遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『孤狼の血』  柚月裕子  角川書店

2017-11-14 23:39:55 | レビュー
 広島県呉原市にある呉原東署捜査二課暴力団係の刑事たちが、呉原市で勢力争いをする暴力団に立ち向かう捜査行動を、警察組織と暴力団組織の相互関係として描いて行く。併せて、その裏側に警察組織の暗部を潜ませている。そのプロセスで暴力団係班長の大上章吾刑事の生き様が少しずつ明らかにされていくというストーリー展開ともなっていく

 プロローグとエピローグは、現在時点を描く。呉原東署に呉原市暴力団抗争事件対策本部が置かれた状況の一場面である。70名近い捜査員と幹部が部屋に集まり、暴力団関連事務所の一斉捜査の計画に対する最終打ち合わせをしている場面。朝の6時50分。7時にガサ入れに出発する直前の緊迫した状況である。だが、そこに部屋の後方で、椅子の背にもたれ、ジッポーのライターを手で転がしながら、ただひとり身じろぎもしない男を登場させる。このプロローグとエピローグには、この悠長に構えている班長と駈けよって行った若い刑事の会話を描き込んでいる。
 エピローグの末尾の文に、「狼の絵柄が入ったジッポー」というフレーズが書き込まれている。タイトル「孤狼の血」はこの絵柄の「狼」と「一匹狼(孤狼)」が重ねられている。「血」は「つながり・継承・踏襲」をシンボライズしている。なぜ、孤狼の血を引き継ぐことになったのか? そこに刑事の生き様の選択を描くというテーマがある。

 1章から13章で構成されるストーリーは、昭和63年6月13日に、日岡秀一の呉原東署捜査二課配属日に遡る。つまり、過去のストーリーが展開して行く。だが、そのストーリーは、昭和63年7月27日までである。
 日岡は広島市に生まれ、広島大学を卒業して警察官になった。交番勤務、機動隊勤務を経て、捜査二課暴力団係に配属された。彼の直属上司が大上章吾巡査部長となる。呉原東署管内では暴力団の抗争事件が頻発している。寄りによって、日岡はそこに新米刑事として配属される。本部の幹部は「遣り甲斐はある。手柄を立てれば、出世の道も開けるぞ」と日岡に言い、日岡の肩を叩いて送り出したのだ。常識的な激励と読み過ごしたが、この激励が伏線となっている。それは最終ステージまで根底に潜む意味が読めないメッセージでもある。
 この小説の章立ては、それぞれの冒頭に、「日誌」の一部が記される。日岡が記録した日誌である。いつ、どこで、何をしたかは記されているが、どのように、なぜそれをしたかの箇所は○行削除として、墨み消しされた形で表記されている。この記述は、読み進めると、その章のストーリーのうち「いつ、どこで、何を」についての要約に思え、その章で日岡の目と日岡の考え方・思いを通してストーリーが描き出されているというように見える。章の導入的役割を果たしているのは事実であるが、この「日誌」の冒頭記載が、別の意味を明らかにしていくという結果になるところが、意外性への伏線として読者にインパクトをもたらすことになる。著者の目論見をなるほど・・・・と思うことに。

 さて、おもしろいのは日岡が配属日に呉原東署で着任の手続きを済ませるが、直属上司になる大上巡査部長には署内で対面できない。四角いマークの横にコスモスとだけ書いたメモ地図を頼りに待ち合わせの場所まで出かける羽目になる。喫茶店に居る大上に会うために出向くという始まりである。大上は、県警内部では百回にも及ぶトップの受賞歴と、訓戒処分の現役ワーストの噂を持つ、凄腕のマル暴刑事として有名な人物なのだ。
 大上は任官後、大半を二課の暴力団係として過ごしてきた。広島北署捜査二課配属の10年後に、県警警備部の機動隊に平隊員として左遷される。それは13年前のことで、第三次広島抗争事件のあった頃である。大上に暴力団との癒着疑惑が降りかかったことに対する警察組織の先手だった。3年後に広島北署に戻るが、それから4年後に、大上は県庁所在地からこの呉原東署の二課に異動させられた。地方の所轄への異動は事実上の左遷とも言える。この呉原東署では、課長や係長からは扱いにくとみられながら、事件解決での実績を上げる刑事として頼られてもいる。
 大上の悪い噂も耳にしている日岡が、そんなキャラクターの大上の下に配属されたのだ。そこから日岡の新米刑事としての悪戦苦闘が始まる。配属日早々に、「パチンコ 日の丸」に大上が立ち寄ると言い、そこでパチンコをしている一見で堅気ではないと思える赤シャツの男に「あいつ因縁をつけい」というとんでもない指示を受けて、試される羽目になる。大上は日岡が秀一という名前であり、赤シャツと五分に渡り合えたことなどから日岡を気に入っていく。赤シャツは苗代と言い、加古村組の組員だった。
 
