野口和彦(県女)のブログへようこそ

研究や教育等の記事を書いています。掲載内容は個人的見解であり、群馬県立女子大学の立場や意見を代表するものではありません。

暴力衰退論、進化生物学、そして中国の台頭

2019年08月22日 | 研究活動
国際関係論・国際政治学の1つのメインテーマは、「戦争と平和」です。にもかかわらず、我が国のこの分野の研究者たちは、「世界では暴力が激減しており、平和への道を進んでいる」ことを論証する大作について、あまり大きな関心を払っていないように見えます。その大著とは、スティーブン・ピンカー(幾島幸子・塩原通緒訳)『暴力の人類史(上)(下)』青土社、2015年(Steven Pinker, The Better Angles of Our Nature: Why Violence Has Declined, NY: Penguin, 2011)です。



このピンカー氏(ハーバード大学)の著作は、この学問分野の代表的な国際政治学会の機関紙『国際政治』において、これまで書評の対象になっていません。それでは、日本平和学会は、どうなのでしょうか。この学会なら、その活動目的に「様々な暴力を科学的・批判的にとらえて、それらの克服をめざす研究活動」を趣旨として掲げているくらいですから、同会の機関紙『平和研究』が、本書に注目して取り上げてもよさそうでしょう。ですが、私が調べた限りでは、この学会誌も同書を書評していません(見落としていたら、訂正いたします)。ビックリしたのは、私だけでしょうか。

ピンカー著『暴力の人類史』は、文字通りの「大作」です。訳書は、2巻合計で約1200ページ、英語の原書でも、約800ページのボリュームです。もちろん、本書の価値は、その分厚さもさることながら、むしろ内容にあります。ピンカー氏は、認知科学者・進化心理学者ですが、この図書の内容は、これらの学問分野を超えて、文字通り、学際的アプローチから、世界における「暴力の激減」のナゾに迫っています。ここで使われている学問は、著者の専門分野はもちろんのこと、国際関係論・国際政治学のみならず社会思想史、文化人類学、統計学、歴史学、進化生物学など、文理の枠を超えて、「暴力衰退」論を構築しようとしています。さらに、国家間戦争や内戦を含めて、現在に近づくにしたがい、「暴力」があらゆる側面で低下していることを豊富な実証データを使って裏づけています。

では、どのような理由で、国家は戦争をしなくなってきたのでしょうか。人類が暴力に訴えにくくなってきたのは、どうしてなのでしょうか。ピンカー氏の答えは、意外なほどシンプルで簡潔です。つまり、人類は暴力に訴える原動力となる「内なる悪魔(The Inner Demons)」を克服しつつあり、人間本性において、「善なる天使(The Better Angels)」が優位になりつつあるからだというものです。もちろん、彼は人間が前者を撲滅したと主張しているわけではありません。同情や自制心、道義心、理性などが、貪欲や支配、復讐、サディズムなどに打ち勝ちつつある結果、、世界が「平和」になってきたと主張しているのです。

では、なぜ人間本性において「善なる天使」が「内なる悪魔」より、優位になってきたのでしょうか。それをピンカー氏は、進化生物学の視点から解明しようとします。すなわち、暴力のコストが利得を上回るようになってきたため、人間は自然選択の結果として暴力に頼らない適応を遂げてきたと、次のように説明しています。

「暴力の減少(は)…生存と繁栄の成立条件が変わったことに対するダーウィン的な反応だろう…(中略)…暴力は、加害者側に生じさせる幸福よりも多大な不幸を被害者側に生じさせるので、そのすべての幸と不幸を公平無私な観察者が合算すれば、世界の幸福の総量は暴力によって下げられている」(㊦430、550ページ)。

そして、こうした人間の「適応」をうながす外的要因が、「リバイヤサン(国家=政府)」「通商」「女性化」「コスモポリタニズム」「理性のエスカレータ」などです。

ピンカー氏の大胆で物議をかもしそうな「暴力衰退論」や「平和化論」には、もちろん、反論があります。詳しくは、ISA(International Studies Association) の "The Forum: The Decline of War," International Studies Review, No. 15, 2013 をお読みください。ここでは、はじめに、戦争原因研究の大御所であるジャック・リーヴィ氏(ラトガース大学)・ウィリアム・トンプソン氏(インディアナ大学)の反論をざっと紹介します。彼らは、ピンカー氏が戦争衰退の原因として、物質的要因をあまりに軽視している一方、理念的・文化的要因に偏っていると批判しています。ただし、ピンカーの経験的データや「楽観論」には、ほとんど意義を唱えていません。また、直観的にはピンカー氏が説明するように、上記の心理的変数は暴力を減らしているようだが、戦争データのジグザクの軌跡をよく見ると、この理論と合致しない時期も少なくないので、怪しいとのことです。くわえて、リーヴィ氏とトンプソン氏によれば、ピンカー氏の理論は「因果ロジック」に問題があり、「善なる天使」→「暴力の減少」とは限らないと言います。代わりに、彼らは、競合的で危険な国際環境が国家を強くした結果、戦争のコストが上昇して、国家は暴力に訴えにくくなったとの仮説を提示しています。

