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葉山の四季

葉山の四季をお伝えしたいと思います。

「しんぶん 赤旗」記者・高野功氏のこと。

2014-01-08 18:41:16 | 本のひと言

 今日の「赤旗」に最近行なわれた日本共産党とベトナム共産党の理論会

議での日本共産党の不破団長の報告(上)が掲載されています。全文は

ここで(http://www.jcp.or.jp/akahata/aik13/2014-01-08/

2014010807_01_0.html )読めますが、文中に今日のタイトルに関

する部分がありましたので、その部分を。

≪(1966年2月)日本共産党とベトナムの党が本格的な会議をやったのは、

これが初めてです。(お互いの党に通訳できる同志がいないので、中国語を

介しての二重通訳でした。会議が終わって)宮本同志(日本側団長)とホー・

チミン同志(当時ベトナム国元首)と両党の今後のことをいろいろ相談し、そ

の中では、双方で直接自国語で通訳できるような学生を養成しあおうじゃな

いかということも含まれていました。≫

 

 その養成に応じた一人が当時東京港区の電気メーカーの職場で活動し

ていた高野功氏でした。この高野氏を思い出せてくれたのが昨日のこの

ブログ、http://blog.goo.ne.jp/setoti1940/e/6e7ad5c559031b

76e3a076c8ce63e0e7#comment-list です。是非見て頂きたい、

読んでいただきたいと思います。 チトセさんのアオザイ姿も歌う姿と歌詞も。

 ここではkaeruのコメントの一部を載せておきます。

1979年ベトナムで当時ベトナム・中国間の国境での
戦争で、取材していた「赤旗」記者の高野功氏が中国
軍の射撃で殺されました。彼は港区時代の仲間で、奥
さんが上田の高校を出た人でした。


 さて、この本は表紙に見られるように「ベトナム戦争で亡くなったジャーナ

リストの妻たちの語る記録です。(『わが夫、還らず』砂書房 2000年5月刊)

 

 6人の妻たちの記録のあと、報道カメラマンの石川文洋さんがこう書かれ

ています。

 ≪いくつかの資料をあわせると私の計算では氏名が分かっているだけで

取材中に尊い生命を失ったジャーナリストは172名。 最初の犠牲者は19

54年3月13日、第1次インドシナ戦争を撮影中、ベトナム北部、ラオスとの

国境に近いディエンビエンフーのフランス軍基地内で砲弾を受けたフランス

人カメラマン、レイモン・アルチノフ。最後となったのは1979年3月7日、ベト

ナム北部ランソン省で中越戦争を取材中、中国兵の狙撃に遭った赤旗特派

員の高野功。≫

 最後に石川さんが書かれている国別の犠牲者数。

アメリカ22、カンボジア22、フランス19、日本15、シンガポール3、イギリ

ス2、西ドイツ2、韓国、オランダ、カナダ、インド、アルゼンチン、スイス、各1、

ベトナム人はベトナム共和国(南ベトナム)側4、北ベトナム、解放戦線側72。

 

 この優れた同志のことを思い出させる切っ掛けになった昨日のチトセさん

のブログに感謝します。 そして、こういう「出会い」もブログで「つぶやき」つづ

け、なにかと読み見つづけてきた「効果」かと思います。

 終わりに、この本の「高野功」の章の〆に高野氏の妻・高野(旧姓 本道)美

智子さんについて書かれていることを紹介しておきます。

≪今、美智子はもう一度福祉の勉強をしたいという。自分の両親をみていると

老人介護のありかたもよりはっきりした形で見えてくる。また一日の大半を子ど

もと二人きりで過ごす娘を見れば、若い孤独な母親に対して地域と密着した保

育がどのような役割を果たすべきかということも見えてくる。美智子は自分でな

ければできないことを今また始めようとしている。≫


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6 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

