Reflections

時のかけらたち

私のファミリー・ヒストリー -3・・・・ my family history -3

2013-01-29 23:49:14 | old familiar faces
1月28日

年を取ると自分のルーツを知りたくなるのだろうか?
父の部屋からは家系図の写しや、図書館で借りた本のカードや
親戚から教えてもらったお手紙が出てきた。

Sも興味があるようだけど、職場でも家紋とかそういうことに
興味を持つ時期があるという話が出た。
なんとなく祖先がどの地方で暮らしていたのかと
思ったりもするけど・・・

Sがおばさんに尋ねたら、過去帳やお寺やお墓などたどって
いたけれど結局宝暦(1751~1764 江戸時代)までしか
たどれていないよう・・・
こちらは主人のほうのF家の話で、私自身はあまり興味は
ないのだが、娘は知りたいみたい。

だけどどこを見ても、途中で養子を迎えたりしているので
血縁的につながっているわけではない。
私のほうの家系も同じようで、親戚関係での
養子縁組がすごく多い。

私の方も主人の方もすごく似ているところがあって、
私の家系は小倉市で旅館をやっていて、市長にもなった人が明治の初期に
いて、政治のおかげで貧乏になったよう・・
結婚前の本籍は元旅館のあった場所で今では井筒屋というデパートの番地
だった。
主人のほうも同様で、今治で旅館をしていて同じく市長になったとのこと。
塩田を持っていて、土木工事などをして地元のために尽くしたようです。
F家の話は本当に面白いことがあって、今主人が話せたら(聞き伝えのものですが)
すごく面白かったと思う。
主人のほうの家系では昭和初期の風刺漫画化柳瀬正夢がいる。
普通の絵も描いていたのでいつだったかマリオンのギャラリーで回顧展が
行われていた。戦前のプロレタリア美術運動で特筆すべき画家であり漫画家でも
あったと書かれていた。主人の兄がデザイナーでアートディレクター。
主人もテキスタイルを学んでいた。




今さっきもう少しで捨てられそうになっていた俳句の短冊を見ていたら
これは私の父かたの祖父縷々の追悼句会等のもののようだが
虚子や秋桜子、久女の自筆の短冊が出てきた。後誓子のもたくさんあった。














祖父の日記や、この短冊を読むのが難しいのがつらい。
祖父の日記の中の作家たちの名前や、美術の切り抜きにレベルの高い
知性を感じた。実業家であり、俳人であり、手先も器用で彫刻等もしていて自分の
蔵書の刻印を彫っていた。まれに見るハンサムで、祖母は男が惚れる男だとよく
言っていた。父なんか及ばないと・・(子どもと比較してどうするの?)
縷々の兄弟には日立製作所の社長 倉田主税、三井鉱山の社長 倉田興人、画家の庫田綴
(倉田哲介)がいて実業家か芸術家の家系であった。縷々が36歳で結核で亡くなってしまったので
父は飛び級などして学校を出て大変苦労した。祖母は旅館のお嬢さんだったので
おおらかに貧困にもめげず暮して行けたらしい。
縷々の血をひいたのは二男のように見えるが、自由奔放に生きた人で、地方の国立大学を
主席でどうしたとかそんな話を聞いたこともあるけど、酒を愛し、バーテンダーとなり
お店を経営していた。祖母より早くなくなってしまったが、「さけ」という雑誌に
エッセイを書いていたこともあった。早く父親に先立たれた父は超真面目に
生き、長男らしかった。三男は母親の愛にも飢え、祖母の家分お酒を飲んだと
聞いた。結局どんな素晴らしい祖父でも、その家族の行く末は悲惨だった。





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休息の日 ・・・  a rest day

2013-01-27 23:53:04 | a day in the life
先週は担当の会議の準備や手伝っている学会の忙しい時期で
改革期の問題を確認しながらの仕事で疲れてしまって
懇親会などで胃腸まで疲れて ・・・
その上、ホームからの麻薬を使うとの連絡に動揺してしまって
大学病院の先生にも相談して確認を取ったり落ち着かない日々でした。
食欲が落ちて痩せて、痛みも伴う病人を看ているのもつらく。
それでも持って行った果物や野菜のピクルスは食べてくれるので助かります。