同じように物質的要因からピンカー氏の「楽観論」は、予測に向かないことを主張したのが、ブラッドリー・セイヤー氏(ユタ州立大学)です。彼は、バランス・オブ・パワーが変われば、人間の特性にも影響するだろうから、「内なる悪魔」を引き戻すことになりかねないと主張します。そこでセイヤ―氏が注目するのは、中国の台頭です。彼によれば、中国はいまだ善なる天使に支配されてないのは明らかです。「中国国民のリバイヤサン(中国共産党による政治支配、引用者)はピンカーの好みではなさそうなのだが、それとも逆に好みなのだろうか」と皮肉っています。そして「中国の相対的パワーの向上が、紛争の重大なリスクと強烈な安全保障上の競争を内包しているのは疑いない」と断じています。南シナ海などで強欲的に現状を打破するリスク受容の中国政府は、近い将来、「善なる天使」に取り込まれるのでしょうか。

国際関係研究の視点からまとめると、ピンカー氏の「暴力衰退論」は、これまで同分野の研究者が、戦争原因の研究において、ややもすれば置き去りにしがちだった「個人レベル」の要因に正面から焦点を当てて、進化生物学などの知見を取り入れながら、その因果関係を明らかにしようとした、画期的で論争的な研究だと思います。それにしても、「戦争」や「暴力」を研究対象に含める日本の主要な2つの学会が、この研究にあまり注目しないのは、ISAとは対照的です。ピンカー氏が、あまりに多くの学術アプローチを総合的に使っているので、少なからぬ日本の研究者たちは、安易に扱うと「やけど」すると判断したのでしょうか。それとも、書評するには値しない研究内容だと判断したのでしょうか...。

追記:ロバート・ジャーヴィス氏が、上記書に関するエッセーを『ナショナル・インタレスト』誌に寄稿していることを知りました。ピンカー氏の主張はよいニュースにもかかわらず、素直に、そう認識できな理由などが論じられています。Robert Jervis, "Pinker the Prophet," National Interest, October 25, 2011. リンクを貼りましたので、ご関心がある方は読んでみてはいかがでしょうか。




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高坂正堯氏は「国際政治学者」だったのか

2019年08月09日 | 研究活動
服部龍二『高坂正堯―戦後日本と現実主義―』中央公論新社、2019年を読了しました。本書は、「国際政治」学界における知の巨人であり、論壇で「現実主義者」として活躍された故高坂氏を学問的業績はもちろんのこと、政策提言や時事評論、さらには人柄まで踏み込んで、その全体像を描き出した力作だと思います。新書ながら、400ページ近いボリュームがあり、読みごたえがあります。



この図書については、高坂氏のお弟子さんである戸部良一氏が、素晴らしい読書エッセー「恩師の評伝 『高坂正堯』を読む」を書いておられるので、関心のある方は、こちらもお読みになるとよいでしょう。

私が、本書を読んで感じた率直な疑問の1つは、高坂正堯氏は「国際政治学」者なのか、それとも「国際政治史」の学者なのか、ということです。この点に関連して、著者の服部氏は、こう述べています。「高坂の死は、総合的な魅力のある学問としての国際政治学の死であった」(379ページ)と。つまり、高坂氏は、国際政治学者であったと位置づけているようです。とはいえ、別の個所で、服部氏が「高坂の講義は、理論よりも歴史重視である」と書いているように、また、歴史学者の入江昭氏との深い親交や博士学位論文となった『古典外交の成熟と崩壊』(19世紀の外交史研究)が1つの主著であること、さらには、お弟子さんに「歴史学者」とみなされる人が目立つことを考慮すれば、高坂氏の研究は「歴史」に軸足を置いていたと理解するのが適切でしょう。なお、私はこれまでに高坂氏の主著をほぼ全て読み終えてます。そこから感じた高坂氏の国際政治へのアプローチは、「史学」専攻と違うものの、「歴史」に重きを置く分析手法でした。

ある学問が、学際的で総合的であるのは、必ずしも悪いことではありません。しかし、「総合的」であることは、ややもすれば「何でもあり」になりかねません。その結果、当該学問のアイデンティティが損なわれ、その体系があいまいになり、結果として継続的で持続的な科学的発展が難しくなる弊害は否定できないでしょう。私見では、残念ですが、高坂氏が京都大学で始めた「国際政治学」は、このトラップに嵌ったようです。端的に言えば、高坂「国際政治」学は、社会科学としての国際政治学なのか、それとも国際政治史なのか、判然としないのです。

