Daryl G. Press, "The New Era of Counterforce: Technological Change and the Future of Nuclear Deterrence," International Security, Vol. 41, No. 4, 2017, pp. 9–49.
相手に耐え難い損害を与える非脆弱な核戦力を持つ国家間には、これまで「相互確証破壊」が成立していました。このために、先制核攻撃の誘因を持たない戦略的安定性が保れていましたが、軍事関連技術の進歩等により、アメリカは第一撃(先制攻撃により相手の核戦力を無力化する)能力を持つようになり、相互抑止が脆くなっていると著者たちは警告しています。

核拡散
Alexander Debs and Nuno P. Monteiro, Nuclear Politics: The Strategic Causes of Proliferation, Cambridge University Press, 2017.
核兵器の拡散は、国家が核爆弾を作る意思と機会の両方がある時にのみ起こることを理論と膨大な事例研究により明らかにした労作です。著者たちの理論は、核兵器を開発した国が、これほどまでに少ない理由を説明するものです。

マシュー・ファーマン、藤井留美訳『原子力支援—「原子力の平和利用」がなぜ世界に核兵器を拡散させたか—』太田出版、2015年(原著2012年)。
本書は、より高いレベルの平和的原子力支援を受けたが、特に支援を受けた後に国際的な危機を経験した場合、核兵器を追求し取得する傾向が強いことを明らかにしています。

核保有国と非核国の対立
Paul C. Avey, Tempting Fate: Why Nonnuclear States Confront Nuclear Opponents, Cornell University Press, 2019.
核時代におけるパラドックスは、核兵器を保有しない通常戦力で劣る国家が、戦力に優る核保有国と戦うことです。詳しくは、こちらの記事をお読みください。

核保有国の行動パターン
Mark S. Bell, Nuclear Reactions: How Nuclear-Armed States Behave, Cornell University Press, 2021.
核革命論は第二撃能力が国家の対外行動を現状維持志向にすると予測しますが、マーク・ベル氏が構築した「核の機会主義理論」は、国家が核武装により、さまざまな政治目的(領土紛争での侵攻、断固とした姿勢、国益の拡大、同盟強化、独立した対外政策など)を追求するようになることを明らかにしています。

我が国の大学・大学院では、核政治や核戦略に特化した授業や講座は、ほとんどないでしょう。したがって、国際政治に対する核兵器の影響については、自分で勉強しないと、論理的に筋が通らない「俗説」を信じてしまったり、根拠のない主張に拘泥されたりしてしまいます。核兵器や核エスカレーションを正しく恐れると同時に、その特性を的確に理解して、平和や安全保障に役立つ政策を立案することは、国家の指導者に課せられた責任でしょう。同時に、核兵器に関する問題は、政治家や軍人のみにまかせるには、あまりにも重大すぎます。民主社会における市民は、核兵器を曇りのない視点で理解するべきです。核政治や核抑止、核戦略に関する研究は膨大ですが、ここに挙げた図書や論文を読めば、その概要は把握できるでしょう。核問題にアプローチするには、残念ながら日本語で書かれた文献は少ないために、英語で書かれたものを読まなくてはなりません。

このブログの文献解題が、核政治に対する皆様のより深い知識の獲得と思考の向上に貢献できれば幸いです。

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なぜ核兵器を持たない国は核武装国に立ち向かえるのか

2022年12月20日 | 研究活動
ロシアのウクライナ侵攻は、核武装国が核兵器を放棄した国家に対して起こした戦争です。非核兵器保有国であるウクライナは通常戦力で劣勢だったにもかかわらず、徹底抗戦して、ロシアのキーウ(キエフ)占領を防いだばかりか、東部地方でも一部でロシア軍を後退させました。ロシアは世界最大の核兵器保有国です。そのため、もしロシアがウクライナに核兵器を使用したら、最悪の場合、ウクライナという国家は消滅してしまいます。こうした軍事力の著しい非対称性があるにもかかわらず、ウクライナをはじめとする非核兵器保有国は、核兵器保有国からの要求に屈服することなく、それに抵抗する場合が多いのです。

核時代のパズル
ここで疑問が生じます。なぜ非核兵器保有国は自国が滅びるリスクを冒してまで、核兵器保有国と戦うのでしょうか。このパズルに挑んだのが、ポール・エイヴェイ氏(ヴァージニア工科大学)です。彼の著書『命の危険を冒すということ—なぜ非核兵器保有国は核武装した敵と対峙するのか—』(コーネル大学出版局、2019年)は、現在の国際政治における最重要課題の1つに取り組んだ貴重な画期的研究です。エイヴェイ氏は、アメリカのノートルダム大学政治学部で博士号を取得しています。この大学は、日本ではあまり知られていないようですが、ここの政治学部は、政策に関連づけた国際関係研究を擁護するマイケル・デッシュ氏や、ジョン・ミアシャイマー氏(シカゴ大学)の愛弟子であるセバスチャン・ロザート氏など、素晴らしい政治学者が在籍しています。よい教師からは優れた卒業生が生まれるものだと思います。



