遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『決定版 長崎原爆写真集』 「反核・写真運動」監修 小松健一・新藤健一編 勉誠出版

2017-08-07 12:08:54 | レビュー
 今年も、昨日8月6日に被曝72年となる「原爆の日」を迎えた。日本の首相は「唯一の戦争被爆国として、『核兵器のない世界』の実現に向けた歩みを着実に前に進める」と語るだけで、それ以上には言及しなかった。式典後の会見では、核保有国が1カ国も条約に参加していないことに触れて、暗に「非現実的」と指摘し、条約への署名・批准には否定的だったと報じられている。この首相はどこに顔を向けて、何を考えているのだろう。唯一の被爆国だからこそ、条約に署名・批准して、その上で核兵器のない世界に向けて、積極的な発言と行動をすべきなのではないだろうか。この人並びにその周辺の人々にこそ、この写真集及びもう一冊の『決定版 広島原爆写真集』を真摯な思いで手に取り、じっくりと見つめて欲しいと感じる。8月9日は、長崎に原爆が投下された日である。多くの犠牲者を生み出した2つの原爆が爆裂した重みをきっちりと受けとめてこそ、一国の首相ではないのか。
 
 『決定版 広島原爆写真集』については、既に読後印象をまとめてご紹介している。広島の写真集を見て読んだとき、この書が出版されていることを知った。それでこちらも見て読むことにした。広島の悲惨な写真を見て、説明文を読んでいてふと思ったことがある。
 それは、原子爆弾のキノコ雲をはじめとして、原爆ドームの写真や石段に転写された人影、写真画面一杯の瓦礫だけの空間となった写真、橋の上の悲惨な姿の人々の写真など、写真集を見る前から、少しは見聞していた場面もある。それの再確認とヒロシマの当時の全体像を再認識したのだ。だが、そのとき、ならばナガサキはどうだった?
 自分の頭には、ナガサキには、8月9日に原爆が投下されたこと、爆心地が浦上天主堂に比較的近いところであり、原子爆弾のタイプが異なるものであること、平和の像などは情報としてインプットされていても、意外とナガサキの当日のリアルな現実の写真情報を記憶としても持っていないことに愕然とした。私の中では、広島の被曝、被災写真で代用されてしまっていたのだろう。原爆被災の事態、状況をリアルに画像として残した写真・映像情報が、ヒロシマ中心に記憶されていて、ナガサキを抽象的に知るにとどまり、リアルな事実映像という次元で受け止めていなかったことに気づいたのだ。
 この書を入手し、ほぼ初めてと言えるくらいのレベルで、ナガサキの原爆投下後の実態写真を目にし、説明文を読み進めることとなった。
 
 読後印象の結論をまず述べよう。この2冊の写真集は対比的に併せて読む事をお薦めする。そのことによって、反核への問題意識が一層相乗効果を生むと思う。是非、2冊とも目を通して、考えてみて欲しい。
 ここでは、ヒロシマの写真集の読後印象・まとめを前提にして、ナガサキの写真集を見て特徴的だと感じた点に絞りその印象記として列挙しておきたい。