「国際政治学」と「国際政治史(歴史学)」は、戦争や平和などを扱うこと等において共通していますが、それぞれは似て非なるものです。端的に言えば、社会科学としての政治学は概して理論化(単純化)や一般化を目指すのに対して、歴史学は、それをきらい(例外はありますが)、個別の歴史事象の特殊性や複雑性を重視します(詳しくは、コリン・エルマン、ミリアム・エルマン編『国際関係研究へのアプローチ―歴史学と政治学の対話―』東京大学出版会、2003年をお読みください)。つまり、政治学と歴史学は、方法論において、「水と油」なのです。そう簡単に混ざり合うものではありません。

こうした違いを乗り越えて、政治学と歴史学を融合させる試みは、研究者により何度も行われています。しかし、なかなかうまくいかないようです。両学問の統合しようとする優れた研究としては、川﨑剛『社会科学としての日本外交研究―理論と歴史の統合をめざして―』ミネルヴァ書房、2015年や保城広至『歴史から理論を創造する方法―社会科学と歴史学を統合する―』勁草書房、2015年などがあります。こうした知的営為や努力にもかかわらず、残念ながら、現時点では、こうした方法論が国際政治学界の研究者により、積極的に実践されて成果をだしているかとと問われれば、その結果は、心もとないと言わざるを得ないでしょう(政治学者と歴史学者が同じ事象を一緒に研究して、1つの統一した研究にまとめる試みは、管見の限り、大半が上手くいかずに終わっているようです)。もちろん、言うまでもなく、学問は必ずしも直線的に発展するわけではなりませんので、今後、両学問の長所を兼ね備えた画期的な研究成果が、次々と世に問われる日が来るのかもしれません。

さて、政治学と歴史学を兼ね備えた高坂「国際政治学」の意義や学問的遺産は、どのように評価できるでしょうか。服部氏は『高坂正堯』の終盤において、弟子たちの証言を引用しながら、「高坂が傑出した存在だっただけに、学問体系の継承は…不可能と見られた」(378ページ)と結んでいます。この「継承不可能性」にこそ、高坂「国際政治学」の1つの欠陥があると言ったら言い過ぎでしょうか。そもそも「学問」とは、ある体系や方法論、仮説などがあり、それを弟子や他の研究者が受け継いで、その欠点を補いながら修正して、その妥当性をエビデンスに照らして検証しながら、地道に時間をかけて発展するものです(「科学革命」が起こることもありますが)。国際政治学が単発の「時評」ではなく、「社会科学」と位置づけられるならば、誰も継承できない一個人のみの「秘伝」たる「国際政治学」では、発展しようがないでしょう。先行研究を乗り越えるのが、社会科学のエッセンスなのですから。

私は、誰も高坂「国際政治学」を継承できない1つの根本原因には、本書で指摘された「傑出」という彼の人間的属性を否定しませんが、それより、彼の学説に「政治学」と「歴史学」という、方法論上、相いれない学問体系が明確に整理されずに混然とした形で内在していたことにあると見た方が、より説得的だと思っています。批判を覚悟で大胆に述べれば、京都大学法学部で発祥した「国際政治学」は、それが誕生した1965年時点から、あるいは『国際政治―恐怖と希望―』(書名が国際政治「学」でないことに注意)が1966年に中央公論社から出版された時から、社会科学として発展する余地をほとんど残していなかったのではないでしょうか。他方、同時期に米国では、トーマス・シェリング『軍備と影響力』勁草書房、2018年(原書1966年)が出版され、それ以前にシェリングが世に問うた『紛争の戦略』(勁草書房、2008年〔原書1960年〕)とともに、その「学問体系」は数多くの研究者に「継承」され、核戦略研究やバーゲニング研究などの画期的な学問的成果の土台になり、国際政治学の進展に大きく寄与しました。

このような記事を書くと、読者から、日本の国際政治学には、理論のみならず歴史や地域研究などを包摂する総合的学問の良さがあるとお叱りを受けそうです。それはそれとしても、『高坂正堯』から日本の国際政治学の軌跡に思いをはせれば、その「社会科学としての発展」や「米国の国際政治学の展開」との比較から顧みると、日本の国際政治学の歩みは、全体として、あまりに属人的であり、科学的方法論に甘かったと思わざるを得ません(「自分の学問は自分で作るものだ」(高坂氏の発言、166ページ)。もちろん、その起源を高坂正堯氏個人だけに求めるわけではありません。学問を成り立たせる「批判的思考」を駆使して、高坂「国際政治学」に関する愚考を述べたにすぎませんので、この点は、読者の皆様にご理解をいただきたいと思います。


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