教育勅語のこと

かつて森友学園問題に関連して、この学園の教育は戦前の教育を賛美することが前提で、この端的な表れが「教育勅語」の崇拝である旨記したことがある(2月25日)。
驚いたことに、稲田防衛大臣が教育勅語肯定の発言をしているという。この大臣のレベルというか、ウルトラ保守(むしろ右翼)主義に唖然とするのは私だけだろうか。

教育勅語は、明治憲法体制下の日本の教育方針を規定した根本のよりどころだった。「勅語」という意味は天皇の命令である。日本の教育はこうあるべきだ、という天皇から出された「教育方針」であり、これを金科玉条として戦前の日本の教育が進められた。
学校の式典の時には、真っ白の手袋をはいた校長がうやうましくこの教育勅語をささげもって、全生徒と全教職員の前で朗読する。これを聞く職員と生徒は最敬礼してこれを聞く。こういうスタイルだった。私など小学校2年の1学期までの体験だったが、今でもその校長先生の壇上の姿は記憶から消えない。

「ちん思うにわがこうそこうそう國をはじむることこうえんに徳をたつることしんこうなり。我が臣民よく忠によく孝に億兆こころをいつにして世世その美をなせるはこれわが國體の成果にして教育の淵源また實にここに存す。爾(なんじ)臣民、父母の孝に兄弟(けいてい)に友に夫婦相和し朋友合い信じきょうけんおのれを侍し、博愛衆に及ぼし、學をおさめ業をならいもって智能を啓発し…一旦緩急あれば義勇公に奉じ、もって天壌無窮の皇運を扶翼すべし」。
 
基本理念はこの引用にあるように、忠孝の倫理である。そしていざという時には命を捨てて國(天皇)のために働くのだ、という道徳であった。
だから、部分的にいいことを言っていたとしてもこの幹の部分はそういうこと(親を大切に兄弟仲良く的なこと)などでは決してないのである。
 
森友学園小学校の設置を異例の早さで「認可妥当」という方向にもっていった力は、まさにこの明治憲法の精神を尊重したい人たちの総意だったとしかいえないだろう。この頂点にいたのは安倍首相夫妻だった。だから何度も言うように、政治家が特別な圧力をかけなくとも100年以上前の主流の思潮(理念)が現実を動かそうとした証明だったとしか言えないと思うのだ。
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