そんな週末の夜遅く太宰の「ヴィヨンの妻」の映画をやっていて
なんとなく見ていたら、その時代の感じが面白く見てしまいました。
広末と松たか子の着物姿がとても素敵で、その演技とともに見とれてしまいました。
特に広末涼子の着物はモダンであんな風に着物が着れたら素敵と思いました。

ホームに行った土曜日はなんだかぐったり疲れて9時前には寝てしまいました。

そして大まかな予定しかたてられなかった今日は本当の意味で休息日でした。
娘が北海道展のイートインで食事をしてみたいというので
気合を入れて早くからブランチを食べに出かけました。



開店15分くらい前だったのでエレベーターの前で並びました。
そしてダッシュで入った小樽のお寿司屋さんのお寿司は本当においしかったと大満足。
札幌で食べた水だこも・・・・
白子もぼたん海老も・・・

午後友人を訪ねる予定だったので、その間新宿御苑に花を見てからとも思ったけど
NSビルのバーバリーセールでも行こうかと歩いて行ったところ
近くの都庁の展望台に行くことに意見が一致して、登ることにしました。
南棟と北棟と両方行ってしまいました。




















富士山









やっぱり日光につながる方向には何も説明がなかった。よっぽど見えないのだろう。

北棟の方にも行って見た。









東京タワーはやはりラブリーだ。








西荻駅前の花にこんにちわ




















メジロンがお出迎え















おいしいお菓子とおしゃべりと・・・
たまらないですね~

これぞ正しい休日の過ごし方・・家事は放棄した(笑)
土日しか家事を集中してできない働く主婦はつらいです。

          
                    Jan.27  2013
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この世界とわたしのどこか ・・・somewhere between me and this world

2013-01-21 23:18:05 | a day in the life


日曜日の朝、いつものスーパーマーケットまで
買い物に行く途中、メジロの鳴き声がして見ると
たくさん地面に落ちた柿を食べにやってきていた。
そのあとで貪欲な感じのムクが来てメジロを
追いやっていた。
カメラを持っていなかったので残念。買い物はやめて
カメラを撮りに戻ろうかとも思ったが、午後のスケジュールもあり
断念した。

午後はホームに行く時間の合間に写真美術館に
よって久しぶりに写真を見る。
最近はホームへは週の半ばと週末1回にしているが
食欲もなく、食べられそうなものを持って行って
少しでも元気になってもらいたいという気持ち。
それに月曜日の大学病院での検査結果がぐんと悪くなっていて
数値を見るだけで落ち込んだ。
病気と闘う人も、それに付き合う人もしんどい。
昨日はホームから帰って風邪っぽく寒気を感じたので
早めに寝ることを心がけ、12時前に寝ることができた。

久しぶりに見る写真展は刺激的だった。
写真とはその人と現実の接点だから。
1つの写真展は「この世界と私のどこか」5人の女流作家の作品。
私は蔵 真墨という人のお伊勢参りが良かった。

「蔵のお伊勢参り 視線の冒険」************************************
現在の自分や過去の自分、もう会わないであろう親しかった人、
過去の兄や母に街中で出会うことがある。それはもちろん本当はそのような
雰囲気のある知らないだれかであるのだけれど。そのとき私は闇のなかで
小さな光を見つけたに感じる。その灯りは一瞬のもので次の瞬間には
その人は私の勝手な思い込みから離れて別人の顔に戻ってしまう。
それで私はその灯りが消えないうちにさっさと左手と右手を動かす。
しかし私の視線はセンチメンタルではない。私のものの見方を写真という形に
したとき、一般的には冷え冷えとしたものだった。私はそれが普通だと思っていたのだが
普通は人それぞれにあることを知った。
******************************************************************

「いつか見た風景」はほぼ同時代の作家の作品。
学園紛争を内部から撮った。ロックアウト内部の風景
デモの黒白写真。モノトーンの迫力を感じました。
それにあのデモをしている活動家たちのあの顔は
現代にはもういない顔。
時代の差をまざまざと見せつけられた。


(写真は前回と同じ時の昭和記念公園で)

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私のファミリー・ヒストリー -2・・・・ my family history -2

2013-01-19 23:55:53 | old familiar faces


私をすごくかわいがってくれた吉祥寺の祖父母(母方)のことが
身近に思い出されて、何か書きたくなったのだけれど
思い出すと何から始めていいかわからない。



インターネットで検索すると出てくる親戚の人(父方)もいて
写真が父に似てたりして・・
杉田久女のことを題材にしたドラマに祖父神崎主計(縷々)と
祖母が実名で出てきたこと・・
祖母が松本清張が話を聞きたがっていたと話したこと等
思い出した。