核使用の利益とコスト
本書『命の危険を冒すということ』の最大の貢献は、核時代における国家間の対立に、人々が驚くような直観に反するパターンを見つけたことです。普通に考えれば、弱い国は強い核武装国に歯向かわないでしょう。なぜならば、圧倒的な実力差がある敵と戦ったところで、コテンパンに負ける結果に終わるだろうと予想できるからです。しかしながら、このような推論は、核時代の国際政治には当てはまりません。核兵器を持っていない国家は、「絶対兵器」である核兵器を保有する国家と何度も戦争を行っているのです。

第二次世界大戦後から2010年まで、核兵器保有国対非核兵器国の戦争は17件起きています(表1参照)。他方、非核国同士の戦争は19件です。前者と後者の二国間関係は、驚くことに大差ないのです。さらに意外なのは、通常戦力でより劣る非核兵器国の方が、強い通常戦力を持つ国家より、核兵器保有国と戦争しているのです。すなわち、パワーが強い国家より弱い国家の方が、核武装国に軍事力を実際に行使して立ち向かう傾向にあるのです。

その主な理由は、エイヴェイ氏によれば、核武装国がパワーで劣る国家の抵抗には、絶対兵器である核兵器を使わずに対処できるからだということです。ここに非核兵器国が核武装国に対抗できる余地が生まれます。核兵器はその甚大な破壊力ゆえに、相手国に耐え難い打撃を与えられるメリットがあります。その一方で、核兵器の使用には多くのデメリットがあるのです。敵対する国家に核爆弾を撃ち込めば、必然的に民間人やインフラなどに付随的被害をもたらすでしょう。相手国が生物・化学兵器を保有しており、それらにより反撃されたら大きな損害を受けます。

核兵器を使用した国家は、潜在的な同盟国から見放されるかもしれません。経済制裁も覚悟しなければならないでしょう。自国の核兵器の行使が隣国を刺激して、核武装に向かわせることもあり得ます。そうなると、自らの安全保障は、かえって損なわれるかもしれません。さらに、「核使用のタブー」が存在すると言われる国際社会において、非核武装国に核攻撃を行えば、世界各国から厳しく批判されることは確実であり、国家の評判を間違いなく大幅に落とすでしょう。このように核兵器の使用は大きなコストを伴うのです。したがって、核武装国は、核兵器の行使がもたらすコストが利得を上回る限り、それに手を出さないということです。

核兵器の独占と戦争
過去に行われた核兵器保有国と非核兵器国の戦争を見てみましょう。代表的な戦争を挙げれば、朝鮮戦争(1950年)、ソ連のハンガリー侵攻(1956年)、ヴェトナム戦争(1965年)、十月戦争(1973年)、第一次中越戦争(1979年)、湾岸戦争(1991年)、イラク戦争(2003年)といった事例があります。これらのすべての事例において、核兵器保有国は核兵器を使うほど深刻な脅威を相手国から受けませんでした。要するに、核武装国は、わざわざ絶対兵器を戦場に投入する必要がなかったのです。



上記の事例では、非核武装国は核兵器保有国の生存や核兵器庫を脅かすほどの軍事力を持っておらず、多くの戦争は後者の領土外で行われました。アメリカは朝鮮半島で中国人民義勇軍に苦戦を強いられましたが、本国の独立や主権に危険は全く及んでいません。ヴェトナムに軍事介入したアメリカは、北ヴェトナム軍やヴェトコンの激しい抵抗を受けて撤退しましたが、米国本土は無傷でした。ヴェトナムを懲罰する名目で軍事行動を起こした中国は、ヴェトナムから厳しい反撃を受けましたが、その存立は全く脅かされていません。十月戦争でエジプトとシリアの奇襲を受けたイスラエルは、緒戦で大きな損害を受けましたが、核兵器に頼ることなく、強力な国防軍で劣勢を跳ね返して、逆に両国の軍隊を追い詰めました。その他のすべての事例も、核武装国には大きな被害が及ばない戦争でした。

興味深いのは、一方が核兵器保有国で他方が非核の軍事大国の場合です。このようなケースでは、強い非核兵器国は核武装国の死活的な国益や安全保障を脅かせるので、双方に自制が働く結果、戦争になりにくいのです。1948年のベルリン危機時のアメリカとソ連がそうでした。当時、核兵器を保有していなかったソ連は、アメリカをドイツから排除しようとして、西ベルリンを封鎖しました。これにアメリカは大規模な空輸作戦で応じました。この時、クレムリンは、この危機がエスカレートして戦争になれば、アメリカは核兵器を使うだろうと判断していました。実際、アメリカの高官はソ連の都市を核兵器で攻撃する意図を語っていました。こうしたソ連指導者の懸念は、アメリカによる空輸を妨害しない抑制的態度につながったのです。他方、ワシントンもベルリンをめぐって第三次世界大戦を起こすつもりはありませんでした。その結果、ベルリン危機は米ソの軍事衝突には発展しませんでした(同書、第5章)。

