私は、学生に「本を読め」と言い聞かせています。他方、多くの学生は読書に抵抗感を感じています。メディアが発達して情報入手の手段が多様化した現在において、図書は1つの情報の媒体にすぎません。ですから、学生たちは、「なぜ本なのか」、「なぜネットではダメなのか」と思うのでしょう。
このように学生たちは、読書の重要性にピンときていませんので、「読書のススメ」には敏感に反応しません。ましてや専門書や社会問題に関する「堅い」書物となると、それを読むことは、学生たちにとって、一種の「苦行」なのでしょう。ですから、こうした文献は、ますます遠ざけられるわけです。
もっとも、学生の立場からすれば、読書が大切である根拠を示さずに本を読めといっても、あまり説得力がないかもしれません。そこで、今日は、読書の効用に関する脳科学者の見解を紹介したいと思います。酒井邦嘉氏(東京大学)は、人間の言語能力を鍛えるには、活字を読むことであると、次のように指摘しています。
「読書は、足りない情報を想像力で補って、曖昧なところを解決しながら自分のものにしていく過程だから、常に言語能力が鍛えられる」(酒井邦嘉『脳を創る読書』実業之日本社、2011年、122ページ)。
本の活字は、会話やインターネット、テレビよりも情報量が少ないので、読者は、脳を働かせて想像力を使いながら、本から情報を自分で引きだそうとします。その過程で、人間の脳は鍛えらるというわけです。では、本を読まないと、どうなるのでしょうか。脳が十分に鍛えられないということです。その結果、今度は読むに耐える文章が書けなくなるのです。再度、酒井氏の主張に耳を傾けてみましょう。
「あまり本を読まずに、想像力が欠如したまま大人になってしまうのは恐ろしいことだ。…だいたい自分勝手なことをそのまま書いただけでは、相手が時間をかけて読んでくれるはずがない。相手の立場から自分の文章を読んだらどう受け取るだろうか、という想像力が身について初めて、自分の真意を相手に伝えることができ(る)」(同書、122-123ページ)
勤務先の同僚の先輩が、かつて、こんなことを言っていました。「その人の知性は、ものを書かせれば一発で分かる」と。これまでどれほど読書をして脳を鍛えたかが、そのまま文章に反映されるということでしょう。
大学教育の現場では、新しい教育メソッドが注目されています。学生が授業に主体的に参加する「アクティブ・ラーニング」、インターネットを活用した「e-learning」など、さまざまです。もちろん、こうした教育方法には、それぞれの効用があります。しかし、それらが古典的な教育方法を無用にするわけではありません。
欧米の大学では、多くの授業で、おびただしい「リーディング・アサインメント(文献読破の宿題)」が学生に課されます。このことは、活字情報を読むことの大切さを示しています。他方、日本の大学はどうなのでしょうか。大学生が身につけるべき能力の1つとして、「コミュニケーション能力」が指摘されていますが、それに必要な「想像力」を読書により育成することなくして、なぜ、コミュニケーション能力がつくのでしょうか。学力低下、大学生の質の保証など、日本の高等教育には問題が山積していますが、それを解決する1つのカギは、読書にあると思います。