原発問題

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ウランの里「人形峠」で行われた戦慄の住民思想調査 ※14回目の紹介

2014-12-19 22:00:00 | 【原子力ムラの陰謀】

*『原子力ムラの陰謀』著者:今西憲之

第1章 ウランの里「人形峠」で行われた戦慄の住民思想調査」を複数回に分け紹介します。14回目の紹介


原子力ムラの暗部を刻銘に記録に遺し、その男は逝った-

1995年12月8日、「夢の原子炉」と言われた

高速増殖炉「もんじゅ」でナトリウム漏れ事故が発生。

事故をめぐる”隠蔽”が次々と発覚する中、

一人の「国策会社」幹部が突如、命を落とした。

死の謎を解く鍵は、遺された膨大な資料のみ。

そこには原子力ムラが行ってきた”裏工作”の歴史が、

あまりにも生々しく記録されていた。

(P3「まえがき」から)

「『もんじゅ事故』で謎の死を遂げた西村成生さんが残した内部資料があるらしい」

 2012年冬、はじめにその話を聞いた時は、ここまで深くその資料と付き合うことになるとは想像もしていなかった。

  「西村ファイル」と名づけた資料の山を読み進めるうち、取材班は何度も我が目を疑った。国の特殊法人であるはずの動力炉・核燃料開発事業団(動燃=当時) が地域住民や職員の思想・行動を徹底的に調べ上げ、「洗脳」「工作」といった言葉が頻繁に飛び交う。そして、あまりに不自然な西村氏の死-。「原子力ム ラ」の異常な体質が、次々と浮かび上がってきたのである。

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**『原子力ムラの陰謀』著書 「第1章 ウランの里「人形峠」で行われた戦慄の住民思想調査」の紹介

前回の話ウランの里「人形峠」で行われた戦慄の住民思想調査 ※13回目の紹介

◎資料はいまも事業所内で保管

 現在は独立行政法人・日本原子力研究開発機構(JAEA)と名を変えた動燃は、どう答えるのか。後日、広報部に質問状を送ると、文書でこう答えた。

<作成者に確認したところ、人形峠環境技術センターにおいて、当該資料が作成者の退職後も破棄されず残されていることが確認されたものであり、原子力機構としては、当該資料の存在を把握していなかった。なお、作成者によると「地元状況把握のため、自身の手持ち資料として作成した」とのことであった>

 なんと、オリジナルの資料はいまも人形峠に保管されているという。JAEAは「資料の存在を把握していなかった」と主張し、あくまで”個人のしわざ”にしたいようだが、その作成者自身が我々の取材に「本社に何度も送った」と話している。事実、当時、動燃本社にいた西村氏の「ファイル」に、これらの資料が保管されていたのだ。

 JAEAの”弁明”は、さらに続く。

 資料にある数々の「住民工作」について問いただした我々の質問に対し、

<原子力機構は、旧動燃が動燃改革を経て旧サイクル機構として生まれ変わり、その後に旧原研と統合した組織であり、基本方針に「社会からの信頼」、行動基準に「社会とのコミュニケーションを通じ、業務の透明性の向上に努めるとともに説明責任を果たす」と定め、徹底的な相互理解のうえでの業務推進を基本としている>
とした上で、

<旧動燃時代については、現時点ではわからない>
と説明した。

※続き「第1章 ウランの里「人形峠」で行われた戦慄の住民思想調査 」は、12/22(月)22:00に投稿予定です。


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