祖母もいろいろ面白い経験をしていただろうから
自伝みたいなものでも書いてほしかったけれど
そういうものもなく、夫縷々の死とともに
時間は止まってしまったようで、祖母が亡くなるときまで
手許に持っていた手帳に縷々が亡くなった日のことが
つづられていた。それ以後の生涯は祖母にとっては
余生だったのに違いない。
夫がすべてで妻ではあったけどいい母ではなかったのかも
しれない。



ファミリー・ヒストリーに取り掛かろうと思い
祖父の日記を見てみた。日記と言ってもエッセイ。聖書のこと
ギリシャ哲学からニーチェまで。トルストイやドストエフスキィについて
祖父は37歳で亡くなるまでものすごい勢いで吸収し考え追及していった
のだろう。
俳句の追悼号には祖母から話を聞き取り、その生涯に触れてあったが
数少ない手ががりとなった。



日記帳にはルノアールやロダン、サンマルコ寺院のモザイクなど
はさんであった。押し花まではさんであり、その直筆に触れ
私が生まれる13年も前に亡くなってしまった祖父を思った。
祖父は私が見たことのある男性の中で一番素敵な人です。
(写真だけですが)



(写真は一昨年5月に母の四十九日法要のあと、昭和記念公園で撮ったものです。)
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雪の成人式 ・・・ coming-of-age ceremony in the snow

2013-01-15 22:27:08 | thoughts
成人式の天気予報は雨・・
はずれてくれるといいという願いもむなしく
予報どおりの雨・・
朝7時半頃家を出る。
新宿の美容院までメイク、ヘア、着付けのため
出かけていく途中の道で
なぜか「夜明けの歌」が私の心の中で響いた。
私が20歳の頃同じく岸洋子の「希望」という歌が
大好きだった。

美容室の前の長椅子にはすでに多くの母親たちが
座って待っていた。
私は家と往復するのも馬鹿らしいし、道路を対角線上
前のスタバで音楽を聴きながらキャラメル・マキアートを
飲んで過ごした。





そこでは懐かしい曲がたくさん流れて
なぜかサイモン&ガーファンクルが聴きたくなってしまった。
大好きなサッチモの”What a Wonderful World”もかかって・・

I see trees of green, red roses too
I see them bloom for me and you
And I think to myself, what a wonderful world
I see skies of blue and clouds of white
The bright blessed day, the dark sacred night
And I think to myself, what a wonderful world
The colors of the rainbow, so pretty in the sky
Are also on the faces of people going by
I see friends shaking hands, saying how do you do
They're really saying, I love you
I hear babies cry, I watch them grow
They'll learn much more than I'll ever know
And I think to myself, what a wonderful world
Yes, I think to myself, what a wonderful world

なぜだか20年という年月がしみじみと思われて
母に見せたかったな~と思うとちょっとジーンと
来るものがあった。
成人式は子供と育てたものすべてのもののためにあると
思いました。

他に”circle game”や”never my love”をカバーした曲が
流れまさに私たちの青春時代の曲。成人式なんていう
体制の行事なんて参加しないのが当たり前に思えた時代。
戦後民主主義と同時に育った世代。

1時間たつとこれから着付けのメールが入る。
センチメンタルな気持ちを置いて、席を立って
美容室の前のベンチへ移動。
外はみぞれから雪に変わり、ふぶいていた。

着付けには1時間以上かかり、出来上がったSが
私を呼んだ。まるで七五三・・ かわいい。
それまで次々に初々しい新成人がでてくる。
黒や紫の着物それに合わせた髪飾り。ブルーの着物もあれば
みんな個性的。
Sが着物を着たいといったのが去年の11月・・貸衣装だってもう残り物の
ぎりぎり・・・



髪飾りやナチュラルメイクはSの好み、着物は残り物の中から二人で帯、帯揚げ、帯締めを
選んで行ったものだったけれど、ほんわりしたひな祭りの色になってしまった。

新宿は地下道が行き届いているのでかなり地下道でぬれなくて済むのだけど
今回は少しでも濡れたら大変なのでシャトルバスで伊勢丹本館まで行って
そこで着て行った衣装・コートをコインロッカーに入れて地下道を通って京王プラザホテルへ。
京王プラザではどうしても雪の中を少しだけ歩かなければならない。
すごい雪で滑りそうで、慣れない着物で皆滑らないように必死。

