遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『土漠の花』  月村了衛  幻冬舎

2015-07-04 14:04:19 | レビュー
 この小説は、当初雑誌「パピルス」に2014年2月~同年8月に連載されたと奥書に記されている。その加筆、修正版が単行本として出たのが9月である。雑誌「パピルス」はホームページに「まったく新しい”ペーパー・カルチャー・エンターテインメント”の誕生」を標榜していることからすれば、戦場エンターテインメントとして構想されたのだろう。そして、作品構想の背景には、国際平和協力法が前提に存在する。

 この小説は、ソマリアでの海賊対処行動に従事するジブチの自衛隊活動を前提に、フィクションとして構想されている。だが、1992年に法律が成立し、ソマリア沖海賊の対処活動に対しては、2009年から実際に現時点まで自衛隊員が継続的に派遣されている現実がある。継続状態が続くと、そのニュース性や当初の問題意識が希薄化しているのではないか。
 この小説の構想がいつごろからなされていたのか知らないが、構想自体はPKOを背景にしたものだろう。だが、この連載期間中、即ち2014年5月15日には、首相の私的諮問機関「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(安保法制懇)の報告書提出を受けて、安倍晋三首相が「他国のために自衛隊の武力を使う集団的自衛権の行使に向けて踏み出した。」つまり、集団的自衛権容認に着手した、憲法解釈の変更として国会に法改正の提議をするという意思表示をした。危険できな臭い動きが始まっているのだ。

 単行本は2014年9月に出版されている。現在、集団的自衛権の容認について、95日間の臨時国会延長をしてまで、政府は法案を通そうとしている。
 集団的自衛権が合法化されていたとしたら、この小説の展開・結末はストーリーとしてありえたか? この小説の発端と同じ状況がもし発生したとしたら、その展開はどうなっているのだろうか? 
 読みながら、現在の危険な法改正への状況を重ねてしまった。集団的自衛権の容認を標榜する人々は、どう想定し、対処する答弁をするのだろうか? その時のシナリオは?

 安全神話でどんどん進展した原発が、フクシマ問題では「想定外」の連発で対応され、未だ対策が復興へと進展しない。直接の被害者を窮状に置いたままである。
 強引に始められたことが、拡大していき、引きずられ、最悪のパターンに展開していくプロセスは、日本の歴史で繰り返されてきている。同じ轍を踏んではならないと思う。

 この小説は、PKO活動として「ソマリアでの海賊対処行動」に従事するジブチの自衛隊活動拠点に、墜落したCMF(有志連合海上部隊)連絡ヘリに対する捜索救助要請が入ったことが発端となる。
 なぜ要請が入ったのか? 2つの事態が同時発生していて、アメリカが人員を割けないから、自衛隊に話が回ってきたという、単なる「捜索救助」支援活動という想定ていどのものだったのだ。全体状況からみれば、軽い支援活動くらいの位置づけか・・・・。
 2つの複合状況とは、
1)本来ならアメリカ海兵隊のTRAPが出動すべきだが。、米軍はイスラム武装勢力アル・シャバブ掃討作戦の真っ最中だった。
2)海上での海賊対処任務で予期せぬ事故が複数発生して対応しなければならない状況だった。
 だから、実働人員を割ける状況にないという。この設定、現実の戦場ではあり得ることであろう。

 ジブチ共和国は西から南にかけてはエチオピア、南東方向にはソマリアと国境を接している。墜落地点は、アリ・サピエ洲の南端の三国の国境地帯なのだった。ソマリア側に墜落しているという想定のようである。アフリカに政治概念上の国境はあっても、現実には国境線などあるようでない状態に近い。この地域の地図をご覧いただくと、多少はイメージが湧きやすくなるかもしれない。グーグルの地図はこちら。

 だから、話が「想定外」の事態にどんどん展開していく。コンバットものに展開していくのである。小説としては、アメリカのコンバット映画に引き込まれるのと同様のエンターテインメント性を持った展開になっている。後方支援活動的立場の自衛隊員がその戦闘の場に投げ込まれてしまう。「ありえないはずの状況」が次々に起こるというストーリー展開である。しかし、これが現実に「ありえないはずの状況」と言い切れるのか? 
 
