中国には新華社が作成した禁止用語リストがある。日本のように本になるぐらい詳細なものではなく、ごく簡単なガイドラインを示したものだ。個々の利害が絡む人権はともかく、普遍的な人権についての意識が低く、概して差別的表現に対する感度は低い。禁止用語は、民族や宗教、さらには領土、主権といった国の基本政策にかかわる政治的な内容が目立つ。国の宣伝機関として性格がにじみ出ている。
「新華社ニュース報道禁止用語規定(第一稿)」は、社会生活、法律、民族宗教、領土・主権および香港・マカオ・台湾、国際関係の五つに分かれている。
http://culture.people.com.cn/n/2015/1105/c87423-27782404.html(『人民ネット』2015年11月5日)
「社会生活」では、身体障害者に関する差別的な表現、例えば「残廃人」「独眼竜」のほか、商品や医薬品に対する、「最高」「安全」「根治」などの不適当で過剰な評価、さらには文芸界の人物に「巨星」「影帝(銀幕の帝王)」などの呼称を与えることを禁じている。今どきの綱紀粛正ムードを感じさせるのは、指導者を報じる際に、「〝自ら〟・・・した」などと、ことさら行為を大げさに取り上げることを戒めている点だ。
「法律」関係では、容疑者の家族や未成年の容疑者、人工授精による妊婦、重大な伝染病患者、精神病患者、性的暴力を受けた女性などは名前を公表してはならず、仮名や「李某」などと名前を伏せるよう求めている。不十分ながら、形の上では無罪推定の法制度があるので、刑の確定までは「罪犯(犯人)」ではなく「犯罪嫌疑人(容疑者)」と表記し、「泥棒労働者」や「教授犯人」など身分と犯罪を結びつけてはならい。
「民族宗教」関連では、「蛮子」(少数民族の漢族に対する蔑称)、「回回」(回族に対する蔑称)は用いてならず、「やぶ医者」の象徴として「モンゴル人医師」との表現を使ってはならない。国内にイスラム教を信仰するウイグル人の独立運動を抱えるだけに、イスラム教にも気を使っている。イスラム教民族の文脈では豚肉に触れてはならず、羊を処分する場合にも、「宰(さばく)」と言い、残忍な印象を与える「「殺す」と書いてはいけない。
用語集は以前に定められたものだが、最近、ネットでしばしば転載されている。聞くところによると、党内部で厳しい用語チェックが始まったらしい。中国語版の「言葉狩り」だ。インターネット言論の乱れは目に余るものがあるが、ネット中心に発信する伝統メディアもその影響を受けている。専門性を失い、商業主義に流れ、規律の乱れているメディアに対する統制の一環だ。
優秀な記者が続々と自由な空間の狭まる新聞やテレビから離れ、それに代わるネットメディアには素人集団が集められている。ネットメディアは、アクセスによって手っ取り早く広告収入が入るが、その分、娯楽的、刺激的な内容に偏り、掘り下げた記事はほとんどない。ネットメディアには報道機関としての取材権が認められていないため、安易な転載記事が目立つ。デマ情報や偽ニュースが頻繁に流れるのは、ニュースの真偽も判断できないメディア人の劣化を物語る。
禁止用語を徹底させたところで、報道の質が向上するわけではない。その原理は日本と同様だ。報道機関が真実の、価値ある内容を提供し、それが大衆に認められ、健全な世論の土台になっていく社会を目指さない限り、人々を幸福にするメディアは生まれない。インターネットの政治的な主導権争い、経済的な利益分配、そうした上から目線の議論が多すぎる。下から積み上げるような対話こそが求められている。私にとって授業はその大切な一つである。(続)
「新華社ニュース報道禁止用語規定(第一稿)」は、社会生活、法律、民族宗教、領土・主権および香港・マカオ・台湾、国際関係の五つに分かれている。
http://culture.people.com.cn/n/2015/1105/c87423-27782404.html(『人民ネット』2015年11月5日)
「社会生活」では、身体障害者に関する差別的な表現、例えば「残廃人」「独眼竜」のほか、商品や医薬品に対する、「最高」「安全」「根治」などの不適当で過剰な評価、さらには文芸界の人物に「巨星」「影帝(銀幕の帝王)」などの呼称を与えることを禁じている。今どきの綱紀粛正ムードを感じさせるのは、指導者を報じる際に、「〝自ら〟・・・した」などと、ことさら行為を大げさに取り上げることを戒めている点だ。
「法律」関係では、容疑者の家族や未成年の容疑者、人工授精による妊婦、重大な伝染病患者、精神病患者、性的暴力を受けた女性などは名前を公表してはならず、仮名や「李某」などと名前を伏せるよう求めている。不十分ながら、形の上では無罪推定の法制度があるので、刑の確定までは「罪犯(犯人)」ではなく「犯罪嫌疑人(容疑者)」と表記し、「泥棒労働者」や「教授犯人」など身分と犯罪を結びつけてはならい。
「民族宗教」関連では、「蛮子」(少数民族の漢族に対する蔑称)、「回回」(回族に対する蔑称)は用いてならず、「やぶ医者」の象徴として「モンゴル人医師」との表現を使ってはならない。国内にイスラム教を信仰するウイグル人の独立運動を抱えるだけに、イスラム教にも気を使っている。イスラム教民族の文脈では豚肉に触れてはならず、羊を処分する場合にも、「宰(さばく)」と言い、残忍な印象を与える「「殺す」と書いてはいけない。
用語集は以前に定められたものだが、最近、ネットでしばしば転載されている。聞くところによると、党内部で厳しい用語チェックが始まったらしい。中国語版の「言葉狩り」だ。インターネット言論の乱れは目に余るものがあるが、ネット中心に発信する伝統メディアもその影響を受けている。専門性を失い、商業主義に流れ、規律の乱れているメディアに対する統制の一環だ。
優秀な記者が続々と自由な空間の狭まる新聞やテレビから離れ、それに代わるネットメディアには素人集団が集められている。ネットメディアは、アクセスによって手っ取り早く広告収入が入るが、その分、娯楽的、刺激的な内容に偏り、掘り下げた記事はほとんどない。ネットメディアには報道機関としての取材権が認められていないため、安易な転載記事が目立つ。デマ情報や偽ニュースが頻繁に流れるのは、ニュースの真偽も判断できないメディア人の劣化を物語る。
禁止用語を徹底させたところで、報道の質が向上するわけではない。その原理は日本と同様だ。報道機関が真実の、価値ある内容を提供し、それが大衆に認められ、健全な世論の土台になっていく社会を目指さない限り、人々を幸福にするメディアは生まれない。インターネットの政治的な主導権争い、経済的な利益分配、そうした上から目線の議論が多すぎる。下から積み上げるような対話こそが求められている。私にとって授業はその大切な一つである。(続)