時間がたっぷりあると思ったけどちょうどいいくらいで
友人たちはもう来ていた。







ここで私は家に戻ることにしたけれど、疲れたので食事をして家に
戻ることにした。













マンションも雪
















家で少し休憩して、今度は写真どりのため、再びホテルへ。







子供たちが遊んでいるのでつい写真を撮ってしまった。
















ホテルからまた伊勢丹まで地下道を通って
シャトルバスでビューティ・パークまで。










メイクとヘアを直して
本館に戻り、パークシティの写真館で写真を撮って
本日のメニューすべて終わり、Sは着替えて大慌てで
ダーツのお店での同期会へと飛んで行ってしまった。

私は残った大荷物を持って一人帰り、一人でお祝いをした。
Sはお酒を飲んだことはなかったけど、皆でカシス何とかを飲んだと
話していました。戻ったのは11時近く。
でもほかの子たちは二次会で4時まで飲んでいたのだって!

今日も中学と小学校の時のアルバムを持ってきて
男の子がずいぶん変わったと話していた。


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私のファミリーヒストリー -1・・・・ my family history -1

2013-01-11 22:51:51 | old familiar faces


仕事で疲れて帰った時は、まだお弁当箱を洗っていないSに腹立たしくなってしまう私。
もう成人式を迎える年になったのだから、もっと家事の協力と自立を願っている私。
洗いながら、私の高校時代とかいろいろ思い出してしまいました。




父の転勤のため、祖父母の家に預かってもらって中学後半と、高校にかよっていた頃、お手伝いさんが
怒って出て行っちゃったときか、祖母がお弁当を作ってくれたのだけど卵焼きを砂糖と塩を間違えて
すごい卵焼きを食べたことがありました。
祖母は体が弱かったので、ずっとお手伝いさんがいたのだけれど、すごく厳しく(ちょっと意地悪)
なところが使用人にあってその点では難しい人でした。
でも私をすごくかわいがってくれて大好きでした。預けられたせいか祖父についても
家でだらしない姿を(くわえ煙草の灰をボロボロ落として)見ても、社会的にも家庭的にも
素晴らしいことがよくわかり、父よりも尊敬していました。





そういうことで私はおじいちゃん子でありおばあちゃん子でした。
勤めてから職場で出向してきたスタッフから彼の奥さんとも共通して
長女は親となぜか離れて、うまくいっていないと言っていましたが
その通りと思いました。妹のほうが母と相性がいいのか年齢が下のせいか
気持ち的によく合うのかなと思ったりしました。
どちらかというと一般的に下の子がお母さんを必要としているので
お母さんの担当で上の子はお父さん的にはなりますが。
お父さん子でしたが、大人になるにつれ尊敬の念が消えて、社会で苦労していて
家で家族に当たったりしているのを見ると情けないと思ったりしました。
家から離れて実験的一人暮らし(祖父母の家の離れで)を始めたとき
初めて母とよく話すようになりました。(電話で毎週のように話したのは
このころ始まったのですね)





年とるにつれ、母のことがよくわかるようになり、父が理屈の人であったのに
比べ、より現実がわかって大きいのが母ではないかと思うようになりました。
なかなか会いに行けないので、親が心配する結婚をしてからも
よく電話をかけてきました。
結婚してすぐTが入院した時、心配をかけたくないので知らせなかった時も
私が困っている夢を見たからと言って電話をかけてきた時は本当に
驚きました。母と子というのはこういうすごく動物的なつながりが
あるのだと思いました。





トントンが中学生の時のお弁当のことでよく私を笑うのですが、私は全く
覚えていないけれど、お弁当がカレーだとすごくうれしそうに言ったとのこと。
そういえばドライカレーのお弁当を作ってくれたことがあったかもと思いだしました。
母は昔家事で何が好き?と聞いたとき、洗濯がすっきりするのが好きと
答えていましたが、料理も好きだったと思います。友の会に入っていたのが
すごく良かったと思います。羽仁もと子さんの本が祖母の時代からあって
婦人之友を私も子供のころから見ていたことがすごく影響を与えられたと思っています。