核保有国と非核保有国の戦争では、前者は後者に苦戦を強いられることがありますが、それが核兵器による反撃の引き金になるほどの打撃を受けていません。ヴェトナム戦争では、アメリカは約6万人もの戦死者をだしましたが、北ヴェトナムはその十倍以上の犠牲を払っています。第一次中越戦争では、中国人民解放軍の1万3千人の兵士が戦死しましたが、戦闘は中国とヴェトナムの国境付近で局地化されており、中国の存立は脅かされていません。これらの核兵器保有国が甚大な損害をだした事例でも、その軍隊が崩壊の危機に直面したり、体制や領土保全が危うくなったりはしませんでした。ですので、これらの核武装国が核兵器に頼って戦局を挽回しようとするインセンティヴは低かったのです。

核時代におけるパワーの逆説と戦略
このように強国よりも弱国の方が核保有国に歯向かえるというのは、核時代における国際政治のパラドックスです。核兵器を保有していないパワーで劣る国家は、相手国が核兵器を使用するレッド・ラインを見極めながら、それを超えない範囲で核武装国に立ち向かい、自己の生存と国益の最大化を試みるのです。同時に、核大国は弱い非核兵器国との対決において、コストの見込まれる核使用に、あえて踏み込もうとはしません。そうしなくても、自国の生存や体制は維持できるからです。

他方、強いパワーを持つ非核兵器国は、核武装国の安全保障や重要な国益を脅かすことができます。そして核大国は非核国との戦争で大敗北を喫しそうになった場合、敗戦を避けるために核兵器を使おうとするかもしれません。これがわずかな可能性であっても、非核兵器国の指導者には恐怖です。すなわち、核兵器を持たない強国の指導者は、核武装国をコーナーまで追い詰めてしまうと核による報復を受ける恐れがあると予測するので、紛争において徹底的な勝利を追求しようとしません。皮肉にも、非核国の強さは、核保有国への攻撃的な行動を自制するように働くのです。その一方で、核武装国は敵国から生存や死活的国益が脅かされない限り、コストの高い核使用には踏み切らないでしょう。

このエイヴェイ氏の研究成果は、ロシア・ウクライナ戦争や日本の安全保障に何を示唆しているでしょうか。第1に、ロシアは戦場で屈辱的な大敗走を強いられたり、クレムリンの政治体制が危機に瀕したり、自国の核兵器庫が外部からの攻撃により無力化されそうにならない限り、ウクライナに対して核兵器を撃ち込むインセンティヴを高めそうにないということです。しかしながら、これらの条件が満たされなくなれば、すなわち、ウクライナやそれを支援する西側がロシアのレッド・ラインを超えれば、第二次世界大戦後、初めて核武装国が非核国に核兵器を使用する可能性は高まるでしょう。第2に、中国や北朝鮮、ロシアが日本に対して核兵器を使うには、高いハードルがあるということです。もちろん、楽観は禁物ですが、日本が二度と戦争被爆を受けないためには、これらの国家が引くレッド・ラインの内側において、核使用の際に支払うコストを高くすると同時に、その利得を減らす政策を実行すべきでしょう。

岸田政権は、新しい「国家安全保障戦略」を策定しました。これに基づき、日本は今後、防衛費を倍増して反撃能力を保有することになります。新しい防衛計画が順調に進めば、近い将来、日本は世界第3位の軍事費を支出する強国になります。このことは日本が核武装国と危機に突入しても、双方が攻撃的な行動を抑制するように作用するでしょう。

エイヴェイ氏は核兵器の威嚇や行使に伴う便益とコストを通常戦力に関連づけながら、こう分析しています。

「(核武装国の)利得はより有利な政治的解決の達成にある。コストとしては、核兵器国自身の目標を挫折させられ、より大きな反抗を生み出す破壊、核拡散を促すことや効果がないことなどが含まれる。核武装国は利得が十分に大きければ、それらのコストを甘受して厭わないだろう。もし利得が縮小すれば、同じ程度のコストでも、核使用を思いとどまるには十分だろう…通常戦力における軍事バランスと非核兵器保有国の戦略は、そのような(費用便益)評価において重要な役割を果たすのだ」(同書、23頁)。

そもそも核武装国は核兵器を持たない強国とは、これまで戦争を行っていません。核兵器を持つ国といえども、強力な通常戦力を持つ国は手ごわいのです。日本が通常戦力を尖閣諸島などにおける既成事実化を拒否できるのに十分なほど強化できれば、中国は同諸島の制圧目的を達成できにくくなるので、核による恫喝のメリットも損なわれます。ましてや、無人島を占拠するための核攻撃など割に合わないのは自明でしょう。さらに日本が採用する通常戦力により反撃する戦略は、現状打破国にレッド・ライン内で深刻な損害を与えるものにできれば、核使用や恫喝のコストを上昇させられます。その結果、日本周辺の核武装国は、核兵器の威嚇や使用をより躊躇することになると期待できるのです。


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