 だが、その大上が死に葬儀が7月27日に行われるという結果になる。それまでの1ヵ月余の期間に、日岡は大上の相棒として付き従って事件捜査に取り組んでいく。大上の捜査方法に身近に接し、大上の事件捜査法と暴力団との関わり方を濃密に体験しつつ、そのやり方を客観視する。法とは何か。捜査の合法性は何か。法の規定の限界は何か。捜査のあり方は? 等々、戸惑い、思い悩みながらも、大上の手足となって事件捜査に関与していく。さらに、このわずかの凝縮された期間に、大上の過去と生き様を知る結果となる。一緒に行動することで、日岡は多くの他の警察官には言えない体験をも重ね、一方で警察組織というもの、暴力団組織というものを同時に学ぶことになる。その結果、日岡自身がその後の警察官としての生き様の選択に迫られるというストーリーに発展していく。

 大上と日岡が扱う事件とは、加古村組が経営に関与しているフロント企業・呉原金融の経理担当である上早稲(うえさわ)二郎が3ヵ月ほど前から行方不明となっている事件なのだ。上早稲の妹が東署に捜索願を出したところから、事件捜査が始まる。

 呉原東署管内には、組員50名の尾谷組、組員40人の加古村組という暴力団が存在する。加古村組は8年前に立ち上がった新興組織であり、組員100名以上の五十子組の傘下に入っている。五十子組、加古村組は仁正会という上部組織、600人以上を要する連合組織の一部でもある。その仁正会は神風会を上部組織とする。一方、小谷組は明石組を上部組織としている。神風会と明石組が対立関係にある。
 尾谷組の組長はこの時点ではある事件により鳥取にある刑務所に服役中であり、後少しの刑期を残す状態に居る。彼は博打打ちの中でも度量がずば抜けていて、その名前は全国の組織に轟いている。県警捜査四課の古参刑事は、日岡に尾谷は古武士という印象だと告げる。尾谷が服役のため尾谷組は若頭一之瀬守孝が取り仕切っている。

 大上は日岡の配属日に、尾谷組の事務所に日岡を連れて行く。それは日岡の存在を知らしめると同時に、聞き込み捜査の一環でもあった。上早稲の居所を加古村組の者が必死になって捜していたということと加古村組が上早稲の失踪に間違いなく噛んでいるという情報を大上・日岡は若頭一之瀬から聞き込む。尾谷組の若い者がその情報を掴んできたという。
 一方、加古村組は尾谷組の縄張りを浸食し、そこを乗っ取ろうとする動きを見せ始める気配が出て来ていた。尾谷組長が出所する前に、加古村組は尾谷組を潰そうと狙っている雲行きなのだ。呉原市内で暴力団抗争の兆しが現れてくる。
 一之瀬を交えて、大上は日岡の歓迎会を「小料理や 志乃」で行う。日岡にすれば、とんでもない初日になる。

 失踪事件の捜査活動の積み上げから筋が見えて来る。そして事件を解決することと、暴力団抗争の兆しを抑えるための手段とを連結させていくことが可能なことを大上は考える。大上は尾谷組の若頭一之瀬の側に立つというスタンスを明確にする。日岡は勿論当初は戸惑う立場である。大上の狙いがうまくいくか、破綻するか。大上の生き様と絡んだそのプロセスが読みどころとなる。だがそのプロセスで大上は死ぬ羽目になる。日岡は大上の死に直面し、その前に大上が日岡に言った一言に己の生き様の選択を迫られる。そして、「小料理や 志乃」の女将・昌子が語る内容が決断のトリガーとなっていく。
 
 この小説のストーリー描写にはいくつかの思考材料が含まれている。
1. 大上の捜査方法を描き出す。それは非合法なやり方を含むものでもある。
 だが、それは一般的合法的捜査では、事件解決に必須な情報だが容易に引き出せない類いの情報を短時間に入手する方法でもある。それを見聞する日岡の視点とのギャップが描かれる。そこから、日岡が何を学び、何を体得するか。法とは何か。法の限界は何か。日岡は考えざるを得なくなる。それは、読者一人ひとりに対する捜査とは何かの問題提起でもある。

