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研究や教育等の記事を書いています。掲載内容は個人的見解であり、群馬県立女子大学の立場や意見を代表するものではありません。

成功するのは才能のおかげ、それとも努力のたまもの?

2019年10月29日 | 日記
このブログ記事のタイトルの問いは、誰もが一度は考えたでしょう。この難問に正面から取り組んだの研究が、アンダース・エリクソン、ロバート・プール(土方奈美訳)『超一流になるのは才能か努力か?』文藝春秋、2016年です。この質問に対する筆者たちの答えは、「努力」です。より正確に言えば「正しい練習」です。「えっ」と思う人も少なくないでしょうが、本書は、この主張を裏づける根拠や証拠をたくさん示して、この古典的ともいえる問いに対する自らの回答の妥当性を裏づけています。



ただし、この本は「努力と根性」を礼賛しているものではありません。ひたすら「努力」をすれば、誰でも「超一流」になれるか?たくさん「練習」をすれば、皆が成功を収められるのか?著者たちの答えは、NO(ノー)です。「『努力しつづけなさい。そうすれば目標を達成できるよ』と。これは間違っている」(22ページ)とハッキリ言っています。正しい「限界的練習」が優れたパフォーマンスを生み出すのです。「限界的練習」について、詳しくは同書に譲りますが、人は「居心地の良い領域(コンフォート・ゾーン)」、すなわち「勝手がわかる」範囲で練習を積んでみたところで、必ずしも上達しないそうです。そこから外に踏み出し、「できないこと」の練習、つまり、自分の限界を少し超えた負荷をかける練習をするとともに、できなかったことからフィードバックを得て、それを直す練習を重ねるのが、著者たちによれば効果的なのです。

ところで、私が直観的にはそうだろうなと感じつつも意外に思ったのは、練習時間についてです。確かに、練習に莫大な時間をかけなければ、成功はおぼつきません。エリクソン氏らは、こう言います。「練習に膨大な時間を費やさずに並外れた能力を身に付けられる者は一人もいない」(141ページ)と。他方、彼らは、こうも言います。「新しい技能をもっと早く修得するのに一番良いのは毎回明確な目標を設定して練習時間を短くすることだ」(208ページ、下線引用者)。なぜなら、100%の力で短い練習をするほうが、集中せず長く練習するよりマシだということです。そして、練習に精力を傾けるためには、十分な休憩をとることが大切になります。「休むことも練習」とは、まさしく、この意味だったのですね。

ここまで読んで、「でも、同じことをやって、すぐできる人とそうでない人がいるでしょう。それって才能の差では?」と疑問を持つ方はおられるでしょう。こうした疑問にエリクソン氏らは、こう答えています。「(チェスなど)IQが高い子ほど上達も速い。だがそれは物語の始まりに過ぎない。本当に必要なのは終わり方だ」」(298ページ)と。たとえば、いくつかの研究は、チェスや囲碁の技量とIQには相関が見られないことを示しています。結局、「長期的に勝利するのは、知能など何らかの才能に恵まれて有意なスタートを切った者ではなく、より多く練習したもの」(305ページ)なのです。

このエリクソン氏らの研究が正しいとするならば、我々は、もはやガラパゴス化した「学歴」神話に惑わされて、どれだけ潜在的なエキスパートを失ってきたのでしょうか。私たちは、「やればできる」との一般通念を無批判に信じて、効率の悪い練習(あるいは、かえって能力を損なう練習)をしてこなかったでしょうか(あるいは、それを他人に勧めなかったでしょうか)。本書は、「頑張れ!」「頑張る!」という精神論が幅を利かせる我が国において、より広く読まれたい良書だと思います。

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