行雲流水の如く 日本語教師の独り言

30数年前、北京で中国語を学んだのが縁なのか、今度は自分が中国の若者に日本語を教える立場に。

天安門城楼の毛沢東肖像画が掛け替えられた

2016-09-29 17:30:14 | 日記
中国の建国記念日にあたる10月1日の国慶節を前に9月27日、天安門城楼に掛けられた毛沢東の肖像画が取り外され、新しいものに取り替えられた。外された絵は改めて修繕され、来年のこの時期に復活する。毎年行われる恒例の行事で、夜中、1時間近くをかけて行われる。縦6メートル、横4・6メートル、重さは1.5トンもあるので、クレーンで持ち上げる大掛かりな作業となる。



毛沢東の肖像画が常時掲げられるようになったのは、文化大革命が始まった1966年以来だ。それ以前は、メーデーや国慶節など特定の記念日に限定されていた。



当初、毛沢東の顔がわずかに右を向き、左耳だけが描かれていた。しかも左目が若干上に向いていたことから、「耳と目に入るものが偏ってしまう」との批判を受け、翌1967年の国慶節から、今に伝わる正面の像に変えられたとの逸話が残る。以来、半世紀にわたり天安門広場の歴史を見続けてきた証人である。

文革終了後、荒廃した社会の秩序回復もまた、毛沢東の権威にすがるしかなかった。鄧小平が掌握した政権は、毛沢東思想を継承することに正統性を置いた。鄧小平は1980年8月、イタリア人女性記者、オリアナ・ファラーチのインタビューに対し、天安門に掲げられた毛沢東の写真は「永遠に残していく」と断言した。そしてそれは現在に至るまで堅く守られている。紅二代の習近平政権はより一層、原点回帰の性格を強めている。肖像画はますます実際の重量以上の重みを増しているのだ。

歴史をたどれば、天安門城楼に最初に毛沢東像が掲げられたのは建国前の1949年2月12日だ。北京(当時は「北平」)解放祝賀式典において、朱徳や林彪、聶栄臻、葉剣英の元帥と並んで、中心に置かれた。



同年7月7日には、「七七抗日戦争」(盧溝橋事件)12周年の記念行事で、朱徳とともに掲げられた。



建国の式典に先立ち、国家や国旗を定めた1949年9月21日の第1回人民政治協商会議第1回全体会議で、周恩来をトップとする準備委員会が発足し、同委員会で10月1日の式典当日、天安門に毛沢東像を掲げることが決まった。当時は軍服姿だったが、翌年から人民服に変わった。国民党時代は同じ場所に蒋介石の肖像画が置かれていたこともある。毛沢東の次があるのかどうか。今のところ見えてこない。







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1 コメント

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Unknown (笠井孝之)
2016-09-29 23:12:05
かつては 孫文 の肖像画が 掛かっていました。

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