 この小説は4章構成になっている。そして、その中で戦闘状況の次元が悪化していくというストーリー展開に現実感がみなぎっていく。一方、小説としては勿論、おもしろくなっていく。

 第1章 ソマリア

 上記した背景状況からストーリーが展開する。吉松3尉を隊長とする計12名の捜索救助隊が編成され、連絡ヘリの墜落地点に居る。ヘリの墜落現場状況を確認し、明日からの作業のために野営する。その野営地に、黒人の女3人が助けを求めて飛び込んでくる。若い女はピヨマール・カダン氏族のスルタン(氏族長)の娘アスキラ・エルミと名乗る。中年の女2人は縁者だという。吉松隊長が、女達を避難民として受け入れると判断した直後に、ワーズデーン氏族の一団が襲ってくる。有無を言わせず銃撃してくる場面展開となる。
 第1章はヘリ墜落現場で受けた襲撃場面とからくもその場から脱出できるという状況展開だ。この戦闘で、隊員2人が戦死、立哨していた原田が既に殺されて生首になっている。捕縛された段階で、吉田隊長があっけなく額を打ち抜かれて死亡する。だが、からくもその状況から脱出できる事態が起きる。だが、さらに隊員1名が撃たれてしまう。そして、残る7名の隊員とアスキラの脱出行程で、脱出の契機を作ってくれた市ノ瀬が新開を救う為の格闘により激流の中に消えて行く結果になる。
 この脱出行程で展開が読ませどころである。

 第2章 土漠

 新開曹長は泥の河で追いすがってきた大男が叫んでいたソマリ語の言葉を理解していた。「強欲な亡者どもめ、そんなに石油が欲しいのか」だったという。新開がアスキラに問いただす。これが事態の伏線になっている。
 脱出を続ける7人は、ソマリアの独裁政権時代の虐殺・集団処刑の結果作られた処刑墓地という実態を見る。そして、遊牧民の村で、初めてほんの少しのやすらぎのひとときを味わうことができる。だが、彼らがその村に立ち寄ったことが、悲劇の始まりとなる。7人が一旦、村を後にして、しばらくしてから、追跡してきていたワーズーデン氏族の一団がその村の人々を虐殺し始めたのだ。
 痕跡を残さず立ち去ったはずが・・・・。気づいた新開曹長は引き返す判断をする。殺戮が続く村での戦闘が始まる。
 新開曹長が戦闘の結果、死ぬ。友永曹長が指揮官を継ぐ立場になる。
 ソマリアでの内戦の一端の有り様がリアルに描かれて行く。

 第3章 血

 村での戦闘で生き残ったアスキラを含む6人は、ワーズデーンの民兵が村に乗りつけた輸送車に積んでいた武器をかき集め、出発する。自衛隊員の5名とは、指揮官を継いだ友永軍曹、朝比奈1曹、由利1曹、津久田2曹、梶谷士長である。
 アスキラの属する小氏族の上部氏族であるディル氏族系の街に辿り着く。だがそこはすでに内戦の結果廃墟の街と化していた。
 街の状況がわかりかけた頃、「ハムシン」の接近する気象状況にアスキラが気づく。「ハムシン」とは、砂塵嵐を伴った高温嵐である。ハムシンが来襲すれば、それが通過しきるまでは足止めをくうことになる。
 そんな中で、執拗に追跡してきたワーズデーンの少数の民兵グループが現れる。ハムシンの近づく中で、再び壮絶な戦闘が始まる。

 第4章 花

 少数のワーズデーン民兵への対処はできたものの、既に友永やアスキラなどがこの街にいることは敵に知られていて、大部隊が間近に迫っているという状況だった。
 後半の第3・4章を読み進め、この第4章では、まったく状況は異なるが、黒沢明の「七人の侍」を連想してしまった。意外とこの発想がモチーフの底流にあるかもしれない。 友永を指揮官とする自衛隊員5人とアスキラが、ディル氏族系の街に四方から接近してくる大部隊にどのように立ち向かおうとするのか。どのような戦術を組み立てるのか?

 なぜ、連絡の途絶えた捜索救援隊に対する基地からの救援部隊が来ないのか? ジブチの自衛隊活動基地には、友永達の遭遇している状況が理解されていないのか?
 この第4章での戦いの展開が、コンバットものという見方をすれば、壮絶でスピード感に溢れ、隊員相互の結束力、絆と信頼感が発揮されるクライマックスになっていく。戦闘シーンが躍動していく。エンターテインメント性が発揮されている。

 なぜ、アスキラがそれほどまでに執拗に追跡されなければならないのか? そこに、この自衛隊員が死者を増やしつつ生死を賭けた戦闘状況に追い込まれていく根本原因がある。「戦闘」「戦争」を誘発させる理由があった。