自由学園の創設者の羽仁夫妻が始めた婦人之友は表紙が脇田和とか熊谷守一、小倉遊亀
岡鹿之助、岡田謙三、猪熊玄一郎等々いつも一流の画家が飾っていて、美術の記事が
まずあって、創設者の言葉があり、記事は対談で始まり、キリスト教の話、社会のこと
料理、創作、そして世界の短編小説。映画のレヴューも辻邦夫なんかが書いていました。
今思えばすごくレベルの高い婦人誌だったのですね。今当時の水準の雑誌なんて
一つもないように思います。アイルランドの小説家メアリ・ラヴィンもここで知ったし
東欧の作家も、イタリアの女流作家ナタリア・ギンズブルグもここで知りました。
ヘルマン・ヘッセのまるでサマセット・モームのような皮肉っぽい短編も面白く
ハリル・ジブラーンの神谷美恵子の訳詩もこの本で読みました。





中学時代の夏休みの宿題で美術関連のスクラップブックつくりで
婦人之友のグラビアを切って張らせてもらい、仲瀬先生にすごく褒められたのを
覚えています。
実家が千葉から横浜に引っ越した10年少し前に処分してしまったのを
すごく後悔しています。他にその後つづけた日経新聞の別紙美の美のカラーグラビアの
スクラップも。その時に大学の卒論を失くしたことも。1年かけて関連図書を読んで書いた
Walt Whitman の Leaves of Grass についてでした。












 写真は2011年10月15日母の納骨を済ませた後、昭和記念公園によって、カメラを持っていなかったので
 Sのコンパクトデジカメで撮ってもらった時計草と黄色いコスモス(サンセット・イェロー)


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Bill Evans が聴きたくて ・・・ attracted by Bill Evans

2013-01-06 08:15:07 | music


何かのCMで曲が流れたような気がして毎晩 Bill Evans を聴きながら寝ています。

彼の曲は静かだけれど、寂しくならないのがいい。
透明感にあふれていて、温かい。
Jazz は夜中に聴くと孤独感が増してしまうのであまり聴きたくないけど
彼のはそうではない。

ずっと昔、結婚する前つきあっていた人がNew York でライブハウスのコンサートに行って
挨拶してきたと話を聞いてから、聴くようになりました。






私が持っているのはLP時代の You Must Believe in Spring のみ。
あとは図書館から借りてきたCDをコピーしたものだけ。
MDにはアルバムの名前も曲名も書かずにいたのでベストものを
借りたのかしら・・・
My Foolish Heart から始まっているもの。
今度たくさん聴いてみたくなってディスコグラフィを探しました。

それにしても早すぎる死でしたね。最後はドラッグをやっていたみたい。
音楽性、アドリブなど高めるためだったよう・・
ロックにしても音楽家が薬に手を出すのは音楽のためだったのですね。






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正月3日目 ・・・ the third day of new year

2013-01-04 23:05:04 | wonderland




お正月の3日目は妹が来て、甥のマンションに連れて行ってくれることになりました。
最初はお参りも一緒にとのことだったが、私たちは予定通り2日に日枝神社にのんびりと
行くことに変更していました。

甥が独立してもう1年半になろうとしています。妹は初めてというので驚きでした。
干渉しあわない親子です。

私はその前日あわてて買ったお正月の和菓子とお抹茶とお茶碗、大急ぎで作った
スモークサーモンときゅうりの細巻を持って甥の車に乗って
銀座を過ぎて海が見えてきたら、カメラを忘れたことに気が付いて
がっかり。
Sのスマホでマンションからの雄大な景色を撮ってもらいました。

今、この運河ぞいにマンションがたくさんできて
東京の新しい住居エリアになっていたのに驚きです。
友人も佃の高層マンションという別世界に住んでいて、上階には
音楽室や、図書館、応接スペース、バーなどがあってまるでホテルのようでした。
甥のマンションはもっと進んでジムやプール、子供の遊戯室など
ありました。保育園がついているのも多いそうです。
若い人たちはこういうところに移ってきているのだと
思いました。駐車場も立体の高層駐車場に車が格納されます。