コメント日が  古い順  |   新しい順
鹿児島の・・・ (屋根裏人です)
2014-01-08 20:37:18
ベトナム・・・きっかけは鹿児島のお姉さんから・・
いろんな展開へ多様な考え方を教えてくださり
知識の豊富なkaeru-23のおかげでだいぶ私も
勉強になりました。
返信する
ジャーナリストの死 (70歳旅の途中)
2014-01-08 20:49:04
戦いの前線に赴き 正確な情報を伝えようと、今も世界のあちこちで頑張っている人たちがいますね。たくさんン人が犠牲となってもその真相はなかなか伝わってこないと思います。
クチのトンネルや、勇敢に闘ったベトナムの人たちの話はいろいろ目にし耳にしましたが、ジャーナリストのことなどは、あまり知らされることが少ないのでしょうね。

バスが付くたび、ひどい障害の子だもたちが
(枯葉剤を浴びた母から生まれた)お金はものをねだります。決して渡さないでくださいと言われました。ホテルの前も毎日物売りの少女がテイシャツやセンスを売りに来ました。

昨年・亡くなったジャーナリストの山本美香さんのことも思い出します。子どもたちに慕われていました。

カエルさんの言いたいこととずれてしまいましたが、私のブログの紹介ありがとうございます。「南ベトナムからの手紙」「ベトナムへ送るまい」「ブーゲンビリア花咲くハノイよ」「南ベトナム行進曲」などたくさんの歌を歌って連帯を示したうたごえ運動に参加できたことを誇りに思っています。
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迎春 (茶千)
2014-01-08 21:35:13
少し遅くなりましたが
明けましておめでとうございます

すっかりご無沙汰致している内に随分と大きなブログに成長されて驚きました。

もうブログが無いのではと思っていましたら・・・
丁寧な日記が続いておりました。嬉しいですね^^

当方は相変わらず「鍵」がかかって日記ですが続けて
います。メールにURLを添付させて頂きましたので
お時間が許せばよろしくお願いいします。

お風邪など召されませんように・・・(*^-^)ノ♪

返信する
知的関心の方向。 (kaeru)
2014-01-09 10:04:53
 朝ドラの「ごちそうさん」での長女ふ久の関心は、落ちな
い石であったり、煙の上り方だったりして大人や普通の子
どもにとって「当たり前」のことへの?マーク。
 
 ここに子ども=成長する人間の本質をみる思いがします。
こうして一番大きい関心事・最後の知的関心事=自分が
死ぬとはどういうことかに向かうわけで、そこまでお付き合い願えれば大変ありがたいと思います。
 よろしければお付き合いください。
返信する
「死」を報ずる。 (kaeru)
2014-01-09 10:28:35
 高野氏の最後の通信。1979年3月7日、即死する数
十分前の記事「ランソンの洞くつで」【ランソン七日発 高
野】
 ≪(最初の部分)二月十七日以来、人海戦術という前
近代的戦術をもって侵略戦争をすすめてきた中国は、あ
まりの損害に、ひとまず主力軍を引きあげることにしたよ
うです。
(中ほどの部分)ベトナム兵士の計算では、十分間隔で
弾丸が飛んでくるといいます。一連の砲弾のあとまさに
その間隔をねらって、ジープで市内に入りました。
(終わりの部分)この岩山の洞くつに入ると、先に突入し
ていたベトナムの兵士が、「いま、この近くで、中国の残
存部隊と交戦したばかり」といいます。
軍を引きあげ、交渉したいと一方で口にしながら、中国
は、まさに無差別の砲撃を加えているのです。≫

 【この様な事実をふまえて、昨日・今日・明日の「日本・
ベトナム理論交流での不破団長の報告」を読むことが大
切かと思います】
返信する
何十年ぶり? (kaeru)
2014-01-09 10:47:08
 この前、コメントを頂いたのは何十年前でしたか?
というようにならないよう、これを機に気が向いた時だけで
なくお立ち寄り下さい。
 そうしないと、ブログが無くなっているだけでなく、蛙が亡
くなっているかもしれません。そうなってはブログの生みの
親の「才女」さんに友達として申し訳が立たなくなりますよ。

>お風邪など召されませんように・・・(*^-^)ノ♪<
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