 臨時に編成された捜索救援隊が孤立した中でのコンバット状況に投げ込まれる。東アフリカのソマリアという地域においての全体状況からみれば、ミクロ次元での死闘に焦点をあてて描き出されている。その範囲に限定してのコンバット次元の転換拡大である。
 臨時に編成された12人のうち、一番信頼されていた吉松隊長が、あっけなく撃ち殺されるとともに、生き残った隊員7人とアスキラが中心にストーリーが展開する。
 この7人の自衛隊員の中には人間関係での対立感情が潜んでいる。その対立感情がコンバット状況の中で変容を遂げていく。そこには人間理解の難しさが投げかけられている。一方、「想定外」の戦闘状況に投げ込まれた自衛隊員の心理の変化が描き込まれれていく。この人間関係や心理の変化について、具体的な感想を書けば、ネタばれにつながるのでやめておきたい。

 この小説のエンディングとして、友永・アスキラ等(としか書けない・・・・)がジブチに辿り着く最終段階がさらりと描かれている。だが、コンバット描写におけるエンターテインメント性に引き込まれた後のその結末描写の中にあるいくつかの重要な局面にこそ、考えるべき材料がいくつも投げ込まれているのである。
 それらが、この作品を現時点で終結させるための副産物なのか。そこに、著者が本来の論議のテーマを秘かにしかけたのか・・・・。その点も、この小説を読み、考えてみていただきたい。

 問題は後方支援としてのPKO派遣の自衛隊員が、これらの闘争に巻き込まれたという事態、その原点にこそ、大きな課題が秘められているのではないか。
 現在の国際状況、現下の政治状況及び憲法第9条問題という観点で眺めると、まさにフィクションという形で問題事例を提起している書と言える。2014年に出版以来の「問題作」であることに間違いはない。その「問題」にこそ真摯に対応して行くべきなのだろう。

 最後に、本文の一節に触れておこう。
 「今はお互いの仕事に全力を尽くそう。そして・・・・いつか、一緒に富士を観に行こう」 「『土漠では夜明けを待つ勇気のある者だけが明日を迎える』」

 作品のタイトル「土漠の花」の「花」にはダブルミーニング以上に、意味が込められていると感じる次第だ。現実の花でもあり、シンボライズされた花でもある。

 ご一読ありがとうございます。


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本書に関連する事項を検索してみた。その一旦を一覧にしておきたい。
P パリルス 幻冬舎 ホームページ

ソマリア  :ウィキペディア
ソマリア連邦共和国  :「外務省」
ソマリアの惨状を世界が見捨てた訳  :「NEWSWEEK 日本語版」

ソマリア沖海賊の対処活動 :ウィキペディア
ソマリア沖・アデン湾における海賊対処  :「防衛省統合幕僚監部」
ソマリア沖・アデン湾における海賊対処  :「防衛省・自衛隊」
自衛隊が音のビームで海賊退治をしてるらしい   :「NAVER まとめ」

PKO協力法  :「コトバンク」
国際連合平和維持活動等に対する協力に関する法律   :「e-GOV」
(平成四年六月十九日法律第七十九号)
国際平和協力法  :「内閣府」
国際平和維持活動(PKO)と武力行使  石原直紀氏 論説 「立命館国際研究」
国際平和維持活動(PKO)の発展と武力行使をめぐる原則の変化
   松葉眞美氏  (主要記事の要旨)   :「国立国会図書館」

集団的自衛権  :ウィキペディア
個別的自衛権 ⇒ 自衛権  :ウィキペディア
先制的自衛権  :ウィキペディア
集団的自衛権に対するトピックス  :「朝日新聞」
論点整理  集団的自衛権の行使容認  :「MEDIA WATCH JAPAN」
憲法と自衛権  :「防衛省・自衛隊」
“国民の生死”をこの政権に委ねるのか?  長谷部供男氏 :「YOMIURI ONLINE」
   集団的自衛権―憲法解釈変更の問題点
重ねて集団的自衛権の行使容認に反対し、立憲主義の意義を確認する決議
  :「日本弁護士連合会」
集団的自衛権を容認する「解釈」改憲に反対します/戦争を助長する「武器輸出」に反対します 秘密保護法を考える市民の会  :「change.org」
集団的自衛権 朝日新聞「反対」  :「MEDIA WATCH JAPAN」
  主要新聞の社説スタンス比較と見える化。賛否が分かれる政治テーマの論点整理。
【全文】集団的自衛権「合憲派」の西・百地両教授が会見?①冒頭発言 :「BLOGS」


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