kaeruのつぶやき

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俳句を捉える刻々。

2016-12-09 22:15:41 | kaeruの五七五

   これはご覧の通り俳人・西東三鬼が書かれたものす。

   紙面の写真は俳人・山口誓子です。これは奥付に昭和33年5月30日発行とある『現代俳句文学全集  山口誓子集』の月報のある頁です。

題になっている「魚を釣つてはゐられない」は次の頁にあるのでその部分を、

《 天狼創刊と時を同じくして、私(三鬼)は神戸を去って明石の先の別府という海村に居を定め、いわゆる専門俳人になったのだが、先生(誓子)と反対に、俳句の束縛の息苦しさに音を上げて、1日のうち、少なくとも二三時間は、俳句を忘れて過ごしたいと考え、名案として魚釣りを始めた。  〜

   俳句のデェモンから時間を限って逃れるには釣りに如くはない。これだこれだといふわけで、私は早速家をとび出し、電車を乗換へ乗換へて伊勢湾に到り、先生もあまり根をつめては療養の実があがりませんから、今日只今、釣竿など買い求められて、伊勢湾の魚を釣って空白の時間を得られては如何ですーーーと、こちらは名案と思い込んでいるから得々として忠義づらで進言すると、先生即座に答えて曰く、

「その空白の時間に、生涯の絶唱が通り過ぎたらどうしましょう?」

   この一言を聞くや否や、小生忽ち冷汗淋漓、雲を霞と遁走したのである。

   まことに俳句は生命の一瞬一瞬のすがたを十七文字で定着するものであるから、俳句をある時間忘れようと努める俳人は、その時間中死んでいることになる。》                

   kaeruの12月の俳句は8句出して採られたのは2句、先月の半分でした。その場で詠む漢字一字詠みこみ句3句を別にすれば五句中四句は鎌倉駅から会場までの間に頭に浮かんだもの。そんな姿勢で良い句が出来るものではない、ということでした。