スカイツリーも東京タワーも見える、180°のみはらしは気持ちがよく、
ユリカモメもおもちゃのように見えます。
最上階の33階でもそれほど高さを感じず、それでもヘリとか飛んでいると
ぶつかりそうな感じ。 羽田の飛行機の発着も近くに見えます。

3階くらいの高さのところがフロントのようになっていました。
そこのベランダ沿いに出ることができてそこも眺めがよかったです。
甥の部屋は6階でしたが、ベランダが広くてとてもいい眺めでした。



















おしゃれでシックな感じ。それゆえ生活感がなくて、ホテルのようです。
他に家があって、隠れ家的に持っていたら最高ですね。
ベランダで海を見ながらお酒を飲んで・・・
でも少しさびしいかな。


Jan. 4  2013   Ariake
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正月2日目 ・・・ the second day of new year

2013-01-03 21:15:41 | seasons








両親のところから持ってきた短冊を本棚の画集など置いてあるところの前に
立てかけてみた。




縷々の手書きの短冊が数枚。 亡くなった時の追悼句会の短冊もたくさんありました。
一番右に祖母が病室で書き取った句が段ボールのような紙に書かれていて
いかにも祖母らしくて好きです。縷々とは正反対のおおらかだった祖母らしくて。
朝はよし 金魚はなやぐ 枕べに





近くの諏訪神社へ

























赤坂まで













日枝神社へお参り

















こちらはお猿さん


















十月桜









サルヴァトーレでピッツア
いつもだとこの近くのスタバでキャラメルマキアートを飲んで帰るところです。
ちょっとおなかがすいたのでピッツアをシェアして食べました。
とてもかわいいピッツアだったのですが、気が付いたらほとんど食べ終わっていて
写真を撮りそこないました。(笑)



















帰りに新宿の伊勢丹によって、和菓子と抹茶を追加で買って帰りました。
翌日妹たちが来るというので。
初詣も昨年と違って人が少なく、新宿で人で込み合っていたのを見て、
お正月は人々はショッピングに来ていたことを知りました。
お正月の空気も少し澄んで神聖な気分に少しなるのですが、
この人の流れに少しがっかり。


Jan.2 2013
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新しい年の始まり ・・・ starting new year

2013-01-01 23:33:52 | seasons
昨日の夜中まで年賀状書き、整理、掃除、料理が続いてしまいました。
マンションのゴミ捨ても1日勘違いしていて、いつもは30日に料理をして
ゴミを全部出していたのでしたが、今回31日にゴミ捨て場に持っていったら
ロックアウト・・・おーそうだったと思い出しました。
本当に1日づれている。




それでも新しい年がやってきて・・飛び切りのお天気がうれしかった。




両親が遺してくれたお屠蘇セットを使ってみる。
今までの陶器の急須とはえらい違い・・
私が生まれた年に買ったものだったので、妹が譲ってくれたもの。




簡単なお雑煮と




真夜中に作った筑前煮と




近くのリーガ・ロイヤルホテルのおせち。
昔阿佐ヶ谷にいたとき近くの希須林という中華屋さんのセットを買った時以来の既製品。

結構おいしくてちょっとオードブルセットのようでワインに合いそうです。





私が作ったのはあと野菜のピクルスだけで紅白なますもパスしてしまいました。
いつもはちらしずしも作っておくのですが、今回はスモークサーモンが残っていたので
あとで細巻にでもすればいいかなと思ったり。




お花も花器をいつものクリスタルでなく、壺にいけてみました。


再び年賀状の続きを猛烈な勢いで書いて、ホームにちょっとだけおせちを
持っていきましたが、本人は林檎をおいしそうに食べただけでした。
ホームでも立派なおせちが出てました。
病気の人にはそういうことを大切にしてもらいたいですよね。










再びのブルー。新聞入れがお気に入りです。




今回の花びらもち。どんどんお店がなくなってしまうので、たねやで買いました。
菊廼舎が近くになくなってがっかり。








新年という晴れやかな気分はなく、でも新しい年を家族で迎えられてそのことは
奇跡にも思えるのです。

心配が絶えず、いつも不安定な感じで過ごしてきましたが、今年はもっとどっしりしていたいです。
でも心配できるということは余裕があるのかもしれない。看護の渦中にいれば疲れ果てて、心配どころでは
ないから。
人間は一生何かを背負って生きていかなければならないので、自分自身しなやかに対処できるように
ならなくてはいけないかと思ったり・・・
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