原発問題

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『被爆医師のヒロシマ』著者:肥田舜太郎<未知の症状で死んでいく被爆者> ※15回目の紹介

2015-09-16 22:10:31 | 【被爆医師のヒロシマ】著者:肥田舜太郎

*『被爆医師のヒロシマ』著者:肥田舜太郎 を複数回に分け紹介します。15回目の紹介

被爆医師のヒロシマ 肥田舜太郎

はじめに

  私は肥田舜太郎という広島で被爆した医師です。28歳のときに広島陸軍病院の軍医をしていて原爆にあいました。その直後から私は被爆者の救援・治療にあた り、戦後もひきつづき被爆者の診療と相談をうけてきた数少ない医者の一人です。いろいろな困難をかかえた被爆者の役に立つようにと今日まですごしていま す。

 私がなぜこういう医師の道を歩いてきたのかをふり返ってみると、医師 として説明しようのない被爆者の死に様につぎつぎとぶつかったからです。広島や長崎に落とされた原爆が人間に何をしたかという真相は、ほとんど知らされて いません。大きな爆弾が落とされて、町がふっとんだ。すごい熱が放出されて、猛烈な風がふいて、街が壊れて、人は焼かれてつぶされて死んだ。こういう姿は 伝えられているけれども、原爆のはなった放射線が体のなかに入って、それでたくさんの人間がじわじわと殺され、いまでも放射能被害に苦しんでいるというこ と、しかし現在の医学では治療法はまったくないということ、その事実はほとんど知らされていないのです。

 だから私は世界の人たちに核 兵器の恐ろしさを伝えるために活動してきました。死んでいく被爆者たちにぶつかって、そのたびに自分が感じたことをふり返りながら、被爆とか、原爆とか、 核兵器廃絶、原発事故という問題を私がどう考えるようになったかということなどをお伝えしたいと思います。

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**『被爆医師のヒロシマ』著書の紹介

前回の話『被爆医師のヒロシマ』著者:肥田舜太郎<未知の症状で死んでいく被爆者> ※14回目の紹介

 髪の毛がなぜごそっと取れてしまうのか。髪の毛を1本ぬいてみるとわかりますが、根本に白い実のような毛根細胞があります。この細胞は人間の細胞の中で一番生きる力が強く、どんどん分裂して、毛が伸びていきます。このような勢いのよい細胞が、強烈な放射線を浴びると壊されてしまうのです。すると、髪の毛が毛穴につっ立っているだけになる。だから、すーっと取れてしまう。

 お坊さんは髪の毛をそりますが、毛根細胞があるから、そったあとの頭皮は青い。ところが、放射線にやられると毛根細胞が死んでしまって、髪の毛が取れた頭皮は真っ白なのです。

 もう一時間ぐらいしか生きられないだろうと思われた女の患者さんが、髪に手をやりました。すると、指にからみついて髪がどさっと取れてしまった。彼女は、息をふりしぼるような声で「私の髪が・・・」と言って大声で泣き出しました。これを見て、女の人は死ぬ間際まで、自分の髪の毛がなくなることをあんなにも悲しむのかと知りました。

 口の中が腐敗するのも放射線の影響だと、ずっとあとになってわかりました。口の中にはいろいろな細菌がいます。その細菌が何かいたずらをしようとすると、白血球という防衛部隊が細菌とたたかってやっつけようとします。それが真っ赤になって熱が出ている状態なのです。これを炎症と言います。ところが、強い放射線を浴びると白血球が死んでしまい、戦うことができなくて腐ってしまうのです。

 穴という穴から出血するのも、血液のなかにある血小板という、血をおもちのように固くして止める働きをする小さな粒が放射線のためになくなってしまって、血管の外に血がにじみ出たときに、自分で血を止める力がなくなり、ドバーッと血をはいたり、下血したり、大量出血するのです。その様子を見ていると、それが人間の死んでいく姿とはとても思えません。おそろしくて。

 申し合わせたように同じような時刻に発病して、相前後して死んでいった理由も、十何年もたってからわかりました。それは、爆心地から等距離で被爆したことを示していました。もし地図上に爆心地から同心円を描いたらなら、だいたい同じ時間に発病して死んでいった人たちは、同じ円上にいただろうと思われます。

 こうした理屈は、みんな後になってわかったことなのです。


 やがて呉(広島市街から20キロメートルあまり南東に位置する市)を拠点にする海軍から、「使用したのは原子爆弾である」とのアメリカの放送があったという話が伝わってきました。ですが、私たちには原子爆弾という言葉と、目の前で起こっている説明しようのない症状と、いったいどういう関係があるのか依然として不明でした。原子爆弾とわかったからといって、効果的な治療法があるわけでもなく、5つの症状が現れた被爆者の死の脈をとって、やりきれなさをかみしめるほかありませんでした。

 訪れた8月15日。小学校の校舎の一室で、勲章をつけた院長と黒の礼装にかしこまる校長と一緒に、私は敗戦の詔勅(天皇の考えを示す文書のこと)を告げるラジオを聞きました。雑音の中からようやく聞きとった天皇の言葉をつなぎ合わせてわかった日本の降伏。無念というより、遅すぎた決断に腹が立ちました。

 軍医とはいえ、現役将校のはしくれです。戦争に負けた責任の一端は負わねばなりません。院長が何か言いたげに私のほうを向きましたが、会釈して早々に立ち去りました。院長とあれこれ語る前に、医者としてやるべきことが戸坂村には多すぎたからです。

(「6 未知の症状で死んでいく被爆者」は今回で終わり、次回は「7 ピカにはあっとらん」人が死んでいく」)

続き『被爆医師のヒロシマ』は、9/17(木)22:00に投稿予定です。

 

被爆医師のヒロシマ―21世紀を生きる君たちに


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