2. 警察組織対暴力団組織の関係。この両者における「癒着」とはどのレベル、あるいはどのような関わりを言うのか。多くの警察小説作家は、暴力団係の刑事を一見ヤクザと同じような風貌で描くケースが多い。
 また、このストーリーでも、他の作家が描くのと同様に、大上が暴力団事務所に情報収集を兼ねた立ち寄りをする。暴力団組織の中に、人脈を作っていく。また、エスを飼うという行為も行われる。
 大上が日岡に言う言葉として、次のセリフがある。
 「ええか、二課のけじめはヤクザと同じよ。平たく言やあ、体育会の上下関係と一緒じゃ。・・・・ヤクザちゅうもんはよ、日頃から理不尽な世界で生きとる。上がシロじゃ言やあ、クロい烏もシロよ。そいつら相手に戦うんじゃ。わしらも理不尽な世界に身を置かにゃあ・・・・のう、極道の考えもわからんじゃろが」(p18)
 また、刑事のこんなセリフも。「こっちだって、少ない小遣いから捜査費を捻出しとるんじゃ。」(p68)情報提供者への飲食費や謝礼を刑事個人が身銭を切るという局面だ。
 「『まァ、どっかに犬がおる、いうことよ』 犬-捜査情報を(付記:加古村組に)流す内通者が土井班にいるということか。日岡は複雑な思いで唇を噛んだ。」(p154)
 大上と日岡との会話で次のことも書き込んでいる。(p198)
 「日岡。お前、二課の刑事の役目はなんじゃと思う」
 「暴力団を壊滅させることです。」
 「お前、自分の飯の種を自分で根こそぎ摘むんか。暴力団がのうなってしもうたら、わしらおまんまの食い上げじゃろうが」

3. 法律の規定が犯罪をすべて完全に裁ききれるのか。作者は法律の規定の限界、狭間で起こりうる事象・想定事例に着目している。現行法で裁けないが犯罪実行者が明白な場合、それを知る警察官はどう対処するのか。対処できるのか。その対処には、己の生き様が関わってくる。

4. 犯罪を取り締まる警察組織において、犯罪とも呼べる行為が行われているという実態の存在。組織悪とも呼べるものをどう考えるか。警察組織のトップ層に潜む暗部の存在にも着目してストーリーに絡めていく。勿論これは警察に限らず、民間企業や団体の組織体でも形を変えて存在する暗部を考えさせることにもなる。

5. 人を評価する基準、ものさしは何か。大上巡査部長とわずか1ヵ月余という短期間の濃密な時間を共有した日岡は、大上の行動・人間関係の観察を介して、己の評価基準の見直しを迫られていく。このプロセスが読ませどころにもなっていく。

 主な登場人物の一人、大上章吾は死んだ。日岡秀一を中心にした続編が構想されているのだろうか。続編が書かれることを期待したいのだが・・・・・。

 ご一読ありがとうございます。

人気ブログランキングへ
↑↑ クリックしていただけると嬉しいです。

この作品を読んでの波紋から、現実社会について、関心を抱いた事項をいくつかネット検索してみた。一覧にしておきたい。

暴力団員による不当な行為の防止等に関する法律  :「e-Gov」
暴力団 情勢と対策 2017  pdfファイル :「全国暴力追放運動推進センター」
指定暴力団の状況 pdfファイル  :「全国暴力追放運動推進センター」
組織的な犯罪の処罰及び犯罪収益の規制等に関する法律 :「e-Gov」
組織的な犯罪の処罰及び犯罪収益の規制等に関する法律  :ウィキペディア
抗争事件  :ウィキペディア
広島抗争  :ウィキペディア
日本社会を恐怖に陥れた史上最悪の暴力団抗争「山一抗争」の全貌 :「NAVERまとめ」
「1人でも多く殺す」山口組トップ狙撃事件の首謀者が真相激白 修羅の道を抜け牧師になった理由とは  :「産経WEST」
元刑事が「警察とヤクザの癒着」を告白するとき  :「日刊SPA!」
警察と暴力団の癒着  :「南京だより」


インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)


人気ブログランキングへ
↑↑ クリックしていただけると嬉しいです。

徒然に読んできた著者の作品の中で印象記を以下のものについて書いています。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『あしたの君へ』 文藝春秋
『パレートの誤算』 祥伝社
『慈雨』 集英社
『ウツボカズラの甘い息』 幻冬舎
『検事の死命』 宝島社
『検事の本懐』 宝島社