1. 原子雲を撮った写真が1枚しかないこと。
 その理由は末尾にある対談記録のなかに語られている。
 冒頭の本書カバー写真は、雲が写真に比較的写っているものである。この写真集の中では原子雲の一部が写っている唯一の写真である。この写真が一番最初に収録されている。原爆の爆裂15分後に撮られたものだという。末尾の説明文から理解すると、原子雲を撮った写真が他に1枚だけあるそうだ。
2. ヒロシマと対比して、被曝・被災し生き延びた人々、治療を受ける人、一方で焼死した人々、被曝死した現場で荼毘に付されて残る白骨など、「人」に関わる写真が相対的に多い。原爆による悲惨さが一層切実に伝わってくる部分がある。被曝で亡くなられた人々の姿写真、焼死体の写真がまさに、反核へのトリガーになる。瓦礫となった建物群よりも、やはり人を撮った写真は強烈である。無惨にも一発の原発で、瞬時に同時に殺されてしまった一群の人々への鎮魂・・・・・。合掌。
3. 一方で、被曝による火傷を受けた悲惨ないわゆるケロイド状態を示す写真は、なぜか相対的に少ない。p93-95あたりから窺えるくらいである。
4. ヒロシマの場合は、比較的平坦な平野部の広がりと、その中心域から周辺にかけてが、見渡せる形で瓦礫だけの空白空間、都市の消滅が記録写真として鮮烈である。そして大半の写真には爆心地からの距離が明記されていた。同心円的に被害状況が見られるからかもしれない。
 それに対し、ナガサキの場合は、地形の違いが大きな要因として記録された写真にも出ている。空間的広がりの中での被災写真が少なく、相対的に限られた空間での建物群並びに被災した人々を撮った記録写真が多い。
5. ナガサキの爆心地の状況は、今や写真でしか知ることができない、確認できないのだなということを改めて認識した。
  爆心地に近い浦上天主堂の壊滅した写真を眺めていると、これを広島の原爆ドームと同様に記録写真の状態をリアルに元治で保存維持していれば、長崎の悲惨・苦難を訴えるモニュメントとして世界へのアピールになったのではないか。そんな思いが残る。
5. 70ページに電柱だけがぽつんと立つだけの焦土となった写真が載っている。「電柱は爆心のほぼ直下だったため、真上からの爆風で、立ったままになっている」(p71)という説明が記されている。後で調べてみると、現在長崎原爆落下中心地は、「平和公園」の南側に続く「原爆落下中心地公園」の中にあり、その地点には「黒御影石の石柱」がモニュメントとして建立されている。 

 この写真集も、あなたが原爆について思考する材料とし、そこから感じる思いを「反核」に向けるトリガーとしていただきたいと思う。そのために、まずここはご覧いただきたいと思うページを挙げておこう。あくまでまず「人」を見つめることに重心をおいた私の主観での抽出になるとことが大なのだが・・・・・。
 ページ番号:16, 19, 20-21, 22, 26, 45, 50, 53, 62-63, 68, 93-96, 100-103
114-117, 123, 132-133, 144-145, 166, 170, 176, 181, 187, 196-197, 211

 本書も『決定版 広島原爆写真集』と同じく、日本語と英語での説明という形でバイリンガルになっている。世界の人々に幅広く、見て読んでいただきたい写真集である。「反核」の一助とするためにも・・・・・・・。

 ご一読ありがとうございます。

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ナガサキの原爆に関連して、関心の波紋からネット検索した事項を一覧にしておきたい。
長崎市 平和・原爆 総合ページ
  原子爆弾とは
  被災写真 
  被爆直後の爆心地
長崎市への原子爆弾投下  :ウィキペディア
長崎原爆落下中心地(原爆落下中心地公園)1 :「ここは長崎ん町」
【原爆投下3ヵ月後】長崎の爆心地を撮影した驚愕のカラー映像 :「gooいまトピ」
松山町171番地は別荘だった――長崎とアトム(2):「科学技術のアネクドート」
長崎原爆と浦上天主堂  :「Google Arts & Culture」
長崎原爆投下70周年 : 教会と国家にとって歓迎されざる真実
 :「マスコミに載らない海外記事」
なぜ、長崎に原爆ドームが無いのか   :「NGOチーム3ミニッツ」
浦上天主堂  :「原爆慰霊碑・遺跡めぐり」(長崎平和研究所)

Hiroshima and Nagasaki: Gratuitous Mass Murder, Nuclear War, “A Lunatic Act”
   :「GlobalResearch」
Bombings of Hiroshima and Nagasaki - 1945 :「Atomic Heritage Foundation」
In pictures: Nagasaki bombing : BBC NEWS
Nuclear disaster as seen by the Russians: Rare footage filmed by Soviet researchers shows the utter devastation of Hiroshima and Nagasaki shortly after US atomic bombs flattened the cities in 1945 : Mail Online
Atomic bombing of Nagasaki - BBC  :YouTube
Rare footage of Nagasaki atomic bombing   :YouTube


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『第二楽章 ヒロシマの風 長崎から』 編 吉永小百合 画 男鹿和雄 徳間書店